おどい

御土居

京都府京都市

別名 : 御土居堀、京都総曲輪
旧国名 : 山城

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紫竹御土居(右奥)と堀代わりの若狭川
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イオ

御土居めぐり(紫竹~府立医大附属図書館) (2025/03/08 訪問)

(続き)

交通公園から紫竹御土居に向かう道中は微妙に入り組んでいますが、自転車を走らせていると御土居のラインに沿った町割りであることを感じます。

紫竹御土居(京都市北区紫竹上堀川町、紫竹上長目町・国史跡)
御土居の北東角にあたり、若狭川を堀代わりとする北辺の土塁と、賀茂川を堀代わりとする北東辺の土塁が遺っています。北辺の土塁は堀川通で分断されながらも、堀川通の西側まで続いています。生垣や柵に囲まれていて中には入れませんが、堀川通の西側にも遺されているのはありがたいことです。

石井神社(京都市北区小山元町)
御土居跡に建つ神社ということで、明瞭な遺構があるわけではないとしても、境内や社殿が一段高いところにあるとか境内の築山が御土居の名残だとか、何かしら痕跡があるのかと思いきや、しっかり削平されていて何の痕跡も見られませんでした。純粋に「跡地」なんですね…。

天寧寺(京都市北区寺町鞍馬口下ル天寧寺門前町)
御土居沿いに設けられた寺町北部の寺院で、山門越しに仰ぐ比叡山は「額縁門」として知られます。宗和流茶道の祖・金森宗和の墓所があるとのことで金龍紀行の一環として訪れましたが(宗和は金森可重の子)、宗和の墓所は見付けられず、代わりに明智光秀公報恩塔を発見。天正年間に会津から京に移転した際に光秀の尽力があったようです。金龍のつもりが麒麟がくる紀行になってしまいました(笑)

阿弥陀寺(京都市上京区鶴山町)
本満寺(京都市上京区鶴山町)
阿弥陀寺には織田信長の本廟、本満寺には山中鹿之助の墓所がある上に、墓地後背が御土居のラインとのことですが、すでに16時を過ぎ、蘆山寺の閉門時間が迫っているためやむなくスルーして次へ。

蘆山寺御土居(京都市上京区北之辺町・国史跡)
蘆山寺境内の墓地の奥に国史跡指定の御土居が遺っている…はずですが、あれ? 閉門は16時半じゃなかったっけ??(16時です) この日はいろいろと寺社をめぐっていますので、ほかの拝観時間と勘違いしていたようです…。境内の奥ということは、蘆山寺には入れなくても外から御土居だけでも見られるかも、と東側に回り込んでみましたが、たぶんこれがそうなんだろうけど…という藪が金網フェンス越しに見られただけでした。

府立医大附属図書館の復元御土居(京都市上京区梶井町)
河原町通沿いの府立医大附属図書館前に土塁が復元されています。蘆山寺御土居から南に続く御土居のライン上です。蘆山寺御土居の東側に回り込もうと河原町通に入ったところで綺麗に植栽された土塁(らしきもの)が視界に入ったので、もしやこれが蘆山寺御土居!?  とちょっと驚きました。

…ということで、せめて国史跡の9か所は全部めぐりたいと思っていましたが、ひとつだけ残してしまいました。でも、金森宗和の墓所を見付けられなかった天寧寺に、スルーした阿弥陀寺や本満寺、せっかく行くなら蘆山寺の源氏庭もゆっくり見たいし、御土居の痕跡がある渉成園にも行きたい…と考えると、かえってひとつ残っているほうが良いのかもしれませんね。今度は6年も間を開けずに再訪したいものです。
 

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イオ

御土居めぐり(鷹ケ峯南~大宮交通公園) (2025/03/08 訪問)

(続き)

大徳寺から西側の御土居跡のラインまで戻って、御土居めぐり続行。北大路通から眺めても紙屋川(天神川)と御土居跡の高低差はかなりのものがあります。御前通(ほぼ御土居跡のライン)には御土居の説明板があるようですが、見落としてしまいました…。

鷹ケ峯(南)御土居(京都市北区鷹峯旧土居町・国史跡)
公園として整備された御土居で、土塁頂部に上ることもできます。土塁上から見下ろし、また下から見上げることで土塁の高さを実感できました。なお、城びとでの御土居の位置情報は此処です。

鷹ケ峯(北)御土居(京都市北区鷹峯旧土居町・国史跡)
御土居の北西角、京の七口・長坂口の脇に柵で囲まれた土塁が状態良く遺っています。道向かいの和菓子屋・光悦堂で柵の鍵を借りて中に入れるようなので行ってみましたが、店主さん(たぶん)が接客から電話対応までお一人で忙しそうにしておられたので、余計な用事(鍵貸して)を頼むのも気が引けて、御土居餅を買っただけで店を出てしまいました…(根性なし)。赤えんどう豆の入った羽二重餅でこし餡を包んできな粉を振りかけた御土居餅は鷹峯名物をうたっていますが、なるほどこれは美味しい! 光悦堂で御土居の鍵を借りがてら、お土産には御土居餅がおすすめです(写真は撮り忘れました)。

ところで、これら二つの御土居は直線距離で約450mほど離れているところ、史跡名ではともに「鷹ケ峯御土居」なのは何故なんだろう? と思っていましたが、鷹ケ峯(北)御土居を角として南に約880m、東に約400m続く御土居跡の削平地は全て「鷹峯旧土居町」なんですね。町名が同じだから(地番は違うでしょうけど)同じ名称になったということでしょうか。御土居自体は失われても地図上にはっきり残る御土居の形状。ぜひGoogleマップで「鷹峯旧土居町」と検索してみて下さい。

大宮御土居(京都市北区大宮土居町・国史跡)
大宮土居町のほぼ全域に巨大な土塁と堀がそのままの姿で遺っています。柵で囲まれていて中には入れませんが、柵越しに見るだけでも大迫力! こんなもの凄い代物が22.5kmにわたって続いていたかと思うと、改めて秀吉の権力の絶大さを感じます。

大宮交通公園御土居(京都市北区大宮西脇台町)
国史跡指定は受けていませんが、交通公園の南辺に土塁が遺っています。両端には階段が設けられて土塁の上を端から端まで歩くことができます。土塁の北裾が窪んで見えるのは堀の名残でしょうか。

交通公園に着いたところで15時を過ぎ、残る国史跡は2か所のみ。北東角の紫竹御土居に向かいます(続く)。
 

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イオ

御土居めぐり(西ノ京~紫野) (2025/03/08 訪問)

御土居は豊臣秀吉が聚楽第の惣構として築いた総延長22.5kmに及ぶ巨大な堀と土塁で、洛中と洛外を区画する役割を果たしました。明治以降、宅地化によりそのほとんどが失われましたが、一部は現存し、うち9か所が国史跡指定を受けています。

6年前に雨のため中断したままになっていましたが、今度こそ御土居を一周(少なくとも国史跡の9か所は全て)めぐるべく、例によって西院駅で阪急レンタサイクルを借りて登城(御土居めぐり)開始。北野を除く西ノ京から紫野までの4か所は前回も訪れていますが、どうせ通り道なので再訪しました。

西ノ京御土居(京都市中京区西ノ京原町・国史跡)
市五郎稲荷神社の奥に土塁が南北に遺っていて、社殿脇から土塁に上ることもできます。鳥居が立ち並ぶ参道あたりが堀跡のようです。

北野中学校御土居(京都市中京区西ノ京中保町)
「御土居の袖」と呼ばれる西側張出部の土塁が北野中学校の敷地内に遺っています。中学校の周囲は目隠しフェンスで囲まれていますが、北辺の目隠しが途切れたあたりから見ることができました。

北野御土居(京都市上京区馬喰町・国史跡)
北野天満宮境内の西辺を流れる天神川(紙屋川)沿いに御土居が良好に遺っています。土塁の上から堀代わりの天神川を見下ろすとかなりの高低差があり、往時の規模を感じることができる…のは良いんですが、御土居があるもみじ苑は紅葉(例年10月下旬~12月上旬)と青もみじ(例年4月中旬~6月下旬)の頃のみの公開です。梅苑の公開時(例年2月上旬~3月下旬)にも土塁の上は歩けますが、川沿いに下りることはできません。また、北野天満宮の北門を出たところには北門前町延命地蔵菩薩と呼ばれる御土居から出土した石仏が祀られています。

平野御土居(京都市北区平野鳥居前町・国史跡)
天神川沿いの住宅地の中に芝が植えられ綺麗に整備された土塁が遺っています。南端部には御土居から出土した石仏が祀られていました。

紫野御土居(京都市北区紫野西土居町・国史跡)
天神川沿いの住宅地の一角に土塁がわずかに遺っています。西土居町という町名にも御土居の名残が見られます。西側を流れる天神川とは結構な高低差があり、自転車を走らせていると自然地形を活かして築かれていることを実感しました。

途中、聚楽第に寄り道しながら紫野御土居までの御土居をめぐり、船岡山城、大徳寺 龍源院に続いては、いよいよ初探訪のエリアに足を踏み入れます(続く)。
 

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イオ

北野天満宮 (2025/03/08 訪問)

トクさんが太宰府天満宮にお参りされた日に私は北野天満宮へ。6年前に雨で中断したきりになっていた御土居めぐりの一環として訪れました。前回は御土居を見るにも梅苑の入苑料が必要と知り、御土居が見たいだけなんだけどなぁ…とパスしましたが、どうやら梅苑やもみじ苑・青もみじ苑の開苑期間中しか御土居は公開されていないようなので、やむを得ません。6年前は800円だった入苑料が1.5倍の1200円になっているのは…インバウンド料金というやつでしょうか。

駐輪場に阪急レンタサイクルを駐め、楼門、三光門をくぐってまずは御本殿に参拝。御本殿の向かって左側には飛梅伝説の原種とされる紅梅が植わっています。境内にはたくさんの撫牛が奉納されていて、やはり天満宮といえば梅と牛なんだな、と改めて。

参拝を終えると、受付で入苑料を支払って梅苑に…行く前に本題の御土居へ。梅苑との分岐からスロープを上るとそこはもう御土居の上。西側には堀代わりだったであろう天神川(紙屋川)が流れていて、川までの元々の高低差に御土居の分が積み増されてかなりの高さがあります。今度は下から御土居を見上げてみよう、と思って川沿いに下りて行こうとすると、通路は柵で閉ざされていました。もみじ苑や青もみじ苑では川沿いに下りられますが、梅苑では御土居の上を歩くことができるだけのようです。それでも思ったより見応えがあったので良しとしますが、御土居をじっくり見たい方はもみじ苑か青もみじ苑の開苑時がおすすめです。私もいつか紅葉の頃に再訪したいものですが…。

気を取り直して梅苑「花の庭」へ。太宰府天満宮の梅は満開だったようですが、北野天満宮はこの日は五分咲きとのことで今週末あたりが見ごろになりそうです。全体的には五分咲きでも早咲きの梅は見ごろになっていて、紅梅と白梅が競うように咲き誇る様子はなかなかのもの。梅苑南端の仮設展望台に登れば梅苑を上から見渡すことができ、五分咲きでこれなら満開時はどれほどに…と思わせる美しさでした。御土居だけ見られればいいのに…とか、なんで1.5倍やねんとか、ぶーぶー思う気持ちはあっさり消え去り、今度は満開の頃に家族で来たいな、などと思わされてしまいました。…我ながらチョロすぎ(笑)

また、北野天満宮は豊臣秀吉が催した北野大茶湯の会場でもありますが、参道脇のバス駐車場には北野大茶湯之址の石碑と茶の湯の水を汲んだと伝わる太閤井戸があります。太閤井戸の水…ではないでしょうけど、この日は梅苑で梅茶と紅白の梅をあしらった菓子をいただきました(入苑料に含まれています)。長く続いた寒波もようやく終わり、春の訪れを感じる穏やかなひと時でした。
 

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城郭情報

分類・構造 防塁
天守構造 なし
築城主 豊臣秀吉
築城年 天正19年(1591)
主な城主 豊臣氏
廃城年 寛文10年(1670)
遺構 土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(御土居)
再建造物 石碑、説明板
住所 京都府京都市北区鷹峯旧土居町、大宮土居町、紫野西土居町他(地図は鷹ヶ峯の御土居を示す)
問い合わせ先 京都府教育庁指導部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 075-414-5903