(続き)
交通公園から紫竹御土居に向かう道中は微妙に入り組んでいますが、自転車を走らせていると御土居のラインに沿った町割りであることを感じます。
紫竹御土居(京都市北区紫竹上堀川町、紫竹上長目町・国史跡)
御土居の北東角にあたり、若狭川を堀代わりとする北辺の土塁と、賀茂川を堀代わりとする北東辺の土塁が遺っています。北辺の土塁は堀川通で分断されながらも、堀川通の西側まで続いています。生垣や柵に囲まれていて中には入れませんが、堀川通の西側にも遺されているのはありがたいことです。
石井神社(京都市北区小山元町)
御土居跡に建つ神社ということで、明瞭な遺構があるわけではないとしても、境内や社殿が一段高いところにあるとか境内の築山が御土居の名残だとか、何かしら痕跡があるのかと思いきや、しっかり削平されていて何の痕跡も見られませんでした。純粋に「跡地」なんですね…。
天寧寺(京都市北区寺町鞍馬口下ル天寧寺門前町)
御土居沿いに設けられた寺町北部の寺院で、山門越しに仰ぐ比叡山は「額縁門」として知られます。宗和流茶道の祖・金森宗和の墓所があるとのことで金龍紀行の一環として訪れましたが(宗和は金森可重の子)、宗和の墓所は見付けられず、代わりに明智光秀公報恩塔を発見。天正年間に会津から京に移転した際に光秀の尽力があったようです。金龍のつもりが麒麟がくる紀行になってしまいました(笑)
阿弥陀寺(京都市上京区鶴山町)
本満寺(京都市上京区鶴山町)
阿弥陀寺には織田信長の本廟、本満寺には山中鹿之助の墓所がある上に、墓地後背が御土居のラインとのことですが、すでに16時を過ぎ、蘆山寺の閉門時間が迫っているためやむなくスルーして次へ。
蘆山寺御土居(京都市上京区北之辺町・国史跡)
蘆山寺境内の墓地の奥に国史跡指定の御土居が遺っている…はずですが、あれ? 閉門は16時半じゃなかったっけ??(16時です) この日はいろいろと寺社をめぐっていますので、ほかの拝観時間と勘違いしていたようです…。境内の奥ということは、蘆山寺には入れなくても外から御土居だけでも見られるかも、と東側に回り込んでみましたが、たぶんこれがそうなんだろうけど…という藪が金網フェンス越しに見られただけでした。
府立医大附属図書館の復元御土居(京都市上京区梶井町)
河原町通沿いの府立医大附属図書館前に土塁が復元されています。蘆山寺御土居から南に続く御土居のライン上です。蘆山寺御土居の東側に回り込もうと河原町通に入ったところで綺麗に植栽された土塁(らしきもの)が視界に入ったので、もしやこれが蘆山寺御土居!? とちょっと驚きました。
…ということで、せめて国史跡の9か所は全部めぐりたいと思っていましたが、ひとつだけ残してしまいました。でも、金森宗和の墓所を見付けられなかった天寧寺に、スルーした阿弥陀寺や本満寺、せっかく行くなら蘆山寺の源氏庭もゆっくり見たいし、御土居の痕跡がある渉成園にも行きたい…と考えると、かえってひとつ残っているほうが良いのかもしれませんね。今度は6年も間を開けずに再訪したいものです。
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