北目城は元は粟野氏の城でした。5代の粟野忠重の時代に、茂ヶ崎城より北目城に移り天正年間まで粟野氏の城でした。9代の粟野重国は天正19年(1591)伊達政宗との戦いに敗れ、伊達氏の支配下に組み込まれています。
その後、北目城は関ヶ原の戦いに際に上杉軍と対峙する拠点として使われています。規模は東西約370m、南北約280mの平城で、平成4~5年の発掘調査によって堀跡が発見され、上幅10~14m、下幅2.5~3mの大きさで、堀底に段差や「障子」などが備えてあったようです。
現在は完全に市街地になっており、国道4号線と広瀬河畔道の交差を北に100mちょっと行ったところに案内板が有りました。
城址近くの「焼肉冷麺やまなか家仙台郡山店」で食事を取りました。盛岡冷麺が看板メニューの一つですが、温麺もあるようです。この日はちょっと寒かったので温麺を頼みました。個人の好みもあるけど、私としては冷麺の方が好みですね。
※内容を修正・加筆の上 再投稿させていただきました。申し訳ありませんがご了承お願いします。
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