近所なので自転車で
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2019/10/05 22:24
引っ越した近く (2019/09/15 訪問)
近所なので自転車で
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2019/10/05 22:11
垂井の泉 (2019/10/05 訪問)
垂井駅から徒歩10分くらいで城址推定地である専精寺に着きます。城址碑と案内板があります。遺構はありません。
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2019/10/05 21:14
晴れ (2019/10/05 訪問)
公園のお散歩気持ち良いぽい
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2019/10/05 20:26
2019/10/05 20:21
関東らしいお城‼️ (2019/09/26 訪問)
深い堀、高い切岸、そして素敵な竹林🎶
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2019/10/05 19:57
街道から比高30m (2019/10/02 訪問)
伊勢や室生寺への街道をおさえる比高30mの城との記述に、制覇は楽勝と思いきや、標高約600mの奥深いところに立地。ラスト1kmくらいは、段々畑と共に民家は点在するが、車が1台通れるだけの道をくねくねと行き、不安になる。民家はみな立派で、かつては栄えた場所なのであろうと思う。
登城口からは、伊勢本街道の谷ははるかかなたの下方に見える。城趾は、虎口、土塁や大きな横堀が良く残る。二郭南側の緩斜面の処置が未完な感じだが更に奥に遺構があるのかも。
伊勢本街道から赤埴城に至る途中に、彼岸花の名所の仏隆寺に遭遇。ちょうど彼岸花の開花時期だった。鹿、猪に彼岸花が荒らされ、維持がたいへんと。寄付箱があったので協力させてもらいました。人が、もっと鹿や猪を食べれば、ジビエが商売として成立して適切な繁殖数になるはず。マグロは人類が食べ尽くしてしまいそうなのだから。鹿肉バーガーや鹿肉カレーは都会でも見られるので、もっと食べて欲しい。私の畑も鹿にやられてます。
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2019/10/05 16:57
諏訪の浮城、諏訪湖が霞む。 (2019/09/21 訪問)
続100名城のスタンプを増やせる遠出チャンスの三連休に長野県諏訪市の「高島城」に行きました。
曇り後、雨の予報でしたが気にせずレッツゴーです。
もともと諏訪氏が、この辺りを治めてました。
諏訪氏といえば武田 信玄さんの側室 諏訪御料人。
歴史が好きになり始めた20代の頃、自分が諏訪御料人の立場なら信玄さんを好きになれるか?と考えた事があります。
好き嫌いで決まらない時代の結婚ですけどね、悲しい出来事が多かったので。
「高島城」は秀吉さんの家臣、日根野氏により築城されました。
お昼頃到着、雨が降りだしました。駐車場は、雨で帰る方がいたので停められました。
晴れていたり桜、紅葉の季節は駐車場、どうでしょう?
まずはスタンプが押せる復興天守へ。余談ですが入口にお城のマットがひいてあり、ちょっと欲しいかもと思いました。
日本三大湖城の一つ、諏訪の浮城の天守からの眺めは「諏訪湖が遠くて霞んでるっ」が率直な感想です。埋め立てや開発が進んでいるので、しょうがないですけど晴れていれば、とてもキレイなはずです。
傘をさしながらお庭散策すると御川渡門跡があり、この場所から舟に乗り湖に出られたそうです。現在は御殿裏門が移築されてます。
「高島城」いろいろありましたが関ヶ原の戦いの後は諏訪氏が返り咲きました。お帰りなさい。
諏訪湖は霞んでいましたが、リンゴが色づき始め、田の稲は黄金色、蕎麦の白い花が見られました。
長野県、美味しい季節が来ますね。
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2019/10/05 11:00
滝川雄利が天正伊賀の乱で駐屯地として築いた城 (2019/09/16 訪問)
【滝川氏城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡がグランドと公園になっているので、北側の入口そばに駐車できそうです。私は北側一帯が田んぼになっているので、あぜ道脇に路駐した。
<交通手段>車
<見所>土塁・横堀
<感想>日帰り伊賀攻城の旅3城目。城跡場所を尋ねた通りがかりのおばさんの反応が物凄く恐くて「あ~?」ってな感じでびびりました。名張の人こわー。地元では児童公園と呼ばれているようです。
結局田んぼを通って城跡の北側から入った。城跡は北側は土塁→遊具のある10×60㍍ほどの曲輪→土塁→主郭となっている。主郭は広く、草野球一つ分は軽く入る。主郭の東西側は林がきつくて進入不可、南側は横堀が大きくて見応えあり。さらに南側には小さい作平地があって誰かが勝手に植えているキウイ畑になっていた。
見終わったら4時前ですぐ南にある桜町中将城も行く予定だったが、既にうす暗くなってきており、車の駐車場所を探すモチベーションがなくなったのでこれにて終了した。一日走行距離240㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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2019/10/04 23:31
全長約22.5km (2019/11/24 訪問)
何ヶ所か見られる御土居のうち、ルートの都合で北野天満宮に行ってみました。
外と中からなんとなーく見ることはできたのですが、紅葉園公開の時に行くのが正解だったみたいで、リベンジリスト(←報復するみたい)掲載決定です。
これもあとで知ったのですが、京都市考古資料館で御土居の出土品などの展示をしていました。二条城の近くにあった資料館、前を通ったのに見逃してしまっていました。
★紅葉園公開は10/25〜12/8(ライトアップは11/9〜)で、
★「御土居 洛中洛外のはざま展」は開催中〜11/24です。
写真8・9枚目は京都市考古資料館HPのパンフです。
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2019/10/04 21:48
曇り (2019/10/04 訪問)
裏の小学校がオバケ出そうぽい
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2019/10/04 21:43
晴れ (2019/10/04 訪問)
御城印自分で作ったぽい
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2019/10/04 21:22
織豊系城郭の石垣 (2019/09/28 訪問)
大洞城の築城年代は定かではないそうですが、宇佐見左衛門尉によって築かれたのが始まりとされていて、郡上八幡城の支城の一つとされています。
大洞城は津保川と武儀倉川が合流する標高260m程の山頂に築かれており、主郭部の所々を石垣で囲み主郭部入口にあたる部分に石垣で方形の基壇があり、竪石が確認できる。
県道63号線からスーパー(マルヤス( '-'* )?)の脇の細い路地を100m程進むと神社があり、駐車スペースがあります。神社の左側に登城口及び大洞城の説明板があります。
登城口すぐ横には大洞城の居館跡と考えられている大きな平坦地があり、さらに20m程進んだところで愕然(°д°)これ行くの!?(^_^;)っていうくらい酷い倒木が!?何度か引き返そうと思いましたが、何とか倒木を潜り抜け・乗り越えし、拾った木の棒で蜘蛛の巣を払い除け悪戦苦闘しながら、山ヒルとダニに喰いつかれませんように先程の神社の神様にお願いしながら登城しました。倒木エリアを越えて直ぐに南曲輪と考えられている平坦地に出ますが、林道により破壊されています。
平坦地より、主郭部に向け10m程行くと直ぐに石垣で囲まれた方形の基壇がありこれまでの苦労が報われた瞬間がきます。さほど大きな主各部ではありませんが、所々に石垣があり大きな石も使用されており、織豊系城郭の石垣を堪能することができます。
PS.山ヒルにもダニにも喰いつかれることなく、無事登城を終えた事をご報告致します。
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2019/10/04 17:20
2019/10/04 16:09
木造復元郭馬出西虎口二階櫓門探訪 (2017/02/19 訪問)
埼玉県深谷市の深谷城を終えて何回か登城してる箕輪城へ、昨年末(平成28年11月23日)公開された箕輪城二の丸南に在る郭馬出西虎口に木造復元された二階櫓門を見たくて時間的に夕日が沈む頃でしたが探訪しました。車は東の搦手側箕輪城跡駐車場を利用奇麗に整備された駐車場です。
駐車場から搦手口、二の丸、大河ドラマ「直虎」放映の年幟がはためき、目的の郭馬出虎口に立つ二階櫓と対面、実に立派です井伊直政がいた頃を想像します。
平成31年春に完成予定とされいた本丸西虎口高麗門の工事の進捗は?と本丸に行きましたが形跡は無し書き込み時現在令和元年ですが何時に成るのでしょうか楽しみに待ってます。
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2019/10/04 15:08
ほっとした深谷城址公園 (2017/02/19 訪問)
埼玉県大里郡寄居町の花園城を終えて笹竹薮迷子状態から開かれた市街地城郭公園深谷城に着きほっとしました。情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん公園駐車場に車を停める。
深谷市には仕事の関係でよく来ており城址の在る事は分かって居たのですが落ち着いて探訪した事が無く初探訪です、深谷城址公園としてよく整備されてます、模擬石垣、漆喰風土塀で城跡感が良く出されてますそれなりに楽しめ落ち着きます。
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2019/10/04 14:45
笹薮の曲輪で迷っちゃいました (2017/02/19 訪問)
埼玉県比企郡の小倉城を終えて花園城を初登城、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんに依り秩父鉄道沿いの善道寺を目指し同参拝者駐車場に車を停めて、線路沿いを西に約200mの所に在る諏訪神社より登城路案内に従い途中竪堀の土塁側の道無き道を頂上1郭に向かい登って行く急なロープ道も有りやや危険、1郭したの曲輪群に入るが笹竹薮で道が分りませんが兎に角上に上に、同笹薮で同好の士に会い情報を頂く、何とか1郭に至り、東西に長い1郭を西、東、下城時に来た道が分らなくなり兎に角竪堀の底を落ち葉を滑るように下って来ました。
1郭下の曲輪群は笹竹薮で迷子状態不安に成り1郭の石碑を確認し下城したと言う感じです、もう少し登城路の整備と案内看板、案内指示版で探訪しやすくして頂けるとありがたい。
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2019/10/04 00:34
おちょぼさんの道中に (2019/09/28 訪問)
たくさんある日本三大稲荷の一つで岐阜県海津市にある「千代保稲荷神社(ちよほいなりじんじゃ)」地元では通称「おちょぼさん」に行った際に近くを通ったので訪れました。
車での訪問だったのですが、城址碑のある「城跡公園」の駐車場の情報がなかったので、近くまで行って駐車できる場所がなさそうなら諦めて通り過ぎようかと思っていましたが、城跡公園東側の南北に走る道の路肩が少し広くなっており、車通りも少ない道だったので(滞在時間6分で通過した車は1台でした)路肩に駐車させてもらいささっと散策しました。
「城跡公園」に城址碑と説明板、公園から南に100m程の所に水堀を復元した小さな公園があり、ここにも説明板がありました。「城跡公園」の北東の明誠高校が城跡と伝わりますが、現地の古地図を見ると「城跡公園」の真北が松平氏の居館があった場所のようです。
関ヶ原の合戦後、高須城には高須藩初代藩主・徳永寿昌(とくながながまさ)が5万石で入封し、後に小笠原氏、松平(尾張)氏と入封しました。
幕末の日本の歴史に大きく関わる「高須四兄弟」は高須藩松平家10代藩主の松平義建(まつだいらよしたつ)公の
次男・尾張藩14代・17代藩主 徳川義勝(とくがわよしかつ)公
五男・一橋徳川家10代当主 徳川茂徳(とくがわもちなが)公
七男・会津藩松平(保科)家9代藩主 松平容保(まつだいらかたもり)公
九男・桑名藩松平(久松)家4代藩主 松平定敬(まつだいらさだあき)公
後、23歳で早世してしまいましたが、三男・松平武成(まつだいらたけなり)公は石見浜田藩の松平(越智)家3代藩主です。
兄弟5人が殿様て凄い・・・さらに早世した三男・武成公以外はみな10万石以上の大名でした。
「高須四兄弟」と言っても、みんな江戸で生まれているので兄弟がここ高須で育ったわけではなさそうですが、幕末に思いを馳せるのが好きな方はここで会津や函館に心がリンクするのではないでしょうか。
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