ますとみじょう

益富城

福岡県嘉麻市

別名 : 大隈城
旧国名 : 筑前

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石垣散策 (2024/12/26 訪問)

 予想していたよりも多くの石垣を観ることができました。捜せばもっとなるかもしれません。
期待以上に素晴らしい城址で手入れもよくされていました。時間の都合もあり回れなかった場所、予習不足だった所もありましたが、気持ちよく散策でしました。

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出丸と別曲輪周辺散策 (2024/12/26 訪問)

 出丸、別曲輪を一部ですが散策しました。城内の説明板では東側に出丸を設け、両脇を固めるように別曲輪を五つ配置していると書かれています。出丸と別曲輪の表示がありますが、主要な城域との位置関係、規模を考えると同じように思います。畝状竪堀もありました。別曲輪跡の表示のある曲輪の奥にも曲輪が展開していました。主要な曲輪はよく整備されています。奥まで行くと藪や倒木がありました。余湖くんのホームページには他にも曲輪があり、次に来た時は今回時間の都合で断念した東南にある別曲輪群も散策してみたいですね。

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主要部分周囲散策 (2024/12/26 訪問)

 広範囲に城域がありそれなりに遺構もあるために主要部分周囲の気になった所も投稿させていただきます。二の丸を下ったところに水の手曲輪がありますが、江戸時代の絵図によると近郊に大規模な堀切があったようです。今は埋まって平坦部になっています。畝状竪堀が多い城址ですが、浅くなったり藪になっていたりしていました。

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本丸付近散策 (2024/12/26 訪問)

 豊臣秀吉の一夜城伝説が残る城で、黒田氏が筑前を治めた時代は筑前六端城の一つとして位置づけられています。小石原街道と秋月街道が益富城下で交差し、交通の要衝でした。
興味深いのは縄張りで標高約190mの場所に本丸、二の丸があり、北東の尾根には別曲輪群が展開しています。その曲輪は余湖くんのホームページの図では出城となっていて9カ所記載されていました。現地の表示では出丸、別曲輪と表現されています。まずは本丸方面へ向かい水の手曲輪、二の丸、本丸、さらには馬屋跡まで散策し、戻って北東の別曲輪群を見学しました。時間の関係で東南にある別曲輪群は散策していません。それでも約2時間半かかりました。城域はかなり広いです。曲輪、枡形虎口、石垣などが残っていました。畝状竪堀が多く設置されていることは、この城の特徴のひとつです。

上の方まで車で上がれます。公共交通機関を利用される方は、桂川駅からバスが出ていて大隈バス停下車し、そこから徒歩で上まで上がります。

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 不明
築城主 大内盛見
築城年 永享年間(1429〜1441)
主な改修者 秋月種実、後藤基次
主な城主 大内氏、杉氏、秋月氏、早川氏、後藤氏、母里氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、移築搦手門、石垣、土塁、横堀
再建造物 石碑、説明板
住所 福岡県嘉麻市中益
問い合わせ先 嘉麻市産業振興課商工観光係
問い合わせ先電話番号 0948-57-3154