むらさめじょう

村雨城

滋賀県甲賀市


旧国名 : 近江

投稿する
①主郭
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:村雨城 (2024/09/26 訪問)

望月支城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)より自転車で5分ちょっとで、入口碑付近(34.914514、136.157194)に着きました。

村雨城の詳細は不明のようですが、「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡に指定されています。
戦国時代の永禄年間(1558~70)の織田信長の近江侵攻を背景に、甲賀武士は連合して「甲賀郡中惣(ちゅうそう)」という組織を作り、地域を支配しており。その城館の1つでした。
甲賀武士は近江守護六角氏の主力として活躍しましたが、1570年(元亀元年)野洲川の戦いで敗北し、信長の配下に入りました。
その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され、郡中惣は終焉を迎えたそうです。

甲賀特有の二城連結城で、村雨城を主郭として、寺前城を副郭としていたと考えられているようです。
城址には主郭部を囲んだ土塁のほか、食い違い虎口や切岸、堀切などが確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=寺前城へ自転車で向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

甲賀郡中惣遺跡群の一つ。六角氏が潜伏の可能性は? (2023/06/26 訪問)

村雨城は甲賀郡中惣遺跡群として国に史跡に認定されています。
寺前城とセットで扱われており左手の道路からアクセスすることができます。
二の郭らしき扁平地を経て本郭に入ることが出来、
虎口は西側に設けてあり、周囲を高さ4mの土塁で囲ってあります。
寺前城より防御力が強く造られているようで、ひょっとしたら
近江守護六角氏がこの地に避難してきたときに、この城で
御厄介になっていたのかもしれません。
主郭の南西側にも郭があり両側に土塁がそびえたちます。
二重掘切を経て寺前城とつながっているようですが、この時期は
藪がひどく、この日はここで退散しました。
また秋冬あたりに、ここを訪問したら二重堀切を通じて両城を堪能したいと
思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

甲賀郡中惣遺跡群 (2022/03/20 訪問)

 大谷池の西側に連接して城址はあります。道路から案内板を見ることができます。土塁と堀が残っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

謎の村雨城 (2021/01/31 訪問)

室町期に築かれたと考えられますが、文献等には登場せず、城主や歴史など一切が不明です。「謎の村雨城」ですね(笑)

新名神・甲南IC近く、大谷池西岸の丘陵地に築かれた城で、丘陵南側の頂部に主郭、西下に副郭と小曲輪群を配し、北側の尾根続きには寺前城があります。村雨城を主郭とし、寺前城を副郭とする別城一郭の城とも考えられるようです

駐車場はないため、新治口交差点から北に少し行った説明板近くに路駐して登城しました。登城口すぐの小曲輪からは主郭北西部の土塁が聳え立って見えます。小曲輪から南に斜面を登ったところが副郭で、北辺と西辺、南辺の三方に土塁がめぐっています。副郭北辺の土塁上を東に進み、虎口を抜けると四方を分厚い土塁に囲まれた主郭に至ります。主郭の南側は堀幅の広い堀切で尾根を断ち切り、南辺の土塁からの攻撃にさらされています。主郭の北側も堀切が設けられ、土橋を越えた先は浅い土塁のある未削平の曲輪です。そして、その北側の堀切の先は寺前城になります。

高さもさりながら、土塁の分厚さが印象的で、特に主郭南辺の土塁などは土塁上に三段の小曲輪があるくらいの広さでした。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 不明
築城年 15〜16世紀
主な城主 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口、堀切
指定文化財 国史跡(甲賀郡中惣遺跡群)
再建造物 碑、説明板
住所 滋賀県甲賀市甲南町新治
問い合わせ先 甲賀市観光協会
問い合わせ先電話番号 0748-60-2690