竹中城からの転戦です。ここも「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡にも指定されています。寺前城とは大堀切で隔てられている感じで、一城別郭といった趣を持っていました。寺前城に続く道が主郭につながっていますが、熊笹に隠されていて見つけにくいかもしれません。美しい土塁に囲まれた主郭を一望のもとにできるコンパクトな城ですが、2026年に初めて訪れた城の中では、今のところこの城が№1です。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/02/23 05:34
北近江長浜大河ドラマ館推参翌日・献血前の攻城② (2024/02/15 訪問)
竹中城からの転戦です。ここも「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡にも指定されています。寺前城とは大堀切で隔てられている感じで、一城別郭といった趣を持っていました。寺前城に続く道が主郭につながっていますが、熊笹に隠されていて見つけにくいかもしれません。美しい土塁に囲まれた主郭を一望のもとにできるコンパクトな城ですが、2026年に初めて訪れた城の中では、今のところこの城が№1です。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2024/10/21 05:52
公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:村雨城 (2024/09/26 訪問)
望月支城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)より自転車で5分ちょっとで、入口碑付近(34.914514、136.157194)に着きました。
村雨城の詳細は不明のようですが、「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡に指定されています。
戦国時代の永禄年間(1558~70)の織田信長の近江侵攻を背景に、甲賀武士は連合して「甲賀郡中惣(ちゅうそう)」という組織を作り、地域を支配しており。その城館の1つでした。
甲賀武士は近江守護六角氏の主力として活躍しましたが、1570年(元亀元年)野洲川の戦いで敗北し、信長の配下に入りました。
その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され、郡中惣は終焉を迎えたそうです。
甲賀特有の二城連結城で、村雨城を主郭として、寺前城を副郭としていたと考えられているようです。
城址には主郭部を囲んだ土塁のほか、食い違い虎口や切岸、堀切などが確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=寺前城へ自転車で向かいました。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2023/07/06 23:17
甲賀郡中惣遺跡群の一つ。六角氏が潜伏の可能性は? (2023/06/26 訪問)
村雨城は甲賀郡中惣遺跡群として国に史跡に認定されています。
寺前城とセットで扱われており左手の道路からアクセスすることができます。
二の郭らしき扁平地を経て本郭に入ることが出来、
虎口は西側に設けてあり、周囲を高さ4mの土塁で囲ってあります。
寺前城より防御力が強く造られているようで、ひょっとしたら
近江守護六角氏がこの地に避難してきたときに、この城で
御厄介になっていたのかもしれません。
主郭の南西側にも郭があり両側に土塁がそびえたちます。
二重掘切を経て寺前城とつながっているようですが、この時期は
藪がひどく、この日はここで退散しました。
また秋冬あたりに、ここを訪問したら二重堀切を通じて両城を堪能したいと
思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 15〜16世紀 |
| 主な城主 | 不明 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口、堀切 |
| 指定文化財 | 国史跡(甲賀郡中惣遺跡群) |
| 再建造物 | 碑、説明板 |
| 住所 | 滋賀県甲賀市甲南町新治 |
| 問い合わせ先 | 甲賀市観光協会 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0748-60-2690 |