むかいこじまじょう

向小島城

岐阜県飛騨市

別名 : 信包城
旧国名 : 飛騨

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北東の堀切
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しんちゃん

続・野口城 (2024/10/14 訪問)

向小島城の代替・野口城の続きです。向小島城の投稿なのに、なんで野口城が続いているのか? と思われるかもしれません。
ごもっともです。答えは近くにある良い山城だからです。行ってみたかったんですよ。
南側が旧登城道になりますが、ここはお勧めできません。北に新しい道が付いているので、訪問される方はここから登ってください。この城は訪れて損は無いと思います。主要部と思われる曲輪が三つあります。まず最初に訪問する南西の曲輪。
そして尾根沿いに続く北の曲輪と南東の曲輪です。尾根上に逆Vの字に城域が展開し、ある意味一城三郭の様相を呈しています。
南西の曲輪は急峻な切岸に守られ(ここを直登、直下するはめに)、北と南東の曲輪は尾根上を堀切で幾重にも遮断し斜面を畝状の空堀で防御しています。それほど手入れもされず、雑草が生い茂っていますが遺構はしっかりと残っています。

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しんちゃん

立入禁止なので「野口城」を身代わりに捧げます・・ (2024/10/14 訪問)

前日、帰雲城を見に行って、またはるばる戻ってきます。山道はしんどかったな‥それもまた旅。
翌朝やるき満々で向小島城に向かったら、完全に入れなくなっている。このやる気、どうしてくれる‥
①忠臣蔵(強引に押入る)
②あきらめて次に行く
③かわりの城を攻める

①はダメだな、犯罪になる。②でも良いが、あえてここは③で行こう! 実はすぐ近くに「野口城」という城があって、これなら向小島城にヒケを取らない。向小島城にいけなくて悔しい思いをされた方は、ぜひ野口城を!(増やすなって)
私の信頼する某サイトに従って南から攻めます。‥登城道が見当たらない‥結局96mを直登で登るのですが、なかなか急坂です。
じつは新しい登城道が北についていて、そこからなら楽に登城が出来るようです。野口城を訪問される方は是非、北側から攻めてください。
西の社のある郭が主郭とされていますが、東側の北と南に二郭か三角と見られる郭があり厳重に堀切と畝状の堀切で守られています。ある意味、一城三郭とも呼べる城になっています。
この城なら、向小島城に行けなかったフラストレーションを消滅させてくれますよ。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:向小島城 (2023/04/25 訪問)

小鷹利城からの転戦です。恵比寿神社前(36.247813、137.130187)に駐車しました。
電柱手前(36.248026、137.131298)から北の山への道を進み、突き当りのフェンス裏を右に50mくらい進むと谷の平坦地に着き、尾根に沿って直登すれば着くようです。

築城年代は正確には不明のようですが、戦国時代の16世紀前半頃築城されたようです。築城者は姉小路氏の姉小路家綱の子・藤原師信とする説があるようです。
飛騨国の国司であった姉小路氏が居城にしたが、1476年(文明8年)に姉小路氏の同族争いが起きて没落し、天文年間(1532~55年)には向井氏が居城にしていたようです。
1585年(天正13年)に豊臣秀吉の命令を受けた金森長近に攻められて落城し、その後に廃城となったようです。

入口標識から入り、直登できそうな所をしばらく探すが、雨で土が泥濘かつ斜面が急で諦めて撤退しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=政元城に向かいます。

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雪の中で (2022/03/29 訪問)

 新しい案内板などが建てられていましたが、入り口には「私有地につき立入禁止」の看板がありました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 姉小路氏
築城年 不明
主な城主 向氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群
指定文化財 県史跡(向小島城跡)
再建造物
住所 岐阜県飛騨市古川町信包548
問い合わせ先 飛騨市商工観光部観光課
問い合わせ先電話番号 0577-73-2111