北田城は鎌倉時代から南北朝の時代において県内最大の平城であったと現地の案内板には記載があります。昭和30年代には土塁などの遺構は、ほとんど取り崩され現在は案内板と石碑が残るのみです。本丸の西手から北側一帯に二の丸が配され、その北側に北丸(北郭)が配され、北と東は旧湯川が天然の堀の役割をしていたようです。
会津を走って見て感じるのは、この一帯は良い米どころで収穫の時期の近づいてきた田がたくさんあることです。猪苗代湖も有り、周囲を山々に囲まれ、どこか京都周辺に通ずるものがあります。戦国時代に多くの大名が会津を欲しがったのは当然のことだと思いました。
+ 続きを読む