みょうぜんじじょう

明禅寺城

岡山県岡山市


旧国名 : 備前

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岡山平野を見下ろす要所 (2020/02/09 訪問)

城の構造や歴史は先達(備前石工河内屋治兵衛さん)の投稿を参照。山頂からは、岡山城を含め、西方が見渡せ、要所とわかる
津本陽の「備前物語 宇喜多秀家」に、明禅寺攻めの描写があり、「二本の樹木のあいだに張った縄に巨石を引っかけ、大勢の軍兵が引き...巨石は唸りをたてて宙を飛び」と。山頂付近だけでなく、登城道にも花崗岩が露頭。敵に飛ばす巨石にはこと欠かない。
三村の二万に対し宇喜多五千が勝ったのは、決戦に先立ち当日に明禅寺城を落としたのに加え、休ませた兵を次々と投入する「繰り引きの戦法」が斬新で効果大だったのだと。
登城道は、落ち葉が掃かれ、登り易かったです。地元の方々がラジオ体操を兼ねて来られ、維持管理されているのだと思います。

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石工集団穴太衆

明禅寺城! (2016/05/27 訪問)

明禅寺城は、東に約8km離れた地に所在していた亀山城(岡山市東区沼)を居城にして、戦国大名への成長期にあった宇喜多直家が、永禄9(1566)年に岡山平野と西隣りの備中国への備えに築いた前衛基地の出城です。
翌年の永禄10(1567)年、備前国への侵攻を図った備中国の三村勢に占領されましたが、宇喜多直家は奪還を果たすと共に三村軍を迎え撃って完勝し、その大勝振りが明禅寺崩れと呼ばれました。
城構えは、操山山頂から北に延びた尾根の頂部に一段の腰曲輪を伴う中心郭(本丸)を構え、尾根筋に沿って北側に二段の腰曲輪と、西側に三段の腰曲輪を伴う準中心部(二の丸)を配置した小型の連郭式縄張りの山城となっています
城郭の構築は、各郭とも土壇築成で、現状では郭の段どりと背後を遮断する堀切が遺構として確認できる程度で、上部の建築物は柵や掘立柱建物を主体とした臨戦用城砦の構造であったと考えられます

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 宇喜多直家
築城年 永禄9年(1566)
主な城主 宇喜多氏
遺構 曲輪、石垣
再建造物 説明板
住所 岡山県岡山市中区沢田
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047