みょうぜんじじょう

明禅寺城

岡山県岡山市


旧国名 : 備前

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

明禅寺合戦 (2025/05/15 訪問)

 宇喜多直家と三村元親の明禅寺合戦の舞台となった城址です。操山山頂から北に延びた尾根に築かれた連郭式縄張りの山城です。操山公園里山センターから登城しました。少し遠回りになりますが、登城路は整備されていて概ね傾斜も緩やかで歩きやすかった。主郭には説明板があります。主郭周囲に石積みがありました。主郭より北に主に曲輪が展開しています。多少藪になっていますが、踏み跡もあり許容範囲です。余湖くんのホームページの縄張り図では竪堀が記されていたので探ししてみると先端の曲輪の西側に竪堀様の地形がいくつかありました。帰りは恩徳寺付近の果樹園の方へ下山しました。果樹園経由のこの道は主郭までの直線距離は短いと思いますが、操山公園里山センターからの道と比べると傾斜がきついです。途中石積みが見られますが、後世に作られた土止めの石積みのような気がします。
 宇喜多直家といえば謀殺のイメージのある武将ですが、この明禅寺合戦(明禅寺崩れ)は華々しい戦いをしています。

 車で行く方は操山里山センターに駐車場があります。公共交通は岡山駅よりバスに乗り原尾島住宅前バス停から徒歩20分くらいで操山公園里山センターへ行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

明禅寺城 (2025/02/22 訪問)

【明禅寺城】
<駐車場他>操山公園里山センター駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>日帰り相生牡蠣買いラスト旅4城目。現地説明板によると明禅寺城は1566年に宇喜多直家が築いた前衛基地の出城です。翌年に備中国の三村勢に占拠されますが、宇喜多直家は奪還を果たすとともに三村軍を迎え討って完勝しました。これが明禅寺崩しと呼ばれています。
 里山センターから南に登って尾根上に出ます。そこから北へ方向転換して山の側面の遊歩道を進みます。案内板があるので分かります。やがて堀切があり、ここから城跡とわかります。
 城跡は主郭を中心に南に堀切、北下段に虎口曲輪、その北側に薄い堀切があり、さらに北側が広い平坦地になっています。広い平坦地は武者溜まりだったように思います。主郭の南虎口に多く巨石群がありスロープ状の通路が敷いてあり、朝田辰兵衛さんの投稿の石切場というのはここかと思います。どこまで改変されているかの判断はできませんでした。
 見所は石垣群で主郭南の堀切の東西各々の斜面にすごい段状の石垣群があります。石垣は主郭の東斜面と北の虎口曲輪の東面にも倒壊した石垣跡が見受けられます。石垣は面を表に揃えた美しい積み方をしています。高石垣ではなく、段々状になっていて、私には古いものに見受けられました。城びと情報の遺構にも石垣と書かれているので城の遺構と思いたい。私の大好きな感じの石垣遺構で斜面にへばりついて堪能、暫し見とれていました。438㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆
<グルメ>以前にも投稿しましたが、兵庫県相生市の道の駅「あいおい白龍城」に殻付き生牡蠣が1㎏1000円で販売されています。4年くらい前から続けてこのシーズンになったら買いに行ってます。すごく安くて今年はさすがに値上がりしているだろうと覚悟して行きましたが、値段そのままでビックリ!身も大きくて美味しいです。レストランの牡蠣づくしの御膳もお勧めです。今回はこの牡蠣買いをメインに周辺の行っていない城びとの城を攻略しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

明善寺合戦の舞台 (2024/11/04 訪問)

操山公園里山センターの駐車場を利用。
ハイキングコースから登っていきます。
少し登ると尾根道にたどり着き、案内板に沿って進んで行きます。
近世には石切場とされていたとのことで巨石がゴロゴロと転がっていました。

主郭には東屋が建っていてハイキングの老夫婦がランチ中でした。
挨拶を交わし、気持ちよく主郭背後へ。
虎口っぽい地形がありますがそうでは無いようです。
主郭背後にも曲輪が並び、堀切で区切られていました。

帰りは恩徳寺方面へと下山、石積も見られますが遺構なのかな?

備中の三村氏の備えとして宇喜多直家が築いた城で三村氏と宇喜多氏の間で起こった明善寺合戦の舞台になりました。
これに大勝したことで直家は戦国大名への道のりを拓いていくことになります。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

明禅寺城散策2/2(点字ブロック発祥の地を) (2023/06/12 訪問)

岡山駅9番乗り場から,岡電高屋行き(8番系統)路線バスにて,原東・東郵便局前バス停下車。140円。バス進行方向へ約100m進むと,変則五差路の「原尾島交差点」となります。この「原尾島交差点」は「点字ブロック発祥の地」。モニュメントが設置されています。個人的にここが目的地。岡山盲学校が2番目の目的地。明禅寺城はバーター扱い…<笑>。

明禅寺城は,この交差点を約100m南に進んだら左折。そのまま東へ約800m進むと,右手に山の方へと登る登城道が見えてきます。近くに宗教施設があり,石積みも見られますが,後世のものと言われています。明禅寺城は後世,この宗教施設の石切り場となったとされています。したがって,主郭部,登城道に巨石が散乱しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 宇喜多直家
築城年 永禄9年(1566)
主な城主 宇喜多氏
遺構 曲輪、石垣
再建造物 説明板
住所 岡山県岡山市中区沢田
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047