みょうぜんじじょう

明禅寺城

岡山県岡山市


旧国名 : 備前

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尾根道の案内板
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赤い城

明善寺合戦の舞台 (2024/11/04 訪問)

操山公園里山センターの駐車場を利用。
ハイキングコースから登っていきます。
少し登ると尾根道にたどり着き、案内板に沿って進んで行きます。
近世には石切場とされていたとのことで巨石がゴロゴロと転がっていました。

主郭には東屋が建っていてハイキングの老夫婦がランチ中でした。
挨拶を交わし、気持ちよく主郭背後へ。
虎口っぽい地形がありますがそうでは無いようです。
主郭背後にも曲輪が並び、堀切で区切られていました。

帰りは恩徳寺方面へと下山、石積も見られますが遺構なのかな?

備中の三村氏の備えとして宇喜多直家が築いた城で三村氏と宇喜多氏の間で起こった明善寺合戦の舞台になりました。
これに大勝したことで直家は戦国大名への道のりを拓いていくことになります。


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朝田 辰兵衛

明禅寺城散策2/2(点字ブロック発祥の地を) (2023/06/12 訪問)

岡山駅9番乗り場から,岡電高屋行き(8番系統)路線バスにて,原東・東郵便局前バス停下車。140円。バス進行方向へ約100m進むと,変則五差路の「原尾島交差点」となります。この「原尾島交差点」は「点字ブロック発祥の地」。モニュメントが設置されています。個人的にここが目的地。岡山盲学校が2番目の目的地。明禅寺城はバーター扱い…<笑>。

明禅寺城は,この交差点を約100m南に進んだら左折。そのまま東へ約800m進むと,右手に山の方へと登る登城道が見えてきます。近くに宗教施設があり,石積みも見られますが,後世のものと言われています。明禅寺城は後世,この宗教施設の石切り場となったとされています。したがって,主郭部,登城道に巨石が散乱しています。

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朝田 辰兵衛

明禅寺城散策1/2(北側登城ルートにて明禅寺城を) (2023/06/12 訪問)

岡山駅9番乗り場から,岡電高屋行き(8番系統)路線バスにて,原東・東郵便局前バス停下車。140円。バス進行方向へ約100m進むと,変則五差路の「原尾島交差点」となります。この「原尾島交差点」は「点字ブロック発祥の地」。モニュメントが設置されています。個人的にここが目的地。岡山盲学校が2番目の目的地。明禅寺城はバーター扱い…<笑>。

明禅寺城は,この交差点を約100m南に進んだら左折。そのまま東へ約800m進むと,右手に山の方へと登る登城道が見えてきます。近くに宗教施設があり,石積みも見られますが,後世のものと言われています。明禅寺城は後世,この宗教施設の石切り場となったとされています。したがって,主郭部,登城道に巨石が散乱しています。

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とりの子

操山を登ったら (2020/04/11 訪問)

昨日は、明禅寺城へ行きました。
明禅寺城は、前から行きたかった城です。操山にハイキングへ行ったので、明禅寺城にも行ってみました。明禅寺城跡へ行く途中は、たくさんの古墳がありました。城跡付近には、たくさんの巨石がありました。石垣は少し残っていました。操山には、正木城という城跡もあるようなので、また行ってみたいです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 宇喜多直家
築城年 永禄9年(1566)
主な城主 宇喜多氏
遺構 曲輪、石垣
再建造物 説明板
住所 岡山県岡山市中区沢田
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047