みょうぜんじじょう

明禅寺城

岡山県岡山市


旧国名 : 備前

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朝田 辰兵衛

明禅寺城散策2/2(点字ブロック発祥の地を) (2023/06/12 訪問)

岡山駅9番乗り場から,岡電高屋行き(8番系統)路線バスにて,原東・東郵便局前バス停下車。140円。バス進行方向へ約100m進むと,変則五差路の「原尾島交差点」となります。この「原尾島交差点」は「点字ブロック発祥の地」。モニュメントが設置されています。個人的にここが目的地。岡山盲学校が2番目の目的地。明禅寺城はバーター扱い…<笑>。

明禅寺城は,この交差点を約100m南に進んだら左折。そのまま東へ約800m進むと,右手に山の方へと登る登城道が見えてきます。近くに宗教施設があり,石積みも見られますが,後世のものと言われています。明禅寺城は後世,この宗教施設の石切り場となったとされています。したがって,主郭部,登城道に巨石が散乱しています。

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朝田 辰兵衛

明禅寺城散策1/2(北側登城ルートにて明禅寺城を) (2023/06/12 訪問)

岡山駅9番乗り場から,岡電高屋行き(8番系統)路線バスにて,原東・東郵便局前バス停下車。140円。バス進行方向へ約100m進むと,変則五差路の「原尾島交差点」となります。この「原尾島交差点」は「点字ブロック発祥の地」。モニュメントが設置されています。個人的にここが目的地。岡山盲学校が2番目の目的地。明禅寺城はバーター扱い…<笑>。

明禅寺城は,この交差点を約100m南に進んだら左折。そのまま東へ約800m進むと,右手に山の方へと登る登城道が見えてきます。近くに宗教施設があり,石積みも見られますが,後世のものと言われています。明禅寺城は後世,この宗教施設の石切り場となったとされています。したがって,主郭部,登城道に巨石が散乱しています。

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とりの子

操山を登ったら (2020/04/11 訪問)

昨日は、明禅寺城へ行きました。
明禅寺城は、前から行きたかった城です。操山にハイキングへ行ったので、明禅寺城にも行ってみました。明禅寺城跡へ行く途中は、たくさんの古墳がありました。城跡付近には、たくさんの巨石がありました。石垣は少し残っていました。操山には、正木城という城跡もあるようなので、また行ってみたいです。

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岡山平野を見下ろす要所 (2020/02/09 訪問)

城の構造や歴史は先達(備前石工河内屋治兵衛さん)の投稿を参照。山頂からは、岡山城を含め、西方が見渡せ、要所とわかる
津本陽の「備前物語 宇喜多秀家」に、明禅寺攻めの描写があり、「二本の樹木のあいだに張った縄に巨石を引っかけ、大勢の軍兵が引き...巨石は唸りをたてて宙を飛び」と。山頂付近だけでなく、登城道にも花崗岩が露頭。敵に飛ばす巨石にはこと欠かない。
三村の二万に対し宇喜多五千が勝ったのは、決戦に先立ち当日に明禅寺城を落としたのに加え、休ませた兵を次々と投入する「繰り引きの戦法」が斬新で効果大だったのだと。
登城道は、落ち葉が掃かれ、登り易かったです。地元の方々がラジオ体操を兼ねて来られ、維持管理されているのだと思います。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 宇喜多直家
築城年 永禄9年(1566)
主な城主 宇喜多氏
遺構 曲輪、石垣
再建造物 説明板
住所 岡山県岡山市中区沢田
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047