かしわらじょう

柏原城

三重県名張市

別名 : 滝野城
旧国名 : 伊賀

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小城小次郎

天正伊賀の乱の決戦地 (2025/03/30 訪問)

天正伊賀の乱の最終決戦場になったお城で、決戦を経て伊賀勢は織田勢との和睦を勝ち取っている(殲滅されていない!)。外土塁コース、堀底コース、内土塁コースと遊歩道が完備しているのは有難いかぎり。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:柏原城 (2024/09/27 訪問)

赤目口駅から徒歩10分ちょっとで、決戦之地柏原城石碑前(34.593659、136.081296)に着き、その後、城址直線道路(34.593908、136.082509)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年〜1570年)頃に滝野氏によって築かれたと云われています。
1581年(天正9年)織田信長の軍勢が伊賀に侵攻し第二次天正伊賀の乱が起こります。
この戦いで伊賀の土豪たちが最後の立て籠もったのが、滝野吉政の城であった柏原城でしたが降伏開城しました。

こじんまりとしていますが、高土塁や深い堀、堀切など見ごたえはあります。
土塁で囲まれた主郭を二重の空堀が巡らせています。虎口は南側にあり、虎口脇や土塁などには一部石積が見られます。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=名張城を目指す為、赤目口駅から電車で名張駅に向かいました。

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しんちゃん

居館跡 (2024/02/18 訪問)

柏原城の北西側にある居館跡の写真も投稿させていただきます。居館と主郭との間や居館の周囲にも堀切などの遺構が良く残っています。規模は大きくは無いのですが、少数で織田の大軍相手に持ちこたえたと言われる城址としての矜持は感じます。しかし、この城1600人も籠ることが出来るんですね。ぎゅうぎゅう詰めになる気もするけど。

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しんちゃん

伊賀土豪達の最後の籠城戦 (2024/02/18 訪問)

先日、「しんしんちゃん」がやらかしてしまったので、「しんちゃん」が替りを務めさせていただきます。築城は永禄年間に滝野上野介貞清によって成されたとされ、第二次天正伊賀の乱(1581)では伊賀土豪が最後まで織田軍に抵抗した城として知られます。1600余人で三万を超える織田軍に対して勇敢に戦いましたが、最後には和議に応じて開城し、城主滝野吉政は帰農したとのことです。
城址は高善山の北西の丘陵地に築かれており、主郭を中心に周囲に二重の土塁、二重の堀が良く残っています。さらに北西には居館跡があり、東側の土塁と空堀が残っています。主郭には「お滝女郎化粧井戸」とアナグマの巣があります。ちょっと見ただけでは居るのかどうかわからないですね。そっとしておきましょう。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 滝野氏
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 滝野氏、百地氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、井戸
再建造物 石碑、説明板
住所 三重県名張市赤目町柏原字滝野
問い合わせ先 名張市企画財政部広報対話室
問い合わせ先電話番号 0595-63-7402