天正伊賀の乱の最終決戦場になったお城で、決戦を経て伊賀勢は織田勢との和睦を勝ち取っている(殲滅されていない!)。外土塁コース、堀底コース、内土塁コースと遊歩道が完備しているのは有難いかぎり。
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2025/12/13 13:54
2024/10/23 05:36
公共交通のみで(東海&関西遠征)6日目:柏原城 (2024/09/27 訪問)
赤目口駅から徒歩10分ちょっとで、決戦之地柏原城石碑前(34.593659、136.081296)に着き、その後、城址直線道路(34.593908、136.082509)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年〜1570年)頃に滝野氏によって築かれたと云われています。
1581年(天正9年)織田信長の軍勢が伊賀に侵攻し第二次天正伊賀の乱が起こります。
この戦いで伊賀の土豪たちが最後の立て籠もったのが、滝野吉政の城であった柏原城でしたが降伏開城しました。
こじんまりとしていますが、高土塁や深い堀、堀切など見ごたえはあります。
土塁で囲まれた主郭を二重の空堀が巡らせています。虎口は南側にあり、虎口脇や土塁などには一部石積が見られます。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=名張城を目指す為、赤目口駅から電車で名張駅に向かいました。
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2024/07/17 19:54
2024/07/17 00:41
伊賀土豪達の最後の籠城戦 (2024/02/18 訪問)
先日、「しんしんちゃん」がやらかしてしまったので、「しんちゃん」が替りを務めさせていただきます。築城は永禄年間に滝野上野介貞清によって成されたとされ、第二次天正伊賀の乱(1581)では伊賀土豪が最後まで織田軍に抵抗した城として知られます。1600余人で三万を超える織田軍に対して勇敢に戦いましたが、最後には和議に応じて開城し、城主滝野吉政は帰農したとのことです。
城址は高善山の北西の丘陵地に築かれており、主郭を中心に周囲に二重の土塁、二重の堀が良く残っています。さらに北西には居館跡があり、東側の土塁と空堀が残っています。主郭には「お滝女郎化粧井戸」とアナグマの巣があります。ちょっと見ただけでは居るのかどうかわからないですね。そっとしておきましょう。
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| 分類・構造 | 連郭式平山城 |
|---|---|
| 築城主 | 滝野氏 |
| 築城年 | 永禄年間(1558〜1570) |
| 主な城主 | 滝野氏、百地氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、井戸 |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 三重県名張市赤目町柏原字滝野 |
| 問い合わせ先 | 名張市企画財政部広報対話室 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0595-63-7402 |