柳本駅から徒歩10分弱で、柳本小学校説明板前(34.559176、135.843854)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、楊本氏によって築かれたと云われています。
楊本氏は十市氏の勢力が伸びると越智氏と結んでこれに対抗しましたが、1471年(文明3年)筒井氏と結んだ十市遠清に攻められ、楊本範満は敗死しました。
その後、勢力を伸ばした木沢長政に従いましたが、1542年(天文11年)木沢長政が敗死すると楊本氏も没落し、楊本城は十市氏の持城となったそうです。
1615年(元和元年)織田信長の弟である織田有楽斎長益は大坂夏の陣を前に大坂城から退去すると、自身の所領のうち四男長政と五男尚長にそれぞれ10,000石を分知して隠居しました。
この尚長を祖とするのが柳本藩で、大泉村の庄屋に仮住まいし、寛永年間(1624年〜1644年)に柳本に陣屋を築いて移りました。以後、代々織田氏が続き、十三代織田信及のとき明治に至ります 。
柳本陣屋は柳本小学校と北にある黒塚古墳(柳本公園)一帯に築かれていました。古墳が確認できます。
織田有楽斎の供養塔がある専行寺や移築御殿(橿原神宮にあるそうです)については、時間の都合で行っていません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=芝村陣屋を目指す為、柳本駅から電車で三輪駅に向かいました。
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