やなぎもとじょう

柳本城

奈良県天理市

別名 : 楊本城、(柳本陣屋)
旧国名 : 大和

投稿する
①柳本藩邸説明図
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:柳本城 (2024/09/30 訪問)

柳本駅から徒歩10分弱で、柳本小学校説明板前(34.559176、135.843854)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、楊本氏によって築かれたと云われています。
楊本氏は十市氏の勢力が伸びると越智氏と結んでこれに対抗しましたが、1471年(文明3年)筒井氏と結んだ十市遠清に攻められ、楊本範満は敗死しました。
その後、勢力を伸ばした木沢長政に従いましたが、1542年(天文11年)木沢長政が敗死すると楊本氏も没落し、楊本城は十市氏の持城となったそうです。
1615年(元和元年)織田信長の弟である織田有楽斎長益は大坂夏の陣を前に大坂城から退去すると、自身の所領のうち四男長政と五男尚長にそれぞれ10,000石を分知して隠居しました。
この尚長を祖とするのが柳本藩で、大泉村の庄屋に仮住まいし、寛永年間(1624年〜1644年)に柳本に陣屋を築いて移りました。以後、代々織田氏が続き、十三代織田信及のとき明治に至ります 。

柳本陣屋は柳本小学校と北にある黒塚古墳(柳本公園)一帯に築かれていました。古墳が確認できます。
織田有楽斎の供養塔がある専行寺や移築御殿(橿原神宮にあるそうです)については、時間の都合で行っていません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=芝村陣屋を目指す為、柳本駅から電車で三輪駅に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

黒塚古墳を浮島として眺めていたのかも。それも優雅な話だな。 (2023/07/15 訪問)

柳本陣屋は織田有楽斎の五男尚長が一万石を分知され寛永年間に柳本城跡に
陣屋を築いたのが始まりとされています。
黒塚古墳の周囲の池も天然の堀として流用していたようで公民館あたりの
張り出しに石垣らしきものが残っています。
陣屋跡は現在小学校となっていますが、近くの専行寺に織田有楽斎の供養塔が
残っているようです。供養塔の情報は城郭放浪記から頂きました。感謝です。
西門も移築されていたので訪問してみましたが、すでに民家ごと取り壊されて
しまっていました。2015年10月に訪れた時は、まだ現存していたと思いますが
これも時代の流れというやつですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

奈良の城めぐり⑧ (2022/12/10 訪問)

この日攻城した城の中では、続100名城の大和郡山城を除いて、最も魅力を感じることの出来た城でした。国史跡の黒塚古墳が城郭として活用されていたのです。黒塚古墳展示館には城郭にかかわる展示は見当たりませんでしたが、前方後円墳の前方部と後円部の接続部分あたりの足下に落ち葉に埋もれて、城郭に利用された跡という説明板を見つけることが出来ました。黒塚古墳展示館には万城目学の「鹿男あをによし」に出てくる「サンカク」がたくさん展示されていてちょっと萌えてしまいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

おっちゃん

柳本陣屋絵図と空からみた柳本藩邸遺跡 (2017/01/07 訪問)

現地案内板より抜粋

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平城、(陣屋)
築城主 楊本氏[柳本城]、織田尚長[陣屋]
築城年 室町時代[柳本城]、寛永年間(1624〜1644)[陣屋]
主な城主 楊本氏、十市氏、織田氏
遺構 移築御殿(橿原神宮)、移築門[陣屋]
再建造物 説明板(柳本藩邸)
住所 奈良県天理市柳本町1118