たけやまじょう

竹山城

岡山県美作市


旧国名 : 美作

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①	智頭急行「宮本武蔵駅」
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トク

【宮本武蔵】(6)竹山城(武蔵が少年期を過ごした地) (2025/06/04 訪問)

宮本武蔵の続き(6)です。

たけぞう(武蔵)が少年期を過ごした竹山城(岡山県美作市)を訪れました。ここは生誕の地の候補(美作説)にもなっていますが、私は高砂説で話を続けさせていただきます。高砂で生まれ3才でこの地へ養子に出されたたけぞう(武蔵)は、養父となった竹山城家老で新免流の剣者「平田無二(新免無二斎)」の元で剣術の稽古に励みます。

岡山から智頭急行を乗継ぎ「宮本武蔵駅」で降りました。何だかすごい駅名です😱!(写真①)。降りた瞬間に身震いがしてしまいました(笑)。駅から北を眺めると標高430mの竹山が見えました(写真②)。あの山頂に竹山城があったようです。城主は赤松氏の流れをくむ新免氏とされ、祖父の平田将監と父の無二は宇喜多秀家から3,600石を与えられた当時の城主「新免貞重」に仕えていました。平田家は代々新免家剣術指南役であり、将軍足利義昭にも剣の手ほどきをした事もある名門ので、新免の名を名乗る事が平田家には許されていたようです。竹山城にも登ってみたかったのですが時間がなく、ぴーかるさんの投稿を拝見すると、山頂には何もないようなので今回登城はパスし、城下の武蔵ゆかりの地を巡る事にしました(写真⑩)。

駅から南へ20分程歩いたところに、美作説の生家とされる家がありました(写真④⑤)。そこには二刀流で構える若き武蔵の銅像もありました(写真⑥)。おそらくここで3才から13才までの10年間を過ごしたと思われます。そしてこの銅像の場所には今でも道場がありました(写真⑦)。ここで父の無二から想像を絶する過酷な猛稽古を受けていたようです。また家の横には讃甘神社があり(写真⑧⑨)、幼いたけぞう(武蔵)は、ここで又八・お通と知り合い仲良く遊んでいたようです(写真③)。

ある日、讃甘神社のお祭りで、宮司の太鼓のバチさばきを見たたけぞう(武蔵)は、その時二刀流を思いつきます😯。元々新免家は十手術の使い手、左手に持つ十手を剣に置き換えた発想だったのかもしれません。

次は、たけぞう(武蔵)初決闘の地、平福(利神城)を訪れます。
 

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ぴーかる

宮本武蔵の祖父・父が仕えた城 (2020/02/23 訪問)

【竹山城】
<駐車場他>山頂に駐車できる。
<交通手段>車

<感想>山頂の城跡まで車で行ける理由でチョイスした。添付写真の説明板の通りこの城は宮本武蔵の祖父・父が仕えた新免家の城で中世後期まで残っていた城です。
 城跡の遺構は曲輪以外はよく分からず、駐車スペースの削平地がそのままならばおそらく馬場跡になろうかと思います。駐車スペースを挟んで両サイドに大きな電波塔があり高さでは西側の電波塔が一番高いが、山頂にある説明板では雰囲気的に駐車スペース東側の盛土部分が主郭のようだ。主郭・電波塔の曲輪が大きく、斜面に2・3の小さな腰曲輪が見られた。
 眺望が良く、南に智頭急行線宮本武蔵駅周辺の町(かつての美作国讃甘郷宮本村)、北に大原の町が見えて山々も映えます。

<満足度>◆◇◇

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トーダイ

城跡には電波塔施設があります (2018/08/03 訪問)

竹山城は、明応2年(1493)新免伊賀守貞重により築城され、城の東西に
竹が繫茂していたので竹山城と名づけられました。三代伊賀守宗貫の時、
関ヶ原の合戦で西軍宇喜多秀家に属し、敗戦のため廃城となりました。

登城入口<35.112107,134.324338>で案内板を確認後、約1700m登った
山頂の竹山城跡駐車場(馬場跡)を利用、西郭と太鼓丸跡に電波塔施設、
主郭跡は夏草ボーボー、しかし眺望は素晴らしい。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 新免氏
築城年 不明
主な城主 新免氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡
再建造物 説明板
住所 岡山県美作市下町
問い合わせ先 美作市
問い合わせ先電話番号 0868-78-3111