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じゅんじん

丸い (2020/01/11 訪問)

丸いお城です。本丸の小学校にはミニチュアがあります。下屋敷跡に櫓があります。

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じゅんじん

復元中 (2019/10/05 訪問)

大きな櫓門を復元中で今年完成予定だとか。城山からの眺めは良かった。

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まーやん

読み方:私は「じゅらくだい」です。 (2020/01/13 訪問)

昔、「じゅらくだい」と読まれていたはずなのに近年NHKですら多くは「じゅらくてい」と読んでいる…どちらが正しいの❔(;゜0゜)

ユニクロ横の駐車場東隣の町家の角に石碑があり、ご親切に案内書きがある。書いてあるとおり西に約300m進むと道路南向いにも石碑があります。どちらも濠のあった所だとか。
この辺りは屋敷跡や政庁跡も多いので石碑萌えの方にはお薦めです。

なお、本能寺の変があった場所が当地に近いので併せて行かれるといいかも知れません。

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こるまろ

令和2年 松江市消防出初式 (2020/01/05 訪問)

松江市消防出初式。 毎年恒例の放水演技はお城で行われます。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43637683/

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丹羽長重

皆さん戸田氏も忘れなく。 (2019/12/28 訪問)

大垣城といえば関ヶ原の戦いで石田三成が本拠としていたことで有名な城です。さらに関ヶ原の戦い以後、幕末まで戸田氏が代々城主だった珍しい城なのです!
そんな大垣城へ行くため犬山城から名鉄→東海道本線を乗り継ぎ大垣駅に到着。「世界の山ちゃん」で昼飯を食べ、城に向かいます。ビルの間を縫うようにはしる道を歩いていくと急にボン❗と櫓が出てきます。櫓とビルの間がギリギリなので見てて面白かったです。(←自分がなんという変人なんだと気付いた瞬間です)
まず城前の広場に行きます。広場には戸田氏鉄さんの銅像がたっていてシンプルな鎧ですがかっこよかったです。
では天守へgo❗大垣城は沢山の櫓、門が復元されているので僕は好きです。中でも好きな写真スポットは画像最初のものです。そんなこんなで天守へ到着。あまり無い四階構造の天守です。中では関ヶ原の戦いの映像が聞くスペースがありました。(長~~かったです😅)なんとなく関ヶ原の戦い中心に展示してるな~と感じました。
肝心な戸田さんは近くの大垣市郷土館を見ることをおすすめします。歴代藩主について色々学べます。
ということで大垣城はとても面白かったです✨また来たいと思います。

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姫街道

障子堀・畝堀について私見 (2020/01/13 訪問)

山城巡りは新入生、土木工事は約25年携わってきた私のパッと見た見解ですが、「これは堰堤や貯水槽ではなかろか」です。駐車場から三ノ丸堀→西ノ丸→西櫓→元西櫓→箱井戸→駐車場のコースでしたが、まず地形的に西櫓から元西櫓への高低差が大きく、元西櫓の北側がこの城全体でGHが最も低く急勾配の谷になっており、障子堀や畝堀が無ければ、降った雨は瞬く間にこの谷に流れていったと思います。箱根峠では、雨水は貴重な資源だったはずです。土質についてですが、私は主に静岡県西部の人間で、この地方の土質は詳しくありませんが、扱いずらいのは間違いないと思われます。仮に障子堀等が無いと、堀に流れ込んだ雨水が一気に谷へと走り、堀底や法面が洗われて(削られて)しまい、城に大きなダメージを与えてしまうのではないかと想像します。また、私ならですが、必要以上に掘った悪い土を曲輪に土塁や曲輪形成に盛りたくありません。したがって、「あえて、必要以上に掘らずに格子状に残した」という発想を私見とします。
さて、何故各所台風被害で滑っているのかも私なりに考えてみました。
まず、昭和48年から山中城の復元工事を行なったとありますが、大工事だったと思います。本当に敬意を表したいし、感謝の念しかありません。それまでどうなっていたかわかりませんが、戦国時代からの長い眠りの年月で、木々が力強く根を張り、山城は自然の地形に戻っていた事でしょう。それを伐採抜根し、発掘調査して復元。我々に見やすいように且つ、法面を保護したく、低木を植えて管理してきてくれたと想像します。それが台風等の大雨でしょうか、伐採→発掘→法面張り付け盛土した箇所をいじめ、法面の表土滑りを起こしたと想像します。はっきり言って仕方ありません。山城の法面を当時の資料をもとに復元すべく工事すれば、我々が普段作成する「安定勾配」を無視して作成せざるを得ないからです。「円弧滑り」もあったように見えます。曲輪に溜まった大量の雨水が、行き場を失い法面崩壊に起因する現象です。私的にはですが、崩れたら仕方がないと諦めるので、また本来のままに復元しましょう」と意見したいです!!

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ぴーかる

明智光秀の母(お牧の方)墓所 (2019/12/15 訪問)

【お牧の方墓所】
<駐車場他>墓所入口の自治集会所に駐車スペースあり。
<交通手段>車

<感想>岐阜県恵那市明智町の御城印のある仲深山砦に旅の3城目として行ってみたが、入口もなく、おそらく鉄塔がある施設内あたりと思われ入れなかった為(観光案内所でも草がひどくて入れない事は聞いていましたが)諦めて、道中にあるお牧の方の墓所に寄ってみた。場所は<35.302246, 137.398041>でひっそりとあります。墓石横に槇の大木があり印象的です。

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零汰

えっ、これって登山じゃん。 (2019/10/05 訪問)

去年の10月初めに福岡県にある鷹取山城に行ってきました。福智山登山の途中にある標高633m比高550m程度の地点にある城郭です。当日は白雲ライン・鷹取ルートにて登城、多くのハイキング客で賑わっており、登りも下りも挨拶の連続。普段は大概独りで廻っていて声を出すことは稀なので珍しく多言の2.5時間でした。頂上には曲輪や虎口などの遺構を見る事ができ眺望も抜群です。登って来るのはハードですがその分感激も割増しです。後から知ったのですが、畝状竪堀も随分あるらしく今度再攻城するつもりです。

比高が500m以上あるとは登山口にて知りました。普段は帽子・バイクブーツ・バイクジーパン・上着はインナー1枚・腰バック・タオルと飲み物で攻城しており当然その恰好で登城というか登山。完全武装のハイキング客の中、独り軽装で異質でした。他者の持ち物で魅惑的に見えたのがステッキ、比高があると必要ですね。言うまでもなく次のシリーズではリュックとステッキも仲間に入りました。

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姫街道

韮山城は何故堅固か? (2020/01/13 訪問)

「4万の豊臣軍に包囲されたが、三ケ月持ちこたえた」とあった。箱根峠にある山中城が軍勢の数こそ違えど、わずか半日で豊臣軍に落城した事を考えると、韮山城は難攻不落の堅固な城であったのであろうが、、、、山中城がある箱根峠の厳しさを考えると、違いが正直理解できない。
ただ、この韮山城は周囲に支城が多数あった事がわかる。
後方からの援護射撃が効果的だったのだろうか。
県民性だろうか、徳川が幼少期世話になった織田の家臣だった豊臣に対しては、歯痒い心情を持つが、お隣の北条氏にはは、寛容的と言うか、遠い国の話のようにすら感じる。
韮山城の近くに韮山反射炉があり、足早に見学をして山中城へと急いだ。

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姫街道

武田対徳川の足跡が残る最東端の城 (2020/01/13 訪問)

「武田は、京都しか興味無かった!?」
今回、北条氏と武田・徳川の関係を探るべく、西から興国寺城→韮山城→山中城と攻城した。まず興国寺城だが、よく管理出来てる良い城だと思う。富士山を背にコの字型に大きな土塁と堀、おそらく東には高橋川・南には海岸がすぐ近くにあり、交通の便も良く、物資が行き交う要所であっただろう。城の主は、後北条→今川→武田→徳川と、中遠・北遠のパターンと一緒。ただ、興国寺城から東の韮山城・山中城になると後北条対豊臣→徳川のパターンに変わり、私の専門としたい武田対徳川の対決場としては、最東端とも言える。
さて、城は深い堀と、掘り上げた土を盛った土塁の組み合わせで、曲輪の側はサイズがダイナミックだ!天守台からは、富士山が見える。当時は櫓か何かあっただろう。少し高い位置から見るだけで、富士山の眺望を遮る周囲の山々が控えめになる。「北に富士、南に駿河湾」と絶景だっただろう。

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ほーり

山城なのに立派な石垣 (2020/01/12 訪問)

かなり険しい山の上に位置しているが、立派な石垣が残っている。
遺構がたくさん残っていて珍しい石垣の山城なので満足でした。
現在は神社になっているので参拝客がそれなりにいる。
飼い猫と思われる猫が多く人懐っこく半分野生化してる。

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小城小次郎

猪苗代城

まだ桜には早いのだけれど、GWにどんぴしゃで桜が咲くこのお城は自信を持ってお勧めできる。桜とお城と磐梯山がセットになって、石垣も土塁も横堀も、切岸までもが絵になるお城だ。

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todo94

菊池十八外城・立直 (2020/01/06 訪問)

かなり手前に駐車してしまったため、1km以上、歩くことになってしまいました。感電注意の表示が続く中、電線をまたいで栗畑の中へ。ジョギングシューズで栗のいがを踏んでしまいかなり痛い思いをしてしまいました。菊池十八外城、あとは市成城をのこすのみ。立直です。

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チェブ

太田フレックス高校。 (2019/11/30 訪問)

情報の少ない群馬県太田市の「下田島城」です。
太田フレックス高校の中がお城跡で、もちろん入れません。
学校の門をパチッ。奥が林のように見えたので、外側から「下田島城」を探せるか回り込みましたが、住宅建設中でした。

「下田島城」は岩松 守純さんの居城だったそうです。
この守純さん、家康さんに「家系図を見せて」とのお願いを断ったんだとか。
だからかは分かりませんが20石からのスタート。
お城と言うより館や陣屋の方が合っているかもしれませんね。

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こるまろ

米子城歴史探検クイズウォークに参加 (2019/10/05 訪問)

米子城フェスタ、米子城歴史探検クイズウォークに参加。 米子城てぬぐいと米子城コースターを貰った。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43345271/

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こるまろ

尼子十旗 神西城 (2019/05/30 訪問)

戦国時代に出雲国を支配した尼子氏本城の月山富田城を防衛するため配置された主要な10の支城の1つです。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43323915/

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こるまろ

続日本100名城のスタンプは押せず (2019/09/05 訪問)

続日本100名城スタンプ設置場所の護国神社社務所は16時に閉まります。 16時過ぎ訪問で間に合わず。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43235060/

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赤い城

個人で整備されているようです (2020/01/11 訪問)

県道240号線から北に入ったところ、城の東側に加園城入口の小さな看板があります。
田んぼの畦道っぽい道を進むと駐車場があります。
ただし普通車は進まないのが無難です。
案内板も(おそらく地主さんが個人で立てていらっしゃるとおもいますが)あるので主郭まで迷わず行けました。
登城路は結構な坂道ですが主郭周辺には土塁や横堀など遺構は良好に残っていました。
個人での整備でここまで、頭の下がる思いでした。

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山口駿河守幻夢斎

武田流の築城術、遺構の規模のデカさに度肝を抜かれる大島城跡 (2018/09/30 訪問)

大島城跡は、台城公園として整備されているので、駐車場も完備、また、JR飯田線の山吹駅から徒歩圏内だと思います。
この日は、9月下旬のまだ残暑の厳しい時期でしたが、下草も少なく見学しやすかったです。暑さの中、吹き出す汗にまみれながら、夢中で駆け回ったことが思い出されます。
おかげで、駐車場わきに残されているという、三日月堀を見落とすという大失態をやらかしました(笑)
大島城は、信州の南側の拠点として、重要な役目を果たしましたが、織田軍の甲州侵攻の際、城主は戦わずして城を放棄、そのまま、廃城になったようです。

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こるまろ

毛利元就誕生伝説地 (2019/07/27 訪問)

毛利元就が誕生したとされるお城。 別名は福原城。 土師ダム見学のついでに登城してみました。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43128294/

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