とらまるじょう

虎丸城

香川県東かがわ市


旧国名 : 讃岐

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弘海寺跡石碑
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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7日目:虎丸城 (2022/07/26 訪問)

雨滝城からの転戦です。弘海寺跡駐車場(34.229105、134.310649)に駐車しました。トイレもあります。

築城年代は定かではないようですが、初期の城主は寒川氏で太田郡、寒川郡、小豆島を領し東讃に勢力を張った豪族でした。
1572年(元亀3年)寒川元政の時代に阿波国の三好長治によって虎丸城は奪われ、寒川氏は昼寝城へ退き、虎丸城へは三好氏の家臣雨滝城主安富氏が入りました。
1582年(天正10年)中富川合戦で長宗我部氏に敗れた十河存保は虎丸城へ逃れます。
1583年(天正11年)長宗我部元親は三好方の拠点となっていた十河城と虎丸城を攻略するべく、香川氏らとともに讃岐に侵攻、雨滝城、石田城、富田城と次々と攻略して十河城と虎丸城の連携を断ち、1584年(天正12年)には十河城ともに虎丸城も落城したそうです。

右ひざ痛を抱えて比高350m、2kmの登城はかなりきついので北の風呂登山口案内表示場所から引き返しました。
本日攻城予定の引田城と一宮城登城の為、右ひざを温存します。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=引田城に向かいます。

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天下布武

十河・長宗我部攻防の地 (2020/01/04 訪問)

メインの引田城訪城後の勢いでtodo94さんがおっしゃるオードブルではないがランチタイム登山してきました。
城址は標高417m(比高302m私調べ)の虎丸山山頂部に築かれています。
山頂には曲輪や畝状竪堀群、山頂から延びる尾根上にも堀切などの遺構が残り、自然地形を活かした山城であったことがわかります。最近の調査では、畝状竪堀群は長宗我部氏が得意とした築城技術だったことがわかっています。畝状竪堀群の存在は、十河存保退去後も虎丸城が長宗我部勢に城として利用されていた可能性を示すものであると指摘されています。(案内板より抜粋)

虎丸山登山道は複数ある内、城址北側の県道129号より風呂地区の登山道を選択しました。
風呂登山口(34.223977,134.310460)周辺に2台程の駐車スペースがあります。
登山道は序盤は緩やかですが、沢沿いを離れた辺りから勾配がきつくなってきます。登山口より約50分程で山頂主郭部に辿り着きました。山頂部は広い削平地となっており、東側櫓台のような高まりに速玉大社が祀られ西側に小屋が建っており説明板とTigersの旗(虎に〇だから?)が掲げられています。説明板掲載の縄張図を参照し西尾根・南尾根を探索し堀切を確認、また主郭の北東下に畝状竪堀群と思われる遺構を認めてます。



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todo94

朝駆け (2016/01/30 訪問)

朝一番にいただくオードブルとしては険しく厳しい岩山でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 寒川氏
築城年 不明
主な城主 寒川氏、安富氏、十河存保
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物 説明板
住所 香川県東かがわ市与田山