赤見城は現在、赤見城保育園になっていて、東西北の三方にかなり
高い土塁が残っており、東側を除く三方を水堀で囲ってあり
堀の内側、本丸の北側と南側にも郭があった様子。
西側は土塁が二重になっていて、なかなか見ごたえがあります。
安元元年、藤姓足利氏の足利俊綱によって築城が開始され
治承2年(1178)俊綱の居城になったとされています。
俊綱は治承5年、志田先生義広が源頼朝に背いて挙兵した際
義広に同調して戦い敗れ、逃亡の途中、家臣の桐生六郎に殺された
とあります。赤見城は戦国期は佐野氏の支城として足利方面の押えとして
機能したとされています。
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