伊達輝宗拉致事件の舞台となった城
(2022/09/10 訪問)
今回の二本松・三春ツアーの三城目は宮森城。二本松市小浜(旧岩代町)にあり、ここから小浜城までは北に2km程の距離だ。城下を三春街道と本宮街道が通り古くから交通の要衝である。その歴史は古く応永3年(1396)に宇都宮氏が奥州管領に任ぜられこの地に築城し四本松城(しおのまつじょう)と称した。文明3年(1471)に大河内氏が城を修築し宮森城と改め、天正8年(1580)大内定綱がここに移り東安達地方を治めるが同13年9月(1585)伊達政宗に敗れ会津に敗走した。その後政宗の父輝宗がこの城に入るが同年10月8日、和議お礼に訪れた二本松城主畠山義継に輝宗が拉致され、阿武隈河畔で最期をとげる事件が起きるが、その場所がこの宮森城である。(現地案内板より)
城址は比高60m程の尾根上、現在神社が建つ平場が主曲輪、東西北は急斜面、南に一段下がった現在は畑となっている平場が曲輪2と思われる。さらにその下も広いなだらかな斜面となっているが曲輪として利用されていたかは判然としない。主曲輪の社の横と後ろには土塁状の高まりが見られ、社の脇には建物の礎石らしい大石が残されている。中世山城は昭和の頃まで農耕地として利用されている事が多いが、ここも主曲輪の東側や曲輪2から下の部分も大きく改変されているものと思われる。
伊達政宗の仙道制覇の発端ともなった輝宗拉致事件、その舞台となった宮森城だが少しさびしい状態と感じた。
+ 続きを読む