(前編・中心部編から続く)
八上城の曲輪は本丸周辺だけでなく、北西、北東に続く尾根筋にも小規模な曲輪群が連なっており、高城山北麓には主膳屋敷と呼ばれる前田茂勝の居館跡があります。
主膳屋敷の北にある春日神社が登城口で、登城口近くには新しく無料駐車場(20台以上)が整備されています。藪化していて遺構が確認しづらい主膳屋敷跡を抜けて登っていくと、尾根筋に出たあたりに鴻の巣と呼ばれる曲輪があり、そこから尾根沿いに下の茶屋丸、中の壇、上の茶屋丸と続き、中の壇付近には竪堀も見られます。この北西尾根から本丸に至るルートが大手道のようです。
北東尾根は、池東番所南下の大竪堀から茶屋の壇、馬駈場、芥丸、西蔵丸と曲輪群が続き、北側斜面には数条の竪堀が、芥丸と北東端の西蔵丸との間には堀切が設けられています。茶屋の壇の手前には、波多野氏の人質となっていた明智光秀の母が磔にされたと伝わる松の跡がありますが、あくまで伝承であって、史実としては否定されているようです。
また、篠山城北隣の青山歴史村には八上城内の屋敷門が移築されています。
下調べ時に、支城として機能したとされる奥谷城や法光寺城にも行こうかとも思いましたが、縄張図を見つけられず、おそらく私の手に余るだろうと考えてやめておきました。帰宅してから、六神合体さんの投稿を拝見し……やめて正解だったかな、と(^^;
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