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城好きのメガネ

「区指定史跡 奥沢城」 (2019/06/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
奥沢城は、名門・吉良氏の世田谷城の支城として築かれたとされる。1590年の小田原征伐の際に、廃城となったとされる。その後、徳川家綱より奥沢城跡地に「九品仏唯在念仏院浄眞寺」を建立させた。現在、境内に土塁等の遺構が残されている。

<アクセス>
東急大井町線 九品仏駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「馬込城」 (2019/06/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
馬込城は、後北条氏の家臣である梶原助五郎の居城とされる。梶原助五郎は、後北条氏の江戸衆の一人で、武蔵江戸馬込で三十二貫六十文を領していたとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
都営地下鉄浅草線 西馬込駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「荏原氏館」 (2019/06/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
荏原氏館は、旗岡八幡神社及び法蓮寺境内が跡地とされる。旗岡八幡神社は、1030年の平忠常の乱を平定するために、源頼信公が下総に赴く際に、宿営し、戦勝祈願をしたことから始まったとされる。その後、鎌倉時代中期に荏原左衛門尉義宗公が領主となり館を築いたとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東急大井町線 荏原町駅 徒歩10分

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ぴーかる

新発田城 (2019/04/29 訪問)

【百名城46城目】
<駐車場他>城の公園および辰巳櫓横に無料あり 
<交通手段>車

<見所>三階櫓外観・表門櫓・旧二の丸隅櫓・辰巳櫓

<感想>GW2泊3日上・越攻城の旅2城目。本丸の南西側の公園(ほぼ満車)になんとか駐車でき来城。目の前にあの有名な3ツ鯱T字屋根の三階櫓が内堀をはさんで見える。後から知って後悔してますが、ここで内堀をはさんで目一杯左に寄って三重櫓を見るとT字屋根と三つ鯱が確認できるんだって。(はっきり見れるのがここしかないこと知らずに撮り損ねました~)内堀は南西側と表門のある南東側のごくわずかしか残っていない。石垣は切込接布積。現存の旧二の丸隅櫓が本丸の南西隅櫓(鉄砲櫓)の位置に移築されていて外観を楽しむ。土橋門跡→堀部安兵衛像→表門・辰巳櫓の外観を見て、本丸内へ、溝口秀勝像が迎えてくれる。入城する表門の櫓下にスタンプがあるのでわかりやすい。櫓門にも海鼠壁がありじっくり観察。内部にも入れる。再建の辰巳櫓、現存の旧二の丸隅櫓内部にも入れる。三階櫓は自衛隊敷地にあり遠く眺めるのみ。木造再建が内部見れなく勿体ない。城見学後少し南にある清水園に行ったが閉園15分前だったので入らず、現存の足軽長屋の外観を見て終了。見れる範囲は少ないが、現存建物が内部も無料で見学できるのでよかった。

<満足度>★★★★☆

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gobigred

四層の城

 その昔、四層は死層に通ずるというので嫌われて、ほとんどの城は三層か五層であったのに、大垣城は四層だった。郡上八万城は大垣城のコピーで、従って四層。アメリカ軍の爆撃で燃える前は国宝。大垣は水都という別名を持つように、水が豊富で自噴水があちこちにわいていた(今でも一部で見られる)。そのため繊維工業、化学工業などの大工場が立地したので、それを米軍が狙って焼夷弾を落とし、燃やした。大垣の近くの金生山では石灰が採れるので分かるように、地質も古い。大垣城の石垣の石に化石を含むものがあるのはそのため。私が通った高校の校歌に「巨鹿の北野~」という文句があった。巨鹿城は大垣城の別名。濃尾三大河川に囲まれた地域なので地盤は固くない。それでも古代から日本史の分岐点に当たるような大きな会戦がおこなわれたり、重要な関所があったり、美濃は歴史好きにはお勧めの場所。春日局の生誕地も近い。

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todo94

久しぶりの城攻め (2019/06/29 訪問)

山城オフシーズンに入ってしまったのと、週末の度に所用が入ってしまったのとで、ゴールデンウィーク以来の城攻めでした。弘前にて献血後、レンタカーを借り受けて向かったのは、11年ぶりの再訪となる大浦城。津軽為信は大浦氏に婿入りしているので、この城在住時は、大浦為信ですね。弘前市立津軽中学校が本丸に当たるようです。

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かず

行ったど~ (2019/06/20 訪問)

車で行ったが入口が少しわかりにくい。

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巨大な三日月堀は県下随一 (2018/12/16 訪問)

下伊那郡松川町にある大島城は、平安時代末期に片桐宗綱が天竜川の右岸に築いたのが始まりで、簡素な砦程度の規模だったようです。宗綱は大島の地に知行を得て大島氏を称し、以後400年間大島氏の居城として機能しました。戦国時代、甲斐の武田信玄が伊那谷に侵攻した際、大島氏は武田氏に属しました。元亀2年(1570)武田氏は三日月堀や馬出などを備えた大城塞に改修しましたが、天正10年(1582)織田軍が伊那谷へ攻め入り、城将だった武田逍遙軒信廉(信玄の弟)は戦わずして甲斐へ退却、大島城は落城しました。本丸跡からは当時の焼米が見つかっています。

大島城の東側三方は天竜川が大きく蛇行した断崖に面した要害で、防備の手薄な西側の平坦地に馬出と三日月堀が築かれていました。その大島城最大の見どころである三日月堀。二重構造の大規模なもので、その立体感からかなりの威圧感を受けます。 現在残る大島城の構成は2期に大別され、天竜川に面した断崖の突端部分の本丸が、平安時代の末に大島氏が築いた最初の砦で、その後約400年の時を経た戦国時代、甲斐の武田氏が伊那谷を攻略した際に、本丸から西方向へ城域を拡張し大規模な改修を行いました。近年遺構の整備が行われたようで、三日月堀や馬出、土塁などが良好に観察できます。

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カルビン

バス停が近かった (2019/06/29 訪問)

「城びと」で初めてその存在を知ったお城。
昨年より目眩がきつくなり長距離運転が出来ず、公共交通機関で行ける場所を探していたものの種垂城は駅から遠すぎて訪問予定から除外していたんですが。。。

バスが近くを走っている事を知り、結構本数も多かった事から、雨模様ではありましたが今日ゆっくりと行ってみました。

JR鴻巣駅東口から加須車庫行きのバスで上種足バス停で降り、そこから5分程度で種垂城址公園に。。。
入口に解説と3台程度ではありますが駐車場もありました。


遺構は無いと伺っておりましたので、念のために何か無いかな?と探してみたところ・・・

奥の林の中にかなり浅くなっておりましたが、堀跡では?と思われる場所と、隣のエリアとの境にこちらも堀と思われる地形が。
同じエリアにある花崎城(地図で調べたら7kmくらい)に雰囲気が似ておりました。

そもそも種垂城はここから約4km離れたところにある菖蒲城の出城と言われております。
更にここから約3.5km離れた騎西城とも関連があるそうで・・・

こうして書いてみると周辺お城乱立地帯なんですね。。。車で回ればかなりの数のカウントできる場所ですが、うまく電車・バスを乗り回せば公共交通機関でも同じことが出来そうです。

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甘粕近江守景持

甘粕近江守長重とパパイヤ鈴木の甘粕は別人です

甘粕近江守長重は後に長尾景虎公から景の字をもらい景持と名乗ります。詳しくは、甘粕景持で検索してWikiをご参照ください。パパイヤ鈴木が天地人でやったのは甘粕備後守景継ですから同じ甘粕姓でも系統が異なります。

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赤い城

吉見百穴のすぐ近く (2019/06/21 訪問)

東松山駅から徒歩で25分。
市野川を天然の堀とし、自然の地形を活用した難攻不落の要害。
曲輪や空堀などの遺構もきれいに残っています。
比企城館跡群のひとつで国指定の史跡に指定されています。
近くには吉見百穴もあるので一緒に行くと良いかも。

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退会済み
ユーザー

尼城 (2019/06/29 訪問)

久しぶりの尼崎城🏯です。

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ぴーかる

村上城 (2019/04/29 訪問)

【続百名城33城目】
<駐車場他>登城口手前に40台程の無料あり。
<交通手段>車

<見所>石垣と種類・出櫓・本丸・曲輪・虎口・竪堀・切岸

<投稿時感想>先日の新潟・山形地方の地震、人的被害が少なくて良かったです。昨年の大阪の地震と台風で我が家も軽微でしたが被害あり、天災ほんとうに怖いです。震度が一番大きかったこの村上城も天守台西面の石垣は孕みも見られたので崩壊していないかと心配しましたが、村上市ホームページで崩落なく、城跡立入禁止解除を見て安心しました。

<登城時感想>GW2拍3日上・越攻城の旅1城目。人生初の新潟県&日本最北緯の地で、朝3時出発8時間かけて到着する。まず資料館にてスタンプとパンフレットをもらい「悠流里」で昼食後登城した。城全体像は山頂部と主に西面が江戸期の近世城跡、山の東面全体に本庄氏時代の中世曲輪跡が広がっている。まず江戸期の石垣の城跡を一巡りする。出櫓と本丸北東面の高石垣は下から眺めると圧巻です。本丸北東面の石垣は一面で打ち込み接・切込接/布・乱積みの4種類程があり珍しい。三・二・本丸・天守台の石垣は横矢の折れもちゃんとある。天守北西面の石垣は孕みが見られ未整備。搦め手道にある坂中門・田口中門跡は草木で覆われ朽ちていた。中世曲輪群は数多く、各腰曲輪も広くて興奮ε=、麓付近の虎口から登る竪掘りは見応えある。近世城跡と中世城跡の2つ楽しめる非常に見応えある城でした。

<グルメ>城跡近くの和食「悠流里」おすすめです。どれもおいしそうで私は海鮮丼と蕎麦のセットをいただきました。一般的な値段より3割くらい安くて、ボリュームは1.5倍くらいあります。店員さんの接客態度もすごくよくて美味しさ増しました。開店前から並んでいます。

<満足度>★★★

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じゅんじん

近代城郭城址公園 (2019/06/23 訪問)

石垣や塀が立派ですが摸擬なんですけど。まあここにお城があったんだなと知らせる意義は感じとれますね。

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じゅんじん

国済寺 (2019/06/23 訪問)

いい感じのお寺です。地名になっているので由緒あることがわかります。

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シロマサ

御着城周辺を改めて探索 (2019/06/23 訪問)

御着城は赤松氏の一族小寺氏の居城。
1519年(永正16年)に小寺政隆築城したと言われる。
今年で築城500年になります。
今は市の東出張所(模擬天守)が立ち、かつては小学校があった。

この城はこれまで幾度も訪れたが、今回は周辺も探索して回った。
まず国道2号を渡って隣の小寺大明神へ、次に旧山陽道の天川橋行きました。
その後、引き返して徳證寺、本陣跡(公民館)、大歳神社、延命寺と巡って戻ってきました。
出張所の北側には洪水で一部流された旧天川橋が移設保存されている。
また出張所の西側には黒田官兵衛の祖父母の祖廟があります。
土曜日は午後、日曜日は午前中に小学生のガイドあるそうです。
出張所の東側にあるグランドの北と東側には土塁跡あります。
駐車場は出張所の東側と国道2号の南側(小寺大明神の東側)にあります。

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朝田 辰兵衛

ここの二の丸井戸伝説は… (2018/08/31 訪問)

現代にもありがちなストーリーですね。そうそう,丸亀製麵は見かけませんでした。
《丸亀城二の丸井戸伝説》
難工事だった石垣が完成し,当時の城主山崎家治に石工名人の羽坂重三郎がねぎらわれたときのこと。「見事な石垣だ。これほど目地が詰まってて急勾配なら、登れる者は誰一人いないだろう」と。すると,(調子に乗った)羽坂重三郎は「私だったら、短い鉄の棒さえあれば登れます」といい,やすやすと登ったそうです。(羽坂重三郎から石垣攻略法が敵方へ漏れることを恐れた)城主の山崎家治は、「さすがにこれは登れまい」と羽坂重三郎をけしかけ,今度は二の丸井戸に彼を入らせました。そして井戸に投石し,穴を塞いで殺害。

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くろもり

巽高取 雪かと見れば (2015/12/05 訪問)

山上の八幡神社近くの県道119号線の路肩に4~5台が止まれるスペースがあったので、駐車して登城しました。道も狭いし、駐車できる所も道が斜めになっていたので運転に自信がない方にはあまりおすすめできません。

高取町観光ガイドのページには以下のように書かれていました。

アクセス4:車→高取城
高取城へは、県道がございますが、お城まで入城することができません。また、多くの交通量を捌けるような道ではなく、離合が大変な場所もあります。
また、城周辺に駐車場といったものがございません。

↑で「離合」て単語が出てきましたが、おそらく九州から関西まででしか通じない言葉だと思います。三重出身の妻に聞いても「聞いたことない」と言ってました。車のすれ違いのことで読みは「りごう」です。

お城は本当に素晴らしいの一言です。城下(壺阪山駅)と本丸との比高差が400m以上あるにもかかわらず、大量の石を山中の石垣に使用しています。二の門跡付近には水堀もありますが、比高差は300m以上あり、この比高差で水堀があるのかと驚愕しました。また、本丸からは吉野方面の眺め、国見櫓跡からは「高取の城下町」・「大和三山」・「信貴山」・「生駒山」・「奈良盆地」に加え、大阪のビル群も見ることができ、「あべのハルカス」も見える眺望絶佳でした。「じゅんじんさん」や「にのまるさん」の投稿の通り、瓦の破片が落ちており、「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ 土佐(高取の旧名)の城(高取の南東 雪に見えたが あれは雪ではない 白く見えるのは高取城の漆喰の壁や櫓だ)」と呼ばれた通り、たくさんの櫓があったのだろうなと実感できました。※もちろん瓦の収集はしておりません!w

主郭近くの石垣は整備されていますが、松ノ門から二ノ門付近の石垣は崩落している箇所も多かったので、散策にはスニーカー以上の靴が必須だと思います。

司馬遼太郎先生は高取城を「石垣しか残っていないのが、かえって蒼古(そうこ)としていい。」と評したそうですが、本当にその通りの素晴らしい城でした。

今回は車での訪問だったので、次回は城下から歩いて登城したい城です。

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トベシュン

梅雨の高松城 (2019/06/22 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが晴れでした。

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城好きのメガネ

「赤堤砦」 (2019/06/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
赤堤砦は、世田谷城主であった吉良氏の支城とされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東急世田谷線 松原駅 徒歩10分

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