牧野城というと、諏訪原城を家康によって牧野城と改名されてしまったイメージが強いが、その改名時に城主を務めていた牧野氏発祥の地が、この三河牧野城だ。平尾城で現在は一部の土塁を残すのみだが、102m✖️72mと大きな平城だが、地元の方に聞くと、「素盞鳴神社付近まで一帯が城で大きな城だった」と熱心に教えて頂いた。
牧野氏は、今橋城(豊橋城)を築城して移っていったが、今橋城も規模が大きい城であり、地元の方が言うのもうなずける。三河戸田氏とは、今橋城をめぐって度々争いを起こしていたようだ。堅固な城を必要としたのであろう。
諏訪原城を現在の形状に増築したのは、徳川方の時代であったのは間違いない。牧野氏はスケールが大きく堅固な築城技術を持っていたのかもしれない。
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