わちがやじょう

月ヶ谷城

愛知県豊橋市


旧国名 : 三河

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主郭
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しんちゃん

主郭周辺 (2024/04/28 訪問)

月ヶ谷城の主郭周辺の写真がだいぶ余ってしまったので掲載します。主郭周辺には石垣らしきものが散見し、北側には特に多いです。北の郭には破城の際のものと思われる石が多く散らばっています。主郭は西側に土塁を残し、主郭の南側一帯に2郭が存在します。
私は最初、南の郭と東の郭は別のものかと思っていましたが、どうやら同じ郭という扱いになるようです。2郭と主郭の境にも石積みが存在し、2郭の周辺にも土塁が配されています。
私は北側からアクセスしたので井戸を見落としていますが、この城は北側にも堀切などの遺構が残っているので訪れてみることをお勧めします。西側からの登山道は山中を移動する際に道を見落としやすいので、国土地理院の地形図を見れるアプリをインストールしておくと良いと思います。佐賀の勝尾城や兵庫の山奥では電波が途切れることがありましたが、月ヶ谷城全体では受信に問題は無いようです。

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しんちゃん

地元の山城といえど、あなどれず (2024/04/28 訪問)

月ヶ谷城は豊橋市嵩山町から浜松市三ヶ日町に向かう街道(姫街道)を押える要衝に築かれている山城です。三河西郷氏の西郷信員、正員によって築かれたとされ、正員の後継である西郷正勝は徳川秀忠の母である西郷局(お愛の方)の外祖父とされています。
正勝の嫡男・正元は月ヶ谷城を譲られますが、松平元康が今川氏に離反し、西郷氏もそれに従ったため今川勢に攻められ落城し、正元は討死したそうです。
月ヶ谷城は西側に登城道があり丸木を連ねた橋が架かっています。先へ進むと道が続いていますが途中の分岐点を山側に入り尾根上を迂回して城址北側に入ります。
この分岐点ですが、良く見ると矢印があります。この矢印にそって道を左に分け入ります。分岐点に気づかず、まっすぐ行くと谷の方へ進んでしまい、そこから山をよじ登るのはなかなか骨が折れます。行き過ぎたと思ったら一度分岐点まで引き返すと良いでしょう。(体験談)
尾根沿いに進めばそれほど苦労はしませんが、道はそれほどはっきりせず、道標もところどころ倒れています。スマホに地形を読めるアプリを入れておくと良いと思います。城址の北側には出丸らしき場所があって、石積みが見られ、その先には堀切がかかっています。尾根沿いに南に進むと北の郭に到達し、破城の際に散乱したと見られる石が多数見受けられます。最高所が主郭になっており周囲に石積みが残っています。主郭の南東から南西にかけても郭が配され、さらに南側にも腰郭が配され、井戸が残っているようです。

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Tiger

底が見えない深い井戸 (2021/11/13 訪問)

なかなか急斜面です。

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西郷氏の城 (2020/11/03 訪問)

 城址は倒木などありますが、概ね縄張りなど把握できます。井戸と思われる穴がありました。主郭に最初に目に入った立て札が城址の標識かと思ったら「月ヶ谷城址のヤマモモ」となっていて隣にヤマモモの木がありました。主郭中心部に黄色い標柱が立っています。
 豊橋駅前から豊鉄バスに乗り嵩山市場にて下車。徒歩5分くらいで登城口である丸木橋に着きます。登城路は比較的整備されています。補修されていないらしくわかりにくい所もありますが、赤い矢印があり迷うことはありません。想像していたより急峻な道でした。この時期、ひっつき虫にやられて往生しました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 西郷信員・正員
築城年 大永3年(1523)?
主な城主 西郷氏
廃城年 永禄5年(1562)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
再建造物
住所 愛知県豊橋市嵩山町字山軍場