わちがやじょう

月ヶ谷城

愛知県豊橋市


旧国名 : 三河

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本丸城址碑
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Tiger

底が見えない深い井戸 (2021/11/13 訪問)

なかなか急斜面です。

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西郷氏の城 (2020/11/03 訪問)

 城址は倒木などありますが、概ね縄張りなど把握できます。井戸と思われる穴がありました。主郭に最初に目に入った立て札が城址の標識かと思ったら「月ヶ谷城址のヤマモモ」となっていて隣にヤマモモの木がありました。主郭中心部に黄色い標柱が立っています。
 豊橋駅前から豊鉄バスに乗り嵩山市場にて下車。徒歩5分くらいで登城口である丸木橋に着きます。登城路は比較的整備されています。補修されていないらしくわかりにくい所もありますが、赤い矢印があり迷うことはありません。想像していたより急峻な道でした。この時期、ひっつき虫にやられて往生しました。

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姫街道

姫街道を見下ろす国境の城 (2020/03/26 訪問)

1523年に本坂通(姫街道)を押さるため、西郷氏によって築城された山城だ。西郷氏はその後、月ケ谷城を嫡男に譲り、北方の山あい中山道沿いに居館城である五本松城を築いて本城とし、月ケ谷城を支城としたようだ。西郷氏は一帯を治める国人衆で、当初は今川方であった。ところが、1530年には松平清康について宇利城攻めに加わったかと思えば、清康が暗殺されると今川方に戻り、1560年に義元が討たれると再び松平方についたため、さすがに怒った今川方の武将で遠州宇津山城主朝比奈氏に夜襲をかけられて討ち死にした。この西郷氏、松平・家康にブレずに仕えた野田菅沼氏と親戚であったが、よくブレた。なんとなくだが、三河・遠江地方、一回のブレは許されるが、二回ブレると許されない感じを受ける。さて月ケ谷城主郭への登山道は程良く手を入れてくれてあり、山城登城を楽しむには丁度良い感じだ。主郭には大きなヤマモモの木があり、御神木の雰囲気がある。遺構は虎口や郭跡などわりとはっきり残っていて楽しめる。浜松方面から姫街道・嵩山宿を散策しながらの城巡り、登山口入口がなかなかわからず苦労したが、五本松城もセットでまわって楽しめた。

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カズサン

秀忠生母西郷の局ゆかりの山城 (2019/11/29 訪問)

 天下布武さんの最近の投稿を見て姫街道国道362号線は浜松豊橋往来によく利用してる道です、城びとの城地図に未踏ののままに成って居り気に為ってた所、投稿に刺激され天下布武さん情報、古城盛衰記さん情報、余湖図コレクションさん情報を確認知識を吸収し国道362号線本坂トンネルを西に通り抜け嵩山(スセ)交差点を西600m水路沿いの道を北山方向、駐車場は有りません自動車整備工場?過ぎて若干広い路肩に路駐。
 そこより30m程水路に丸木5本の橋、橋傍に黄色い標柱に微かに月ヶ谷城表記が見える、竹林を奥へ、赤い矢印板の方向に進む、所々に赤い矢印板が本曲輪まで案内して呉れる。
 杉林で暗く、道を倒木で塞がれ迂回し進む、岩が石垣の様に見える所も有り城兵が待ち伏せしてる様、私の足で登り25分、降り15分比高140m程。
 余湖図コレクションさんの俯瞰図で山頂の曲輪を探訪、低木の薮状態で屈みながら、深い井戸が気に為り落ちない様に慎重に回る、1曲輪に山桃の大木、虎口、切岸、2曲輪に虎口2ヶ所、3曲輪に深い井戸、虎口が見られる、4曲輪は1曲輪の北側控え曲輪の様子、現在の登城路は北より4曲輪切岸、1曲輪切岸を登ってたどり着く。
 低木伐採し、杉林を間引き見える化、明るくするとコンパクトな山城標本の様な状態に成るのかなと想像したりします。

 桶狭間後家康が自立し西郷氏も協調し今川氏に攻められ落城との事。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 西郷信員・正員
築城年 大永3年(1523)?
主な城主 西郷氏
廃城年 永禄5年(1562)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
再建造物
住所 愛知県豊橋市嵩山町字山軍場