三好長慶在城時の石垣だとすれば、芥川山城と同様、織豊系城郭がこの世に誕生する前に存在した石垣造りのお城ということだ。このお城にはたぶん、もっともっとたくさんの石垣が埋もれている。
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2020/04/12 20:32
飯盛城
三好長慶在城時の石垣だとすれば、芥川山城と同様、織豊系城郭がこの世に誕生する前に存在した石垣造りのお城ということだ。このお城にはたぶん、もっともっとたくさんの石垣が埋もれている。
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2020/04/12 16:43
伊達なうわじまお城まつり (2018/05/05 訪問)
大洲の後、宇和島に向かった。
ここも大洲同様遠くてなかなか足が向かずにいたエリア。宇和島と言えば上甲監督時代の高校野球宇和島東高校と闘牛くらいしか知らない。現存天守踏破の執念とスタンプ押印が背中を押した。
藤堂高虎の築城だが、現存天守は伊達氏の代に建てられた二代目だそうな。唐破風と千鳥破風が折り重なる様は彦根城にも似ている。(と勝手に思っている)
ここは元々海に面しており、堀も海水だったようだ。藤堂高虎らしい。
城内で松山でも見た墨絵をまた見た。どうやら松山ご出身の茂本ヒデキチさんという墨絵アーティストの作だったようだ。縁があって応援してるのだろうが、普通に格好いい。ファンになった。
この日は伊達なうわじまお城まつりの日で曲輪の確認どころではない人だかりで、城域で初めてプロレスを堪能した(笑)
地域の方々が愛し集まり関わり合うお城。長く続け守ってもらいたい。
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2020/04/12 14:31
五日市城 広島市佐伯区 (2020/03/31 訪問)
広島市のJR五日市駅北側に存在していた城 沖合の埋め立てで城山のほとんどが削られてごく一部を除き、平地となっている。
現在は教会と住宅地である。説明版が無ければたどり着けない 説明版は教会の南側、細い通路にあります。
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2020/04/12 14:15
つぶやき
「自粛なら 解除まで待とう 城巡り」
徳川家康の
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」を捩ってみました。
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2020/04/12 11:41
今後の整備に期待 (2019/12/27 訪問)
城跡に県庁と県警本部が鎮座する福井城ですが、廊下橋や山里口御門など少しずつ復元されており、県庁移転の話もあるようなので、今後の整備に期待したいです。
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2020/04/12 10:22
2020/04/12 09:55
操山を登ったら (2020/04/11 訪問)
昨日は、明禅寺城へ行きました。
明禅寺城は、前から行きたかった城です。操山にハイキングへ行ったので、明禅寺城にも行ってみました。明禅寺城跡へ行く途中は、たくさんの古墳がありました。城跡付近には、たくさんの巨石がありました。石垣は少し残っていました。操山には、正木城という城跡もあるようなので、また行ってみたいです。
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2020/04/12 07:57
雪残る海ノ口城 (2020/04/12 訪問)
標高1255mの海ノ口城はまだ雪が残ってて幻想的でした♪
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2020/04/11 23:53
2020/04/11 23:39
2020/04/11 23:03
2020/04/11 22:51
明治21年まで現存…て惜しい (2018/05/05 訪問)
城下町のクランク道を抜けて、肱川沿いにそびえる大洲城址に向かった。
現存天守かと見まごう立派で荘厳な天守だが平成16年に復元されたとのこと。それにしても、城域、天守、雰囲気、どれをとっても素晴らしい城であった。
四階層塔型天守が台所櫓と高欄櫓を従え多聞櫓で取り囲まれる連結式天守は肱川や後背の山に映え大変美しい。あちこちに立てられた蛇の目の幟旗に赴きがありいい感じを醸している。
訪問時、石垣が復元工事中で工期が翌6月の29日となっていた。
わずか2ヶ月後の7月初め、石垣復元工事完了数日後に西日本豪雨により肱川が氾濫し甚大な被害を被られた…。前日に行った三原も甚大な被害があったと聞いた。一日も早い町と心身の復興をお祈りしたい。
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2020/04/11 22:38
2020/04/11 22:22
2020/04/11 22:08
秘境の山城 (2020/04/11 訪問)
高知市中心部から車で下道を走ること
2時間40分ほどで登城口の三滝神社に着きます。
国道197号線から県道2号線に入って行きますが、
高知県側からの道は現在全面通行止めなので
愛媛県西予市側から県道に入りましょう。
県道2号線の分岐(写真4)から先は
道幅が狭く所々落石などがあります(写真5)ので
運転には十分気をつけてください。
分岐から10分ほど登ると石の鳥居が見えます(写真6)。
もう少し先の木の鳥居(写真7)の手前が広くなっているので
車はここに停めるといいです。
木の鳥居をくぐって真っ直ぐ行くと三滝神社、
右の林道(写真8)を10分ほど登ると
主郭(写真1)に到着です。
石碑と説明板は見つけましたが、
他の遺構は確認に至りませんでした。
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2020/04/11 21:53
2020/04/11 21:35
千頭峯城とその砦 (2020/04/05 訪問)
二回目の登城。千頭峯城は立地や城主に諸説あり、今回はそのモヤモヤを晴らすべく現千頭峯城(本城)・中千頭砦・鯉山砦と尾根つたいにY型の先端に配置されてつながっている三ヶ所を登城した。
まず鯉山砦。現千頭峯城は鯉山砦の支城だった説もある。Y字の南端に位置し、登城も「崖を登る」と言う言葉がピッタリだった。
立地やその険しさから、こちらが本城だったと言われても何ら疑いはない。
中千頭峯城は、立地的に現瓦塔遺跡だと私は思う。元摩訶耶寺があった場所で、古城だと思う。前面に浜名湖畔・右前方には鯉山砦を見る事ができ、寺の形状をそのまま城形状に活用したのではないかと想像した。現本城は上記二ケ所と比べると尾根形式や立地が圧倒的に劣る。今川氏が徳川侵攻に備えて増築し、さらには徳川が武田信玄の侵攻に備えて増築した説が肯ける。
私は、中千頭峯城→鯉山砦→千頭峯城と本城が移って行ったのではないかと想像した。
築城者や支配者についてだが、
千頭峯城は南北朝時代に井伊氏分家の奥山氏築城と言われ井伊氏の本城である三岳城の支城と言われているが、私は今回の登城で否定的な意見に賛同する事にした。鯉山砦の麓には浜名氏の菩提寺である金剛寺や浜名氏が祖神太田命を祀った浜名惣社神明宮があり、南北朝の戦時、一時的に奥山氏に支配されていた時期はあったかもしれないが、基本的には浜名湖北一帯を支配していた浜名氏やその分家がこの城郭群を長きに渡って支配していたのではないかと感じた。
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2020/04/11 19:54
磯野~、野球しようぜ~ (2019/06/01 訪問)
お城好きな方の中でも戦国時代のロマンを感じたい方しか行かないと思われます桶狭間合戦関連の砦跡。
城びとに登録されている桶狭間関連の砦の中で一番最後に訪問したのが中島砦跡になります。
何度か近くに言っていたものの、他を優先していたら中島砦だけ余ったっていうのが実の所でw
あとTVで桶狭間関連の放送する時って中島砦だけ放送スルーされる事が多かったので、どうせ大した事無いんだろうな。。。という推測もありましたが。。。
鳴海城再訪とセットで訪問したわけですが。。。ま、予想通り民家の一画にひっそりと石碑のみ残っていたというオチ。
東京からここ狙いで行く場所では決してないです。。。絶対にバーター訪問な場所です(汗)
前々回判断を誤って続100名城upしましたが、今の時期万が一それ見て衝動で行かれてしまうと良くないので、暫くそそれれないであろうこの系統の記事のupにしようと思いますm(_ _)m
よく歴史的バックボーンから何も無くても有る程度納得する場所多いんですが、中島砦に関しては一切そういう感情浮かびませんでした・・・
強いて言うならサザエさんに出てくる中島君を思い出していたというw(ここでタイトルの意味がお分かり頂けたかとw)
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2020/04/11 19:26
2020/04/11 17:35
西ヶ谷より (2020/04/11 訪問)
山の尾根に堀切で曲輪を作っているシンプルな縄張りです。かなり浅くなっていますがいくつかの堀切を見ることができます。
JR静岡駅から静鉄バスに乗り西ヶ谷運動場入口で降りて登り口まで約15分くらいでしょうか。西ヶ谷より登り、約40分で安倍城の石碑がある主郭に着きます。安倍城跡から久住砦まで行きました。道はハイキングコースとして整備されていますが、必ずしも歩きやすいわけではありません。特に安倍城跡と久住砦の間の登り下りは急坂でロープが張ってありますが、木の根ががんばっていて歩きにくかった。
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