みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

じゅんじん

道路で真っ二つ (2019/06/21 訪問)

城址公園と御殿公園になっています。城址公園にはなにもありません。御殿公園に説明板と城址碑がありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

お寺 (2019/06/21 訪問)

館跡がお寺になっています。門隣に説明板がありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

前ちゃん

地元の光秀ゆかりの城 (2019/06/18 訪問)

光秀ゆかりのの城

二次丹波攻めの際、波多野氏と荻野(赤井)氏の連携を断つため、陣とした城

大山・追手神社から登り、鐘が坂公園方面へ下山。柏原駅まで歩いた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

お城公園 (2019/06/21 訪問)

石浜城公園があり北側に石浜神社があります。レンタルサイクルでお城めぐりです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

朝の散歩 (2019/06/24 訪問)

出発まで時間があったので1時間ほど散策

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

夜の小田原城 (2019/06/23 訪問)

出張で小田原泊。天守ライトアップは21時までなんですね。居酒屋で小田原の魚や大山焼き鳥を堪能。酔い覚ましに回りました。(ブレぶれで申し訳ございません)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

神秘のベールに包まれた大城塞 (2015/10/12 訪問)

埴原城は松本市の東南に位置し、信濃守護小笠原氏の居城林城の南の守りを司っていました。築城時期など詳細は不明。在地の埴原氏(村井氏)の城だったようですが戦国時代甲斐の武田信玄が信濃へ侵攻した際、埴原城を攻撃し落城させています。そして埴原城落城を受けて、林城、桐原城など小笠原系の城砦が戦わずして自落しました。

埴原城の凄さは、尾根先から山頂部にかけて城の守りを厳重にしている点です。城の西側には中山砦(現・中山霊園)があり、そこからは松本平が一望できます。つまり、こちら方面からの敵の侵攻は容易に見つける事ができ鉢伏山など2000m近い山を背後にしている敵が攻めにくい東側に対する防御が完璧なのです。主郭から東へ二の曲輪と続き、大堀切で一本進路を切っておいてさらにその先に畝状の竪堀を配すると言う念の入れよう・・・。埴原城の見どころは主郭から東側のこのくどいほどの土木量にあります。主郭の石積みは長野県の山城に多く見られる比較的平らな石をそのまま積んだもので、二段構えの構造は埴原城内屈指の遺構と言えます。

登城口の蓮華寺から歩道伝いに登れるので難易度的には初心者でも安心して登れる山城です。また、蓮華寺周辺は埴原氏の屋敷などがあったと推定されています。麓の屋敷跡から山城の奥の院まで、これ程の規模でしっかり造り込まれている埴原城の遺構は一見の価値大です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

駿河丸城

安芸と石見の国境近くに「駿河」の名を持つ城があった。駿河にルーツを持つ吉川氏が最初に本拠地にしたとの伝承を持つ、小さなお城だった。

+ 続きを読む

カルビン

被させて頂きます。 (2015/05/17 訪問)

数年前に小さい「長崎館跡」の石柱があったゴルフ練習場も今は無くなったとの情報が数多く挙げられているので、自分も被せてupさせて頂きます(ーωー;)


自分の訪問した2015年5月にはまだゴルフ練習場健在で、しかも綺麗だったので・・・まさかすぐに閉鎖になるとは夢にも思っていなかったです。
・・・セレブの方々の住むようなエリアだっただけに近所のお客様多そうだったので尚更(汗)


ちなみに瀬田城(長崎館)の主・長崎伊予守重光が開祖となる行善寺がすぐ近くにあります(入口にはその旨が書かれた解説も)
(同じ道沿いにあるので、坂を下らぬように・・・疲れますのでw)

周辺は瀬田遺跡でもあったとの事なので、よく古墳がお城に利用されるのと同様、ここ瀬田城も同じような経緯で築城されたのかもしれません。


いずれにしても長崎館跡の石柱が無くなった今、行善寺の解説が長崎氏の名前が残る唯一の手掛かりになってしまったのかも。。。ま、行善寺附近も城址ともされているので、わざわざ遠くから行く必要は無いものの、お城好きな方なら付近を訪問された際には立ち寄っても損までは無いかと。
地形的な雰囲気は最低限味わえますので。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

中川藤兵衛尉

新家城 (2019/06/10 訪問)

 『日本城郭体系』に依ると、『摂津志』に山田城の支城の一つであると書かれてるそうです。現在の箕面東公園ですが、言われてみれば城っぽい? 段差があったり櫓台に使えそうな高まりがあったり

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

善福寺原城 (2019/06/10 訪問)

 『日本城郭体系』に依ると、『摂津志』に書かれている「粟生砦」はここか新家城かの何方かだろう、と。山の上にあり、粟生の街が見下ろせます

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

粟生谷城 (2019/06/10 訪問)

 地元の粟生氏の居城らしいです。摂津池田氏に仕え、白井河原合戦の頃には中川家に属していたとか。中川氏に従って摂津茨木、播磨三木、豊後竹田と移ったのかは知りません。

 多分、この一際高い所が城跡です。坂を下ったら一段低い公園がありますが、堀跡ですかね

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

本成寺城 (2019/06/10 訪問)

 大阪府箕面市にあった城。現・本成寺。山号が「古城山」なので、まさしくこの地に城があったのでしょう。高台にありますし

+ 続きを読む

赤い城

竹藪の中に深い空堀 (2019/06/22 訪問)

森林公園駅から徒歩で30分。
主郭部分とそれを廻る土塁、さらに外側に空堀と遺構はよく残っています。
空堀は竹藪となっていますが深く見応えはあります。
主郭は畑になっていて私有地かもしれません。
平安末期には築かれていたようです。
関係ないけどチョッと家畜の臭いが気になりました。。。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たくわん

吉見百穴 (2019/06/25 訪問)

お城行く前に百穴行ってきました。お城の隣だもんね。実際は穴は2百以上あるんだって。最初は原始人の住居だって話だったのがよくよく調べたらお墓だってことが分かってきたとのことです。楽しめました。

+ 続きを読む

たくわん

埼玉の松山城 (2019/06/25 訪問)

松山城って日本全国にありますねー。今回は埼玉の松山城へ行ってきました。東松山駅からバスで百穴入口で降りました。ついでなので吉見百穴も見てきました。ついでにお城入口も聞きました。川を渡って階段登って山道登るとあら本丸。しっかり残ってます。二の丸三の丸もしっかり。堀なんかもしっかり。さすが国指定史跡。見ごたえありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

三原城 (2019/03/23 訪問)

【続百名城31城目】
<駐車場他>未調査 <交通手段>18切符

<見所>天主台石垣・舟入跡

<感想>日帰り18切符攻城の旅。昼に三原駅到着、まずお好み焼きてっちゃんで昼食をとる。昼食後店を出ると朝の予報に反して雨が降りだす(+_+)。仕方がないので雨中、中門跡→みはら歴史館にてスタンプ、館には城の杉戸・鯱・軒丸瓦・ジオラマがある。→舟入跡→和久原川水はね跡石垣→天主台跡→小早川隆景像→宗光寺山門(新高山城の移築城門説があり行ったが、門脇の案内板に門の意匠から浅野氏が新築した説が有力らしいとの記述があった。見応えがあり、国の重要文化財なので一見しても良い)→二の丸鍛冶曲輪跡石垣→天主台上を見学し終了。現存の天主台(本丸)石垣は打込接乱積み、私の好きな扇の勾配、絵図から本丸の北西部先端なので本郭全体の巨大さが想像できる。三原の地は平地が狭く、すぐ北に桜山が接近しており、明治36年の古写真には既に今の所にSL機関車が走っているので城郭を潰して鉄道を敷くしかなかったのかと想像できた。雨が降り止みしてたので雨宿りしながら巡っていたので結構な時間がかかった。

<グルメ>お好み焼き「てっちゃん」は三原駅南徒歩5分程のところにあります。三原焼きといって広島市のお好み焼きとはすこし違うらしい。(私は違いはわからなかったが美味しいは美味しい)

<満足度>★☆☆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

オシャレタウンの幻。 (2019/06/23 訪問)

雨が降りそうだったので山城はやめ、都内の街中にある「瀬田城」=「長崎館跡」に行きました。
北条氏の家臣、長崎氏の居城です。
私は東急田園都市線の二子玉川駅から「瀬田城」に向かいました。
まず二子玉川駅、オシャレで上品な方が優雅に歩いていました。
子供達も上品。散歩している犬も上品。
さっさと「瀬田城」に行こうと思いました。
もう、すごーい高級住宅街です。
完全な負け組の私はお宅の大きさに口が開きっぱなしです。
坂道を登った所に広い工事現場が現れ、多分ここが「長崎館跡」と書かれた石碑があったゴルフ練習場跡ではないかと思います。
トミーさんの投稿で幻の石碑とあったので、私も工事現場をぐるぐる探しましたが、本当に幻になったと思われます。
近くの公園の説明板に長崎氏の名前を見つけ、一応「瀬田城」は行った事にしました。

+ 続きを読む

イオ

津堂城山古墳 (2019/06/16 訪問)

小山城は、この度世界遺産登録される見込みとなった古市古墳群に属する津堂城山古墳を城として活用したもので、南北朝期に南朝方の志貴右衛門が築城し、戦国初期には河内守護畠山氏家臣の安見氏が、戦国末期には三好康長が城主となり、織田信長の河内平定に伴い廃城となったものと思われます。

津堂城山古墳は墳丘の全長208mに及ぶ巨大な前方後円墳で、墳丘を二重の堀(周濠)と堤が取り巻く構造になっていますが、公園として整備されており、後円部の頂部を除いて立ち入り自由なので、墳丘に上がってみたり、古墳のテラス部分は帯曲輪だったんだろうかと想像をめぐらせたり、歩き回って城(古墳)を体感することができました。
また、古墳の北側には、城山古墳のガイダンス施設(無料)「まほらしろやま」がある他、周濠部分には様々な花木が植えられていて、登城時は菖蒲が咲いていましたが、梅や桜、菜の花、あじさい、コスモス、蓮池も設けられていて、四季折々の花が楽しめるようです。

アクセスは、近鉄南大阪線・藤井寺駅から徒歩約20分。車の場合、津堂城山古墳には駐車場はありませんが、近くの緑地公園に無料駐車場があります。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

長年登城期待の河後森城 (2018/06/23 訪問)

 平成23年の第18回全国山城サミット㏌浜松から山城サミットに参加し始まましたがその時愛媛県の河後森城の紹介を受けその存在を初めて知り行こうと思いながら四国愛媛県宇和島市の西山奥で計画が中々立たず平成29年にしまなみ海道海賊の城、愛媛東、高知県中東部、徳島県、淡路島と廻り、昨年平成30年6月に愛媛県西部、高知県西部、香川県と巡り6月23日雨の中でしたが合羽を着て登城。
 JR松丸駅で資料をゲットし情報収集、風呂ヶ谷駐車場を目指す、駐車場は大きく案内板が大きく表示されてます。
 雨なので先ず10曲輪の復元整備されてる処を目指して登城、雨で霞も発生し良い条件では有りませんでした、他曲輪は10曲輪より遠望して終了、やっと7年振りに登れました。
 南下し高知県宿毛市に出ましたが雨続き、翌月には大洲市肱川が氾濫し愛媛県西部地方に大きな被害が出ましたがほんのつかの間の城巡りでした、被害の出た所にはお見舞い申し上げます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1472