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ヨコちゃん

震災の爪痕 (2018/11/19 訪問)

震災後2年半経ちますが、まだまだ復興までは遠い感じでした。早い復興を祈っています。

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ヨコちゃん

秋の岡城 (2018/11/18 訪問)

紅葉がきれいでしたが、城壁の壁面と角がきれいのもビックリしました。

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todo94

続日本100名城スタンプ70個目 (2018/11/23 訪問)

2017年のお城EXPOでパンフレットを頂き天守台の展望施設のことを知りました。柳沢文庫で天守台の工事のビデオをじっくり視聴してしまいました。橋が完成したら又訪れたいと思います。

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カルビン

松尾行って鈴岡行かいでか (2015/03/22 訪問)

松尾城から絶叫橋を渡り(吊り橋でなくて本当によかったε=(´д`;))、さらにちょっとした急坂を上って鈴岡城に到着。
渓谷を挟んでいるとはいえ、同じ一族でこんな近距離なのに、なぜ敵対する必要あったんですかね?(今も昔も身勝手な連中がこの手の争いを引き起こすんでしょうけど(危))

さて前回松尾城より鈴岡城のほうが素晴らしい遺構があると書きましたが・・・松尾城の堀がわかりにくいのに対し、鈴岡城の堀は大きく深く長く・・・更に明確です。
おそらく公園化によってかなり改変しているんだと思いますが、見る限りわざとらしい改変には見えないので、個人的には好感もてるものになってました。
堀だけでなく、曲輪も土塁もわかりやすくはっきりしていておりました。

更に公園の外周にある大きな土塁と堀は圧巻の造りです。


歴史的バックボーンが弱いからか続100名城にも選ばれませんでしたが、個人的には同じ長野県の続100名城でも、高島城と龍岡城に引けを取らないと思うんですけどね~・・・
(小笠原氏は名城選定されるには歴史的ネームバリューで力不足だったのか・・・orz)

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チェブ

電車でリベンジ。 (2018/11/24 訪問)

連休の初日、渋滞や他の予定もあり車でのお城巡りは諦めました。
ちょうど今、北条家の話を読んでいて「立河原の戦い」が出てきたところです。
この辺りを電車で向かいました。(南武線です)
この日4城行きましたが、すべて駅から近くでした。そして、北条家は来てなさそうです。
大丸城は住宅街に案内板がありました。
近くに城山公園があります。

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まんのすけ

西の登り石垣 (2018/11/20 訪問)

迫力ある石垣が残っている。

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ぴぽぽ

石垣の迫力に魅了されました (2018/11/26 訪問)

城のそばに無料の駐車場があり、トイレも完備されていました
駐車場に面した南曲輪の石垣は、崩れつつあるも、迫力満点です
一番感動したのは、井戸曲輪でした
二の丸から25メートル下った場所にあり、ここが一番当時の雰囲気を感じられる場所でした
物見台からの眺めも素晴らしかったです

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はたけ

高知城 (2018/11/26 訪問)

本丸御殿も残っていていい

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ぴぽぽ

大空堀、見ごたえがありました (2018/11/26 訪問)

整備されていて歩きやすかったです
三の丸にある駐車場に無料の駐車場に車を停めました
二の丸から本丸へ向かうと大きな土塁が見れました
神社でおまいりをさせていただき、天守台跡へ
そこから、見える大空堀は、すごかったです
空堀へ下りることができる道があったので、歩いてみることにしました
ここから、上に這い上がることは、ちょっと無理かなぁ、北曲輪に行くときは
木橋とかないと無理かもと想像しながら歩きました

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にのまる

下屋敷とお濠と小学校と…意外といろいろある。 (2018/11/23 訪問)

田中城下屋敷には本丸櫓が移築され、見る(入る)ことができます。
持ち主が「大事にしてくれそうな親戚」に譲ったので、当時の姿のまま大切に使われ、受け継がれてきたのではないかと思います。
本丸櫓は一見華奢でシンプルな造りですが、石垣の上に建つ姿は凛として美しいです。飾りたてればいいってもんじゃないんだなと感じます。

縄張りは四重の堀に囲まれた亀の形で庭園内には亀石もあり、別名は「亀城」。
庭園の管理をされている方は亀マークの帽子がトレードマークで、静岡のお城の話をたくさん聞かせてくださいました。

本丸跡地の西益津小学校まで行ってみました。途中、三日月堀や土塁、作事役所跡などを見ることができます。
復元図に現在の図面を合わせた地図を見ながら円郭式の縄張りを歩こうと思ったのですが、それは難易度高すぎでした。

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dougen

2016.12.3登城 (2016/12/03 訪問)

塩原城から県道89号に出て、西へ行くと、久米島博物館があります。
博物館に隣接する丘陵が伊敷索(ちなは)城址となります。
博物館の敷地内ということもあり、城址は整備されており、野面積の石垣が残っています。
なお、石垣の石は珊瑚石灰石で穴ぼこだらけの石です。
二の郭はかなり広いのですが、郭の周りに残っている石垣は圧巻です。
博物館には久米島の歴史や城址の展示もありますので、セットで行くと良いでしょう。

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現存の三つの櫓同時初公開 (2018/11/18 訪問)

本日は、名古屋城の現存する三つの櫓の同時初公開ということで行ってきました!
まずは、東南隅櫓で重要文化財に指定されております!
東南隅櫓は、本丸の南東隅に位置し、天守(戦災焼失)とほぼ同時期、1612年頃に建てられました!
辰巳櫓とも呼ばれておりました!
東西約11.6m、南北約13.6m、高さ約13.5mと大規模で有ります!
一重目の屋根を付けていないため、外観は二重櫓に見えるが、内部は三階櫓で有ります!
この形式の櫓は非常に珍しいですね!
屋根は入母屋造、本瓦葺きで、鬼瓦等には徳川家の家紋である「葵紋」が見られる!
二階東面と南面には千鳥破風(三角形の小型の屋根)と石落としが設けられています!
三階東側の屋根には、高級な意匠である軒唐破風(屋根が丸く反った、曲線状の破風)が入る!
次に、西南隅櫓でこれも重要文化財に指定されております!
西南隅櫓は本丸の南西隅に位置し、天守(戦災焼失)とほぼ同時期、1612年頃に建てられました!
未申櫓と呼ばれておりました!
東西約11.8m、南北約13.5m、高さ約14.1mと大規模で有ります!
一重目の屋根を付けていないため、外観は二重櫓に見えるが、内部は三階櫓で有ります!
この形式の櫓は非常に珍しいです!
屋根は入母屋造、本瓦葺きである!
二階西面と南面には千鳥破風(三角形の小型の屋根)と石落としが設けられています!
明治後期から大正10年頃迄の間に、自然災害により倒壊したが、大正12年に宮内省により修復されました!
その際、菊紋の鬼瓦、棟瓦が用いられました!
その後、建物の老朽化が進んだため、2010年から半解体修理を実施し、2014年に完了しました!
大正期の修理で壁はモルタル塗りとされたが、本来の白漆喰塗りに戻されました!
最後に、西北隅櫓でこれも重要文化財に指定されております!
西北隅櫓は御深井丸の北西隅に位置します!
天守や本丸御殿よりも少し遅く、1619年に建てられました!
戌亥櫓や三階櫓と呼ばれておりました!
外観三重、内部三階で有ります!
東西約13.9m、南北約16.9m、高さ約16.2mを有する!
江戸時代から現存する三階櫓は全国で14基あるが、熊本城宇土櫓に次いで二番目の規模で有ります!
屋根は入母屋造、本瓦葺きで有ります!
本丸の東南、西南隅櫓と異なり、堀に面していない東面と南面にも、千鳥破風(三角形の小型の屋根)が付けられている!
一階北面と西面には石落としが設けられています!
江戸時代から清洲櫓とも呼ばれ、清洲城の小天守か櫓を移築したと言われてきました!
1962年から1964年に解体修理が行われ、複数の建物の古材を転用してはいるが、1619年の建物であることが明らかになりました!
これにより、清洲城の櫓をそのまま移築したものではないことが確定しました!

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くろもり

兵どもが夢の跡 (2012/07/14 訪問)

天守もない、大きな石垣もない。城=天守と思ってる方には、少し石垣が残ってる程度のただの山でしょうが・・・
最盛期には山陰・山陽八ヶ国(出雲・隠岐・伯耆・因幡・美作・備前・備中・備後)の守護であったものの、そのわずか15年後には毛利氏の侵攻により滅亡した尼子氏の居城。
この月山富田城を奪回する為に山中鹿介こと山中幸盛公が「我に七難八苦を与えよ」と月に祈り、主家の尼子氏再興の為に一生を捧げたと思うと、込み上げてくるものがあります。
尼子経久公・晴久公(国久公と誠久公も)・義久公・勝久公・山中幸盛公等の尼子氏にゆかりのある人物を知っていると、目には見えない往時の景色が見えてくるような、そんな気持ちにさせてくれる城址です。
以下、写真の説明です。
1枚目・・・本丸にある山中鹿介記念碑。割れたような石碑が悲愁を誘います。今は背後の木が綺麗に整備されているようです。
2枚目・・・千畳平の尼子神社。八ヶ国の守護の面影もない小さな社に思わず目頭が熱くなりました。
3枚目・・・月山富田城前を流れる飯梨川。国破れて山河ありといった感じ。往時もこのような風景だったのか。
4枚目・・・洞光寺の尼子清定公・経久公墓所から見た月山富田城(突き出た山の所)。両公は尼子氏栄華の跡を見守っています。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー88個目 (2018/11/23 訪問)

本当は麓から歩いて攻める予定だったのだが、たかとり城まつりの開催日に当たっていて観光駐車場はすべて関係者用の駐車場となってしまっていた。仕方なく前回同様、壺坂口に車を回す。大手門跡まで攻め上った後は、猿石まで下る。数々の門跡が連なっていて、このあたりが最強の城に選ばれた理由の1つになるのだろう。山中にこれだけの石垣が残っているのは驚きだ。国見櫓跡にも寄り道をして大和三山を俯瞰する眺望を楽しんだ。天守台が聳える本丸周りは、紅葉が色づいていたが、14年前の2004年11月の高取城の紅葉の美しさには到底及ぶものではなかった。

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チェブ

方向音痴にもほどがある! (2018/11/23 訪問)

連休の初日、東京都町田市の小野路城に行きました。
前回に行った小山田城(鹿児島県のとは違います)の支城です。
小山田城は「お城を探す」に入ってないのに小野路城は認定されてました。

小野路城までもなかなかたどり着けなかったのに、城攻めを開始すると、どこをどう歩いてしまったのか予習していた井戸跡やら鎌倉古道の祠など見つけられませんでした。

でも、見つけてしまったのが「青山学院陸上部 寮」!
町田市で迷っている時にありました。
お正月の箱根駅伝の山越えパワーは、この辺りを走っているからなんですね。
私はこの後、2城、近くに行くもののたどり着けませんでした。
不完全燃焼の初日でした。

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カルビン

押すなよ?!絶対に押すなよ?! (2015/03/22 訪問)

頑張って車で関西遠征してきた最終日、中央道沿いにお城を見ながら帰った際に立ち寄ったのが松尾城。

隣に鈴岡城があるのですが、どうもこの両城の城主、とても仲が悪くて度々戦っていたんだそう。。。

でも、この両城の間にはとんでもない深い渓谷がある為、直線的な戦いは無かったと思われます。

今はその両方をつなぐ細い橋が出来た為、最短で行き来が可能になりました。
・・・決して簡単な道ではありません。。。高所恐怖症の自分にとってはwww


松尾城は鈴岡城と比べると規模も遺構も少な目です・・・が、鈴岡城の方が訪問者多かった為、駐車場の空いている松尾城側に駐車して両城見学するのが効率良さそうです。
自分は橋が怖くて車で移動しようとしましたが・・・とドケチ根性が上回って、2度の罰ゲーム(行きと帰りw)でがんばりました(笑)

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モト

さすが国宝天守!! (2018/11/20 訪問)

待望の天守ありの城址訪問に心踊る攻城のはずでございました。
なんといっても国宝、現存天守にワクワクしながら訪れました。
到着したのが16:35。
ネットの情報では17:00までという記事もあったので、セーフ!!
なんて思ったら、まさかの16:30まででした。
ギリギリ間に合わずです。
仕方なくこの日は遠目から天守を拝んで帰りました。
ま、なんとなくのライトアップが見れたしいいか。
自分を慰めながら退散しました。

国宝天守、遠目からもきれいでございました。
入れなかったこともあり、余計に輝いて見えた国宝天守でした。

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コバトン

奇跡的に残った山城天守 (2018/03/28 訪問)

備中高梁駅から予約した乗合いタクシーで山の中腹まで行き、そこから徒歩で山道を15分。不便な山頂にあるが故に廃城令による破却を免れた奇跡のお城。堅固な石垣に目を奪われる。こんなところに石垣積むのも天守建てるのもさぞ大変だろうなぁ…。

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コバトン

南国土佐の特徴が詰まったお城 (2018/06/10 訪問)

江戸時代に築城された城だが長宗我部残党が不穏な動きを見せる中の統治のため防御性にも優れる。
天守は美しいだけではなく、居住域が残って生活感がある。実際に住んでみたくなるようなお城。
あえて野づら積みを多用したのは降水量が多い土佐の地域性ゆえ。水はけの良い野づら積みが適しているらしい。
色々と特徴を感じられて面白いお城です。

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にのまる

任務完了('◇')ゞ (2018/11/23 訪問)

一度目は勘違い、二度目は城域に踏み込むも日没で途中棄権。
「✔︎行った」ポチしたけど、気持ちは「♡行ってみたい」のまま。
やっぱり、ここを攻略しないことには私の平成は終わらない…。
くろもりさんに背中を押され(押してない?)三度目のチャレンジしてきました。
体力は気力で補えるので、足りないのは時間だけ。
ということで、午前10時に浅間神社から登城開始。(余裕持ちすぎ!)
三度目ともなると山頂までは軽々行けます。約17分で山頂(=スタート地点)に到着。
ここからまずは前回リタイアした地点まで一息に進みます。前回と同じく10分で到着しました。
いよいよ未踏の地へステップイン!
小山を登って下って切岸を越え、もう一つ小山を登って下って、ふと右を見るとそこに城址碑が!
会いたかったんだよ、君に!!
突然現れたので、ゴール手前のあのワクワクドキドキ感は全然なかったけれど。
前回地点から城址碑までは7分でした。
主郭にあたるここは土塁に囲まれ、下界がよく見渡せます。
今川館(現:駿府城)の詰の城だったというのも納得。信玄さんが欲しがったのも納得。家康が「いらない!」と言ってポイしたのも納得。

麓の浅間神社からだと40分見ておくといいと思います。
ハイキングコースなので険しくはないのですが、距離があるので時間がかかるというのと、木の根っこが階段代わりにもなるけれどつまずきやすいという、ありがたいようなありがたくないような箇所が何か所もあります。崖っぷちも歩きます。
尾根伝いにまだ先へと縦走するハイカーさんたちを見送り、元来た道を戻りました。

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