筒井城は松永久秀のライバルで大河ドラマにも度々登場する筒井順慶の居城です。主郭はレンコン畑になっていて案内板や看板が建っています。城域の北端には光専寺が建っていて、その北側の細い道路には外堀の跡が残っています。
主郭の南側にある水路は内堀の名残のようですね。主要部や看板などの写真を撮り、周辺の堀跡も写真に撮ったのですが、データをパソコンにに移している最中にPCの電源が落ち、堀以外の写真が破損してしましました。この状態で破損するとリカバリーソフトも役に立たないようです。筒井城の写真データがクラッシュするのはこれで2度目で、自分は筒井城に呪われているのかな?と考えたりもしますが、面白くないので堀の写真だけでも投稿してしまいます。なんか自分の首を絞めただけのような気がしますが、その他の写真はぴーかるさんの投稿を参考にしてください。(人任せかよ‥)
筒井順慶は郡山城に移り、筒井城は廃城になりました。順慶さんは大和国の所領18万石持で亡くなりますが、養子の定次が跡を継ぎ伊賀上野に20万石で転封されます。定次さんもなかなかの人物だったようなのですが幕府とグルになった家臣・中坊秀祐に貶められ改易になってしまいます(伝承では)。その後、大阪冬の陣で大坂方への内通を疑われ嫡男とともに自害を命じられ、大名としての筒井氏は滅亡してしまいます。酷い話ですが、定次さんが徳川・豊臣のどちらに付くともはっきりしない立ち位置にいたこと、上野城が大阪城を護る立地に築かれていたこと、彼自身が敬虔なキリシタンであったことが改易の理由につながったようです。
徳川家はキリスト教を禁教にする機会を狙っていて、キリシタンに寛容になった豊臣側に付く可能性もあった筒井氏を排除したかったのではないでしょうか。
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