つついじょう

筒井城

奈良県大和郡山市

別名 : 筒井順慶城
旧国名 : 大和

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ぴーかる

筒井城 (2022/05/08 訪問)

【筒井城】
<駐車場他>駐車場はなし。筒井駅前にコインPあり。
<交通手段>近鉄筒井駅から徒歩

<感想>日帰り列車で奈良盆地1周ちょこ城巡りの旅3城目。城跡碑、中心部と推定される蓮根畑→菅田比賣神社→筒井順慶公碑→順慶堤の順に巡った。堀跡と見られる水濠はあるものの周辺は宅地化されて城跡表示がなければ遺構はちょっとわからない。

<満足度>◆◇◇

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あつち十億兵衛

城攻め (2015/10/22 訪問)

ほとんど遺構の無い筒井順慶の城跡

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イオ

興亡常無し (2019/09/15 訪問)

「大和四家」のひとつ筒井氏の居城で、室町中期の築城と考えられますが、応仁の乱前から戦国期の戦乱の中、越智氏や古市氏、畠山義就や松永久秀を相手に落城 → 復帰が繰り返されました。筒井順慶が辰市城の合戦で松永軍を破った後は、破城となった多聞山城の石材で筒井城を改修しようとするも、織田信長の大和一国破城令により居城を大和郡山城に移すことになり、筒井城は廃城となりました。

主郭部は柵に囲まれた空地で、東側に説明板、南西部に城趾碑があります。城趾碑の近くの蓮畑が内堀跡で、菅田比賣神社の東側にかけて内堀が残っています。また、主郭北部にある光専寺の北側には外堀跡も見られます。

その他、筒井城の北東には順慶堤と呼ばれる堤防が、東部(外郭内)の八幡神社には筒井順慶公之碑が、南にひと駅行ったあたりには筒井順慶墓所の五輪塔覆堂があります。洞ヶ峠の日和見などと(史実に反して)揶揄されがちな筒井順慶ですが、地元では慕われているようですね。

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勝野武士

大和争乱の渦中。 (2018/12/16 訪問)

法隆寺などがある斑鳩の里の観光を一通り終えて、時間が余ったので、なんとなくついでに寄ってみました。

筒井城は近鉄筒井駅の東北に位置していて、東西400~500m四方の城館だったようです。
築城時期ははっきりしたことは不明ながら永享元年(1429)には存在していたようです。
天正八年(1580)に廃城となるまでの約150年間にわたり筒井氏の本拠地であり、畠山氏の家督相続に巻き込まれたり(←いわゆる応仁の乱の元凶)大和国内の覇権争いで攻め落とされたり…何と8回も攻め落とされてるようです(第一次~第八次筒井城の戦い。詳しくはWikipediaをご覧下さい…)。
しかしその度に筒井氏の手に戻り、天正年間にはかの筒井順慶によって近世城郭化が試みられたようです。
まぁ結果的に郡山城に移ることになり、改造途中の筒井城は廃城の上で資材も移されたようですが…。

現在、城跡の大半は畑や宅地となっていまして、パッと見何も残ってないんじゃないかなんて思っちゃいますが、実際に歩いてよーくみますと、堀や土塁があった痕跡やら不自然な高低差やらを見ることができます。
近鉄線のすぐ東に平行して南北にのびる吉野街道を歩いて見ても、城跡のあたりとか真っ直ぐじゃないんですよ。わずかにカーブだったり折れ曲がってたりして、見通しをあえて悪く造ってあります。これこそが城下町の名残だそうです(写真取り忘れた…無念!)。
歩いていて痕跡が所々に残っているおかげで規模が体感しやすく、非常にブラタ●リ的な楽しみのある城跡です。
しかし、ほとんどは畑や宅地などの私有地ですので、くれぐれも見学にはご配慮を…。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 筒井順覚
築城年 永享元年(1429)
主な改修者 筒井順慶
主な城主 筒井氏、越智氏、古市氏、松永氏
廃城年 天正8年(1580)
遺構 土塁、横堀(水堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 奈良県大和郡山市筒井町1612
問い合わせ先 大和郡山市役所
問い合わせ先電話番号 0743-53-1151