標高168mの山城です。
登城口には看板があり駐車可能です。
祝日のためか山城としては珍しく3人の
方とすれ違いました。明確な段曲輪に
風格ある石垣と素晴らしいです。
主郭までは看板が整備されてるのですが、
この城郭の凄いのはこの先を少し下って
いく尾根にあり、土盛りのうねりや畝状
竪堀群、圧巻の長大竪堀が見れます。
土の山城好きの方は必見です。
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2025/12/11 18:25
2025/07/26 17:50
「赤い奴」で見るとどうなる? (2016/08/12 訪問)
後瀬山城は大永2年(1522)若狭国守護の武田元光によって後瀬山に築かれました。主郭には石垣が配され愛宕神社が祀られています。案内板によれば主郭から山麓の現・空印寺の居館跡に通じる北側の陵線と、登城道に平行する東側の陵線に大小139ヵ所の郭が設けられているようです。「赤い奴」で見ると凄いことになりそうですね。
これらの陵線の郭の間を繋ぐ道が北東谷間に幾つも見られ「谷の横道」と呼ばれているようです。北側の陵線の先端に幾つもの防御機能を持たせ、丹後国守護一色氏を意識し西の小浜への入口の防御を意識しているようです。
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2024/02/19 17:40
2023/06/14 07:58
中世と近世(山上御殿~北西尾根) (2023/04/09 訪問)
(続き)
主郭から山上御殿に向かうべく南端から下りて行くと、南斜面に大きな竪堀が落ちていました。山上御殿の南麓にも数条の大きな竪堀が見られ、南西尾根に続く尾根道は土橋を設けた堀切(竪堀)で遮断しています。
堀切で引き返して山上御殿へ。山上御殿は南辺を櫓台状の土塁で囲み、発掘調査では礎石建物や瓦、陶磁器などが確認されています。また、樹木で視界は限られるものの小浜湾を見渡すことができ、深みのある海の色が印象的でした(添付の写真はピンボケ気味ですが…)。
山上御殿から北西尾根に下りて行くと、数段の小曲輪を経て西側に巨大な竪堀が落ち、その先には西辺に土塁をめぐらせた曲輪がありました。北下には数段の帯曲輪が見られますが、土塁の下方(西麓)には畝状空堀群があるようなので、少し戻って竪堀を下りてみると……おお!! 杉の落葉にずいぶん覆われてはいますが、十数条に及ぶ畝状空堀群が広がっていました。さらに北麓に向かっては四条の巨大な竪堀が落ち込んでいます。こりゃすげえ…。
…といったところで、主な見どころはひとめぐりしましたが、主郭からはずいぶん下りてきているので、来た道を戻るのが億劫になって、竪堀東側の高低差のある数段の曲輪群を下りて行くことにしました。北西尾根はかつての大手道とされ、下りて行けば居館跡(空印寺)にたどり着けるはず……と思ったんですが、後瀬山と空印寺との間にはJR小浜線が走っており、落石または動物よけとして高さ3mはありそうな壁で隔てられていて、とても越えられそうにありません。横断できそうなポイントも見当たらず、泣く泣く急斜面を登って主郭まで戻り、来た道を下山しました。先日も越智城で似たようなことをやらかしていますが、その3倍ほど大変でした。いい加減学習しろよ…。
ともあれ、尾根部の中世山城の遺構(堀切や竪堀)と、主郭部の近世城郭の遺構(石垣)を共に堪能できる見応えのある城でした。中でも北西尾根の畝状空堀群はなかなかのものですので、時間と体力・気力のある方はこちらにも足をのばしてみて下さい。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 武田元光 |
| 築城年 | 大永2年(1522) |
| 主な城主 | 武田氏 |
| 遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
| 指定文化財 | 国史跡(後瀬山城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 福井県小浜市伏原他 |
| 問い合わせ先 | 小浜市教育委員会文化遺産活用課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0770-53-1111 |