のちせやまじょう

後瀬山城

福井県小浜市

別名 : 武田氏城
旧国名 : 若狭

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小城小次郎

奥に行くほどものすごい (2023/05/13 訪問)

昨春に静岡古城研究会の猛者の皆様とご一緒した見学会で奥まで足を運び、行けば行くほどすさまじい遺構が現れたことに仰天した。主郭周辺の織豊系石垣もすごいが、後瀬山城は奥に行けば行くほどものすごいお城だと思う。

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イオ

中世と近世(山上御殿~北西尾根) (2023/04/09 訪問)

(続き)

主郭から山上御殿に向かうべく南端から下りて行くと、南斜面に大きな竪堀が落ちていました。山上御殿の南麓にも数条の大きな竪堀が見られ、南西尾根に続く尾根道は土橋を設けた堀切(竪堀)で遮断しています。

堀切で引き返して山上御殿へ。山上御殿は南辺を櫓台状の土塁で囲み、発掘調査では礎石建物や瓦、陶磁器などが確認されています。また、樹木で視界は限られるものの小浜湾を見渡すことができ、深みのある海の色が印象的でした(添付の写真はピンボケ気味ですが…)。

山上御殿から北西尾根に下りて行くと、数段の小曲輪を経て西側に巨大な竪堀が落ち、その先には西辺に土塁をめぐらせた曲輪がありました。北下には数段の帯曲輪が見られますが、土塁の下方(西麓)には畝状空堀群があるようなので、少し戻って竪堀を下りてみると……おお!! 杉の落葉にずいぶん覆われてはいますが、十数条に及ぶ畝状空堀群が広がっていました。さらに北麓に向かっては四条の巨大な竪堀が落ち込んでいます。こりゃすげえ…。

…といったところで、主な見どころはひとめぐりしましたが、主郭からはずいぶん下りてきているので、来た道を戻るのが億劫になって、竪堀東側の高低差のある数段の曲輪群を下りて行くことにしました。北西尾根はかつての大手道とされ、下りて行けば居館跡(空印寺)にたどり着けるはず……と思ったんですが、後瀬山と空印寺との間にはJR小浜線が走っており、落石または動物よけとして高さ3mはありそうな壁で隔てられていて、とても越えられそうにありません。横断できそうなポイントも見当たらず、泣く泣く急斜面を登って主郭まで戻り、来た道を下山しました。先日も越智城で似たようなことをやらかしていますが、その3倍ほど大変でした。いい加減学習しろよ…。

ともあれ、尾根部の中世山城の遺構(堀切や竪堀)と、主郭部の近世城郭の遺構(石垣)を共に堪能できる見応えのある城でした。中でも北西尾根の畝状空堀群はなかなかのものですので、時間と体力・気力のある方はこちらにも足をのばしてみて下さい。
 

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イオ

中世と近世(北東尾根~主郭) (2023/04/09 訪問)

戦国前期に若狭国守護の武田元光が居城として築いた城で、織豊期には朝倉氏の支配下となるも、織田信長により朝倉氏が滅亡すると丹羽長秀に与えられ、丹羽長重、浅野長吉、木下勝俊を経て、関ケ原の戦いの功により京極高次が入り小浜城を築いたことにより廃城となりました。

小浜湾を見下ろす後瀬山頂部を中心に、北東、北西にのびる尾根に曲輪群を配した連郭式山城で、北麓に居館を構え、丹後街道と小浜湊を掌握する交通の要衝です。

北東麓の愛宕神社駐車場に車を駐めて登城開始…の前に、神社の草刈り作業をしておられた方としばし雑談。遠方ナンバーの車が駐まっているのをよく見かけるけど、ここって有名なお城なの? と尋ねられたので、城好きには有名だと思います、と答えておきました。「日本の山城100名城」にも選ばれてますしね。

さて、説明板のある登城口から山頂までは愛宕神社の参道が整備されており、10分ほどで北東尾根(東支尾根)の曲輪群に到着。参道沿いに小さな曲輪が連なり、両側には竪堀も見られます。北東尾根のピークにある曲輪から北に分岐する支尾根にも曲輪群があるようなので下りて行くと、土橋のある堀切が尾根を遮断し、西側は竪堀となって落ちています。堀切の下には階段状の曲輪群が続いていますが、支尾根の北端で折り返して主尾根に戻りました。

参道を登って行くと、西側には支尾根よりも大きく切岸も高い曲輪群が階段状に連なっています。ピークの手前に不自然に奥まった空間がありますが、コンクリートの基礎っぽいものも見られ、後世の建物跡でしょうか。北東尾根最高所の曲輪南端には堀切と土橋があり、その先は主郭部です。

主郭の周囲は丹羽期以降に石垣に改修され、北辺や西辺はところどころ崩落してはいるものの、北東隅には初期の算木積みによる石垣が状態良く遺っています。主郭には武田氏城址石碑や説明板のほか、廃城後に常高院(京極高次正室・浅井三姉妹の初)が勧進したとされる愛宕神社が鎮座し、西辺には神社創建時のものと思われる石塁も見られます。

主郭に続いては、南西側の山上御殿と北西尾根の曲輪群に向かいます(続く)。
 

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キンヤ

石垣や畝状竪堀など見応えがある大規模な山城 (2022/04/30 訪問)

若狭守護武田氏の居城です。
越前の朝倉氏の侵攻を受けた事などにより勢力は衰えました。
織田信長が朝倉氏を滅ぼすと、信長家臣の丹羽長秀などが入り再整備されたそうです。

北東の麓の愛宕神社から登って行くと主郭まで曲輪群が連なっています。
主郭周囲は荒々しい石垣が圧巻です。石垣は、織豊期の改修と考えられるそうです。
主郭南東には広い山上御殿があり、その背後南側は竪堀、堀切で防御されています。
北西尾根部に降りて行くと、堀切、4条の長大な竪堀が見応えがありました。西下には浅くなってますが、20条位ある畝状竪堀群で徹底的に防御されていて、西側の丹後一色氏を意識しているようです。
大規模で見所が多く素晴らしい山城でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 武田元光
築城年 大永2年(1522)
主な城主 武田氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 国史跡(後瀬山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 福井県小浜市伏原他
問い合わせ先 小浜市教育委員会文化遺産活用課
問い合わせ先電話番号 0770-53-1111