たはらじょう

田原城

愛知県田原市

別名 : 巴江城、今宮城
旧国名 : 三河

投稿する
崋山神社
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

崋山神社 (2025/09/07 訪問)

田原城の本丸には巴江神社があり、城主三宅氏の遠祖・児島高徳などを祀っています。戸田氏じゃないのが少し残念。
田原城址に隣接する崋山神社には田原藩家老で学者や画家としても高名な渡辺崋山を祀っています。昭和34年の伊勢湾台風で崩壊しましたが後に再建されました。渡辺登(崋山)の父は江戸詰だったため、登は江戸の田原藩藩邸で生まれています。諸々の理由で貧乏暮しに陥り、少年時代は得意の絵を売って家計を助けていたようです。後に田原藩の家老職に就きますが活動は江戸が中心だったため人脈が非常に豊富だったようです。
どうやら、この崋山神社・田原城の出丸跡になるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

1万石の近世城郭 (2025/09/07 訪問)

田原城は文明12年ごろに戸田宗光が渥美半島統一の拠点として築きました。戸田氏飛躍の城で、慶長6年から戸田尊次が1万石で入り、寛文4年には三宅康勝が1万2千石で入り三宅氏の居城として明治まで続いています。
この城も1万石の城ですが、近世城郭としての特徴をしっかり備えています。1万石の豆大名でも城を持てるというのは海防上の理由かな。
田原半島の尾根上には烽火台がずらりと並び、のろしリレーで外国船の襲来を通達できるようになっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

日帰りに予定変更の三河攻城⑧ (2025/04/12 訪問)

高縄城からの転戦です。15年ぶりの再訪になります。巴江神社が本丸、その下の護国神社が三の丸になります。二の丸に建つ田原市博物館のメインコンテンツは渡辺崋山です。前回は城のみでしたので今回は周辺を散策し、渡辺崋山池ノ原幽居跡にまで脚を伸ばすことができました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

T-Shionoya

意外と中世な田原城 (2025/02/22 訪問)

愛知県田原市の田原城。数年前から度々近くを訪れてきた地で、今回はついに城跡へ。

渥美半島付け根の北側、田原湾および汐川西岸の標高約15mの台地の舌状部に築かれた城。
東側は江戸初期まで存在した干潟に守られていたとのこと。

1480年頃に戸田宗光が築城し、渥美半島とその周辺を領有した戸田氏5代の拠点。
1500年代後半は今川(朝比奈)や徳川(本多)、池田(伊木)の配下へと移り変わり、池田時代に近世化が進んだ模様。
関ケ原の翌年からは戸田氏3代、1664年から幕末までは三宅氏12代が城主となります。

現在は桜門と二ノ丸櫓が復元され、本丸・二ノ丸・三ノ丸・出曲輪に神社や博物館などが建つ城跡。
藤田曲輪は宅地化のため1990年代前半に削られました。

訪問時は、惣門跡から入口も出口もクランク形状の大手通りで城郭主要部へ。
桜門や石垣を擁した水堀から近世城郭をイメージしていたが、本丸手前に深い土の空堀が構えられ、よく見ると本丸西側に長い土塁が残存。出曲輪の西にも巨大な土塁が残り、意外と中世的な印象。

二ノ丸櫓1階が無料の小さな田原城博物館となっていた、私の城郭巡りの198城目でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
築城主 戸田宗光
築城年 文明12年(1480)頃
主な改修者 池田輝政
主な城主 戸田氏、伊木氏、三宅氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀・水堀)、井戸
再建造物 模擬櫓、模擬門、石碑、説明板
住所 愛知県田原市田原町巴江
問い合わせ先 田原市博物館
問い合わせ先電話番号 0531-22-1720