鎌倉時代に承久の乱の功により和知荘地頭職を賜った片山平九郎右馬允が新補地頭として武蔵国片山郷より移り、その後、築城したと思われる。天正年間(1573~92年)頃、片山氏に代わり出野氏が居城したと言われる。
出野八幡宮の一の鳥居<35.270290,135.361942>が登城口、二の鳥居まで約200mは(滑り止め付)舗装路、クルマでも上がれるが車幅しかない急坂路、路駐+徒歩を勧めます。二の鳥居から本殿まで3平段、最上段の背後に腰郭・竪堀らしい遺構を確認するが、藪しか写らない。
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