さぬまじょう

佐沼城

宮城県登米市

別名 : 佐沼要害、鹿ヶ城、鹿城
旧国名 : 陸奥

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本丸北側の堀
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ぎりょう

仙台藩二十一要害を訪ねて(その五)佐沼要害 (2021/11/23 訪問)

登米市佐沼の市街北方、迫川右岸に位置する。奥羽仕置き後の天正十九年(1591)に発生した葛西・大崎一揆の最終戦の地としてその名を残す佐沼城だが、仙台藩領となって伊達氏の重臣、津田(湯ノ目)氏、亘理氏(御一家、5000石)が配され、佐沼要害となる。
旧二の丸に建つ登米市歴史博物館には藩政時代に描かれた要害絵図が展示されており、中世以来の城郭を改修した堅固な有様が良く理解できる。
縄張は迫川・荒川の合流地点を背にして本丸、その前面に二の丸、三の丸を置きそれぞれ外側を堀で囲んでいる。二の丸中門の南にあった馬出や本丸裏門は桝形虎口となっており近世初頭の改修か。
東北自動車道築館ICより29分(29km)、三陸自動車道登米ICより9分(7km)
登米市歴史博物館前に駐車場あり。

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昌官忠

東北遠征 (2020/07/02 訪問)

歴史博物館駐車場(38.693854、141.195631)に駐車し攻城。主郭の周りに水堀がありますがコンクリートに固められています。あと見る所は土塁、井戸跡といった所です。攻城時間は20分位でした。

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

弥勒寺館から、国道346号で南西に進んで行き、泊川を渡ったすぐ脇に鹿ヶ城公園があり、佐沼城址となります。

城址公園として整備されており、主郭と水濠や土塁が残っています。

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カズサン

政宗が陰で操ったと噂の大崎・葛西一揆拠点の城 (2016/04/11 訪問)

 平成28年4月中旬桜に浮かぶ涌谷城を終えて北方向約20km程の登米市佐沼城を初登城。

 車は佐沼城の南側に在る公園駐車場を利用。 南側の登城階段から本丸へ、本丸周囲に土塁、東に櫓台現在は神社が鎮座、東は迫川が外濠の役目か?河岸段丘の丘城、東緩い崖、西虎口が本来の大手現在は神社の階段参道、本丸周囲に内濠、余湖図コレクションさんの俯瞰図では本丸を二の丸が囲み中濠、大沼が囲み、更に四の丸三の丸が囲む梯郭式城郭、現在は本丸のみ遺構残ってます。
 西に明治期を迎えた亘理氏邸と博物館が在る。

 小田原合戦に参陣しなかった大崎氏葛西氏が合戦後秀吉の奥州仕置きで改易、新しく秀吉家臣木村氏が新領主として太閤検地を行うが大崎氏葛西氏の旧家臣の一揆で拠点の寺池城を追われて佐沼城に逃げ込むが捕られられ、伊達政宗、蒲生氏郷に救出され、木村氏は改易、大崎葛西一揆を操ったのではと秀吉の嫌疑が掛り秀吉に釈明上京、政宗書状の伊達の家紋の雀に目が在る無いとかで大河ドラマの一コマに成ってましたが、旧領は一揆後政宗に与えられ政宗重臣の津田氏が城主、江戸期は佐沼要害とし継承するも故あって江戸中期改易、後亘理氏が佐沼に移り明治を迎える。

 桜も咲いており月曜日でしたが何人か城址公園に来て居ら得ました、薄曇りでしたがここも桜で装われて居りました。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 照井高直
築城年 文治年間(1185〜1190)
主な城主 照井氏、佐沼氏、石川氏、津田氏、亘理氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡(佐沼城跡(本丸跡))
再建造物 石碑
住所 宮城県登米市迫町佐沼内町(鹿ヶ城公園)
問い合わせ先 登米市教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0220-34-2698