(前回からの続き)
大桑城登城の後は、城下と周辺の史跡めぐりを。
さすがに守護所だけあって、城下には惣構の跡とされる四国堀や、土岐氏の菩提寺の南泉寺、土岐氏の氏神を祀った十五社神社など、往時の繁栄ぶりをうかがわせる史跡が数多く残っています。また、四国堀から東に徒歩2分行くと、斎藤道三との戦いでの戦死者を弔ったと伝わる六万墓があります。南泉寺には土岐頼芸が描いたとされる鷹画が所蔵されており、十五社神社には朝倉氏との深い関係を示す笏谷石の狛犬が伝わっていますが、いずれも現物を見ることはできませんでした。
また、大桑城とは無関係ながら、大桑城東部の中洞地区には明智光秀の生誕地とする伝承があり、土岐元頼と地元豪族の娘の間に生まれ、やがて明智光綱の養子になったとのことで、白山神社には産湯の井戸が、近くの武儀川には光秀を身ごもった母が「たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったと伝わる行徳岩があります。光秀の母が住んでいたとされる庵の庭にも行こうとしましたが、道がわからない(藪に沈んでいる?)ために諦めました。
さらに、中洞地区には「実は光秀は生きていた」との伝承もあり、山崎の戦いで討たれたのは影武者で、光秀本人は故郷の中洞に落ち延びて暮らした後、徳川家康の求めに応じて関ケ原の戦いに向かう途中、増水した川に流されて亡くなったんだとか。白山神社近くの林の中には光秀の墓とされる桔梗塚があります。
光秀生誕地を訪れるのはこの地で4か所目。「たとえ三日でも…」はありがちな伝承だと思いますし、「実は生きていた」もよくある話ですが、「川に流されて…」は斬新というか、あまりに締まらなさすぎて、かえって信憑性が感じられますね!?
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