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todo94

標柱のみ (2019/06/29 訪問)

神明宮の入口に標柱のみが建っていました。乳井建清がこの城を落として城主になると、大浦為信に臣従したとのことです。勿論南部勢に攻められますが、個人的には南部より津軽の方が好きです。

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イオ

渡辺氏というと… (2019/06/24 訪問)

伯太藩主・渡辺氏は、徳川家康に仕えて「槍半蔵」と称され、徳川十六神将にも数えられる渡辺守綱の子孫(分家)であり、さらに遡ると、大江山の酒呑童子退治や茨木童子の腕を切り落としたことで知られる頼光四天王筆頭・渡辺綱の後裔にあたるんだとか。

現在では宅地化により遺構は失われ、陣屋の所在地もはっきりしないようですが、住宅地の中に石碑があるほか、小谷城郷土館(堺市南区豊田)に長屋門が移築されています。また、真鍋城跡にある南溟寺が渡辺氏の菩提寺となっており、境内の南東部に墓所がある…はずです(未確認)。

遺構はなく、駐車場もなく、駅からも近くない(約1km)ため、わざわざ訪れるほどではありませんが、小谷城や真鍋城とは関連があるので、どちらか(あるいは両方)のついで程度でどうぞ。
 

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moon

途中の道中ずっと不安 (2019/07/02 訪問)

途中の車を停められるスペースに車を停めて登城したのですが、そこに着くまでも、こんな場所にあるの?と不安。駐車スペースに着いても本当に大丈夫?と不安、看板見ても本当に?と不安、登り始めても獣道にやっぱり不安、ずっと不安でした。本丸に着くまでとても辛い登りが続き、安土城も登城が辛かったですが、高取城!最強の山城!やはり最強でした。ドンドン登り本丸に着き、手付かずのその素晴らしさに本当に感激しました。その日は雨上がり、平日、雨が今にも降りそうと、城跡には主人と二人きり。素敵な時間を過ごさせていただきました。登りから下山まで一時間半ほどお手洗いは駐車スペースの側に有りましたが…女性には…。舗装道路の方ではなく獣道を選んだので、これからの時期は虫除けスプレーや薄手の長袖が良いかと。石垣をバックに自撮りをして観光案内所に見せに行くと、カードをプレゼントしていただけますょ。

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にのまる

後三年合戦決戦場 (2019/06/27 訪問)

金沢八幡宮のある金沢公園あたりが金沢柵だったという伝承があり、陣館遺跡から建物跡や短刀、鉄鍋などが見つかっているものの、場所の特定には至っていないのだそうです。

金沢資料館の展示がわかりやすく、係の方のお話も親切丁寧で、とても楽しく心地よい時間が過ごせました。

金沢公園にも行ってみました。見晴らしのいい公園です。今年も行われている周辺の発掘調査で新たな発見があるとよいなと思いました。

資料館で販売されていたかわらけ(¥650)と「漫画 後三年合戦物語」(¥1,000)に飛びついてしまいました。
かわらけは手づくりでひとつひとつ厚みや大きさが違うので、どれにしようかなと悩んでいたら「気に入ったのを選んで。」と倉庫から在庫をたくさん出してきてくださって…。ほんとに何から何まで親切にしてくださり感謝ですm(__)m
そして、真衡、清衡、家衡と入口で躓いてしまいそうな清原氏も漫画があれば心強い(^^)

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カズサン

直虎ブームが去って (2019/07/03 訪問)

 大河ドラマ「女城主直虎」から2年経った梅雨の薄雲晴れ間に井伊谷城麓にある浜松市地域遺跡センターの企画展を見学に寄り大河ドラマ前に登城以来の登城。
 登城は登り10分から15分、下り10分弱、大河ドラマ以降登城路の版築化、両サイドに手摺据え付け、本丸展望デッキ、途中2か所の休憩ベンチ、と至れり尽くせり大河ドラマ様様です。
 山頂に本丸と本丸上段御殿の丸の単郭、南東面に浜松ビル群、麓井伊谷宮、龍潭寺、三方ヶ原古戦場、浜名湖を望め、裏手側に詰め城三岳城を望めます。
 駐車場は登城口近くの引佐多目的研修センター、チョット離れた引佐協同センター、地域遺跡センターの前に十分な駐車場があります、井伊谷城、周辺散策情報は地域遺跡センターで充分なる情報が得られます。
 引佐名物甘さ控えめのみそ饅頭が麓みそ饅頭道路に「紅屋」「すぎ屋」がお勧めです。

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ぴーかる

春日山城 (2019/04/30 訪問)

【百名城47城目】
<駐車場他>大手口/春日山神社下に無料あり
<交通手段>車

<見所>城跡全体

<感想>2泊3日上・越攻城の旅5城目。2日目、雨の高崎城から曇りの上越春日山城へ。予定を入れ替えたので昼ごろ到着してまず埋蔵文化センターへ→大手口→登山口の謙信像→春日山神社の上から登るルートで主要な曲輪や大堀切を登りつつ見て、直江屋敷跡→毘沙門堂→護摩堂跡→本丸・天守跡へ。→井戸曲輪→景勝屋敷跡→柿崎屋敷跡→南三の丸(この間には屋敷跡の曲輪が沢山ある)→戻って二の丸→三の丸跡には土塁もしっかり残っている。→景虎屋敷跡→甘粕屋敷跡を見て終る。ほぼ全山が曲輪になっていて、名称の無い所も見て行くと1日では足りない。護摩堂跡ではこの場所でかつて謙信が籠って戦勝祈願をしていたかと思うとジンときた。城後スタンプ押印の為監物掘・東砦を見て→林泉寺にも行った。林泉寺は別途投稿させていただきます。見応えありすぎて滞在約5時間、あとの予定の2城に行けず…。

<満足度>★★★★★

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todo94

紫陽花の名所 (2019/06/29 訪問)

入口の城址碑は「大渕ヶ鼻城跡」、上の郭の城址碑は「大佛鼻城址之碑」となっています。大仏公園として整備されていてたくさんの紫陽花が植えられていました。堀越城の大浦為信によって攻められてしまう城です。

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チェブ

二代目は辛いよ。 (2019/05/25 訪問)

埼玉県久喜市の「足利政氏館」に行きました。
まさしく足利 政氏さんの隠居した館です。
政氏さん、扇谷上杉家の家臣 太田 道灌さんが亡くなり関東の立て直しを奮闘するものの、裏目に出ます。
嫡男の高基さんと対立し和解しても山内上杉家の後継者問題で揉めます。
次男の義明さんとも対立し、小弓御所で独立されてしまいました。
お父さん、頑張って!
隠居して和解したそうですけどね。
ちょっと大変な時期に古河公方になってしまったようです。
甘棠院というお寺さんが「足利政氏館」でした。
山門脇に石碑と説明板があります。
駐車場はなさそうです。車を停められる所が見つからなかったので重厚な門の写真を写し退陣しました。
中には遺構や政氏さんのお墓もあるようです。

足利 政氏さん、和解できて良かったですね!

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イオ

真鍋海賊の漢 (2019/06/24 訪問)

真鍋城(大津城)の城館は鎌倉初期からあったようですが、備中国・真鍋島出身とされる真鍋氏が、和泉国・淡輪を経て南北朝期に真鍋城に入り、その後、天正年間に廃城になるまで城主を務めています。廃城になった後、跡地には長泉寺が建立され、南溟寺に改称されて現在に至ります。

遺構は何もなく、南溟寺の本堂の前に小さな城址碑があるだけですが、真宗系の寺院らしく隅櫓風の立派な太鼓楼が建っていて、ちょっとだけお城気分を味わえます。また、南溟寺は伯太藩主・渡辺氏の菩提寺になっており、境内の南東部に墓所がある……はずなんですが、入り口を見つけられず未確認です。
アクセスは、南海本線・泉大津駅から徒歩約7分、車なら南溟寺の南側に参拝者用駐車場があります。

ところで、天正4年(1576年)に真鍋七五三兵衛(貞友)は、綾井城の沼間氏らと共に水軍を率いて織田信長に従い、第一次木津川口の戦いで村上水軍を含む毛利方と戦って敗死していますが、その辺の話は「村上海賊の娘」に描かれているようですし、真鍋七五三兵衛はもう一人の主人公とも言われるほどの活躍ぶりらしいので、買ったまま積ん読状態でしたが、近いうちに読んでみたいと思っています。
 

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ゲイジサン

修学旅行 (2019/07/01 訪問)

よかった。曇りだったけど。
御殿の中はすごい。写真撮れなかったけど。

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街道おじさん

大阪城登城 (2019/02/26 訪問)

今の城は太閤時代の城を復元したもので、太閤びいきの浪速っ子の心意気であろう。
蛸石の大きさにびっくり。

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カルビン

真田らしさ希薄なお城 (2014/07/16 訪問)

真田郷の攻略と言う事で当時気を引き締めて訪問しました。
真田のお城と言えば険しい山城のイメージしか無かったので。。。

名前が本城と言う事で最初に訪問したのが真田本城だったのですが、いざ訪問してみると車で山上まで行ける(舗装道路の終点がお城入口)事、更にそこからほぼ登りが無い事から拍子抜けしました∑(゚Д゚)

本丸の標柱の立つ一番高い場所から数本の尾根沿いに段曲輪やなだらかな曲輪が配置されるくらいで、土の遺構がほとんど見られない、お城としての堅固さも真田のお城としては緩く見受けられました。

攻防の拠点というより居住区ってイメージが強かったです。
今は道が続いているからそう見えるだけであって、かつてはここまでの道が険しかったのかもしれませんが・・・

ただ大きな木が少ない事から遠望が利く為、景色は良かったです。
(といってもそこまで高所では無いので、遠望までは・・・)

真田郷にある凶悪な松尾古城やまま厳しい砥石城と比べると攻略に拍子抜けするお城ですが、登城に疲れた後にここを訪問するっていうのもアリかも。。。


ちなみに自分が訪問した時はまだ真田丸放送の企画も出ていない時期だったので、今はいろいろ改変されているかもしれませんのでご注意を。

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帯状石積みの極致 (2018/04/21 訪問)

松本市の東、薄川を挟んで守護大名小笠原氏関連の城砦がいくつかあります。林城、桐原城、山家城、水番城などがそれですが、この中で桐原城は、その規模と造り込み(土木量)において一級品と言える威容を誇る名城です。桐原城は、15世紀中頃に信濃国守護小笠原氏に従属していた桐原真智が築いたとされる山城です。武田信玄の信濃侵攻に際し、塩尻峠の合戦で破れた小笠原長時は敗走、林城、桐原城、山家城が相次いで自落しました。守護小笠原氏の威厳も武田家という強大な敵の前に消滅してしまいました。

守護家(小笠原氏)の本城、林城の大城と小城に匹敵、いやもしかしたらそれ以上の縄張りで鎧われている桐原城。その一番の特徴が幾重にも張り巡らされた曲輪と石積みの量です。帯状に曲輪を取り囲むように低めに積まれた石積みが、主郭方面に向かって幾重にも取り巻く姿は圧巻です。深い竪堀や土塁など、中世山城の醍醐味を味わえる桐原城。是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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たくわん

どれ石垣? (2019/07/02 訪問)

川越越えて武蔵嵐山駅からバス田黒下車。案内板ないから聞き込み調査。ちょっとバックして信号左。あとは道なりに15分くらい歩くと看板ありました。舗装道路を上がっていくと小倉城址入口の看板ありました。つづら折りの道を進むと曲輪が出てきた。しっかりした山城です。遺構もちゃんと残ってます。大堀切ありました。桝形虎口とか。石垣が有名らしい。石垣のようなものありましたけど、んー微妙だね。充分たのしめました。

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ぴーかる

高崎城 (2019/04/30 訪問)

【高崎城】
<駐車場他>無料Pは見当たりませんでした。コインPは多々あり。
<交通手段>車

<見所>現存乾櫓・現存東門・堀

<感想>GW2泊3日上・越攻城の旅4城目。高崎に前泊し2日目の予定は高崎城・箕輪城・沼田城・名胡桃城と北上し長岡市に宿泊予定だったが朝起きると、曇りの予報に反してどしゃぶりの雨☂(>_<)・・・2~3分フリーズ後に雨の降っていない地域を探すと新潟県の上越地方は曇りだったので、急遽2日目と3日目の予定を入れ替えて行動することにした。高崎城は宿泊したホテルから近かったのでまず予定通りに行ってみた。
 現存の乾櫓は農家に払い下げられ納屋として使われたてたものを再移築して現在は城跡東側の南北に走るお堀端通りという通りの中ほどにある。横には移築の東門がある。それらの北側の石碑の横に埋門と櫓台らしき石垣があるが、現存・積み直し・イミテーションかの判別はできなかった。
 雨だったので、城跡の東側しか巡らず次の春日山城に向かった。

<満足度>◆◆◆

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チェブ

マグロ三昧。 (2019/06/29 訪問)

神奈川県の三浦半島にある「三崎城」に行きました。
三崎と言えばマグロです。
お店の予約時間より早く着いたので「三崎城」に行きました。すいません。
相模の三浦氏の本拠地です。
北条 早雲さん、新井城の戦いで「三崎城」と「新井城」を落とします。この時の城主 三浦 道寸さん、義意さん親子は討死。一族の血で海が油を流したように黒くなった事から油壺という地名になったそうです。
ちなみに油壺近くの「新井城」は「三崎城」から少し離れてます。
北条氏の時代になると「三崎城」は水軍の拠点として改修したそうです。
調べてみると「新井城」が旧城。「三崎城」が新城とのことでした。
「三崎城」は三浦市役所一帯が城跡のようです。
石碑があった所は少し高くなっているので土塁かもしれません。
高い所にあり、坂を下ると海で良いお城だったのだと思います。
三浦一族のことを思うと無念です。

でも、、、マグロは美味しかったです。

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いんげん丸虫

林外城 茨城県鹿嶋市 (2018/01/02 訪問)

林城は外城と中城と2つの城跡が向かい合ってます。この林外城は近年、整備されたようで遺構が見やすくなりました。3つの広い曲輪が土塁に囲まれ、大きな堀切で区切られてます。土の城が好きな方にはお勧めします。

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イオ

城蹟山専稱寺 (2019/06/24 訪問)

南北朝期には存在していたようですが、戦国末期には「村上海賊の娘」にも登場する沼間氏の居城でした。文禄2年(1593年)に助松(泉大津市)から移転してきた専稱寺の境内地となり、現在に至っています。

専稱寺は山号を「城蹟山」といい、城跡であることはその名からも明らかですが、境内の方形の区画は平地城館としての形状がほぼそのままに残されており、境内の東南側には堀が見られ、山門付近には標柱と説明柱(?)が設けられています。また、軒丸瓦の「城跡」紋は山号だとわかっていても、ついニヤリとさせられてしまいます。

南海本線・高石駅から徒歩約7分、車なら専稱寺の北東側または南側に参拝者用駐車場があります。
 

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todo94

11年ぶりの再訪 (2019/06/29 訪問)

第3回お城EXPOでリーフレットを頂き、再訪を決意した次第です。土塁が復元されていて見違えるほどの変貌を遂げていましたが、本丸周りの円い堀は昔の佇まいを残していました。津軽為信が此処から津軽統一に進んでいく歴史の地ですので、国史跡にも指定されています。続日本100名城の浪岡城に全く引けをとらない存在感を放っています。

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朝田 辰兵衛

2019/06/29 21:07 甘粕近江守景持さんのご指摘により… (2019/04/20 訪問)

あらためて調べたところ,2019/04/21 01:14の書き込みが誤っていたことを確認しました。
甘粕近江守系統と甘粕備後守系統があり,双方を勘違いしていたところがありました。

パパイヤ鈴木氏が「天地人」で演じていた甘粕備後守景継は五泉城主で,上杉謙信死後に景勝の命で護摩堂城主を兼任(新発田重家討伐に備えて…)。文禄2年(1593年)に庄内酒田城主。慶長3年(1598年)に景勝の会津移封に従い,白石城代2万石。墓は山形県米沢市の林泉寺にあります。

桝形城主の甘粕近江守長重(景持)は第4回川中島合戦の殿(しんがり)ぶりが見事で,謙信と間違えた者が多かったという伝説があります。武田側も『甲陽軍鑑』で称賛。「甘数近江守,近国他国にほめざるはなし,謙信秘蔵の侍大将の,甘数近江守はかしら也」と。天正10年(1582年)に景勝の命で三条城主。新発田重家征伐には,景勝軍の鉄砲大将として敵将を討ち取っています。景勝の会津移封,米沢移封に従い,墓は山形県米沢市の永松寺にあります。

調べ方が甘カスで,申しわけございませんでした。

甘粕近江守景持さん,ご指摘ありがとうございました。

標高:299m,比高:230m。桝形山自然公園を目指してください。三の丸が駐車場,帯曲輪がキャンプ場。ちょっと悲しい気もしますが…。

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