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はと

秋晴れの上田城 (2019/11/15 訪問)

たまたま新幹線待ち時間が発生したのでダッシュで上田城に行ってきました。

まず、一番見たかったのは尼ヶ淵のところの石垣です。守りの堅い断崖の上の城ということを実感できました。
何より、城を守る側面と河川侵食による崩壊の可能性を持つ段丘に、崖が崩壊しないように築かれた石垣を見ることができます。

そして、ここから見える西櫓がいい眺めです。

また、真田石として有名な鏡石も見ることができます。

駅から歩いて片道15分くらいなので、次の新幹線まで時間がある…というときにすぐ行けます(時間があるならゆっくり巡るべきてす…!)

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カズサン

畝掘障子堀惑々河村城 (2017/06/04 訪問)

 一昨年6月上旬以前より気に為ってた相模河村城、県境の足柄城を探訪と新東名、東名で大井松田ICを降り国道246号線を西にJR山北駅南口辺りから南側山に向かい盛翁寺脇を南山てに行く突き当りが駐車場(5,6台可)、トイレ、案内板有り登城口です。
 登る事5~10分で茶臼郭へ草刈り本城郭手前の独立郭との間に堀切堀底は障子堀、草が刈ら明確に見えます、又本城郭と独立郭の堀も堀底は障子堀も草が刈られハッキリと見え両者合わせて惑々ドキドキ、山中城以来です、本城曲輪、南に馬出郭、本城郭東に堀に木橋、鞍郭、東に堀は障子堀、東に近藤郭、大場郭、大場郭張出と続くその先に駐車場が有り車で利便に登城する事が出来るようです、ここは河村城址歴史公園でも在るのですから。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
 南北朝の頃に河村氏の築城で南朝方の河村氏は新田氏と路上対峙し河村一族討死、新田氏は越後の国へ、時代は下って戦国期末対豊臣との防御ラインの一部として北条流に改修され畝掘り障子掘りが多用されたのか?
 大変見ごたえのある城郭です。
 

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ヒロケン

加賀市指定史跡 (2019/10/19 訪問)

大聖寺城は標高63m程度の低山ながら急峻な斜面であり、通称錦城山に築城されました。この地は古代より水陸交通の要衝であり、越前と加賀の国境に近く重要な軍事拠点であったため、南北朝時代から織豊時代までに度々合戦の舞台となりました。

大聖寺城登城口に10台程駐車できる無料駐車場があり、登城口横に大聖寺城縄張り図が記載されたパンフレットが置かれています。
結構な降雨で傘をさしての攻城となりましたが、遊歩道が整備されており、遊歩道を歩くには無理のない攻城でした。
ただ、鏡ヶ丸跡には児童が遊ぶ遊具がありましたが、ここで遊ばせるには躊躇うほどの下草が生えており、また、樹木などで薄暗く(この日は14時位でも薄暗いほどの天候でした)児童を遊ばせるには場違いなような感じがしました。

大聖寺城跡は10か所を超える曲輪がしっかりと残っており技巧的な土塁、曲輪跡が遊歩道に沿って堪能できる城跡です。ただ、本丸櫓台跡に石垣の記載がパンフにあったので探したのですが見当たりませんでした。

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チェブ

にらんでも見えません。 (2019/11/03 訪問)

JR赤羽駅西口から徒歩5分位の場所にある「稲付城」。
駅近で周りには民家やマンションが建っていますが、雰囲気のある小高い場所に「稲付城」はあります。

太田 道灌さんが江戸城と岩槻城の中継地点として築きました。

静勝寺を目指します。
亡くなった道灌さんを、弔う為のお堂を建立し道灌寺としたのが始まりのようです。
静勝寺に続く階段横に立派な「稲付城」の石碑があります。階段を上がると説明板、木造の道灌さんが安置されている道灌堂がありました。
ガラス張りになっているので中の道灌さんが見えるんじゃないかと、目を凝らしてみても見えません。
毎月26日に開扉するので、その時にまた。

高い場所にあり、周りは掘跡ではないか?という情報がありました。細い道路なので、掘にも見えるような、、、見えて欲しいような、、、。
駅近で住宅街。みなさん掘を通り「稲付城」を中抜けしていました。
地域に溶け込んだ「稲付城」でした。

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江尻のJ

2階建て新幹線で見に行ってきました。 (2019/10/29 訪問)

もうすぐ走らなくなると噂の新幹線を利用していって来ました。お城のほとんどは自衛隊の基地になていました。

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todo94

微妙な攻城 (2020/11/02 訪問)

ウィキペディアによると興国寺の北東に位置する水田内、桃井氏被官の子孫という小柴氏の墓所のあたりが布市城とのこと。そこには脚を伸ばしていません。城びとの地図の位置近くには、常福寺があり、そのあたりの写真しか撮ってきませんでした。土塁遺構が残っているのだとしたらここしかないような気もしますが、攻城数にカウントして良いものかどうか悩むところです。

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YAICHI

眺望最高 (2018/01/21 訪問)

高城とともに阿坂城の出城として国史跡に指定されている枳城は、眼下に松阪市街、後方に本城阿坂城を望む景観良好な山城です。堀切を2基備えています。

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YAICHI

阿坂城と共に国史跡指定されています。 (2018/12/06 訪問)

北畠家臣の城で、広い主郭に高い土塁や桝形虎口が遺っています。阿坂城の出城の一つで、枳城と共に国史跡に指定されています。

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くろもり

西北隅櫓と「麝香猫図」「槙楓椿図」特別公開中 (2019/11/09 訪問)

11月2日~11月17日まで重要文化財の西北隅櫓が特別公開されています。
11月1日~11月18日まで重要文化財名古屋城旧本丸御殿障壁画「麝香猫図」「槙楓椿図」が特別展示中です。
忙しく投稿が公開最後の週末前になって申し訳ないです・・・

西北隅櫓の最終入場は16時となっていますが、週末等は混むので時間に余裕をもっていかれることをお勧めします。私は土曜日の15時30分に並びましたが、私より後ろ10人くらいからは時間切れで人数制限のある西北隅櫓の3階には入れないかもしれないと係員の方に声をかけられていました。以前は西北隅櫓から大天守が見えて、夕暮れ時は西日を浴びて輝く金鯱を見ることができたのですが、去年のGWが終わってからは大天守が見える窓は閉じられてしまっているそうです。大天守が建て直されたらまた見られるようになるかな・・・

旧本丸御殿障壁画「麝香猫図」「槙楓椿図」の特別展示は、表書院二之間・三之間の中に入ることができる(確か通常では中に入れなかったと記憶してます違ったらすんません)ので、重要文化財の古い絵に加えて、新しく修復された「麝香猫図」を間近で見ることができました。

後、G20愛知・名古屋外務大臣会合開催に伴い、2019年11月21日(木)から24日(日)にかけて、名古屋市内を中心とした大規模な交通規制が予定されています。名古屋城周辺も多少影響がありそうで、特に名古屋城から南の熱田神宮等へは、大きく迂回する必要があるようなので、期間中に車で訪問される方はご注意ください。

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カズサン

秀衡、義経の思いを偲んで (2017/05/26 訪問)

 一昨年の5月下旬岩手県の未踏の城廻り鳥海柵を終わって平泉の柳之御所遺跡を初探訪、資料館の駐車場に車を停めて資料館見学、史跡を探訪する。
 藤原秀衡、源義経が800年も前にここに居たんだと思うとワクワクしてきます、遺跡標柱表示と、堀、土塁、草は茂ってますが充分堪能できます、まだまだ発掘調査中なので今後の調査復元整備が楽しみです。

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しーげ

侮ることなかれ (2016/10/20 訪問)

久松山は急坂の連続でした。靴もちゃんとしたものを履いていったほうが良いと思います。

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しーげ

出丸 (2016/10/15 訪問)

出丸もあるので、そちらにも登城してください。

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しーげ

本丸を超えて (2017/01/02 訪問)

本丸を超えたところで、遠くに直立した黒い獣を見ました。熊かもしれません。要注意です。

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カズサン

安倍氏の古代城柵 (2017/05/26 訪問)

 一昨年の5月下旬岩手県未踏の城廻り金ヶ崎町の金ヶ崎要害から直線で約1.3kmの古代城郭鳥海柵に初登城、車はの鳥海柵施設北側の駐車エリアに停める。
 丁度保存会の方が居て鳥海柵内を案内説明頂いた大変感謝致しますありがとうございました。
 鳥海柵は安倍宗任の城柵で前九年の役で源頼義、義家と安倍氏との戦いの中で安倍貞任、源義家攻防中の歌合せが小学生の時叔父から兄に伝えられた日本の歴史絵本の場面が今でも脳裏に残っており、城柵を廻ってる折にはワクワクする思いでした、まだまだ発掘調査中ですが復元整備され歴史館など出来れば大変うれしい事です。

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カズサン

坂上田村麻呂築城伝承の城 (2017/05/26 訪問)

 一昨年の5月下旬岩手県未踏の城廻り遠野市の鍋倉城を終えて釜石道を途中まで使い江刺田瀬ICを降り地道を金ヶ崎町の金ヶ崎城へ途中に岩谷堂城、藤原の郷の横を通り北上川を渡り釜ヶ崎城初登城、車はまちなみ交流館に停めて担当の方に道を聞き裏側から金ヶ崎城域へ進行、城域の東は北上川、伊達家仙台藩では要害制をしき金ヶ崎要害と呼ばれてた。
 城下は重要伝統的建造物群保存地区とされ武家屋敷、庭園、街路樹など大切に保存管理されてる、金ヶ崎要害歴史館で楽しく学習出来ます。

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小城小次郎

横須賀城

茶畑時代を知っている人間には丸石垣の今の姿は違和感を禁じ得ないが発掘調査に基づく忠実な再現だとの解説に首を傾げつつも納得。水堀と池なら昔からあったけれども。

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ひろべえ

布積み石垣がとても美しい (2019/11/03 訪問)

紀州藩付家老水野氏3万石の城。丹鶴公園入口駐車場からすぐ攻城できます。天守台や本丸、鐘ノ丸、松ノ丸、大手門の順に散策。本丸からの眺望がいいですね。大手にはライトアップ用に和傘が置かれており、夜は綺麗だろうな想像。大手を出て水ノ手は通行禁止になっていましたので、城外へ。熊野川沿いの石垣と水ノ手を散策。ここから木炭が江戸へ積み出されていたそうです。川沿いの石垣がみたくて降りていると見事に尻餅。なかなか立派な石垣でした。大変な点は、新宮へのアクセス。自動車で以前、那智勝浦を訪れたときは、海岸に沿って移動しましたが、結構な道程でしたので、今回は奈良方面から紀伊山地を縦断。ここも一般道130kmを越える大変な道程。新宮という城下町、恐るべしです。

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カズサン

民話の里遠野南部氏の城 (2017/05/26 訪問)

 一昨年の5月下旬岩手県未踏の城廻り花巻市の土沢城を終えて最近開通した釜石道を使い遠野へ、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんに依り車は鍋倉城三の丸駐車場へ停める。
 三の丸、三の丸櫓風展望台、展望台からの城下遠野の眺望は素晴らしいのですが雨も降りそうな曇り空が恨めしい、本丸、二の丸南部氏墓所、本丸は草深く探訪しずらく眺めるのみ。
 麓の図書館に依り鍋倉城の資料を求めるもの適当な物無し、市内散策し北約3kmの横田城を探訪、草深く周辺と城名標柱、等遠望。

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カズサン

【陸奥・土沢城】岩手県花巻市 土沢城址公園 (2017/05/26 訪問)

 一昨年の5月下旬岩手県城廻り盛岡市の古代城柵志波城を終えて北上で宿泊し翌日花巻市の土沢城を初登城、南部氏国境の城として築城した。
 車は城址公園西側に在る萬鉄五郎記念美術館西側の駐車場に停めて西登城路より西館下大堀切、大手橋、桜丸、西館中館下の登城坂を本館の登る、大手門虎口、御本館、中館、西館を廻る。
 草が茂り人踏路での探訪、杉の木も伐採さて景観良好、草を刈れば曲輪も見やすくなるでしょう、こじんまりした土の城です。
 情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんに依る。

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koji0803

亀井城 (2019/11/14 訪問)

城跡には現在光照寺がある。遺構は石垣のみのようだが、見るためには民家に入り込まないといけないと思う。残念。

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