<オススメ>★★☆☆☆
大宮城は富士郡の国人衆であった富士氏によって築かれたとされる。駿河の重要拠点として、重要な役割を担っていた。1560年、桶狭間の戦いにより今川義元は敗死し、翌1561年には今川氏真より富士信忠が大宮城の城代に任ぜられ普請を命じられた。その後、同盟関係にあった武田氏が駿河侵攻を開始すると、富士信通(信忠の子)は武田氏の家臣となった。武田譜代の家老である原昌胤が富士郡の取次を務めたとされる。武田氏滅亡後に廃城となる。徳川家の支配下となると大身旗本である本郷氏が静岡県富士市川成島村を代々支配した。江戸時代末期、本郷泰固は若年寄に昇進し、1万石の大名として諸侯に列し、川成島藩主となった。しかし、藩はすでに旗本時代からの財政難で苦しかったとされる。1858年、若年寄を罷免及び改易され、再び旗本となった。第13代将軍・徳川家定死去の直後であり、将軍継嗣問題で一橋派に属していたためと考えられる(表向きは職務怠慢)。その後、徳川慶喜により隠居謹慎のお咎めは許された。大宮城に長屋門が移築され現存している。
<アクセス>
JR富士宮駅 徒歩15分
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