【亀山城】
<駐車場他>城跡の東側専用P・城跡南側登城口前
<交通手段>車
<見所>曲輪・横堀
<感想>日帰り新城市攻城の旅1城目。愛知県新城市にあるお城には御城印が多く頒布されているので、購入目的と2018年に古宮城を攻めた時に攻めそこねた亀山城に攻めに来た。
山城表記となっているが、比高はそんなになくて丘城といった感じ。典型的な中世の山の形状に沿った曲輪の配置で南北に縦長な感じで広がっている。国道から見える城跡看板のある所が主郭で主に南北と主郭の東側に広めの曲輪が多くあります。東側の駐車場もかつては曲輪だったようで、横堀跡と石垣の崩れた遺構があります。笹が多く生えているので曲輪の輪郭がちょっと見ずらいところはあります。
私の勝手な憶測の推察は奥平氏が武田氏側についたのが1570年頃、古宮城の築城が1571年?で味方になった後から築城していたとしたら奥平氏にとっては人質も捕られ、裏切ったらすぐに攻めてこられる相当な圧力(それは古宮城がどうしても徳川攻略の亀山城の後ろ竪の城には見えない武田流堅固な城である)で、さらにもしかしたらその古宮城の物資も供給していたかもしれない。結果的に1573年に再び徳川方についたのがそのような理由かもしれないかもと思った。
城の規模からしたら断然亀山城の方が大きいし、作手地方の領主なので奥平氏が城を放棄するまで武田方も攻めとれなかったのであろう。やっぱり2城見比べてよかった、この地域は色々思いをめぐらせる楽しい場所です。
<満足度>◆◆◇
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