中世は奥州探題大崎氏の家臣涌谷氏の居城。隣接する葛西領・伊達領に対する大崎領の東の守りであったと考えられる。奥州仕置による大崎氏改易後は木村伊勢守を経て天正19年(1591年)に伊達政宗の領国になると家臣亘理氏(後の涌谷伊達家・御一門第四席22,640石)の居城(仙台藩の要害)として整備され維新まで続いた。西・南を江合川に守られた標高20m程の舌状地に築かれ、西側最高所に本丸、一段下がって東に二ノ丸、その先に大手門があったと伝わる。現在本丸跡地は、伊達騒動(寛文事件)の中心人物涌谷伊達家二代伊達安芸宗重公を祀る「涌谷神社」が建つ。二ノ丸東端には鯱を乗せた太鼓堂(隅櫓)が現存する。本丸の西側・北側に堀切・空堀など中世館の名残りと思われる部分も認められる。
城址は三層の模擬天主風建物(町立資料館)が建ち、宮城県北の桜の名所として名高い。例年桜まつり時期のイベントとして、今は珍しい「輓馬競技大会」も開催され賑わいを見せる。
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