有名な高石垣は圧巻ですが、空堀や土塁もたくさん残っていて感動です。ついでに猫もたくさん。南城の南東側石垣や一つ目堀もすばらしい。北城の北の二重堀切は削られてなくなっていますが、堀切から続く竪堀はよく残っていました。石垣あり、堀切あり、土塁あり、さすが関東七名城に数えられる城です。
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2019/11/17 20:50
関東一の山城 (2019/11/16 訪問)
有名な高石垣は圧巻ですが、空堀や土塁もたくさん残っていて感動です。ついでに猫もたくさん。南城の南東側石垣や一つ目堀もすばらしい。北城の北の二重堀切は削られてなくなっていますが、堀切から続く竪堀はよく残っていました。石垣あり、堀切あり、土塁あり、さすが関東七名城に数えられる城です。
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2019/11/17 20:38
2019/11/17 20:22
一乗谷城の遺構 (2019/05/05 訪問)
一乗谷は山麓が観光地化されていてとても面白いのですが、山頂の「一の丸」周辺にある堀切が素晴らしい。登るの大変やけどね(笑)
訪問した日は「曲水の宴」っていうイベントもやってて華やかでした。
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2019/11/17 20:09
志知城 (2019/11/09 訪問)
【志知城】
<駐車場他>駐車場はなし。近くにも駐車できそうな場所がないので城跡北側にスーパー「マルナカ」にて買い物をして駐車した。
<交通手段>車
<見所>水堀
<感想>日帰り淡路島攻城の旅2城目。上記場所に駐車して城跡入口は南側から畑のあぜ道を抜けると堀に橋が架かっている所に出るのでそこから城跡に入れます。
城跡は四方を水堀で囲み西半面が主郭、東半面が二の丸となっている。主郭と二の丸の間に城跡碑と説明板があります。ここまでは来れましたが、添付写真の通り主郭はすごい竹林となっていて、進入はまず無理で諦める。二の丸も写真の通りキリン草の群生地で奥に進めず脇から眺めるのみとなった。堀の東側に鳥居があった。
<満足度>◆◆◇
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2019/11/17 20:05
2019/11/17 19:52
2019/11/17 19:08
関係ないのですが、、、。 (2019/09/22 訪問)
山梨県韮崎市の「能見城」でため息です。
続100名城の「新府城」の近くにあります。
私は「新府城」と「能見城」を別の日に巡ったので、この日は2城の関係が分かりませんでした。
武田氏が「新府城」の出城として築きました。
出城と言うよりは防衛の為のお城です。
車で向かうと「能見城跡」と、でかでかと向かえくれます。
ちなみに駐車場がありません。路駐して写真を写しました。
道路沿いの山肌が遺構に見えるような見えないような、、、。
とりあえずパーキングを探そうと近くの駅へ行きました。
中央本線 穴山駅です。
穴山、、、?穴山 信君!!
武田 勝頼さんを裏切った穴山さんの地域ですか!
パーキングも見つからないので退陣します。
「能見城」ごめんなさい。
穴山 信君さんの良い所を見つけたら、またリベンジします。
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2019/11/17 16:35
掛川城 (2019/11/17 訪問)
外見がとても綺麗なお城で、天守閣からの眺めも
絶景だった。
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2019/11/17 16:25
西側、北側の高石垣 (2018/05/25 訪問)
北側・西側の高石垣が素晴らしいです。
見事な算木積を上からも下からも確認できるため必見です。
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2019/11/17 15:53
安土桃山文化を継承した城 (2019/10/27 訪問)
日本の城は日本の歴史に深く関係しているのだが、八幡山城ほど歴史の渦に翻弄された城はないのではないかと思う。
八幡山城が築かれたのは、豊臣秀吉が柴田勝家を倒して、ほぼ天下を手にした後のこと。城主には甥の豊臣秀次を据えた。
本能寺の変の後、安土城は火災により消滅。秀吉は、信長の楽市楽座の政策によって栄えた城下町を、そこに住む町人商人とともに八幡山城の城下にそのまま移動させた。今日「安土桃山文化」とも呼ばれる安土城下で発展した文化を、八幡山城は引き継ぎ発展させることとなった。
城主の秀次は、この城下町の発展に力を注ぎ、八幡堀という琵琶湖から水を引いた水運を作った。しかし秀吉に実子の秀頼が生まれたことで、秀次の運命に暗雲が立ちこめる。秀吉に冷遇された秀次は切腹という末路を辿ることとなる。そして八幡山城は築城からわずか10年で廃城となった。
八幡山の山頂のある本丸には元々天守があったが、現在は秀次の母・日秀尼が建立させたとされる瑞龍寺が移築されている。そしてその下には、堅固な石垣が現存している。苔むして木々が生い茂った姿が約400年もの歴史を感じさせる。
山頂部からは安土城や観音寺城を遠景に臨むことができる。山麓には日牟禮(ひむれ)八幡宮が建つ。そしてもっともオススメしたいのが八幡堀だ。
再建された範囲は、決して広くないが京都を連想させる素晴らしい景観と風情がある。城が存在した期間はわずかに10年であったが、その間にこのような素晴らしい文化を築いた秀次の功績は非常に大きかったのではないかと思う。
歴史の荒波に翻弄された城は、安土桃山文化を継承した名城だった。
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2019/11/17 14:01
竹燈夜 (2019/11/09 訪問)
幻想的な和歌山城
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2019/11/17 12:26
宍戸氏の居城で「シシドジョー?」 (2019/11/16 訪問)
石積が残ってますが土の城です。
見所のある城ですが、本丸より先は整備不十分ですので迷いやすい方は一人では行かないほうがいいでしょう。
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2019/11/17 12:26
100名城 (2019/11/13 訪問)
福島
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2019/11/17 12:01
福原氏の居城で別名「福原城」 (2019/11/16 訪問)
標高は高くなく登山道も整備してあり山城初心者でも攻略できると思います。
中国地方の覇者、毛利元就の誕生伝説の城です。
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2019/11/17 08:33
晴れ (2019/11/17 訪問)
登山道中の岩が凄いっぽい
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2019/11/17 08:25
霧 (2019/11/17 訪問)
整備されて歩きやすいぽい
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2019/11/17 07:36
2019/11/16 22:19
御坂峠 (2019/11/15 訪問)
鎌倉往還御坂路の旧御坂峠にある城址で、御坂山と黒岳の間にあります。御坂山側、黒岳側は高地になっていて主郭が低い位置にあり峠を塞ぐように城址はあります。横堀や竪堀が残っていて、場所によっては2重堀となっていました。陣城のようなものということを記載された情報がありましたが同感です。
バスで甲府駅から約1時間、三ツ峠入口で下車して、すぐに登山口があります。約70分で御坂城址(御坂峠)に行くことができました。道は整備されて歩きやすかったのですが、トレッキングのスタイルは必要です。途中に当時のものかどうかわかりませんが、食い違い虎口のような場所や石積みを見ることができます。天下茶屋から御坂山を越えて行く道もありますが、ネットで見るとやせ尾根を歩くような所もあるらしく高所恐怖症の自分は遠慮しました。天気が良ければ富士山が見えるらしいのですが残念ながら曇っていて見ることができませんでした。城址にはトイレがありましたが、個室には扉がありません。標高は本やネットで調べると1595m、1575mなどの数字が記載されていました。御坂峠で見ると1520mという記載もありました。いずれにしても高所にある城塞です。
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2019/11/16 21:54
2019/11/16 21:39
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