武漢コロナウイルス禍で昨今城探訪出来ず、平成28年12月初旬奥西三河の大給城、市場城、妻木城を充分堪能し当日の終わりに東美濃瑞浪市小里城初登城を投稿します。
登城口は小里川沿い県道20号線の南側に看板、幟旗が有り一瞬で分かります、又駐車場は登城口の向かい側に専用駐車場完備。
小里城は山頂の本丸に在る石垣枡形の天守台で有名で登城したかったのですが既に三城廻り足腰の疲れも有り、本丸城山登城口後500mですがキツイ断念。
御殿跡は県道登城口から直ぐに石垣の曲輪に当たり西側に数段の曲輪が連なり御殿大手門石垣虎口、御殿跡曲輪全北面は真ん中に虎口を挟んで2,3m高の石垣が連なってる広い曲輪、一段南西に城山登城口の土塁曲輪。
小里城主小里氏は土岐氏の流れ、境目の城で武田氏織田氏抗争の間を渡り、本能寺の変で小里光久は二条城で討死、家督は後見人の叔父小里光明が継いだが金山城主森長可に従わず小里を退去し家康の元で各地を転戦、関ヶ原合戦で東軍に属して功名を挙げ恵那郡で3850石を領して旗本と成った。しかし光明、孫の光親と継ぎ光親の後を継いだ光重に嗣子無く没し改易元和9年(1623年)。
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