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イオ

環濠散策 (2019/06/26 訪問)

筒井氏、越智氏、十市氏とともに「大和四家」と称される箸尾氏の居城で、220m四方の環濠集落の平城でしたが、織田信長の大和一国破城令により廃城となりました。

城趾碑と説明板がある他は目立った遺構はないようですが、環濠の名残と思しき水路が城域を囲んで残っており(Googleマップなどの地図でもよくわかります)、環濠沿いの竹藪は土が盛られているように見受けられ、土塁跡と思われます。

近鉄田原本線・箸尾駅から城趾碑までは徒歩10分で、駐車場はなく、城域一帯の道路は非常に狭いので路駐も困難、城趾碑と説明板を見るだけなら城趾碑の横に車を駐められなくはないですが、環濠跡も見て回るなら公共交通機関での訪問がおすすめです。

ところで、環濠に沿って歩いていて、たまたま見掛けた立派なお寺の説明板には「教行寺」とあり、ここに来る前に訪れた田原本陣屋の説明板で読んだ、田原本から箸尾に移転させられたというお寺のようで、箸尾城と田原本陣屋という直接関係のない二つの城(陣屋)の訪問が、思い掛けないところで繋がってくるのはなかなか楽しい経験でした。
 

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あんちゃん

昼と夜の弘前城 (2019/07/07 訪問)

夜のお城も良かったです。

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はたけ

松山城t (2019/07/09 訪問)

城の中が見た目以上に広く感じた。

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にのまる

銀杏の季節ではなくて(*^_^*) (2019/06/27 訪問)

払田柵を1時間半かけての散策後、無事に大曲駅に到着。
しかし帰りの新幹線までは50分もあり…。

こんな時は駅近物件検索(^-^)/

大曲城は駅から800m、徒歩10分。
todo94さんのご投稿を拝読し、八幡神社が城址で参道が土塁だったとの情報を得て訪ねることができたので、階段を上る細長い参道を土塁の上なんだと実感しながら歩くことができました。
おかげさまでポチ数稼ぎではなくちゃんとした(!)お城めぐりが出来たなとありがたく思っております。

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くろもり

1559 - 1560 (2019/06/22 訪問)

名鉄鳴海駅から徒歩で訪れました。駅の東口から5分でした。車での訪問の場合、駅の高架下にコインパーキングがあります。

私有地のようでしたが、「所有者のご好意により、自由に見学できます。(きまりよく、節度をもって、ご覧ください。)」と案内にあり、ありがたく中に入らせて頂き、碑の写真を正面から撮らせて頂きました。

織田信長が桶狭間の合戦時に、中島砦から桶狭間に向かって奇襲を成功させたと伝わる所ですが、砦としては1559年から桶狭間の合戦があった1560年の間のわずか1年しか存在しませんでした。それにも関わらず、こうして私有地の中に城址碑を建てて、開放してくれていることにとても感動しました。

遺構はありませんが、桶狭間周辺に残る他の砦と違って、扇川と手越川の合流部の平地に築かれているので、尚更、よく駅から徒歩5分のこの立地に城跡碑の場所を残してくれたなと思います。本当にありがとうございます。

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スミヤキ

仁科盛信公「幻の桜」 (2019/04/15 訪問)

桜の名所として知られている高遠城址公園、タカトオコヒガンザクラという、この地域にしかない固有種で小ぶりの赤みが強い可憐な花が、満開を迎えると頭上を包み込むように咲き誇り、見事です。

戦国時代、甲斐武田氏にとって高遠城は、北信の海津、中信の小諸、南信の深志と並ぶ四大支城で信濃伊那経営の重要戦略拠点でした。

三峰川と藤沢川の合流点に位置し、三峰川の断崖上に本丸を置き、二ノ丸と南曲輪、勘助曲輪が三方から本丸を包み、さらに三ノ丸が外側を囲む、三段構えの梯郭式の平山城です。

1582年、織田軍による甲州攻めの際に城主仁科五郎盛信以下全員が壮絶な戦死を遂げています。信玄公の五男の盛信公、善政を敷き、領民からも慕われていたようで戦の後、手厚く葬られ、埋葬された山が五郎山と呼ばれるようになったそうです。

江戸時代、内藤氏がこの地を治め、盛信の御霊を五郎山より城内に迎え「新城神」として祀り崇拝され、現在も城址に新城・藤原神社として鎮座しています。

また、長野県歌「信濃の国」の歌詞にも登場しています。いつまでも慕われている存在でいることが凄いですね! 「幻の桜」という盛信公のイメージソングも見つけてしまいました。散る桜の儚さと、若くして潔く命を絶った盛信公が重なるのかなぁ。

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天下布武

県指定 飛騨国司姉小路三家の一つ小島氏居城 (2017/09/04 訪問)

主郭近くの駐車場(36.251819,137.174862)まで車で上がりました。
歩きの場合は
1:杉崎口(36.252857,137.170055)城址西
2:太江口(36.253694,137.174269)城址北
3:沼町口(36.249166,137.175124)城址南
の3登城口があります。杉崎駅利用の場合は杉崎口又は沼町口からの登城が良さそうです。

城址については「城びと連載記事 理文先生のお城NEWS解説 第6回 飛騨国司姉小路氏関連城郭の発掘調査 2」を参照していただければと思います。
連郭式の山城で東端駐車場北側の堀切から西端古城側堀切まで
アップダウンのある尾根上に連なる曲輪や遺構を確認しながら辿り楽しめます。

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カルビン

子供に問いかけられ焦る(汗) (2014/04/24 訪問)

目眩の件ではお気遣い下さいまして有難う御座います<(_ _)>感謝
自分もメニエールと診断され既に2年が立ち慢性化しておりますが、負けずに散策していきますよ~(`∀´)9 オタガイニキヲツケマショウ


さてそんな事になるとは夢にも思っていなかったお城巡り始めて1年足らずの時に千葉県と東京都の境目近くにある国府台城に行って参りました。

遺構は無いと言われておりましたが、初心者丸出しだった当時、自分はちょっとした土盛を見ては「これ土塁だよね?」とか公園の入口を見て「これ絶対に虎口跡だよ」とか一人ノリツッコミしてました(恥)
※注)口には出していません。。。それじゃあただの危ないオッサンだしwww

今思えば無知だったんだなぁ・・・でも解説が充実している事もあり、それなりに楽しめたお城だったと言えます。


散策途中で小学校の校外学習と思われる一団が周辺の解説等に群がり、いきなり自分にも質問されたり超焦りました(^ω^;)ゞ
キッズ達よ、ちゃんと答えられず忝いww

周辺には有名なお寺(特に日蓮宗のお寺)が多いので、歴史好きな東京近郊にお住まいの方なら是非足を運んで頂きたいです。
ただ、最寄り駅の京成線・国府台駅は各駅しか停車しないので、ちょっと離れたJR市川駅を利用した方が良いかもしれません。

当時は知りませんでしたが、国府台城の里見公園の隣には小笠原政信(若くして亡くなった徳川家譜代大名)夫妻供養塔のある総寧寺があるので、再訪したいところです。
・・・あ、そういえばまた千葉県だ(笑)

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トーダイ

大坂の陣で徳川方の本陣が置かれました (2019/07/07 訪問)

御勝山古墳は古墳時代中期の5世紀前半に造られたが、慶長19~20年(1614~15)の大坂の陣で徳川方の本陣が置かれたため、著しく墳形が破壊され、いまは後円部が残っているだけである。昭和48年(1973年)の発掘調査で埴輪や葺石が発見された。そして全長約120m、濠を含めると約150mの中規模の前方後円墳であると推定されるにいたった。(案内板より)

後円部と前方部が道路で分断されており、歩道橋から両側が見えます。前方部は普通の公園ですが、石碑「大阪管区気象台跡」と案内板があります。

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はらぽん

初訪問 (2018/07/29 訪問)

戦後再建された天守が広いお堀に浮かぶ姿はとても素敵です。特徴的な二の丸へ見事に復元された建物群も必見。

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闇の鍋奉行

水軍の城、長浜城。 (2019/03/08 訪問)

たまたまよく晴れた日に来れたので、
青い空、青い海、上だけ白い富士山と最高の景色が楽しめました。
水軍の城は初めてなので、
独特な縄張りがとても良かった。
第一曲輪⇔第二曲輪間の移動に櫓を通るのも面白い。
またいつか来たいです。
頂上まで約5分と書かれてますが、
登り降りを繰り返し、一通りのんびり回って1時間位でした。

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中川藤兵衛尉

山崎砦 (2019/07/07 訪問)

山崎合戦に於いて、惟任日向守が築いた砦。西国街道上にあったらしいです。今は町屋ですわ

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トーダイ

瓜破城とも書きます (2019/07/07 訪問)

宇利和利城は、楠木正成の三男・楠木正儀の居城、瓜破城とも書きます。
正確な築城時期は不明、楠木正儀が家督を相続した1384年頃にはあったらしい。
大阪市営瓜破東住宅(瓜破東小学校西側)から瓜破霊園の花塚山古墳あたりまで
城域らしいので探索する。ほんの少し高地だが、遺構は全く残っていない。

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ぴーかる

長岡城 (2019/05/01 訪問)

【長岡城】
<駐車場他>駅前有料駐車場あり
<交通手段>車

<感想>GW2泊3日上・越攻城の旅8城目。令和元年最初の日、旅3日目最終日は前日長岡駅前のホテルに宿泊したので朝出発時に立寄ってみた。皆様ご存じの戊辰戦争後に徹底的に破却されたお城なので駅前ロータリーの真中にぽつんとある。石碑の横の石積みのモニュメントは石垣の石?ちょっと分からなかったです。資料館には行かなかったです。

<満足度>◆◇◇

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チェブ

新居城をリフレイン? (2019/05/25 訪問)

カルビンさんの新居城の投稿で
「ちょっとした遺構と入り辛い模擬天守を見て埼玉県の騎西城をリフレインしたというw 」
との文章に頷き、笑っちゃいました。

入り辛い模擬天守のある「騎西城」に行きました。
実は戦国時代から廃城になるまで天守はなかったそうです。
「騎西城」を調べると古河公方の足利 成氏さんが攻撃したそうです。
また、上杉 謙信さんが「武蔵松山城」の救援に間に合わず、「どっかの城を攻め落としてやる!!」と選ばれてしまったのが「騎西城」です。
少し可哀想な「騎西城」です。

本当に入り辛い模擬天守です。
鉄筋コンクリート製で昭和感満載です。
私が行った時は閉まってました。
あっ、でも土塁が残っていましたよ。

私はまだ「新居城」に行ってません。
「新居城」の模擬天守を見て「騎西城」を思い出すんですね。

カルビンさん、目眩大丈夫ですか?辛いですよね。
私も軽いメニエールです。
もう、5年もグルグルしてて慣れてきました(笑)
暑かったり寒かったり、体が壊れそうですね。
皆さんの健康を願ってます!

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todo94

安東氏発祥の地 (2019/06/29 訪問)

藤崎八旛宮がその故地ですが、神社の一角に残っている土塁の上に安東氏発祥の地の大きな標柱が建っています。こんな大それた歴史の地とは知らずに訪れて、嬉しい不意打ちを食らいました。

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トーダイ

神須牟地(かみすむち)神社 (2019/07/07 訪問)

寺岡城とも呼ばれ、環濠集落から発展した砦らしいが、詳細は分からないです。
城址といわれる神須牟地(かみすむち)神社を訪れるが、遺構は見当たりません。
慶長20年(1615)の大坂夏の陣では徳川方がここに陣を構えたようです。
神社由緒にある元文元年(1736)に建立された石碑「神須牟地社」が残っています。
案内板は、少し南の眞光寺山門横に設置されてます。

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イオ

不遇な平野さん (2019/06/26 訪問)

賤ヶ岳七本槍の一人として知られる平野長泰を初代領主とし、二代・長勝が築いた陣屋で、長勝は寺内町の支配権をめぐって対立した教行寺を箸尾に移転させ、その跡地に本誓寺と円城寺(後に浄照寺に改名)を建立して、本誓寺を菩提寺としました。

遺構はなく、町役場西隣の町民ホール前の駐車場と、その少し南にある水仙会館駐車場に説明板がある他は、堀代わりの川や堀の名残と思しき水路が見られるくらいです。また、菩提寺である本誓寺には二代・長勝と九代・長発の霊廟が建てられています。

ところで、平野長泰は賤ヶ岳七本槍のうち一人だけ大名になれませんでしたが(あえてならなかった、とも)、子孫も江戸期を通じて旗本交代寄合のまま大名にはなれず、明治新政府により念願の大名となるも廃藩置県までの3年間だけ…と、何とも不遇な平野さんです。ただ、他の七本槍の多くが断絶させられている中、藩主ではなくても明治まで領主であり続けたのは、実は凄いことなのかもしれませんね。
 

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街道おじさん

武田氏館登城 (2019/03/19 訪問)

甲府城に続き、武田氏館に登城。現在は武田神社となっている。
100名城スタンプと共に、武田神社のご朱印をいただいた。
川中島の合戦の際の、上杉謙信と対峙する武田信玄を描いた(と思われる)ような
かっこいいご朱印であった。

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まっつん

天領上下代官所跡 (2019/07/07 訪問)

上下宿はかつて石見銀山からの銀の集積地であったことから江戸幕府の天領として栄えた宿場町。
代官所跡の石垣は当時のまま残っているらしいです。
また、町内の民家に代官所の門が移築されています。

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