筒井氏、越智氏、十市氏とともに「大和四家」と称される箸尾氏の居城で、220m四方の環濠集落の平城でしたが、織田信長の大和一国破城令により廃城となりました。
城趾碑と説明板がある他は目立った遺構はないようですが、環濠の名残と思しき水路が城域を囲んで残っており(Googleマップなどの地図でもよくわかります)、環濠沿いの竹藪は土が盛られているように見受けられ、土塁跡と思われます。
近鉄田原本線・箸尾駅から城趾碑までは徒歩10分で、駐車場はなく、城域一帯の道路は非常に狭いので路駐も困難、城趾碑と説明板を見るだけなら城趾碑の横に車を駐められなくはないですが、環濠跡も見て回るなら公共交通機関での訪問がおすすめです。
ところで、環濠に沿って歩いていて、たまたま見掛けた立派なお寺の説明板には「教行寺」とあり、ここに来る前に訪れた田原本陣屋の説明板で読んだ、田原本から箸尾に移転させられたというお寺のようで、箸尾城と田原本陣屋という直接関係のない二つの城(陣屋)の訪問が、思い掛けないところで繋がってくるのはなかなか楽しい経験でした。
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