皆さんは源平合戦(治承・寿永の乱)の「一ノ谷の戦い」で平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実という武将をご存知でしょうか。
武蔵国熊谷郷(今の埼玉県熊谷市)を所領とした彼の子孫が、承久の乱の戦功として鎌倉幕府から安芸国三入荘を与えられて最初に本拠地としたのがここ伊勢ヶ坪城でした。
伊勢ヶ坪城は三入荘の北部に位置します。
根谷川を天然の堀とし、その東岸の山から南西に細長く伸びる尾根(比高30m)を堀切で断ち切り、南西の尾根の先端に向けて4つの曲輪を配置した連郭式の山城です。
時代はやがて戦国乱世へと移り変わり、熊谷氏はより堅固な三入高松城へと本拠地を移していきますが、伊勢ヶ坪城はその後も隠居城として存続したといわれているそうです。
熊谷信直の頃、当時従属していた安芸武田氏から離反して毛利元就に与し、それ以後、熊谷氏は毛利氏の家臣となりました。
熊谷元直の代で関ヶ原の戦いに敗れ周防・長門の二国に移封された毛利氏に従って萩へ移ったため、伊勢ヶ坪城も三入高松城も廃城となりました。
さて、アクセスですが、Google Mapで検索すると伊勢ヶ坪城展望台と出たので車で行ってみると、城の入り口付近のお墓の近くに車を停めることができました。また、麓の大林八幡宮の駐車場から徒歩で上がっても比高30mほどなので全然大丈夫だと思います。
とにかくきれいに整備されていて、地元の人の愛を感じました。
+ 続きを読む