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2019/11/24 23:14
2019/11/24 22:18
岐阜城と対峙する明智光秀ゆかりの土岐氏の山城 (2019/11/24 訪問)
11月10日(日)、可児市で開催された山城サミットで大桑城のブースに立ち寄り、大桑城から金華山の岐阜城を捉えた写真を見せていただき、その景色をどうしても自分の目で見たくなり、今日、行ってみました。
はじかみ林道の登山口まで車で上がり、登城道を登ると古城山の頂上にある主郭へ到着。
主郭にはミニ大桑城(高さ約3mの模擬天守)があり、その前から見ると確かに金華山まで見通せ、その上に岐阜城がはっきりと見える。
美濃国守護土岐氏とゆかりのある明智光秀、岐阜城で繁栄を極めた織田信長を感じる山城です。
こんかいは、関市の日龍峯寺を午前中に廻り、大桑城での時間が少なく、主郭だけの登城でしたので、今度は古山城登山口から上がり、曲輪跡を巡り、城下も時間を取って堪能したい。
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2019/11/24 21:32
2019/11/24 21:10
2019/11/24 19:59
2019/11/24 19:07
2019/11/24 19:03
2019/11/24 18:49
素晴らしい保存管理 (2019/11/24 訪問)
桜生城は高い土塁と水堀を備えた単郭方形城館です。今でも城主の子孫の方が住まわれ、保存状態よく管理されていて、頭が下がります。
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2019/11/24 18:10
佐和山城 (2019/11/15 訪問)
【佐和山城】
<駐車場他>龍澤寺前無料P
<交通手段>車
<見所>竪掘り・郭
<感想>平日日帰り彦根市の城攻めの旅1城目。以前から行ってみたかった城跡の一つ。登城ルートは2本程あるみたいだが今回は駐車場のある龍澤寺からを選択した。龍澤寺の中を通って登城します。道はスニーカーでは少しきつい程度で女性でも難なく登れると思います。
城跡は自然の地形を利用した一応連郭式の配置で、本丸から北西方向に3郭あり南東方向に二の丸以降がある。今回は二の丸には行かなかった。北西方向の3郭は上段が西の丸となっていて、中段は竹林になっていた、下段は塩硝蔵の名称になっている郭で中央に謎の土抗がある。ここの3郭間には竪掘りも見られた。頂上本丸の削平地はかなり広く、石垣遺構は本丸北東隅にわずか2個残っているが本丸北側の帯郭に細かめの石が散乱していて彦根城へ持ち出した感じが生生しく残っていた。本丸東下段には土塁遺構があるみたいだが草ぼーぼーでよく分からず。眺望は木でじゃまされて南西~真西と北東方向は見えた。彦根城が見降ろせます。
三成はほぼ太平になりつつあった秀吉政権の世で平城・平山城を造らず、わざわざ山城を改修して大城郭化したのは街道の要所で豊臣の京都・大坂を守るという強い意志があったのだろうか?麓に小さめの居館跡があるのを見ても、義の人三成らしい。
<満足度>◆◆◇
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2019/11/24 18:08
暇な日の南武線沿線攻略 (2014/05/22 訪問)
天気が怪しかった日、訪問を躊躇っていたJR南武線沿線の駅近物件を一気に訪問すべく家を出る。
武蔵小杉からスタートして小杉陣屋を見学した次に津田山駅の作延城を訪問。
遺構が残っていない事は事前に確認していましたが、なにせ城跡が霊園の中なのでちょっと二の足を踏みましたが・・・駅から10分もかからずに到着してちょっと拍子抜け(ー∀ー;)
本当に霊園の中の一画に作延城の石碑と解説版がありました。
遺構は霊園の整備で削られたのかどうかは不明ですが、よく石碑と解説版を残して頂けたもんです。
一応霊園自体がちょっとした丘の上にあったので、お城であった要素ぐらいはわかりました。
ただこれだけではお城見た気にはなれないと思いますので、同じような形態のお城をまとめて見学されると良いと思います。
他に沿線で同じ感じの場所は・・・[川崎駅:稲毛氏館][登戸駅:枡形山城][稲城長沼駅:長沼城][南多摩駅:大丸城][府中本町駅:府中御殿・武蔵官衙][分倍河原駅:高安寺砦・分倍河原古戦場][谷保駅:三田氏館][立川駅:立川氏館]・・・等々
全部似たような史跡なので、1日で十分に全部回れるかと。
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2019/11/24 17:50
徳川三代将軍の宿館 (2019/11/23 訪問)
永原御殿は徳川将軍が上洛する際利用した、休憩宿泊用の城館です。家康が7回、秀忠が3回、家光が2回利用しています。三方に土塁が良好に残存している方形城郭です。
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2019/11/24 17:13
2019/11/24 17:02
佐和山城と石田三成の遺跡めぐり (2019/11/24 訪問)
佐和山城のボランティアガイドツアーに参加しました。10時に彦根駅の井伊直政像前に集合し出発。
三成ゆかりの井戸や地蔵のある仙淋寺から井伊家の菩提寺・清涼寺、そして三成の像のある龍潭寺へ、ここから佐和山城への登山口が始まります。そばには、無料の駐車場やボランティアガイドの案内所があり、時期によってボランティアさんの案内を頼めるようです。
龍潭寺から本丸跡までは急な山道を本丸跡まで30分程登ります。途中、切通しや西の丸跡を経て本丸跡にたどり着き、そこから少し降って隅石垣、千賀井戸までは10分程です。
山上からは、琵琶湖から彦根城、伊吹山などがよく見渡せ、なぜここに城を設けたか良く分かります。
帰りは、佐和山城の麓にある石田三成の居館跡(近江鉄道の佐和山城トンネルの側で今は家庭菜園?の場所となっています。)に寄って13時半に駅にもどりました。
予定を大幅に過ぎましたが、ガイドさんの博識と熱心な説明に大満足の1日でした。
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2019/11/24 13:34
2019/11/24 13:30
遺構は見当たりません (2019/11/21 訪問)
津田城跡があったとされる津田山麓の「津田八幡神社」の由緒には、
(本社は)往昔には津田山上に鎮座、津田塁の城主桑村隼人の崇敬社として、
天文年間は三好氏崇拝の篤く、慶長の頃東麓の現在地に遷座した。藩政期は
藩主蜂須賀氏の参勤交代の東上に当り、安全を祈願した。現在の社殿は宝永
2年(1773)蜂須賀綱矩公の時に再建されたと伝わる」と記されています。
築城年代は不明ですが、城主は桑村隼人亮と言われ、三好義賢のために堺で
武器を買って帰る途中、淡路国で海賊に遭い戦死したと伝わっています。
津田八幡神社駐車場(数台)を利用、登城口<34.051839,134.575644>から
狭い登城路で津田山の山頂部に辿り着くが、読めない石碑が建っているだけ、
遺構は見当たらない。中腹に削平地があるが、往時のモノか分からない。
一方、北側は土地造成等で失われて絶壁状態、大変危険です。
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2019/11/24 08:58
2019/11/24 07:48
🍁紅葉🍁 (2019/11/23 訪問)
佐和山城跡に登城!
紅葉が丁度見頃で、とても綺麗でした🍁
今日はツアーガイドをやっていて、龍潭寺からとは違うルートで登れるそうです(いつもは登れない感じ?)。
あと本日は琵琶湖駅伝の開催日だそうで、その日は毎年琵琶湖周りの各城や城跡で、狼煙をあげていくそうです!私が登った時は竹生島であがる時間帯だったのですが見えず…。佐和山では12時にあげるとのことでした。
佐和山城跡も、登り口にある龍潭寺も雰囲気がとても好きでお気に入りの所なので、紅葉の時期に行けて良かったです!
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2019/11/23 20:54
雨の攻城 (2019/10/19 訪問)
鳥越城は、織田信長による加賀一向一揆討滅の経路がはかられるなかで、本願寺から派遣された鈴木出羽守を城主とし、門徒集団である山内衆の抵抗の拠点として築城されました。天正8年3月に本願寺顕如は信長に屈し、同年4月には加賀一向一揆の中核・金沢御坊が柴田勝家に落とされることとなり、鳥越城は一向衆の最後の拠点となり頑強に抵抗を続けましたが、柴田軍に攻められ落城しました。
小松市街から国道360号線を10Kmほど東進し、三坂トンネルを越え600mほど先を左折、大日川を渡って右手の山上が城跡です。二の丸のすぐ下まで車で登れ、トイレも完備されています。
雨の中での攻城となりましたが、きれいにに整備されており、それほど苦になりませんでした。それどころか、規模も大きく、垂直に切り立つような切岸、迫力のある堀切、空堀等々が良好に残る上、復元整備がしっかりと行われ見どころ満載の城郭です。(*^▽^*)
次回、北陸攻めの際には必ず寄りたいお城の一つとなりました。兎に角素晴らしい(^O^)/
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2019/11/23 18:13
2019/11/23 18:12
竪堀畝群 (2019/11/03 訪問)
車両通行止めになっていますが問い合わせたところ徒歩での攻城はOKだそうです。
ただ城跡から先は徒歩でも危険だそうです。
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