たざわじょう

田沢城

静岡県浜松市

別名 : 城山、天山(あてやま)城
旧国名 : 遠江

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

Ninja

何とかたどり着きました (2024/12/31 訪問)

始めGooglemapに従うと愛知県側から登城する道を案内され行ってみましたが、途中で行き止まりになり、引き返しました。浜松側からの道はGoogleに表示されないのでyahoomapにある道を見て引佐北部小中学校の横を入り少し先を登って行きました。ところが途中から舗装してないだけでなく枝や落石が多く、スポーツバイクのninjaではかなり厳しい道のりでした。タイヤが滑って転びそうになったりずっと一速で急勾配を登り続けて警告灯がついたりと、途中でくじけそうでしたが何とか登城することができました。浜名湖北に点在する南北朝時代の山城の1つですが、看板等はほとんど無く結構大変でした。山頂は標高650mほどで、周りに木や草がなければ浜名湖や遠州灘まで見渡せると思います。大きな鉄塔が2つあり広く平らなスペースがあります。帰りの下りで転ばないか恐怖でしたが、途中で渋川に行く分かれ道があり、そちらを選択しました。すると、その後ずっと舗装された林道で無事集落までたどり着きました。2024年の締めくくりとしてはハードな登城となりましたが、終わり良ければ全て良しでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

ひょっとしたら石垣があった可能性も? (2023/10/29 訪問)

田沢城は浜松市北区と新城市の境目の山中に築かれており、主郭周辺はほぼ
新城市になりますが、城びとでは静岡県の扱いになっています。林道慣れして
いない人だと、なかなかしんどい林道を4~5kmほど延々と走ってようやく
たどり着きます。車で行かれる方はスピードの出し過ぎに注意していただきたい
と思います。けっこう気を使う箇所が多いので最後まで気が抜けないです。田沢城は
南北朝のころの三岳城の出城で井伊氏の流れを汲む田沢氏が築いたとされ、北朝の
軍勢に攻められ、延元5年(1340)に落城したとあります。主郭はNTTの電波塔の
周辺と思われ、電波塔北側にも幅約35m、奥行約8mの扁平地が有ります。主郭周辺
には石垣か?と思われる石積みが各所に残ります。南北朝のころの城なので石積み
は時代が合わないのですが、この周辺は石が多い所で石垣の材料には困らないと思います。
戦国期に改修された可能性はあるでしょうか?主郭の東側には東西45mくらいの
郭らしき場所があって先端部は出丸のようになっていて石積みで補強してあるようです。
敵の侵入をまず先にここで食い止めたのではないでしょうか。主郭西側にも扁平地が続き
その距離は150mほどにもなります。天然の地形を防御に利用しているように見えますが
ひょっとして主郭周辺に排水を兼ねた堀切などがあったかもしれません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

悪路 (2021/12/30 訪問)

腹するし滑るし狭いし・・・😢 何とか中継所まで行けました。説明板はちょっと下にありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Tiger

カモシカに会いました。 (2021/10/30 訪問)

残り2.3kmのドコモ専用道路は、道が広く走りやすいのですが、そこに到達するまでの林道(約3km)が狭く荒れていて、精神的になかなかハードでした。山頂付近にカモシカの子どもがいてじっとこちらを見ていました。最近カモシカに会うことが多く通算5回目です。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 田沢(井伊)直道
築城年 南北朝時代
主な城主 田沢氏
遺構 曲輪
再建造物 碑、説明板
住所 静岡県浜松市北区引佐町田沢/愛知県新城市