ただらいじょう

只来城

静岡県浜松市

別名 : 多々羅城
旧国名 : 遠江

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

じゅんじん

ここかあ (2022/04/25 訪問)

冬にチャレンジします。

+ 続きを読む

上只来バス停より (2020/12/05 訪問)

 場所も明確にわかっていない城址ですが、チャレンジして来ました。上只来のバス停から二俣川にかかる「ただらいばし」を渡り、旧街道の登り口より城址があると思われる峠へ向かいました。登り口はわかりにくく、道も倒木が多く、歩きにくい所も多くありましたが、道は確かにありました。やがてタイヤ痕の残る林道に出ました。本当はこの林道を上って来たかったのですが、登り口がわからず旧街道と思われる道を上がってきました。この城址の位置などを明確に記載した資料を見つけることはできませんでした。場所が明確にわかっていないと思いますが、グーグルマップでは只来城が表示されます。GPSを利用して城址と思われる場所に到達しました。北側から登って来ると峠の左手に削平地が見られ、腰曲輪のような場所がありました。堀切があると書かれたものもありましたが、見つけることはできませんでした。ネット上で訪問された方の写真を見ると、この場所に来られたのではないかと思います。その周辺もしばらく探索しましたが、所々削平地があり城域だったのかもしれないと推察してしました。
参考のしたのは「城びと」のアップされている「カズサン」さん、「姫街道」さんの記事と「武蔵の五遁、あっちへこっちへ」さんのHPです。「カズサン」の記事に「昨年までTVの共同アンテナが山頂に在り麓から有線ケーブルを張ってた」とあり、「武蔵の五遁、あっちへこっちへ」さんの写真ではアンテナが写っている場所があります。今回、同じような場所へ行ったと思うのですがアンテナはありませんでした。
行ったところが本当に城址であったのか確信はありませんが、先に述べたようにグーグルマップの只来城址のある場所には到達したので登録しました。(ときどきグーグルマップは間違っていますけど)帰りはタイヤ痕のある林道を下ってどこから上がれるが確認しようと思いましたが、自分が思っている方向と異なる方向へ伸びていたので来た道を引き返して来ました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

登城路の調査へ (2020/06/02 訪問)

 城びとの城跡マップに浜松市地区で未踏のままに成ってる只来城が気に為って居り、何時もの城郭放浪記さんで調べても城跡マップのみ、古城盛衰記さんには無し、ネットで只来城を検索すると攻城団さんにヒットが有り写真と口コミ、直登との事また林道が有り何処かに繋がってるのでは?との口コミ。
 只来城は浜松市文化財課、博物館発行の「浜松の城跡、見どころマップ」に載って居り浜松市文化財課を訪ね担当の方2名さんに尋ねるも林道、登城路、城跡の知見も少なく引き上げ。
 登城前に城跡の行政区浜松市天竜区役所の観光、生涯学習窓口を訪ね只来城の登城ルートを確認するが林道については不明、但し山は私有地との事、担当の方が区役所から只来城までのルート検索図を頂くが直登り、手作りの光明・船明史跡巡りマップも頂くが只来の麓まで行くが城跡への登城ルートは不明。
 城びと投稿姫街道さん口コミ宜しく只来を訪ねる。
 二俣城、天竜区役所から直線で約10km程か?国道362号線を山東から春野方面に二俣川沿いを走り只来トンネルの手前を右に只来集落に入る、只来トンネルが開通するまでは国道362号線の村道、村内の消防団車庫辺りから西を眺める山稜山頂が只来城の様である?これは城郭放浪記さんの国土地理院等高線マップを現地で見比べて推測。(この国土地理院マップ尺度300mが役に立つ)
 同道を走り二俣川に架かる只来橋を渡った所で作業されてる集落の方に尋ねると詳しく説明頂きました、よく尋ねられますとの事。
 只来から山東に抜ける林道は有るとこ事、砂防ダムまでは舗装、以降砂利道、尾根筋に車を停める広場が有る事、車は軽4トラックか軽4駆ベター、ギリギリ小型車、尾根筋の広場から北に尾根筋を登り頂上直線で300、400m程道案内は無し、磁石と山岳GPS携帯が必要かも? 只来橋を渡って直ぐ右手に入る細い道が林道、砂防ダムに繋がり山東に抜ける、(道が崩落して無ければ)
また昨年までTVの共同アンテナが山頂に在り麓から有線ケーブルを張ってたルートが直登りのルートか?もとおしゃってました。
 害獣は鹿が多く成ったと熊は大丈夫な様子、夏は草が茂り、虫など大変なので秋過ぎ冬にチャレンジしたい処です。
 麓より周辺の写真を掲載します。また集落の方の情報と親切に感謝申し上げます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

姫街道

謎多き城 (2020/03/13 訪問)

横川と百古川が合流して二俣川となった地点に只来地区がある。武田信玄が遠州侵攻時、犬居城の天野氏の案内で、馬場信春軍が攻略。その後も武田の属城として武田滅亡まで存在したと知られている。北遠の雄である天野氏支配地域と二俣城の中間地域にあり、度々戦火があったであろう城だ。城跡として伝えられている百古川西岸は道幅が狭く、乗用車ではムリ。さらには城への入り口も不明で、またもや麓散策となった。築城不明、遺構もはっきりせず、資料も極めて少ない。しかも等高線や現状を見る限り険しい尾根ではないが、対岸の高台には東光寺があり、言われている位置にあったかなとは思うが、二俣城や犬居城の支城であったならば、、、地元で言われていると言うトンネルの上、しかも根拠は全く無いが、下只来地区にある国道362号線光路沢トンネルの上の尾根が、位置・形共に城だったのではないかと感じた。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 武田氏
遺構 曲輪、堀切
住所 静岡県浜松市天竜区只来字田ヒラ