【朝倉城】
<駐車場他>駐車場はなし。北城山公民館<33.547136, 133.481561>正面右手は無断駐車禁止、偶然にも公民館からおばあさんが出てきて、公民館正面左手の城跡版の前に駐車していいと許可して頂いたのでそこに駐車できました。小さめの普通車までなら西登り口<33.547036, 133.480569>の道路脇に詰めれば停めれそう。
<交通手段>車
<見所>石垣・横堀・竪堀・堀・虎口跡
<感想>1泊2日高知城攻めの旅、ラストの6城目。現地説明板によると朝倉城は重松城ともいい、天文年間に土佐中央部に進出した本山梅慶(茂宗)は勢力を維持するため築城し1540年にここに移った。梅慶の死後、長宗我部元親との争いが激しくなり、1562年長宗我部元親攻めてきますが後を継いだ本山茂辰はこれを撃退します。長宗我部側は傘下の豪族を切り崩しにかかったために、本山茂辰は1563年、城を焼いて本山城に退去します。この時城は廃城となったようです。
西登り口から堀底道を通り石積みの虎口跡があります。城跡の東側は私有地になっており見事な横堀や曲輪跡が垣間見えますが中に入れず残念。大手の虎口跡らしき所から西に折れて進みます。少し西に進んで南側に石積みが残る見事な横堀があり北側を登ると主要部に至ります。そのまま西に進むと茶臼ヶ森に行きますが、城跡の南西部に見事な箱堀(水堀だったかもしれない)が現れます。箱堀の北側が西側とを遮断する大堀切があります。大堀切の西側に付出曲輪があり曲輪壁に石垣が良好に残っています。曲輪内部にも多く石垣遺構があります。その大堀切には土橋が残っており土橋を渡って城跡の北西部斜面に行きます。城跡北西部斜面が一番の見応えで、横堀は四方角に囲み、竪堀3条は超巨大で圧巻 見た中でも最大級です。
主要部は主郭を中心に北と南に東西に長い曲輪が数段あります。主郭の東と西の曲輪は竹藪が酷くてちょっと入り込めません。主郭の南下段の曲輪壁には石垣が明瞭に残っていて石組の井戸もあります。主郭の北東部下段に広い曲輪があり北の虎口に石垣が良好に残っています。そこから北側の眺望が望めます。段の石垣は後世に畑となっていたために改良されたものとなっているようですが、井戸と石垣は一体となっているので井戸も後世のものとなってしまい遺構の判別が難しい。また堀・虎口跡に残る石垣跡は城跡の現存と考え、玉石は東に流れる鏡川か西に流れる仁淀川の河原石と思われます。後世に積んだ石垣であるのならば残っていた石を改変利用したものと私は考えますが、付き出し曲輪・堀・虎口の石垣は畑利用にそこまで積むか?と考え当時のものと思いたい。
主郭には石列、礎石のような石も地面に表面観察できます。虎口は西端が薄っすら四角く凹んでいるように感じましたので、そこが枡形かもです。曲輪へりに土居はありません。
駐車したのが15:40 でかなり遅かったので竹藪の曲輪には入らず、くまなく見ていませんがかなり見応えあるいい城跡でした。これにてこの旅終了、まだまだ見たい城跡があったので心残りですが帰路につきました。887㎞無事走破。
<満足度>◆◆◆
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