あさくらじょう

朝倉城

高知県高知市

別名 : 重松城
旧国名 : 土佐

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西側の登城口
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赤い城

四国では屈指の山城かと (2026/02/26 訪問)

朝倉駅からほど近い県道沿いの東側登城口から登るとすぐに詰の段に行けますがぐるっと回って西側の登城口から登りました。
駐車場は無く、公民館もWelcome感は無いとのことなの東側登城口そばの有料駐車場を利用しました。

登城口からすぐに堀切があり期待が広がります😊
途中、竪堀も見ながら登ると分岐があります。
右手が主郭の詰ノ段ですがまずは左へ、深い堀切が迎えてくれます。
もちろん両サイドに竪堀も落ちています。
北側斜面を少し進むと二重の竪堀も。
これも素敵です✨

一旦引き返し茶臼が森方面へ、少し離れた独立した曲輪です。
折り返し、先ほどの北側斜面から西ノ段へ、さらに主郭である詰ノ段に向かいました。
詰の段の切岸は美しく鋭いものでした。
主郭の下には井戸と石垣も見られますが石垣は後世のもののようです。
詰の段の東側には段になって曲輪が連なり、竪堀も落ちています。
南の竪堀は下の方では横堀とも交差し、見応えがあります。

本山氏が拠点とした城ですが長宗我部氏の支配下で大きく改修されているようです。
讃岐や阿波にはこれだけの土木量の城はなかなかありませんが土佐には他にもたくさんありそう。
また冬になったら廻ることになりそうです。

【見どころ】
 ・西ノ段の西側の深い堀切
 ・西ノ段北側斜面の二重竪堀
 ・詰ノ段の切岸
 ・南側に落ちる竪堀と横堀の交差

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すけきよ堂

高知の山城にしては、整備されて登りやすい (2024/12/14 訪問)

昔は、草叢からまむしが出るので行かないほうが良いといわれていましたが、今は整備されていて、行きやすい。
二重空堀や竪堀と切岸、土塁がみやすい。

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ぴーかる

朝倉城 (2024/01/07 訪問)

【朝倉城】
<駐車場他>駐車場はなし。北城山公民館<33.547136, 133.481561>正面右手は無断駐車禁止、偶然にも公民館からおばあさんが出てきて、公民館正面左手の城跡版の前に駐車していいと許可して頂いたのでそこに駐車できました。小さめの普通車までなら西登り口<33.547036, 133.480569>の道路脇に詰めれば停めれそう。
<交通手段>車

<見所>石垣・横堀・竪堀・堀・虎口跡
<感想>1泊2日高知城攻めの旅、ラストの6城目。現地説明板によると朝倉城は重松城ともいい、天文年間に土佐中央部に進出した本山梅慶(茂宗)は勢力を維持するため築城し1540年にここに移った。梅慶の死後、長宗我部元親との争いが激しくなり、1562年長宗我部元親攻めてきますが後を継いだ本山茂辰はこれを撃退します。長宗我部側は傘下の豪族を切り崩しにかかったために、本山茂辰は1563年、城を焼いて本山城に退去します。この時城は廃城となったようです。

 西登り口から堀底道を通り石積みの虎口跡があります。城跡の東側は私有地になっており見事な横堀や曲輪跡が垣間見えますが中に入れず残念。大手の虎口跡らしき所から西に折れて進みます。少し西に進んで南側に石積みが残る見事な横堀があり北側を登ると主要部に至ります。そのまま西に進むと茶臼ヶ森に行きますが、城跡の南西部に見事な箱堀(水堀だったかもしれない)が現れます。箱堀の北側が西側とを遮断する大堀切があります。大堀切の西側に付出曲輪があり曲輪壁に石垣が良好に残っています。曲輪内部にも多く石垣遺構があります。その大堀切には土橋が残っており土橋を渡って城跡の北西部斜面に行きます。城跡北西部斜面が一番の見応えで、横堀は四方角に囲み、竪堀3条は超巨大で圧巻 見た中でも最大級です。
 主要部は主郭を中心に北と南に東西に長い曲輪が数段あります。主郭の東と西の曲輪は竹藪が酷くてちょっと入り込めません。主郭の南下段の曲輪壁には石垣が明瞭に残っていて石組の井戸もあります。主郭の北東部下段に広い曲輪があり北の虎口に石垣が良好に残っています。そこから北側の眺望が望めます。段の石垣は後世に畑となっていたために改良されたものとなっているようですが、井戸と石垣は一体となっているので井戸も後世のものとなってしまい遺構の判別が難しい。また堀・虎口跡に残る石垣跡は城跡の現存と考え、玉石は東に流れる鏡川か西に流れる仁淀川の河原石と思われます。後世に積んだ石垣であるのならば残っていた石を改変利用したものと私は考えますが、付き出し曲輪・堀・虎口の石垣は畑利用にそこまで積むか?と考え当時のものと思いたい。
 主郭には石列、礎石のような石も地面に表面観察できます。虎口は西端が薄っすら四角く凹んでいるように感じましたので、そこが枡形かもです。曲輪へりに土居はありません。
 駐車したのが15:40 でかなり遅かったので竹藪の曲輪には入らず、くまなく見ていませんがかなり見応えあるいい城跡でした。これにてこの旅終了、まだまだ見たい城跡があったので心残りですが帰路につきました。887㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:朝倉城 (2022/07/23 訪問)

宿泊先の高知パレスホテルからです。北城山公民館(33.547251、133.481577)に駐車し、説明板を確認しました。
ここからだと登り口は西登り口(33.547061、133.480511)と東登り口(33.548214、133.481876)がありますが、若干近い、西登り口から攻城しました。

築城年代は定かではないようですが、大永年間(1521年〜1527年)本山清茂によって築城されたと云われています。
本山城主の本山清茂は岡豊城の長宗我部兼序を攻めてこれを討ち、長浜・浦戸など土佐中央部に領土を拡張し、その拠点として朝倉城を築城したそうです。
永禄3年(1560年)長宗我部国親は本山茂辰の長浜城を急襲して攻め落とし、さらに追撃して浦戸城も落城したが国親が病に倒れ撤退した。
国親が没して元親が家督を継ぐと、1562年(永禄5年)には朝倉城に攻め寄せ包囲しました。
周辺の諸豪族が長宗我部方に降っていったため、 1563年(永禄6年)本山氏が本山城に退去した際に当城は焼かれ、廃城となったそうです。

主郭に行く途中の登山道は切通しのような竪堀で、横堀や石垣も確認できます。
主郭は公園として良く整備されており、東側に土塁が確認できます。また、石碑と説明板が建っています。
比高もさほどなく比較的、攻城しやすい城ですが、北城山公民館までの道が狭いので注意が必要です。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=波川玄蕃城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 本山茂宗
築城年 大永年間(1521〜1528)
主な城主 本山氏
廃城年 永禄6年(1563)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 県史跡(朝倉城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 高知県高知市朝倉字城山
問い合わせ先 高知市民権・文化財課
問い合わせ先電話番号 088-832-7277