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dougen

2016.12.2登城 (2016/12/02 訪問)

添市役所近くにある浦添大公園が浦添城址となります。
浦添城は戦争でアメリカ軍の攻撃を受け、破壊されてしまったものの、近年、ようどれの城壁を中心に復元がされています。
復元といいつつも、ようどれの城壁はかなりの規模であり、圧巻です。
世界遺産の城址ではありませんが、オススメの城址です。

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にのまる

絶景 (2018/11/11 訪問)

飯田線「沢」駅から徒歩30分くらいです。この日は6回天竜川を渡りました。
近くまで来ると「どっちに行っても上ノ平城」という案内が立っています。一か八かで右(奥)の方に行ったら正解でした。帰りに確認したところ、左(まっすぐ)の方に行っても空堀に通じていましたが、右のほうがメインストリートです。
最初に現れるのが一の堀です。背伸びしてもジャンプしても堀らしきものは見えませんでした。残念。
その先、一気に視界がひらけ、広大な曲輪が現れます。しかし、私有地(農地)のようで、地面に刺さっていた「うぃ〜ん」って鳴る緑の物体(動物避けの超音波出してる⁇)にビクビクでした。端の方を歩いて奥まで行くと古めの案内板がありました。
二の堀は1郭と3郭の間。ここもぱっと見、堀だとは分かりませんでした。埋められたようで、薄目でじーっと見たのですが堀は浮かび上がってこなかったです。想像力がもっとあればきっと見えたに違いありません。
さらに奥に進むと新し目の案内板と地図の入ったポストがあって、やっと不法侵入ではないんだと安心できました。
3郭と4郭の間の堀は明瞭で歩くこともできます!戦ったお城かどうかはわかりませんが、地中にはまだ知られていない何かが埋まっている可能性があるようです。
紅葉と夕景が素晴らしかったです。山の端に沈んでいく夕陽を見届けることができました。

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びーこ

これぞ山城の醍醐味! (2018/11/08 訪問)

飛行機、電車、バスを乗り継ぎ、ようやく念願の錦帯橋&岩国城に到着!茨城から山口は途方もなく遠かった・・
川から吹いてくる気持ち良い風を浴びながら錦帯橋を渡ると、ワクワク感が一気に高まっていく。渡った先には、どこぞのTVで見たことのあるの超多種類のソフトクリームを売る店2件が出現した。食べる気はなかったけど、「さんざしソフト」なんて珍しいものがあったのでついつい買い食い。味はいたって普通だった。
ロープウェイ乗り場に行く途中には、白へび館(へびは苦手なのでパス)や美術館があった。平日なのに、ロープウェイはちょっと混雑していて、景色を楽しめる場所を確保できなかった。
岩国城へ向かうには、「山道」と「広い道」から選択できるので、迷わず「広い道」の方へ進んだ。文字通り、広く舗装された道だったが、傾斜はそこそこあって、11月だと言うのにじっとり汗をかいてしまった。天守閣は思ったよりこじんまりして可愛い感じだが、最上階からの眺めは最高だった!これぞ山城の醍醐味!来て良かった~

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伏見櫓と筋鉄御門の公開にあたって (2018/11/03 訪問)

本日は、久しぶりに公開した伏見櫓と初めての公開の筋鉄御門の見学に行ってきました!
伏見櫓は、二重の入母屋の建物の上に一重の小型の櫓を載せた、典型的な望楼型の三重櫓で有ります!
伏見城の城郭建築の遺構としては希有のもので、白壁三重の豪華な姿に慶長初期の頃の気風がうかがわれます!
伏見櫓は、伏見城本丸北側に「松の丸」と称される曲輪にあったとされます!
伏見城から移築されたことの裏付けとして、伏見櫓の二階南面の梁に「松ノ丸ノ東やぐら」といった線彫りが有りました!
これは、1954年に行われた解体修理の際に発見されたそうです!
筋鉄御門は、入母屋造、本瓦葺、脇戸付で福山城の本丸の正門で有ります!
これも、築城に際して伏見城から移築されたものと云われております!
柱の角に筋鉄を施し、扉に数十本の筋鉄を打ち付け、入口側向かって左に渡櫓、右に多門を連結させております!
門の内側に枡形を設けていない初期様式のものであります!
天守は、御三家でさえ許されなかった五重天守(四重目屋根を檜皮葺とし、名目四重天守としたようである)を造営、さらに7基もの三重櫓があげられるという大城郭として完成しました!

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todo94

多気北畠氏館とセットで続日本100名城にして欲しかった (2018/11/11 訪問)

前回と異なり北畠氏館からの1300m余の登城路にチャレンジ。思ったほど厳しい攻城ではなかった。南郭は今回初チェック。鐘撞堂跡、矢倉跡、本丸、米蔵跡と隈無く見て回ることができた。多気北畠氏館だけでは正直言って続日本100名城として役不足の感がある。出石城と有子山城のように霧山城もセットで続日本100名城にして欲しかった。

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チェブ

東京文化財ウィーク。 (2018/11/11 訪問)

太田道灌により落城してしまった石神井城。
石神井公園の中にあります。
ただ、フェンス越しにしか見られないお城跡で、もどかしい感じです。
でも、パネルで説明がきちんとあって分かりやすくなっていますがね。

後で知ったのですが「東京文化財ウィーク」という期間中は普段入れない主郭など一般公開するそうです。
10月位~11月位。とありましたが今年は終わってしまったのかなぁ?
調べ方が悪いのか出てきません!
せっかくだから、みなさんには「東京文化財ウィーク」期間中おすすめします。

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カルビン

お城であり古戦場でもあり (2016/05/01 訪問)

2016年のGWに日帰りで敦賀を散策しに行ってきました。
駅前でレンタサイクルを借り、真っ先に訪れたのが金ヶ崎城・古戦場・金崎宮でした。

金崎宮で御朱印を授与頂き、城碑のある場所から早速登城。
前評判の割に遺構が見られないと思いながら意外とキツイ登り階段を進み、道中ほとんど気になる所が無いまま本丸周辺にある金ヶ崎古戦場碑のある場所に・・・そしてその並びにある月見御殿跡では日本海の絶景が見られ。。。
駄菓子菓子!視界の右側に・・・セメント工場と火力発電所がどーーーんと存在を主張w
(嗚呼、折角の風景が(涙))

遺構も無く絶景もケチついてしまい、失意の中別ルートで金崎宮に戻ろうとしたら、遺構はコチラのルートに集中してましたw
なんだ、ちゃんと遺構あるでないの(笑)

本来なら山伝いに天筒山城のある天筒山方面に行きたかったのですが、金崎宮側にレンタサイクル置いてあったので泣く泣く天筒山城はパスする事にorz


他に赤レンガ倉庫や気比神宮、敦賀城、大谷吉継の供養塔のある永賞寺、敦賀城資料館的な「みなとつるが山車会館」、織田信長も立ち寄ったとされる「西蓮寺」等々を回りました。
他にも気比の松原等もあるので、訪問は個人的に電車で敦賀、そこからレンタサイクル・・・っていうのが小回りが利いていてお得です。


ちなみに自分はスポーツタイプの自転車をレンタルしましたが・・・足短くてペダルギリギリ回せるという・・・乗り慣れるまでに結構な時間かかりました(汗)
借りる前に事前の確認をしっかりしましょう(^ω^;)

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リベロスキー

四季桜咲く城跡 (2018/11/15 訪問)

石垣や枡形や竪堀群など遺構も見ごたえ有りますが、この季節はなんと言っても四季桜が見ごたえ有りますよ♪

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todo94

続日本100名城スタンプ67個目 (2018/11/11 訪問)

国史跡の北畠氏庭園は紅葉のライトアップが始まっているようだったが、まだ色づき始めというところ。今回はここから、霧山城を目指したが、おかげで、北畠氏館の詰城をチェックすることができた。

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dougen

2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)

佐敷城から国道331号で西へ。与那原町に入ったあたりの西側の丘陵に大里城址公園があり、島添大里城(しましぃおおざとぐすく)となります。
なお、公園に駐車場があり、利用することができます。
公園として整備された際、どこまで改変されたかは判りませんが、石垣が確認できます。
今回は、時間切れで行けませんでしたが、島添大里城の出城とされ、展望台になっているミーグスクが近くにあります。

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小城小次郎

朝倉城

土佐七雄・本山氏の勢力伸長拠点として防御性・居住性ともに優れたお城に仕上がっていたが、永禄年間に長宗我部氏に攻略され敢え無く炎上。

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モト

堀や土塁で構成された城跡を丁寧にご説明いただけます (2018/11/01 訪問)

史跡公園になっている飛山城址です。
整備されていてきれいな堀、土塁を見ることができました。
史跡公園というだけあって、自然に残る遺構の荒々しさや尊さはないかもしれませんが、往時を思わせるきれいな土塁や堀はそれで構成された城を容易にイメージすることができると思います。
また丁寧な案内板も多く設置してあるので、わかりやすく大変勉強になりました。
私のような城跡を巡りながらその知識を深めていっている者にはありがたい公園でございました。
改めて勉強になりました。

ちなみに堀と空堀の数はかなりありますよ。
堀も畝り堀や障子堀など、色々な種類があるので飽きずに見学できました。

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チェブ

戦国時代の釣り。 (2018/11/11 訪問)

愛宕山砦跡があります。
早稲田高等学院の塀の辺りです。

太田道灌が石神井城を攻めた時に築城したらしいんです。石神井城から500㍍位しか離れていない場所で大胆な工事してくれました。

近くに川があり意外にきれいな水質。
戦国の方達は釣りってしたんですかね?
鷹狩やお茶、連歌は本を読んでいると出てきますが釣りはどうだろう?
釣りする武将が想像できません。

砦跡よりも川を見ている時間の方が長かった散策でした。

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カルビン

日帰りでも行けました (2018/10/25 訪問)

急遽休暇が取れたので、思いきって日帰り遠征を決行し、新幹線に乗る為に新横浜へ・・・京都駅からは近鉄線で大和西大寺まで特急を使用し、そこで乗り換えて近鉄郡山駅へ。
思いの外アクセス良くて、日帰りでも十二分に堪能できました(^ω^)b


最初に豊臣秀長の菩提・大納言塚を見学し、その足で大和郡山城へ向かいました。

以前車で訪問した時は天守の石垣再建工事していて立ち入れなかったのですが、そこの工事は完了していたので晴れて天守の見学が出来ました。
最上段から見下ろすと石垣の凄さと水堀のダイナミックさが融合した風景が見られます。

ちなみに石垣工事は継続していて(以前の訪問が2015年3月21日・・・その時から工事継続していたとすると・・・長いな(汗))、現在は当時本丸エリアと東のエリアをつなぐ橋があった場所の石垣の工事をしてました。

建造物は東エリアに集中してまして、門とか櫓とかを楽しむ事が出来ます。
(以前訪問した時には門の周りでデッサンする人の群れがいて、ものすごく見学し辛かった(汗))

続100名城スタンプの頂ける柳沢文庫の場所がちょっと解り辛いのでご注意を。


余談ですが、ここから南東にある源九郎稲荷神社にて、過去に数日だけ存在した発泡スチロールで造られた幻の天守閣の写真を拝見させて頂けました。
そういう風に見えない程精巧につくられてましたよ(驚)

神社仏閣巡りをしていると、こういう僥倖に巡り合えるケース結構多いので、得した気分になれます(^_^)

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ブラタヌシ

大河撮影場所 (2018/11/11 訪問)

戸倉の低山に構えた山城、櫓とか柵もよいが、やっぱり石垣
この平石積みはなかなか見れない。

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todo94

続日本100名城スタンプ66個目 (2018/11/11 訪問)

2009年11月以来、9年ぶりの再訪。春日門跡の石垣が残る春日神社を目指して、重要伝統的建造物群保存地区の町並みを散策。残念ながら春日神社からの登城路は倒木があり通行止めになっていた。ひきかえしてスタンプ置き場の千軒舎脇からの整備された登城路で本丸へ。二の丸には立ち入りできなかったので本丸天守台から眺めただけであるが、雀門跡近くの空堀などの遺構は十分に楽しむことができた。

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dougen

2009.8.2登城 (2009/08/02 訪問)

座喜味城址公園から那覇市内へ戻る途中の嘉手納基地の近くに屋良城址公園があります。
とは言っても、住宅地の中の大きめな公園という感じで、石垣などの遺構が残っている訳ではありません。
近くに行ったら、行ってみるぐらいの城址かと思います。

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dougen

2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)

知念城から国道331号で半島を回り込む形で進み、佐敷小学校の手前の鳥居の道を上がったところに月代宮があり、佐敷城址となります。
国の史跡に指定されているものの、解説板のみで遺構らしい遺構が見当たりませんでした。
に出て少し茅野方面に戻ったあたりに上原城址へ登る林道があります。
海を見下ろす高台に位置していることが城址だったことを感じられる唯一のものです。

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朝田 辰兵衛

所在地となっている「金宝寺」は,蒲原津の底部。 (2018/11/14 訪問)

蒲原津は元来,南側に信濃川河口,北側に阿賀野川河口を合わせ持ち日本海に突出していた河口港であり,水運の拠点でもありました。信濃川の対岸側(左岸)は,新潟津。阿賀野川の対岸側(右岸)は,沼垂湊。蒲原津,新潟津,沼垂湊で「3か津」と呼ばれていました。
南北朝時代,新潟津の覇権は南朝側(天神山城の小国氏)で,沼垂湊の覇権は北朝側(加地城の加地氏)。蒲原津の争奪戦を4回。北朝側勝利。金宝寺は廃棄。
天正9(1581)年,越後平定に動いていた上杉景勝が木場城を造り,占拠していた新発田城の新発田氏を滅ぼしてこの地の制圧に成功を収めます。のちに金宝寺を再建。
これで安泰かと思いきや,新潟市内の土壌は基本砂浜。河口港ということで自然災害のたびに地形変化の憂き目に遭いました。そして,とうとう延暦年間(1673-1681年)に蒲原津は洪水で流され廃港になりました。
近代に入り,阿賀野川河口は約15km北側に変更されてます。また,信濃川は大河津分水で日本海に分流され,さらに関屋分水路で再び日本海に分流されてます。関屋分水路から現在の信濃川河口までは,埋め立て案も浮上したことがありましたが,回避して現在の形になっています。
《参考文献:新潟市「新潟市の歴史」》

ここで,個人的疑問がありまして,南北朝時代の金宝寺,天正9(1581)年再建時の金宝寺,そして現在の金宝寺は同一場所と言えるのかどうか?
新潟在住ということもあり,蒲原津全体を視野に入れた散策を決行しました。

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丹羽長重

東北三大石垣の城 (2017/05/03 訪問)

ゴールデンウィークに行ってきました。岩手県をいろいろ観光した後、盛岡城に向かいました。
盛岡市街地を走っていると急に立派な石垣が現れて思わず「すげー」ってなりました。さすが東北三大石垣の城と言われるだけあって圧倒されました。(ちなみに後二つは地元福島県の会津若松城と小峰城です)
主な城主は有名な南部氏!後に石川啄木などがこの盛岡で生まれています。築城期間は結構かかっていて、とても難航したそうです。でもその苦労のおかげで今の立派な石垣があるのだと思います。
また、僕の行った時はゴールデンウィークでほぼ桜が散っていたので春に来ると良いのかなと思います。

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