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ももぅ

信長居館跡🌸 (2020/04/06 訪問)

非常事態宣言発表の日…
天守が15時で閉館になってしまい間に合わず💧
館跡だけ
次回はVR借りて見たいし、城にも登りたい( •̀ω•́ )✧

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姫街道

千頭峯城とその砦 (2020/04/05 訪問)

二回目の登城。千頭峯城は立地や城主に諸説あり、今回はそのモヤモヤを晴らすべく現千頭峯城(本城)・中千頭砦・鯉山砦と尾根つたいにY型の先端に配置されてつながっている三ヶ所を登城した。
まず鯉山砦。現千頭峯城は鯉山砦の支城だった説もある。Y字の南端に位置し、登城も「崖を登る」と言う言葉がピッタリだった。
立地やその険しさから、こちらが本城だったと言われても何ら疑いはない。
中千頭峯城は、立地的に現瓦塔遺跡だと私は思う。元摩訶耶寺があった場所で、古城だと思う。前面に浜名湖畔・右前方には鯉山砦を見る事ができ、寺の形状をそのまま城形状に活用したのではないかと想像した。現本城は上記二ケ所と比べると尾根形式や立地が圧倒的に劣る。今川氏が徳川侵攻に備えて増築し、さらには徳川が武田信玄の侵攻に備えて増築した説が肯ける。
私は、中千頭峯城→鯉山砦→千頭峯城と本城が移って行ったのではないかと想像した。
築城者や支配者についてだが、
千頭峯城は南北朝時代に井伊氏分家の奥山氏築城と言われ井伊氏の本城である三岳城の支城と言われているが、私は今回の登城で否定的な意見に賛同する事にした。鯉山砦の麓には浜名氏の菩提寺である金剛寺や浜名氏が祖神太田命を祀った浜名惣社神明宮があり、南北朝の戦時、一時的に奥山氏に支配されていた時期はあったかもしれないが、基本的には浜名湖北一帯を支配していた浜名氏やその分家がこの城郭群を長きに渡って支配していたのではないかと感じた。

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カルビン

磯野~、野球しようぜ~ (2019/06/01 訪問)

お城好きな方の中でも戦国時代のロマンを感じたい方しか行かないと思われます桶狭間合戦関連の砦跡。

城びとに登録されている桶狭間関連の砦の中で一番最後に訪問したのが中島砦跡になります。

何度か近くに言っていたものの、他を優先していたら中島砦だけ余ったっていうのが実の所でw
あとTVで桶狭間関連の放送する時って中島砦だけ放送スルーされる事が多かったので、どうせ大した事無いんだろうな。。。という推測もありましたが。。。

鳴海城再訪とセットで訪問したわけですが。。。ま、予想通り民家の一画にひっそりと石碑のみ残っていたというオチ。
東京からここ狙いで行く場所では決してないです。。。絶対にバーター訪問な場所です(汗)

前々回判断を誤って続100名城upしましたが、今の時期万が一それ見て衝動で行かれてしまうと良くないので、暫くそそれれないであろうこの系統の記事のupにしようと思いますm(_ _)m


よく歴史的バックボーンから何も無くても有る程度納得する場所多いんですが、中島砦に関しては一切そういう感情浮かびませんでした・・・
強いて言うならサザエさんに出てくる中島君を思い出していたというw(ここでタイトルの意味がお分かり頂けたかとw)

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ももぅ

🌸桜満開🌸 (2020/04/06 訪問)

家康公お城クーポン500円
岡崎城入館券、オリジナルコースター&缶バッジ、おみやげ300円金券、赤出し味噌100gがついて、三河武士のやかた家康館の割引もあり、のんびりと満喫(*´˘`*)

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西ヶ谷より (2020/04/11 訪問)

 山の尾根に堀切で曲輪を作っているシンプルな縄張りです。かなり浅くなっていますがいくつかの堀切を見ることができます。
JR静岡駅から静鉄バスに乗り西ヶ谷運動場入口で降りて登り口まで約15分くらいでしょうか。西ヶ谷より登り、約40分で安倍城の石碑がある主郭に着きます。安倍城跡から久住砦まで行きました。道はハイキングコースとして整備されていますが、必ずしも歩きやすいわけではありません。特に安倍城跡と久住砦の間の登り下りは急坂でロープが張ってありますが、木の根ががんばっていて歩きにくかった。

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小城小次郎

芥川山城

織豊系城郭が出現するよりも早く、畿内には「見せる石垣」を持つ城が存在した。三好長慶の時代、遥か先に飯盛城を見渡せるここからの絶景が「天下」そのものだったのだろう。

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まーやん

よしあき君が見守る現存天守閣! (2018/05/04 訪問)

スタンプリベンジのため再訪。
懐かしさ漂うシングルリフトに乗るが、待ち時間も秋山好古・真之兄弟など、松山縁の偉人の壁画(墨絵)やキャラクターよしあき君が楽しませてくれる。

リフトを降りると高石垣がそびえ、戸無門へ誘われる。なんと、戸がなく天空にジャンプするかのようなワクワク感ある景色だが、当時も意気揚々と敵方に攻め込ませるための罠として作られたとか。
戸無門を越え左手に筒井門があり、こじ開けようと集まった所を見えないように隣に設けられた隠門からの伏兵が背後を突く仕掛けだ。恐ろしい(;゜0゜)
その後も一ノ門、ニノ門、三ノ門、筋鉄門と櫓と壁に囲まれクランクし天守広場に辿り着く鉄壁の守り。
現存天守は小天守や南、北櫓を多聞櫓などで結ぶ連立式天守となっている。
天守からの景色も絶景✨
お腹一杯となる贅沢な城である。

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ぴーかる

明智長山城 (2020/03/21 訪問)

【明智長山城】
<駐車場他>花フェスタ記念公園駐車場無料 登城口周辺に駐車場なし。
<交通手段>車

<見所>曲輪・中の曲輪切岸・七ッ塚
<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅8城目。現在新型コロナウイルスの影響で状況は分かりませんが、私が行った当時は大手門跡横の駐車場は閉鎖していて仮設トイレ・仮設テントで御城印、パンフレット等の頒布を行っていました。駐車場は花フェスタ記念公園駐車場に駐車して徒歩15分程で登城口に着きます。途中に天竜寺の光秀の大位牌があり見所があります。
 
 登城口は麓に2箇所、光蓮寺を挟んで東と西側にあります。登城時は人の流れが東側の大手門跡から登って山頂の本丸跡に行って、十兵衛坂を下って西側の登り口に出るコースで歩いていました。行ったときは沢山の人が来城していました。城跡は散策路になっており整備されています。曲輪は山の北側の斜面を中心に形状に沿った形で配置(南側斜面はどうなっていたのだろうと思った)している中世山城です。山頂は築城前は横に長い頂上部だったようで(だから長山城なのか?)相当山頂部を削って、本丸・二の丸・中の曲輪・西出丸曲輪がほぼ同じ比高に並んだ細長い縄張りとなっている。
 二の丸跡には落城時に自刃した明智光安を含む7人の武将の塚の遺構があります。水の手曲輪付近に2重竪掘りがあり見応えあります。西大手曲輪に六眷属幽魂塔というのがあり、六眷属とは歴代の明智城主一門を意味するもので見慣れぬ石が顔を出していたのを掘りだして発見したらしい。落城後この地の領民が善政した明智氏の慰霊のためにそっと隠すように祀ったのではないかということです。

 本丸の展望台から眺めるとこの明智荘は所々に丘陵地があるものの豊かな平野部であったように感じた。学者でもない知識不足な全くの素人が見た感覚だけですが、恵那市の明知城、光秀の妻の実家妻木城、そしてこの明智長山城の3城に行って見て、武士の領主政略結婚、本当に光秀の妻が妻木氏の実子ならば光秀は領地支配の規模、お城の規模、周辺地域の情勢を考えてこちらの可児市明智荘の生まれだったように思った。

<満足度>◆◆◇

<イベント>花フェスタ記念公園で「麒麟がくる可児大河ドラマ館」を見ました。個人的意見ですが入館料500円のパフォーマンスはないです。無料で光秀や戦国時代の説明パネルがあるゾーンがあるのでそこで十分かと。

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ノブ

空堀がきれいです。 (2020/04/10 訪問)

沼田氏が西の備えとして築城した城です。
多数の旗が立っていたので迷わず登城できました。
狭い城ですが、空堀がキレイに見れました。
上毛高原駅構内で御城印が買えます。

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退会済み
ユーザー

大好きです (2015/10/20 訪問)

決して派手ではありませんが落ち着いた佇まいが大好きです。

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todo94

土岐の城 (2020/04/04 訪問)

公民館に駐車場が用意されています。中央道をくぐって側道に出て、水色桔梗の幟に導かれて坂を登ると登城口。立派な城址碑が建っています。かつてはかなり樹木が生い茂っていたのだと思いますが、伐採が進められて西出丸も東出丸も本丸も、素晴らしい眺望が開けていました。

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城好きのメガネ

「蟹江城」 (2020/03/21 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
蟹江城は1429年頃に北条時任が館を築いたのが始まりとされる。戦国時代には今川方の松平広忠によって落城した。その後、伊勢国の長島城主だった服部友貞の支配下に入り、織田信長に対する拠点として活用された。1570年頃には、滝川一益が入り大改修が行われ、伊勢侵攻や長島一向一揆鎮圧の拠点となる。小牧・長久手の戦いでは、織田信雄の大軍に包囲され、篭城戦の末、落城したとされる。現在、本丸井戸跡が遺されている。

<アクセス>
JR蟹江駅 徒歩10分

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小城小次郎

坂本城

安土城よりも早く築かれ安土城と並び称された琵琶湖の名城には天守もあったらしく、かなり先駆的な近世城郭だったようだ。城跡近くの公園にある明智光秀像は何故だかとっても残念な気がする。

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街道おじさん

妻木城登城 (2020/04/05 訪問)

乙姫城との別名があり、大河ドラマ『麒麟がくる』では光秀の正室煕子(木村文乃さん)が生まれた城と
されている。
山城にしては立派な石垣が残っていたので驚いた。

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四四一六

蛸はお城の守り神 (2020/02/16 訪問)

根来衆、雑賀衆、粉河衆3万の軍勢に対し中村一氏8千の城兵で戦った岸和田合戦、大きなタコに乗って法師の格好をしたお地蔵さんと無数の蛸に救われたと言う「蛸地蔵伝説」から城の守り神を御城印にシンボル化したそうです。知らんけど…。

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四四一六

コレも「熊野 Power」…⁉️ (2020/03/20 訪問)

海岸線は隆起と風化と波の浸食でできた天然記念物。
山頂には戦国時代の居城跡。
見晴らしは最高です。

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todo94

大きな看板 (2020/04/04 訪問)

小さいながらもきれいな公園として整備されていました。看板はなかなかの大きさで2つもあります。模擬櫓風の展望台にも登ってみました。心地よい天気で桜も咲き誇っていました。新型コロナウイルス対策でライトアップは中止となっています。

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dougen

2019.12.30登城 (2018/12/30 訪問)

明智長山城がある羽生ヶ丘団地を南に下りた場所に羽崎城址があります。
駐車場は無いため、周辺の道が広くなっている処に駐車して登城しました。
一応、城址の案内板があるものの、登城口が判らず、近所に住む人に聞いたところ、親切に教えていただけました。結果、耕作地の様なところ(写真3参照)を横切って登城口に行くことになるので、普通は躊躇するケースです。
城址に神社があるため、そこまでの道は草刈がされていますが、それ以外の場所は藪化しており、
遺構が非常に判り辛い状態です。
立派な城址の石碑は設置されていましたので、史跡指定などして、整備されることを期待したいところです。

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ぴーかる

悪五郎の城 (2020/03/21 訪問)

【久々利城】
<駐車場他>可児郷土歴史館駐車場
<交通手段>車

<見所>枡形虎口・石垣跡・堀切
<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅7城目。この城は築城年は定かではないが土岐康貞が築城、土岐三河守悪五郎と称してこの名を世襲する。康貞の子行春が久々利太郎行春と称して久々利氏が始まり200余年続いた。戦国時代には久々利氏は美濃の斉藤氏、信長の美濃攻めの時には武田氏、信長の東美濃攻略時には金山城の森氏の傘下に入り織田家に従属する。本能寺の変のち1583年森長可が久々利城主悪五郎を金山城に招き謀殺、久々利城に夜襲をかけ落城する。森家家臣戸田勘左衛門が城代となって、1600年森家転封となり久々利城は廃城となった。

 登城口は県道84号線脇に、登城口にパンフレットが置いてあります。その場所から右手方向に登っていくと城跡、左手を少し入ると石垣跡があります。
城跡虎口前に畝状の土塁が3本あり、進入路を分散させている。当時は食違いになっていたようです。虎口は枡形で、畝状の土塁を含めて三の丸上から狙い打ちできるように横矢になっています。この辺りの防御は堅く森氏時代に改修されたようだ。曲輪は連郭式で山頂部から見張郭→奥の院→北の丸→土橋→本丸→二の丸→三の丸とある。見張郭北側に2重堀切、竪掘り(ちょとわからなかった)がある。連郭の北西部に谷を挟んで平行して細い尾根の武者走りがある。麓からも延びているので、ここから攻めると防備が弱いように感じた。
奥の院が城跡一広い曲輪で曲輪内に転落石が多数落ちている。見張郭との法面が石垣になっていて、そこから落ちたものと思う。城跡内に手書きの案内板(味がある)にも幻の本丸?とあったが、私もここがかつての主郭だったように感じた。

 御城印は可児郷土歴史館と併設する袋井コミュニティーセンターにて頒布しています。300円以上の募金をしたら1枚いただけるということになっており、販売はしていませんのでおつりは出ませんので小銭を用意されたほうがよいでしょう。

<満足度>◆◆◆

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カルビン

意外とバリエーション豊かだった (2014/03/28 訪問)

地域1の勢力を誇っていたのに、後北条氏や武田氏に良い様に翻弄され、挙句の果てに長尾景虎に泣きついて全てを投げ渡した山内上杉家・上杉憲顕本拠地。
憲顕って「けんけん」とも呼べるんですよね・・・チキチキマシーン猛レース(注・カルビン見ていたのは再放送ですw)思い出して笑ってしまいましたwww

長野業正が孤軍奮闘で頑張っていましたが、彼の亡き後一気に滅亡したに等しく・・・如何に名門と言えども、上に立つ人物が努力を怠るとこういう事になるのは何時の時代でも同じですね(汗)

そんな平井城は崖端城になっており、通常はここで政務を行い、有事の際には詰めの城・平井金山城にて戦うハズだったんですが・・・平井金山城は滅亡時には使われる事無かったっていうのが寂しいですね(堅固な山城だけに)

と言っても平井城もただ曲輪があるだけの場所ではなく、崖端を利用して遺構を備えた場所になっております。
その近さから恐らく平井城と平井金山城は元々1つの城として機能していたと思われます。

今(といっても訪問したの6年前ですが)は周辺の開発により部分しか残っておらず、見学した際の印象薄かったのですが、今記事upするのに写真見返していたら思っていたよりバリエーションの多い場所だったんですね。

そのほとんどが復元ですが土塁・空堀・竪堀等が見られ、解説も充実しており、無料の駐車場も完備された感じの良い場所になってます。

一応バス路線なので電車・バスで訪問も出来ますが、本数がかなり少ない為車での平井金山城等とのセット訪問推奨で御座います。


ちなみに平井金山城の方は当時途中まで登ったところでオオスズメバチの巣があった(3月下旬に何故活発に活動してる?!)為に引き返さざるを得なかった苦い思い出が・・・
こっちは再訪してから記事upしたいと思います。

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