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宗春

大野城 (2017/12/30 訪問)

天守風展望台があり、意外と良い眺望でした。

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宗春

大草城 (2017/12/30 訪問)

天守風展望台があります。思ったより良い眺望でした。

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宗春

大垣城 (2017/08/14 訪問)

普通に城巡りを始めた最初のお城です。

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宗春

苗木城 (2018/11/24 訪問)

某アプリの、美濃山城イベントのため再登城。

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宗春

苗木城 (2017/08/12 訪問)

少し前の登城です。家族と行った時のもの。

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ぴーかる

御館 (2019/04/30 訪問)

【御館】
<駐車場他>駐車場はありません。近辺にコインPもなし。
<交通手段>車

<感想>2泊3日上・越攻城の旅6城目。御館の乱、そもそも上杉景勝が家督争いに勝って当主になったことは知っていたが、御館の乱という名を知ったのは勉強不足でほんの数年前のことでした。城びと方々の御投稿にて何も残っていない場所だとわかっていたが、今回長距離旅で春日山に来たのでせっかくなので見ておこうと思い来ました。
公園がほぼ館の中心部分で堀もあったらしいが、周辺は住宅になっており堀も埋められています。公園は方形になっていますが、案内板の通り館跡の方形との東西南北がちょっとずれています。
 遺構が無い城(この場合館ですが)の訪城は初めてだったので攻め感は全くないですね。(--〆)

<満足度>◆◇◇

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くろもり

土の大城郭と南蛮へ渡った男 (2015/12/29 訪問)

大雨が集中し、南九州にお住まいの方は大変な時だとは思いますが、エールも込めて宮崎県の都於郡城(とのこおりじょう)の投稿をさせて頂きます。

電車で佐土原駅に着きましたが、都於郡城まで片道12km。バスとコミュニティバスを乗り継げば、城の近くまで行けそうでしたが、コミュニティバスが1日4~5本だったので、タクシーを使いました。片道3000円くらいだったと思います。佐土原駅にコインロッカーがなかったので、お土産の日本酒を抱えたままの登城となりました。

駐車場は普通車75台程と大型車5台の大きな駐車場と普通車10台の駐車場があります。トイレは駐車場に1ヶ所、城内に2ヶ所ありました。

見所は、台地の地形を生かした五つの大きな曲輪、各曲輪を区切る大きな堀、本丸の大きな堀底道と虎口、本丸に高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)ホオリ(天津日高彦火火出見尊:ひこほほでみ の みこと、神武天皇の祖父にあたる人物)の陵があったとの伝説があるのでその碑と、伊東マンショ司祭の銅像と誕生の碑と慰霊の碑があり、二ノ丸には3mを越える大きな土塁もあり、西ノ城の曲輪からは天孫降臨の地・高千穂峰が見えます。

以下、写真の説明です。
1枚目・・・本丸東虎口の堀底道
2枚目・・・本丸の伊東マンショ公銅像
3枚目・・・本丸西と二ノ丸東の間の巨大な堀。カラーコーンが70cmと仮定すると塁壁の高さは15mくらいでしょうか。
4枚目・・・西ノ城の曲輪から見た西の景色。三財川と真ん中奥に天孫降臨の地・高千穂峰が見えます。
5枚目・・・都於郡城の縄張図
6枚目以降は伊東マンショ公の天正遣欧少年使節関連の写真になるので、後ろに説明を書きます。


※ここからは私の都於郡城への抑えきれない想いが続くので、お時間のある方だけお付き合いください。

私は上杉謙信公が好きなので、一番好きな城はどうしても春日山城になるのですが、謙信公関連を除いた時に一番好きな土の城は、間違いなくこの都於郡城になります。

都於郡城は何と言っても日向伊東氏の本城の一つに数えられる城なので、子供の頃から20年以上ずっと訪れたいと思っていた城の一つでしたが、その想いが報われるどころか予想を圧倒的に超える城でした。子供の頃は城=天守のある巨大城郭だったので、中世城郭を訪れると「思っていたより小さいな・・・」等と予想を裏切られる事が多いのですが、この都於郡城は巨大な近世城郭に引けを取らないダイナミックな迫力があり、終始圧倒され続けました。※とは言っても、中世城郭をある程度訪れてからの印象なので、熊本城や大阪城のようなお城からいきなり都於郡城を訪れても「何もない」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

従三位に叙せられたので『三位入道』と呼ばれ、日向伊東氏の最盛期を築いたと言われる伊東義祐(いとうよしすけ)公が佐土原城と共に伊東氏の本城としていた城でもあり、天正遣欧少年使節で大友宗麟公の名代を務めた伊東マンショこと祐益(すけます)公が生まれたと伝わる城でもあり、その歴史は九州だけでなく全国でも屈指の輝きを放ちます(と私は思います)。伊東義祐公については松本清張さんの『奥羽の二人』に『三位入道』という短編が収録されています。義祐公を扱った作品は他に知らないので、貴重なものだと思います。

そして各曲輪にある解説板も素晴らしいです。日本語の説明に加えて、必ず英語の説明がついています。それも一言だけではなく、かなり詳細に説明されており感動しました。
例えば『曲輪』の説明は以下のようにされていました。
Fortification Construction
Tonokori Castle was built in typical "mountain castle" style.
Mountain castles used natural surroundings, such as cliffs, for defense.
In addition, moats were constructed and the remaining soil used to build earthen barriers around the fortress.

各曲輪だけでなく、『土塁』の説明まで英語でされており、西都(さいと)市の整備の質はもの凄く高いなと本当に感心しました。


※ここからは都於郡城ではなく、伊東マンショ公の天正遣欧少年使節に関する事になるので、興味のある方だけ読んで下さい。

遠藤周作先生の『沈黙』を読んで衝撃を受けて以来、切支丹に興味を持つようになったのですが、今年のゴールデンウィークにポルトガルに旅行に行く機会があり、ポルトガルにはマンショ公の天正遣欧少年使節の軌跡が残っているので、その足跡の地をいくつか巡ってみました。
以下、写真と説明です。
写真6枚目・・・シントラ宮殿。天正遣欧少年使節がポルトガル王族に歓待された時に訪れた宮殿です。「シントラの文化的景観」として世界遺産に登録されています。シントラ宮殿のHPの歴史の項にしっかりと天正遣欧少年使節が1584年に訪れたと記載があります。

写真7枚目・・・シントラ宮殿の紋章の間です。天正遣欧少年使節が到着する前に完成していたので、おそらく天正遣欧少年使節もこの紋章の間を見たはずです。天井にポルトガル王家の紋章があり、その周りに72の王族・貴族の紋章があります。青色の壁はアズレージョと呼ばれる青く装飾されたタイルで、ポルトガルの教会や駅等でよく見られます。

写真8枚目・・・リスボンのサン・ロケ教会。天正遣欧少年使節がリスボン滞在中に宿舎にしていたイエズス会の教会で、リスボン地震でも倒壊を免れました。外観はとてもシンプルです。

写真9枚目・・・サン・ロケ教会の内部。当時、植民地であったブラジルで産出した金を使用した豪華な内装です。往時と変わっている所もあるとは思いますが、伊東マンショ公が見た景色と一致する所もきっとあると思います。

写真10枚目・・・サン・ロケ教会から徒歩2~3分の距離にあるアルカンタラ展望台です。天正遣欧少年使節の一行もここからきっと、サン・ジョルジェ城とリスボンの風景を見たと思います。サン・ジョルジェ城は財団法人日本城郭協会が選定したヨーロッパ100名城になっています。

長文の後にお城とは関係ない話題で申し訳ないのですが、写真10枚目のアルカンタラ展望台は2011年3月に発生した東日本大震災から1ヶ月程経った頃に放映が開始されたエステー社の『消臭力』のCMのロケ地になります。ミゲル君というポルトガル人の男の子が、サン・ジョルジェ城とリスボンの美しい街並みをバックに「ら~ららら~♪」と笑顔で歌うCMで、覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。リスボンは1755年に大きな地震と津波が発生し、数万人の死者が出たと言われる程の被害を受けましたが、現在ではその面影を全く感じない程復興されて美しい街になっています。東日本大震災後の原発事故等が不安でどこか暗く落ち込んで生活している時に、ミゲル君の笑顔と歌は、震災から復興したリスボンから日本にエールを送られているように感じ、とても感動したことを覚えています。日本は地震・津波・台風・水害と災害の多い国で、最近、都於郡城のある南九州でも豪雨による災害が発生し、大きな被害が出ていないか心配しています。

私は真言宗ですが、マンショ公と神のご加護が南九州の方々にあらんことをお祈りしています。

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カルビン

コンビニの有り難さを知る (2019/05/26 訪問)

久しぶりに神社仏閣参拝巡りをすべく、以前より行ってみたかった千葉県柏市にある布施弁天東海寺まで電車・バスで参拝しに行ってきまして。

ついでにそこから西に1.5km離れた「ウィングホール柏斎場」に入口にある布施城の城碑を見に行きました。
遺構が無いのは解っておりましたが、折角なので・・・


駄菓子菓子!


この日とんでもない猛暑に加え、東海寺から布施城碑までの直線の道には日影がほぼ皆無と言う事でかなり危ない状態に。。。
たかが1.5kmの歩きでここまでフラフラになるとは思いませんでした (゚ω゚)~~゚

斎場の近くにある道沿いにある林の日影で回復をはかり、なんとか復活して城碑を見て、あと周辺の地形をざっと見て即日陰に引き返し

滞在時間3分程でしょうか・・・何もないからねww
しいて言えば川沿いの地形がもしかしたら・・・くらいでしょうか。

地形的には先程涼んだ場所がちょっとした崖下にあたり、もし布施城の範囲がそこまで伸びていたとしたら、開発の手が進む前は崖端城としてみられたのかもしれません。
と、何も無いのを妄想でごまかしつつ引き続き猛暑に悩まされながら進み、ようやくたどり着いたバス停へ。

ここで30分待ちを喰らいましたが、目の前にあったコンビニのおかげで完全に生き返りました(;`ω´)9

ここ数年の猛暑で熱中症患者が増えております(自分も昨年影響受けた)が、危険時の救いとなるのはコンビニになるのかもしれません。
その有り難さを実感しました・・・皆様も熱中症対策をしっかりしてお出かけしましょうね(危)

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todo94

立派な城址碑 (2019/06/29 訪問)

城主の千徳政氏は南部を裏切り津軽為信と結びますが、南部氏に攻められた際、津軽為信が援軍を送らなかったことで津軽氏との同盟は破綻を来し、津軽軍に攻められて廃城となったそうです。

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たくわん

広いです (2019/07/05 訪問)

辻堂駅北口からバスに乗って大庭小学校で降りて10分くらい歩くと大庭城址公園に着きました。本丸二の丸三の丸四の丸などあるから広いです。一周1kmくらい。30分くらいで一周しました。堀とか縄張り残ってます。

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チェブ

水分補給。 (2019/05/25 訪問)

埼玉県の「江ヶ崎城」に行きました。
昨日、投稿した「岩槻城」の後に向かいました。
30度越えの暑い日でした。
「江ヶ崎城」はセブンイレブンの駐車場に石碑があるとの皆さんの情報です。
これはもう、アイス買って「江ヶ崎城」攻めですよ。
鬼窪 繁政さんの居城と言われる、「江ヶ崎城」。
鬼窪氏のお名前を調べても、あまり詳しく出てきません。
でも、とても立派な石碑が立ってました。
ちなみに石碑は民家の入口近くにあります。

また、暑い夏がきますね。
水分補給しながらお城巡りしましょうね。

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イオ

狼煙の中継所 (2019/06/24 訪問)

鎌倉期に築かれ、近接する栂山城、豊田城とあわせて鼎城と呼ばれた小谷氏の城で、南北朝期には南朝方で千早城からの狼煙の中継所としての役割を果たし、戦国期には三好氏と争い、織田信長の紀州攻めの際に根来党であるとして落城させられたようです。

阪和第一泉北病院の裏山が城址として整備されており、病院の玄関脇の道を上っていくと、本丸と思しき頂部に城趾碑や説明板が設けられていますが、遺構は特にありません。ただ、眺望はなかなか良く、狼煙の中継所だったというのも納得です。
病院の下(南西)には小谷城郷土館があり、こちらにも城趾碑や説明板がありますが、休館日だったため館内には入っていません。また、郷土館入口の長屋門は伯太陣屋から移築されたものです。

アクセスは、泉北高速鉄道・泉ヶ丘駅から徒歩約18分、車なら小谷城郷土館の無料駐車場に駐めて徒歩7分くらいでしょうか。
 

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街道おじさん

大垣城登城 (2019/03/01 訪問)

関ケ原の戦いの舞台となり、歴史に名を残した。
美濃路を歩いた際に立ち寄った。
個々の天守は戦前国宝の指定を受けていたが、惜しくも戦災で焼失。

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退会済み
ユーザー

4年ぶり (2019/07/05 訪問)

久しぶりに行きました。4年ぶりです。若干ですが前に比べ説明文が薄くなった様な。

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atsufumi

大きな公園にこじんまりと (2019/07/05 訪問)

素敵な公園に鉄櫓がしっくり良い感じ。
樹がいっぱい植えられていて、公園内で迷ってしまいました。迷子。豊橋には、豊川にかかる豊橋があります。と、ロスプリモスがびっくりしていました。

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朝田 辰兵衛

ここに建っていた天守は… (2018/08/31 訪問)

南蛮造りだったらしい…。

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小城小次郎

吉田郡山城

押しも押されぬ毛利氏代々の本拠地は元就の代以降に大拡張され、ほぼ全山を城郭化。八方に広がる尾根を加工し高低差を削り出した主郭近辺の切岸加工は圧巻。

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小城小次郎

多治比猿掛城

若き日の毛利元就は27歳で家督を継ぐまでの23年間をここで過ごしていた。振り返れば雌伏の時だったのだろうが、案外幸せな時だったのではないか、とも思う。

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カルビン

冬季に行きたかった (2014/09/06 訪問)

山梨県にあるだけに武田時代に築城された居館タイプのお城。
天正壬午の乱では北条氏直に対抗する為、徳川軍の鳥居彦右衛門がここを守ったとされております。
形状から守りのお城と言うより攻めの拠点的な役割だったと思われます。

なだらかな斜面を利用して山側が高い土塁が囲み、低い方向には土塁ではなく堀を設けておりました・・・が、土塁・堀双方とも藪が凄く、ちょっと撮影に適していない時期の訪問だったかと。

特に堀に関しては形状が解らないくらい雑草が伸び放題だった為、事前に情報得てなければ一部を除いて堀の存在解らなかったと思います。
ちなみに虎口と土塁はすぐ解ります。


中については・・・グラウンドのようになっており、本当に何もありませんw

車は2、3台であれば止められるスペースがあります。。。公共交通機関での訪問は難しそうなので、車で周辺含めて訪問されるのが良いかと。

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山科中央公園の国史跡指定土塁以外の遺跡 (2019/06/30 訪問)

既にレポートされている、国史跡指定の内寺内北東隅の土塁は高さも厚みも巨大でした。
よく車で通っている、国道1号線と新幹線が並んで走っているところから、一軒分入ったところにも大きな土塁と堀跡が残っていたとは知りませんでした。これらの土塁と堀は、激しい戦いをくぐっているのですなぁ。

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