みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

カズサン

鬼怒川東急崖を背にした氏家氏の城 (2016/03/02 訪問)

 飛山城を終えて鬼怒川沿いに北上し国道4号線沿いに在る勝山城初登城、国道4号線バイパスに入る手前で旧国道4号線に入り「さくら市ミュージアム」が見えたらミュージアム方向西入、導入路北側に駐車場広く在り、私は今回良く分からずミュージアム裏手の南側駐車場に停めて探訪開始。
 昨年5月の投稿した新緑の頃でしたが今回の投稿は平成28年3月上旬の木の葉が落ちて下草が枯れてる時期なので土塁、堀が若干良く分かるのではと投稿しました。
 鬼怒川東岸急崖傍が本丸、本丸囲んだ二の丸、三の丸は南側田畑に成ってますが発掘調査し良く保存管理されてます、鬼怒川からの眺めも良く皆さんに訪ねて貰いたい名城です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「将軍家の日光社参の宿城 壬生城」 (2020/02/29 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
壬生城は、1469年ごろに壬生氏第2代当主・壬生綱重によって築かれたとされる。壬生氏5代当主・壬生 義雄は、小田原北条氏と手を結び、宇都宮氏から独立して抗争した。小田原征伐の際、小田原城に籠城するも落城の直後に病死したとされる。男子の跡継ぎがなかった為に、壬生家は絶家した。壬生氏の滅亡後は、将軍家の日光社参の宿城として城主が目まぐるしく入れ替わった。1712年に鳥居忠英が3万石で封じられた後、明治維新まで鳥居氏8代の居城とされた。戊辰戦争では新政府軍に組し、旧幕府軍によって落城した宇都宮城攻略の拠点となった。現在、本丸は城址公園となり、土塁、堀が遺されている。

<アクセス>
東武宇都宮線 壬生駅 徒歩20分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「栃木城」 (2020/02/29 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
栃木城は、1591年に皆川広照が築いた平城である。皆川氏は、藤原秀郷を祖先とし、下野守護・小山氏の支流で鎌倉時代には阿波守護を務めた。室町時代には鎌倉府から屋形号を与えられ、関東八屋形のひとつに数えられた名家である。戦国期に皆川氏は小田原北条氏に組し、家名を保っていた。小田原征伐の際に、北条氏照に属して小田原城竹浦口を守備していたが、以前より繋がりを持っていた徳川家康に投降して所領を安堵された。本領を安堵された広照は居城を皆川城から栃木城に移し、城下町を整備した。1609年に、徳川家康による広照の改易と、城取り壊しにより廃城となる。現在、堀の一部と土塁が遺されている。

<アクセス>
JR栃木駅 徒歩15分

+ 続きを読む

ぴーかる

荒木氏綱 (2020/02/11 訪問)

【細工所城】
<駐車場他>駐車場はなし。ハートピアセンター・JA丹波ささやま多紀支店に駐車
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀切
<感想>日帰り光秀丹波攻城の旅2城目。日帰り光秀の攻め城の旅2城目。この城も光秀が丹波攻略の時、波多野氏の旗下で荒木氏綱という武将の本城です。光秀攻撃の際には何度も撃退するほどの剛勇ぶりだったそうです。

登城口に現在はのぼりがあるのですぐ分かると思います。少し登ると祠があり、その先に大堀切があります。ここら一帯の麓近くも長い曲輪があったようです。山の中腹程に広い曲輪がひとつあります。山頂から残り3分の1くらいから、ロープづたいのまあまあな上り道になります。
城跡は主郭を中心に三方に伸びる曲輪群があります。南西方向はおそらくⅡ郭Ⅲ郭ですぐ下段にある。東南方向は連郭になっており途中から切岸がきつくて行けませんでした。北方向は主郭から10㍍程の切岸の下に曲輪があったが、添付写真のように雪が積っていて、降りれるが登れなくなる心配があったので行かなかった。
主郭周辺は綺麗に木が伐採されていました。また曲輪の段差が明瞭になっていたので見易かったです。南西方向から八上城が見えました。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

詰城チャレンジ (2020/02/24 訪問)

 今なら詰城まで行けるんじゃないかと思ってからちょうど一か月。決行してきました。
 麓のガイドさんに「あの細くて左側が崖みたいになっている道を進めば着くんですよね?絶対行けますよね⁈」と確認してから本丸へ。本丸をスタート地点にするなんて私も成長したもんだ。(厳密に言うと、本丸まで行く必要はないのですがせっかくなので行きました。)
 トイレの横の道を入っていって右手の今でも水が湧き出ているという井戸を過ぎると、視線はほぼずっと足元でしたが、一つ目の堀切を過ぎたあたりでやっと気持ちに余裕がでてきました。石がゴロゴロしているのは石垣が崩れたのか岩盤が剥がれたのか見分けがつかなかったです。とにかく石だらけで歩きづらかったけれど、慣れてくると危険だと感じるところはありませんでした。
 登ったり下ったりしながらしばらく進み、ここはちょっと高いなと思ったところを登ると小さな広場があり、焼け焦げた丸太と、火事に気をつけましょうという注意書きがありました。山火事とか怖いわぁ、さっさと進もう、と思って見ていると焦げた丸太の横に「詰城」「天守閣跡」と書いてある木の棒と石柱が。
えっ?ここがゴール?詰城到着?
…ものすごい感動がそこにあると思っていました。もっともっと広くて本丸にあるようなでっかい石碑があって、ベンチもあって視界も開けて下界が見渡せて、何なら幟がパタパタとはためいていて…というような。
しかし、詰城の意味を冷静に考えればそんなことがあるはずもなく、誤った妄想が膨らみすぎて、我ながら滑稽なゴールとなってしまいました。
 というわけでなんとなく消化不良。そこで、この際もっと先まで行ってやるわ!と、その先の富士見台を目指すことにしました。当初は思ってもいなかった、まさかの詰城スルーです。大きな木の根っこに助けられながら大堀切に下りました。(ここを右に行くと石垣が見られるようなのですが通行禁止でした。)
 最早城域ではないので、ここからはハイカーです。狭くて急で砂でさらさらした登り道は、ここを帰りも通らないといけないのかと思うとやめときゃよかったと思わないでもなかったのですが、引き返すという選択肢はなく(※普通にハイキングコースで決して無茶をしているわけではありません)、そこらへんにいくらでも落ちていた木の枝から手ごろなのを見つけて杖代わりにして富士見台に到着しました。
…ここでもまた大パノラマが広がっていると妄想していたため(^^;)、富士山どこよ?と探してしまうことになってしまいましたが、ここまで来れば思い残すことはなく、すっきりしたところで次のミッションに向かいました。
〈続く〉

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

JPN-AZE

Revisiting for seeing the wooden bridge (2020/03/06 訪問)

今日3月6日、二回目の滝山城訪問をしました。前回、木橋を見ていなかったので、今回は、本丸付近にある橋を見てきました。元々あった場所とは、ずらして設置されたそうです。前回来た時は、民家で用意してある場所に500円払って車を停めましたが、今は、観光用の駐車場が設置されているので、そこを利用しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

復元高土塁、堀、景観に圧倒されます (2016/03/02 訪問)

 復元整備された飛山城に初登城しました、車は城跡東のとびやま歴史体験館駐車場に停め同館でパンフレットを頂き探訪開始、車で着いた時から東面の復元土塁、空堀に圧倒され北側の鬼怒川断崖の眺望に感嘆し、櫓台5を回り高土塁を南北裏表、表門虎口、北西城域の4号堀、復元建物、2号堀、横矢郭、3号堀と廻り、4号堀の西端辺りからの鬼怒川断崖絶壁からの眺めは絶景そのもの鬼怒川の流れ、日光三山、遠く富士山も条件が良ければ見えるとの事素晴らしい景観です。
 南城域はまた広く古代遺跡及び復元建物も有り余り手を掛けて無い堀、櫓台と5号堀、6号堀と南から東に繋がって居る探訪に時間が結構掛かります。
 戻って歴史体験館で復習、模型の見学、飛山城の資料、冊子、栃木県の城跡冊子などを頂いたり購入したり飛山城の探訪余韻が覚めず惑惑気分が続きました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

ポツン。 (2020/02/23 訪問)

昨日、投稿した「今村城」と同じく那波 宗俊さんが築城した「那波城」です。
上杉 謙信さんが攻略して北条 高広さんを「那波城」に置きます。でもって、すぐに「厩橋城」に引っ越しますが、、、。
宗俊さんの息子 顕宗さんと、高広さんの娘が結婚しました。
顕宗さんは上杉 景勝さんに従い、陸奥九戸の乱で討死とも、北条氏の従ったともありました。
「那波城」畑?田んぼ?にポツンと石碑が建ってます。遺構はありません。
ずーっと平地です。赤城山、良く見えます。
この日、強風で砂ぼこりを浴びました。

+ 続きを読む

タイ

遺構は確認できず (2019/04/22 訪問)

小学校が城だったのかもしれない。南側の神社周辺も歩き回ったが、遺構と呼べそうなものは見当たらなかった。

+ 続きを読む

タイ

道端の城跡 (2019/04/22 訪問)

道路から藪を少しだけ登ればすぐに城域。

+ 続きを読む

カズサン

方形二重堀の中世城館 (2016/03/01 訪問)

 壬生城を終えて地道経由東方の児山城を初登城。

 ナビで児山城隣接の華蔵寺駐車エリアを目的地にして走行、村中道で道幅も狭く南に入る道を細くて見過ごしUターン出来る所で戻り南入出来る細い道に入る、と民家、畑、林が堀が目に入り華蔵寺近くの駐車エリアに停めて探訪開始。

 駐車エリア辺りから南北に広い外掘り以前は水堀なのだろうが草を刈って有る、西に動き内堀に囲まれた城館跡、南に土橋、虎口、本曲輪内は意外に広く樹木に覆われてるが間引き宜しく伐採されて見通しは良いぐるっと土塁が囲み四方角々は土塁高め、土塁の外は内堀、中世城館跡が大変よく保存整備整備されてる、案内板には所有者の名前が載って居りこの城跡は私有地にの様です、所有者の好意により探訪出来る事に感謝です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

生駒山地北端の峰 (2020/03/01 訪問)

金剛生駒山地の北端の峰であり、国見山というだけあって、大阪、神戸方面だけでなく、京都盆地、南山城も眺望できる。京都盆地から大阪平野は高低差がとても小さく、平坦であることがよくわかる。この辺りいったいと奈良盆地は、大阪湖盆の中にあり、その後、生駒山地が隆起した。
登山道の途中に谷道を遮る土塁があり、手作りの旗と竹柵があって、気持ちが高まる。本郭下の郭にも竹柵がたててあり、ここが、城跡であることをアピールする。一方、京都如意ヶ嶽城はハイキング道が城内を縦貫し、ハイカーが多く通るが、立派な土塁や堀に表示がなく、城跡であることに思いが至る人はどれだけいるやら。
津田サイエンスヒルズの最上部に、森下仁丹大阪テクノセンターがあり、そこからスタートすると津田城までわりと近い。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

本丸の土塁と濠が復元整備 (2016/03/01 訪問)

 皆川城を終えて東方向地道経由北関東道沿いの壬生城を初登城。

 城址公園と成って居り本丸南手前に駐車場完備、二の丸南側に表門が復元され、本丸の南側に一部登城橋、土塁、濠が復元整備され城址の趣を表してる、内部は公園と壬生町の公民館、図書館、歴史民俗資料館と文化施設が充実している、資料館に寄り資料と見学、壬生城の模型も有り充分堪能しました。
 模型によると本丸を二の丸が囲み更に三の丸が囲む輪郭式城郭三重濠、東側に東曲輪を設けて大手丸馬出、三日月濠で防御、グーグルマップで見ると往時の外堀が用水路として西側に残ってる様子が伺える。

 壬生城は壬生氏の城で小田原合戦では北条方で戦い廃城断絶、家康関東移封ご結城秀康が城主と成るが関ヶ原後は諸侯が度々入れ替わりしている。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

どっちも~ (2015/06/07 訪問)

午前に桶狭間古戦場関連史跡を巡った時、そのトリに立ち寄ったのが鳴海城。

鳴海駅から北へ道沿いに進むと、「鳴海城址公園」と「根古屋城跡」の2つのお城への指示が出てきます。

お城関連サイトによっては別城扱いしている所も見受けられましたが、どちらも一理あるので。。。
(猪苗代城や砥石城や土佐中村城等も複合城ですし)
個人的にはまとめて「鳴海城跡」とカウントしてます。

鳴海駅から向かって道路右手に見えるお社の一画・根古屋城と書かれた場所には鳴海城の石碑と解説がありますが、遺構は見当たらず。

道路から左手にちょっと入った場所にある鳴海城址公園自体も公園化の整備によって土盛とかあるものの遺構とは言いきれない場所になっておりました。
そのかわり公園周辺には土塁の名残と思われる地形、高台に切岸と思える地形が数ヶ所見受けられました。

いずれにしても開発の手が進んだ住宅街なので、遺構には期待せず、その歴史的バックボーンに思いを馳せて満足する場所かと思いますw


城主だった山口教継・教吉は織田信秀没後信長を見切って今川に寝返りましたが、その信長の詭計で今川義元に切腹に追い込まれており・・・戦国時代の裏切り者の末路の典型例になっております。。。哀れ(ちーん)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

東北道から良く見える法螺貝城郭 (2016/03/01 訪問)

 唐沢山城を終えて地道経由皆川公民館へ元小学校跡の様で沢山の車が停められます。
 
 公民館の在る敷地が元館跡で南面と西面に堀と土塁が在る、公民館裏から登城する梅の咲いてる季節で梅の花を見ながら螺旋状の登城路、曲輪を見ながら裏手の本丸登城路より登壇、下からの眺め、上から各曲輪、館跡を見下ろし眺望は素晴らしいが風が吹くと杉林から黄色い花粉が舞い上がる様子が見えて余計花粉症の症状を悪化させる。
 下城して館跡の土塁と堀を探訪して公民館に寄り皆川城の資料を頂き館内に在る資料室を案内頂いた、ありがとうございました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まーやん

一応行きましたが… (2019/02/16 訪問)

場所を特定できず周囲の人の良さそうな方に聞き込み教えていただきました。
祠や社という感じです。
遠景では小高い丘なのかなぁという感じです。
侵入路から見える石垣は農業用のものかと思います。

+ 続きを読む

カズサン

高石垣圧巻関東の名城 (2016/03/01 訪問)

 昼食に佐野ラーメンを食べてから車で唐沢山城蔵屋敷に在るレストハウス手前の駐車場に停めて初探訪。
 
 大手門手前に在る唐沢山神社沿革に拠ると平将門を滅ぼした俵藤太秀郷公の居城跡、以後代々子孫が城主となり約700年佐野氏が治め関ヶ原後家康の指示で山城から佐野春日岡山に佐野城を築き移る唐沢山城は廃城、佐野氏は10数年して改易、家光の時代に赦免に浴し旗本として佐野家を再興、明治維新後一族旧臣で本丸跡に秀郷公をしのび唐沢山神社を創建。

 先ずは大手門跡から入り大型の枡形、大炊井、四ツ目掘(神橋が架かる)、城塁下の坂道登城路を登り、南城曲輪、本丸下の高石垣城塁を探訪、中々の高さに奥行きが有り素晴らしい関東では唯一の石垣城塁、戻って南城曲輪、引局、本丸(神社が鎮座)、搦手から二の丸へ、高石垣、南城と下城する。

 レストハウスで資料を入手、眺めは東北道も見え素晴らしい景観です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まーやん

ここも明智城址 (2019/02/16 訪問)

金山城址の後に可児市内にある明智城址へ行った。
皆さんの写真と何か違う…大手門がない(ーー;)
近くにあったので行ってみただけです。すみません。

私は可児市長山配水池側からアプローチ。
馬場を通り上がる坂には桔梗坂の石碑がある。
二ノ丸、本丸まで行き展望台からの絶景を見て…大手門側へ。って中途半端に見に行くんかーい💦
車から降りるのを嫌う私の悪い癖です(T^T)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

右見て、左を見たら標柱。 (2020/02/23 訪問)

ウィルス注意っ!とニュースで騒いでいましたので、1人ドライブで人気のなさそうな(?)「今村城」に行きました。「今村城」ファンの方、ごめんなさい。
濃厚接触者0人です。
山内上杉氏の被官、那波 宗俊さんが築城しました。
山内上杉氏の勢力が弱まると北条家に従います。
上杉 謙信さんに攻められ降伏。この時、宗俊さんの嫡男、顕宗さんが人質になりました。
この時はここら辺、由良氏の領地でしたが由良氏は北条家に従います。
そこで謙信さんが顕宗さんを「今村城」に入城させてあげました。
その後 謙信さん、100名城の「金山城」を攻める時は「今村城」を拠点にします。
と、いろいろあった「今村城」、石碑と説明板があります。奥は民家です。向かって右手の方にお地蔵さん。写真③の奥が少し高くなっているので、遺構っぽいです。あとは田んぼでした。
田んぼ道を運転して、大きな道に出ようと左右の確認をしたら写真⑤を見つけました。「今村城」、広かったのかもしれませんね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

松江すいとうろ〜塩見縄手 武家屋敷 (2019/10/20 訪問)

今年もきれいでした。

感染対策で、城巡りできないので、昨年巡った城びとを投稿しようと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1466