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湖南地域では最大級の山城 (2020/03/20 訪問)

 野洲駅からバスに乗り小堤バス停で下車。バス停から歩いて約40分弱で主郭に行くことができました。道は整備され山も手入れされていて歩きやすかった。途中、曲輪コースと尾根コースに分かれていますが、曲輪コースを行くと左右に曲輪を確認しながら進むことになります。所々残っている石垣と堀切が見所です。城山山頂から古城山(岩倉城)方面にある曲輪に行くときは岩場をロープを伝って降りなければならず怖い思いをしました。迂回路があり崖っぷちの道ですが、こちらの方が楽に行くことができます。

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さくらばさま (2020/03/20 訪問)

 「さくらばさまじょう」と読みます。水堀と土塁などが残っています。土塁はかなりの高さがあります。澤氏の城で今でも子孫の方が住んでいるそうです。

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姫街道

1万石小島藩の素晴らしい陣屋跡 (2020/03/20 訪問)

旧甲州街道の高台に岩村城かと見間違えんばかりの石垣群が現れた。築城は1704年、城を持つ事が許されなかった小藩が築いた陣屋だ。1万石と言うと、わが遠江にも明治元年に「1万石あります」と虚偽申告して万石事件を起こした堀江藩があるが、小島藩は加増されて1万石となっており、城主も歴代松平家で成り立ちは正道だ。さて縄張りだが、小さいながらしっかりとした桝形虎口、大手門があり城郭は三段曲輪が形成されている。4mある大手石垣は見事で、北西には稲荷神社が祀られていた跡がある。陣屋を司どっていた書院は甲州街道を北上した所に移築されているが、保存状態も良く貴重な遺構だ。
明治の始めには陣屋の役目を終えて小学校があり書院も校舎として使われていたとの事。
何よりこの石垣に囲まれた小学校、楽しかっただろうなぁ〜と羨ましく思う。
勿論納得の国指定遺跡だが、ノスタルジックな雰囲気を残す甲州街道を含めて小島地区全域が文化的価値が高く景観も素晴らしい!!

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名前にインパクトあり (2020/03/20 訪問)

 インパクトのある名前ですが、「ふけじょう」と読むそうです。JR守山駅より徒歩10分弱、住吉神社が城址です。土塁と浅くなってはいるが空堀跡を見ることができます。

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姫街道

馬場信春築城の城 (2020/03/20 訪問)

今川を倒し、駿河支配の本拠として馬場信春が築城した城であるが、陸海両軍の参謀本部といった役割をはたしていたと思う。歴代城主も錚々たる顔ぶれだ。
巴川の真横にあり、水を引いて水堀で守りを固めている。街道沿いでもある事から陸路でも海路でも交通の便としては最高に良かったと思われる。
現小学校に本丸・二の丸があり、小学校周りの現周回道路は堀だっただろう。穴山梅雪が城の鎮護の神を祭る稲荷神社を建設、今でも趣きを感じるたたずまいだ。また、城下町を形成していたのであろう。付近一帯に当時をしのばせる字が残る。
さて、江尻城のように何でこんな所に城が!?と感じると、だいたい旧街道沿いか昔の海岸・河川を戦略的に使っている。旧街道とその沿線に点在する遺跡分布図を見ると一目瞭然である。江尻城は旧東海道のクランク箇所に位置する。遠江では浜松城や磐田の中泉陣屋も同じようにクランク箇所を抑える要所に立地している。

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カズサン

一豊生誕の城址公園 (2020/03/17 訪問)

 稲沢市の西溝口城を終えて県道65号線を北上約15、6km程、一宮市の黒田城を初登城。
 
 情報、ガイドは城郭放浪記さん、古城盛衰記さんに依り黒田小学校北東角の城址公園にナビを合わせて走行、小学校に駐車も出来ず公園の北JR木曽川駅前駐車場を利用(100円/30分)、有料駐車場より南に300m程で城址公園。
 
 城址公園は東向きで冠木門、黒田城の歴代城主案内解説板、山内一豊の名馬を曳いた小さな像、台座が大きすぎか?、城名石碑、日清戦役、日露戦役記念碑、北に用水が在り水堀跡か?遺跡は無く黒田小学校が城跡の様。
 一豊の父は黒田城の城代、父と長兄は弘治3年(1557年)夜討ちに遇い共に打たれ一豊は落ち延びる、後年秀吉に仕え長浜城主、掛川城主と関ヶ原後土佐高知城主と大出世。

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姫街道

武田水軍の拠点 (2020/03/20 訪問)

海がなかった甲斐の信玄公は、水軍は欲しく欲しくてたまらなかったはず。駿河を制圧するとすぐに今川水軍を武田水軍に再編し、伊勢水軍も吸収して北条水軍と駿河湾で海戦を繰り広げたとある。どんな戦だったのであろう…実に興味ある。あの高天神城も海運基地でもあったようだ。京へ上洛するに、陸路だけでは強者の家康・信長などを倒していかねばならず海軍の充実に力を入れたと思われる。ただ、あまり強くなかったのかなぁ…
長浜城や西伊豆にある城を次々と落としたような雰囲気は無い。
持舟城は、現在の用宗漁港からも近く、当時は城のすぐ下に多くの船を繋留できたのかもしれない。急な坂道を上がる持舟城は、見晴らしが良く、山頂までは時間の都合で行けれなかったが、道中に曲輪だったのではなかろうかというような地形がまるで大型船の先端のように張り出している。
帰りに用宗漁港に寄った。今も昔も良い漁場なのであろう。「MINATOYOKOCHO」の次郎丸というお店で港を見ながら海鮮丼を食べたが、実に美味しかった^_^

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赤い城

石岡小学校に土塁が残っています (2020/03/15 訪問)

石岡駅から徒歩で10分少々、石岡小学校の辺りが城址です。
駐車場もあります。
石岡小学校は三の丸、ふるさと歴史館にかけて土塁が残っています。
近くの石岡市民会館前には陣屋門が移築されています。
遺構はちょっとだけですが以前は大堀切や空堀が巡る城だったようです。
近くの常陸國総社宮もおすすめのスポットです。

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姫街道

武田対今川の激戦地 (2020/03/20 訪問)

駿河西の抑え、日本坂と小坂間の街道を抑える城だ。今川義元築城説があるが、義元築城ってあまり聞かないし、こんな大切な要所はもっと古くからあったのではないかと思う。
遠江に多い南朝方の城だと山岳寺院が必ずあり、もっと標高が高い。花沢城は麓から登山道まで今でも民家が点在しており、人目を避けて登城する事は出来なかっただろう。北朝方の拠点だったかも。。。
さて偉大な父、今川義元公亡き後の氏真公は、戦国最強の武田信玄の攻撃を受けて生きた心地がしなかっただろうが、この花沢城では14日間激戦に耐え凌いだというから今川武士も大したものだ。遺構はシンプルだがよく残っている。山全体が岩が多そうだから、切り立って攻めにくかったのだろう。またまた推測だがら駿河の城は遠江の城と比べて全体的に本曲輪と二の曲輪が広いように感じる。全体的に余裕があると言うかゾクゾクっとする怖い感じが少なく思う。今川時代に長く平和が続いたおかげだろう。

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まーやん

跡地の平女に石碑あり (2020/03/20 訪問)

遺構はなく石碑が残るのみです。
織田信長が将軍足利義昭の居城として築いたらしい。なのに追放するなんて(ーー;)
その後、資材は安土城に転用されましたとさ。

すぐ東の御所には京都三珍鳥居の一つや蛤御門がある。また、少し歩けば護王神社や管原院天満宮神社、江戸時代の屋敷跡の石碑などもあり、散策も楽しいのでお時間がある方は是非。

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カズサン

越後新発田城主溝口氏故郷の城 (2020/03/17 訪問)

 大野城、蟹江城を終えて県道65号線を北上約10数km程の西溝口城を初登城。
 ナビは県道128号線沿いの城址跡成願寺に合わせ走行するが車の交通量が多く近くに路駐する所が無く、成願寺より西に150m程の信号西溝口を南入り50m程の所に若干広い三角コーナーが在り路駐、近くに八幡社在り、そこより200m程徒歩。
 西溝口城は現在真宗高田派成願寺ですが民家風のお寺です、西溝口城碑が垣根の中に埋もれて表だけ見えるように垣根を刈って有ります。
 遺構は無くお寺の南側坪之内地区が城域一体か? 情報、ガイドは城郭放浪記さん、古城盛衰記さんに依る。

 溝口氏は溝口秀勝の時代丹羽氏に仕え信長の直臣となり若狭高浜城主、賤ケ岳合戦後丹羽長秀の与力とし大乗寺城主、慶長3年(1598年)上杉景勝会津転封後、越後新発田城主と成り以後移動も無く江戸時代を通して新発田藩として続き明治を迎える。

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井伊谷の祐

ようやく行けました (2020/03/20 訪問)

色々な自粛の中ですが、お天気の良さに決行しました。バス停が登城口で分かり易い。丘陵を利用した広大な土地に土塁の多さ!土塁の高さ!流石、北条様です。以外に大きな池がいくつかあり驚きました。曲輪や馬出が多く複雑な作りになっていますね。帰りは古峯ケ原方面へ尾根歩きをしました。中々歩き易いですが、標識がもう少し詳しいと良かった。ちょっと迷いました。

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ヨコちゃん

松永久秀最後の城 (2020/03/20 訪問)

信貴山朝護孫子寺の山頂にある信貴山城址。距離はそんなにないのですが、結構な坂道を登っていくので結構きつい(*´Д`)
城址まではわかりやすいですが、松永久秀邸跡は少しわかりにくいです。(跡もわかりにくいですが)
城址では、木製武者がお出迎えしてくれます。

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カズサン

蟹江城の支城天正地震で壊滅か? (2020/03/17 訪問)

 蟹江城を終えて西に1,2km程の日光川沿いの大野城に初登城。

 情報とガイドは古城盛衰記さんグーグルマップで城址を確認して目的地を城址碑の在る場所に合わせ進行し車は案内看板の在る畑中道に路駐、離合が問題ない広さ。

 大野城は蟹江城の支城で小牧長久手合戦の中で蟹江城と蟹江合戦の役割を果たした、ここも天正地震で大きな被害を被りそのまま廃城か?
 周り田圃の中に城址碑が建てられており日光川河川改修の前の川が三日月湖として残ってる、お往時は河川沿い周りは湖沼、潟地と地盤緩く水で守られ要害地が天正地震で地盤液状化、津波などで壊滅的被害が思われます。
 ここの日光川を北に上れば信長の勝幡城、蜂須賀氏の蜂須賀城にたどり着けます。

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カルビン

脳内ソングは「ひだまりの詩」 (2019/03/24 訪問)

土浦城の続100名城スタンプを入手すべく再訪した際、バーター訪問したのが木田余城。

地図を持って行っていなかったのですが、漠然と「土浦駅東口から常磐線沿いに北に20分くらいひたすら歩いた場所にある」という合言葉で行ってきました。

途中線路沿いの道がなくなりますが、とにかく線路側に行く道があればそっちに寄って歩く事25分くらい・蓮根畑(蓮根は茨城県の名産地)が続く線路沿いの道の傍らに木田余城の解説を発見。

どう見ても遺構は無く、線路沿いにある解説と、そこから線路下に続く道の行き止まり・JR関連施設内に石碑(中には入れないが、柵外から十分確認・撮影出来る)があるくらいです。
※丁度線路点検している方がいて、城碑見る為に線路下の道行く許可もらえたのでラッキーでした(^∀^)v
※追記・現在JR東日本としては許可していないとの事なので要注意・・・自分なんでOKもらえたんでしょう?(汗)

数々の新規訪問したお城の名前、まず読み方合っていない事がほとんどでしたが、ここは文字通り「きだまり」城で合ってました。


だもんで、土浦駅から木田余城に着くまで脳内で流れていた「ひだまりの詩」が間違っていなかった事に後でホッとした俺(安っw)

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カズサン

天正地震で壊滅した蟹江城 (2020/03/17 訪問)

 荒子城、前田城を終えて西に5、6km程の蟹江城に初登城。

 情報、ガイドは古城盛衰記さんグーグルマップで城跡場所と駐車可能場所を確認し蟹江町の産業文化会館及び中央公民館にナビを合わせて走行。
 車は産業文化会館北の駐車場を利用、西に水路を渡った大型の駐車場在り。

 駐車後グーグルマップ、スマホマップを頼りに直接蟹江城址公園を探訪、公園に大型の蟹江城名石碑、案内板、西の蟹江川方向に本丸井戸現存、案内板、案内板によると小牧長久手合戦の中で蟹江合戦の説明、天正13年の天正地震で蟹江城壊滅、往時は海岸線も近く蟹江川沿いで地震による液状化現象か津波かに依り甚大な被害だったのでしょう、遺跡は井戸のみ他は市街化の波にのまれています。

 探訪後歴史民俗資料館を訪ねましたが中央公民館と合わせて今回の武漢コロナで3月末まで休館、しかし産業文化会館玄関の受付前に蟹江合戦の資料展示あり合わせて配布資料も置いて有りました、蟹江城址公園案内図も有り先に産業文化会館に寄り案内図をゲットする事をお勧めします、私は案内図を見て井戸の存在を知り二往復しました。
 産業文化会館は屋上階櫓風に成って居り現在の蟹江城なのでしょう。

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まっぴー

空堀天国!?武田築城技術の結集 諏訪原城🏯 (2020/03/15 訪問)

遺構度→★★★★☆ 復元度→★★★☆☆
施設充実度→★★★★★ 楽しさ度→★★★★☆

武田の築城技術の結集と言われる諏訪原城に行ってきました!
武田氏が遠江侵攻のために牧之原台地上に築かれたお城で一説では馬場信春が築いたとも言われています。長篠の戦い後に徳川家康が落とし、武田に対抗する拠点にしていたものの、武田氏が滅びると存在意義も薄れ、廃城になりました。その為武田氏と徳川氏の技術が集結している城です。
遺構は空堀や三日月堀、土塁、曲輪、そして武田や徳川の城でしか見ることのできない丸馬出が綺麗に残っています。
特に空堀は多く、またとても立派で大迫力でした!傾斜も凄く、深い空堀がいくつもあり、まさに空堀天国とも言えるお城でした。
諏訪原城のシンボルとも言える丸馬出は圧巻で、ここまで立派な丸馬出は見たことがなかったので感動しました。ここまで綺麗に残っていることに感謝です。ありがとうございます(^_^)
また丸馬出の周りを囲んでいる三日月堀も素晴らしく、見惚れてしまいました!
復元された門を潜って奥に行き、下を見るとかなり下の道路と距離があり、これは攻められないなと思いました。僕だったらすぐ諦めます(笑)武士は本当に凄いなと思います。
土塁も高く、立派でした。
諏訪原城の遺構の質の良さを感じられました。

しっかりと整備されている為見やすく、説明板もあるので遺構の場所もすぐに分かります。また山城ですが大してキツイ訳でもないので平山城に近いと思います。

駐車場も完備されているので車も大丈夫です。
ビジターセンターでスタンプを押すことが出来、状態も良好です。(ちなみにビジターセンターの外の城郭の入り口にも設置してあります。)パンフレットもガイダンス施設にあるので貰ってからお城探索をすると良いと思います。探索時間は1時間は要らないと思います。(目安なので1つ1つ細かく見たい人は多めにとってください。)

とても素晴らしい城郭でした!皆さんも是非行ってみてください!

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todo94

個人所有地 (2020/03/14 訪問)

城址碑や説明板の建っている場所がどう見ても個人のお宅の中のように感じられました。説明板に近づいて読むことがはばかられてしまいました。

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街道おじさん

島原城登城 (2020/03/11 訪問)

松倉重政がが日野江城を廃城にし、この島原城を新たに築いた。
このため重税を課し、またキリシタン弾圧も続けたために
島原の乱が勃発したという因縁の城。
しかしそうした不幸な歴史にもかかわらず、青空に映えた層塔型の天守は美しかった。

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赤い城

発掘調査中 (2020/03/15 訪問)

府中城の出城で外城と呼ばれています。
主郭部分は現在発掘調査中でした。
岡田稲荷のところに説明板があり、空堀と土塁が残っています。
空堀は竹が倒れていてほぼ藪状態、ここは整備したら見所になりそう、と思いました。

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