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にのまる

志賀親次(ちかよし・18才)守る。 (2020/01/04 訪問)

 当初の予定では岡城に1時間滞在後、大分に戻って上原館と大友館に行き、スタンプの押し直し(一昨年押したスタンプが水っぽくて薄かった)のため府内城にも寄る予定だったのですが、聳え立つ石垣を認めた瞬間にビビビッ!ときたので予定変更。帰りの豊肥線を2本遅らせて岡城に3時間籠城することにしました。その他の3城には行けなくなりましたが悔いはありません。

 500年間拡張を続け、廃城となってから200年。緑の山々に溶け込む石垣群は最早人工物などではなく、なくてはならない自然の一部であり、陳腐な言葉では表現できないすばらしい景観でした。
 
 時代によって異なる石積みや水抜き穴、礎石、柱穴、水路、瓦、井戸跡などのひとつひとつからここで暮らした人たちの息遣いが聞こえてくるようで涙腺崩壊寸前。
 耳を澄ますと山あいから「荒城の月」が聞こえてきます。はじめは空耳かと思ったのですが、メロディーロードでした。ちょうどひと月前に仙台城の大手門脇櫓の上に浮かぶ月を仰いできたばかりで(「荒城の月」は土井晩翠が仙台城をイメージして作詞、滝廉太郎が岡城をイメージして作曲)しばらくは月と石垣とメロディーが頭から離れそうにありません。

 清水門から先が気になったのと七曲り道から帰ればよかったなというのがありますが、ほぼ全域を歩けたのではないかと思います。
 絶壁に築かれた石垣はまさに鉄壁要塞ですが、ずっと眺めていると、完成までの間に転落して落命した人も少なからずいたのではないかとハッとしました。命がけの難事業が500年続いたのか…。

パンフレット代わりの案内図は掛け軸にもなる巻物です。期間限定の御城印を購入しました。(期間がいつからいつまでなのかは未確認です。)

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JPN-AZE

Into the historical festa (2019/05/03 訪問)

小田原城も、何回か訪れていますが、ここ最近は、小田原北條五代祭り目当てで行ってます。私の友人が、祭りの行列に参加しているので、それも見ています。4年前の6月に行った時は、天守閣へ入れましたが、この祭りの時は、余程早く到着しない限り、天守閣は無理そうです。とは言え、城内での、鉄砲隊の放つ轟音は凄まじく、また中筒も登場してました。混んでいますが、一見の価値はあると思います。そして、小田原北條家五代の勢揃いの場面も、なかなかです。北条氏政公には、俳優の高嶋政伸氏がここ3回ほど、扮しています。それも、見ものでした。

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ほむほむ

駐車場から見る日本海は絶景でした。 (2017/04/23 訪問)

比高差320mありますが、本丸跡まで車で行けます。
駐車場も御殿上(展望台)に4台、旧NTT電波塔跡にも数台停めれる駐車スペースがあります。
御殿上に縄張り図があります。
見所は大門跡、千貫門跡の空堀、主郭北側から少し下った所にある堀切、天王堂道から南に下った所にある叔母御屋敷東側の畝状竪堀でしょうか。多少の藪こぎは必要ですが、行かれるなら晩秋~初冬、雪解け直後(林道は除雪が入らないので4月中旬以降でないと車は無理)がいいと思います。
予想以上の規模を誇る城郭です。

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とりの子

誕生日に岡山城! (2019/08/03 訪問)

8月3日は、ぼくの誕生日です。パーティーをして、ケーキを食べました。そこから、岡山城のプロジェクションマッピングを見に行きました。岡山城は、何度も行っていますが、夜に行ったのは初めてです。2時間くらい並んで、やっと見ることができました。とてもきれいでした。家に帰ったら10時で、びっくりしたけど、誕生日だからいいやと思いました。

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とりの子

松山再会! (2019/07/20 訪問)

7月20日に湯築城と松山城へ行きました。松山城には、4月29日にも行きましたが、その日は雨で、リフトに乗れたのは行きだけで、帰りは雨で、ロープウェイに乗りました。もう一度リベンジしに行くと、ガラガラでした。でも、前よりも城のことをくわしくなったので、もっと楽しめるました。行きも帰りもリフトに乗れて、楽しかったです。
湯築城は、初めていきました。資料館で、いろいろなことを教えてもらいました。ぼくのおすすめは、土塁展示室です。展望台からは、松山城まで見えました。

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とりの子

港みたいなすごい海城 (2019/07/14 訪問)

7月14日に高松城へ行きました。まず、天守台へ向かいました。堀に落ちそうでした。少し高かったので、こわかったです。次に、月見櫓(着見櫓)へ向かいました。中も入りました。ここで船が着くのを見てなんだなぁと想像すると、わくわくしてきました。旧艮櫓も見ました。中には入れなかったけど、外観だけでも、その古さが伝わってきました。

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ぴーかる

一乗城山(詰城)登城 (2019/11/23 訪問)

【一乗城山(詰城)】
<駐車場他>馬出し登山ルートは八幡神社前に2台駐車できます。
<交通手段>車

<見所>城跡全部
<感想>越前御城印取得の旅4城目。今回の旅最大の目的である一乗城山登城に挑戦!自己紹介に「百・続百名城は必ず主郭部分か城の主要となる場所には行きます。」と書いてしまったのもあるのでずっと気になっていました。にのまるさんも登城のタイミングに苦心しておられるように、夏場は無理、冬場の日本海側は雨・雪の日が多く雪が積もったらOUT・遠方なので天候の良い日に休日と重ならない等の難しい条件で、週間天気予報を絶えず確認してこの日とばかりにチャンスを得た。まず御城印を購入、昼食をとって馬出しルートより登城した。

 馬出しルートは八幡神社前から約1.5㎞の登山で1時間ちょいはみておいた方がいいでしょう。往復+城跡を見る時間=3~4時間、じっくり見ると半日は潰れます。登山道は順に、砂防ダム→小見放城跡→深い切通しの道が続いて→磨崖仏(巨石に仏様が彫ってある)→石塔の一部や石に犬が彫ってあるものが落ちていたりしてるのを見て登ってようやく到着する。

 城跡は縄張り図では不動清水の辺りからとなっているが、200m程手前の英林塚へ行く道の合流地点から曲輪跡っぽい削平地があったりして雰囲気を出している。不動清水という湧水から登ったところの左手に千畳敷という名の通り広い曲輪、右手は土塁囲みの観音屋敷跡という曲輪があり、この2つを含めた場所が辺りが主郭部分と考えられているそうです。千畳敷には礎石建物遺構が明確に残っており当時を想わせる。千畳敷土塁向こう側は道が無く行けず。観音屋敷跡の曲輪の右手は宿直という曲輪跡があり、虎口土塁が食違いとなっている。その上段に櫓跡がある。
主郭部分を含めた広い曲輪群の東側が山の頂上になり、尾根状に一・二・三の丸が南北にある。一の丸は横堀があり、曲輪内は未整備で行けない。二の丸は整備がされていて行ける。一の丸~三の丸間にはそれぞれ堀切・竪掘り遺構が見られる。三の丸にも行けて、三の丸が頂上部となり、尾根を削った細長い曲輪で真中に堀切がある。曲輪最南に説明板・石積み遺構がある。
縄張り図に所々にある竪掘り群は樹木で覆われ、また突入していく気力・体力もなく確認しなかった。
しかし、国の特別史跡だけあって詰城も見応えがありました。満足度も★★→★★★★に変更致します。

 下山しきる最後のほうで夕方5時で真っ暗になってしまったが無事下山できた。丸岡城御城印も予定していたが登城前に諦めて登山したので目的は十分達成できて大満足の1日でした。1日走行距離552㎞+戌山城・一乗谷城登頂無事達成、がんばったけど疲れた。

<満足度>★★★★☆

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零汰

夏でも散策OK! (2019/07/27 訪問)

青空の広がる7月下旬に大分県の一ツ戸城に行ってきました。

道に迷った末に辿り着いた城域入口、そこで鉄扉を開閉しダートな道を約1km程走った先に登城口はありました。重機で削った九十九折の遊歩道を15分程登ると山の表情が石混じりに変わり、ロープを伝って尾根まで登ります。暫く尾根を歩いて行くと、遺構が現れてきます。そこは夏でも下草の少ない散策し易い場所でした。往復1時間余り、山の中の遺構を独り占めで楽しみました。

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とりの子

石垣の名城 (2019/07/06 訪問)

7月7日に丸亀城へ行きました。石垣がきれいでした。でも、裏の石垣は崩れていました。早くもとどうりに積みなおしてほしいです。天守は、小さかったけど、中は、階段が急でした。最上階からは、ぼくの住んでいる岡山まで見えました。
帰り、瀬戸大橋から、天守が小さく見えました。

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チェブ

神光寺。 (2019/11/30 訪問)

全国に、たくさんある「中野城」。
群馬県邑楽郡の「中野城」に行きました。
神光寺さんが、お城跡のようで入口に説明板がありました。

新田 義重さんの子孫、中野 景継さんが築城します。
景継さんの息子さんが藤島の戦いで主君と共に討死したため「中野城」は一旦、廃城しました。
以前、投稿した「小泉城」の富岡氏が家臣の宝田さんに修築させました。
しかし、秀吉さんの北条征伐で、やっぱり廃城です。

説明板に、「わずかに南面に塁濠跡」とあります。
駐車場に土塁のようなものがありますが、神光寺さんから南側かも、遺構かも分かりません。
車を急発進したら乗り越えられそうな土塁(?)です。
あっ、運転は気をつけてください。幼稚園がありますよ。
安全運転の心掛けを再確認した「中野城」攻めでした。

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イオ

平野郷環濠(大阪市平野区) (2019/12/14 訪問)

平野郷は、平安前期に坂上廣野麻呂(坂上田村麻呂の子)により開発されたと伝わり、平野川の舟運と奈良街道と中高野街道が交差する交通の要衝で、自治都市として堺と並び繁栄し、戦国期に環濠化したようです。大坂冬の陣では郷内の全興寺が徳川方の本陣となったことで豊臣方に放火され焼亡、夏の陣でも戦場となりましたが、戦後まもなく再建され、在郷町として発展しました。

二重に巡らされていたとされる環濠のほとんどは失われていますが、平野郷北端にある杭全神社の東側から北側にかけて環濠が残っているほか、南東隅の赤留比売命神社(三十歩神社)の裏手に土塁と環濠の名残が見られます。

さて、ここでも大坂の陣史跡めぐり(不定期連載第4回)を。

平野郷そのものが大坂の陣の舞台になっているわけですが、赤留比売命神社の北側には平野郷に13ある木戸口のひとつの樋尻口があり、その近くに地蔵堂があります。大坂夏の陣において、真田幸村(信繁)は大坂城に帰陣するにあたり、徳川家康が樋尻口を通過することを予見し、地蔵堂に地雷を設置。読み通り家康は樋尻口を通りがかり地蔵堂で休憩しましたが、小用のため地蔵堂を出たところで地雷が爆発、家康は九死に一生を得たという伝説があります。

# 幸村も道明寺・誉田の戦いから引き揚げる道中に、軍旗を奉納したり地雷を設置したり、忙しいことですね。

この伝説には続きがあって、その時の爆発により地蔵堂のお地蔵さんの首が西に300mほど離れた全興寺まで吹き飛ばされ、同寺にて首の地蔵尊として祀られているんだとか。通常は非公開で本堂に説明板があるだけですが、地蔵盆の時のみ一般公開されるようです。
その全興寺、歴史も由緒もある寺院ですが、天国あり地獄あり駄菓子屋さん博物館ありで、なかなか楽しいお寺です。

また、地蔵堂の道向かいには、徳川秀忠直属の旗本で、大坂夏の陣で伝令の任を果たした際に負傷し、郷内の願正寺で療養中に再起できないことを悟り自害した、安藤正次の墓所があります。
 

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山口駿河守幻夢斎

住宅街にひっそりと中世の平城が残る 児山城跡 (2020/01/05 訪問)

児山城跡へは、JR宇都宮線石橋駅から徒歩25分、車でも案内看板の前に、駐車うスペースがあります。児山氏の菩提寺である華蔵寺を目指すとよいと思います。

城跡は住宅街の中に、ひっそりと残されていますが、きれいに整備されていて主要部は見学しやすい城跡です。また、周辺には土塁や堀の痕跡が散見されます。

本丸を囲む空堀と土塁は、しっかり残されていて、もしかしたら水堀だったかもしれませんが、深さ高さともに迫力満点で、見ごたえがあります。

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小城小次郎

二本松城

石の城としても、土の城としても、どちらにしても美しい。これほどに、どこを切っても絵になるお城も珍しい、と私は思う。

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AIBO

本当のお城ではありませんが

秀吉の築城した長浜城と同じものではありませんが、せっかくなので投稿します。

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AIBO

地元のお城です

日本3大山城として有名な岩村城です。
標高も高く、軽い気持ちでは登れないので、実はまだ頂上まで行っていません。

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AIBO

天守閣修理中

随分以前に訪れた際、天守閣に入れませんでした。
再度訪れようと思います。

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ほむほむ

開口幅30mの大空堀が見所です (2019/04/28 訪問)

国道117号線から林道への分岐(36.995669, 138.601389)があるので、善福寺方向への道を道なりに真っ直ぐ行けば林道終点に着き、左側に説明板と入口(36.987477,138.615479)があります。
途中案内表示があるので案内表示に沿って行って下さい。
整備状態は申し分ないです。
空堀、土塁などは規模の大きく、見所は主郭南側の大空堀で、堀底に仕切り土塁があり、開口幅30m位あります。
二郭北側に橋台があり、正面に主郭の虎口があるので、当時は大きな橋が掛かっていたと思われます。
主郭北側の一つ目の堀切から畝状竪堀へ行くことが出来、20本ほどあります。
こちらは晩秋~初冬、雪解け後が一番よく見えると思います。
12本目の畝状竪堀から東側に降りて行くと竪堀が二条確認できます。

11月に行った時は二郭で発掘調査が行われていました。
それほど大きくありませんが、山城初心者でも楽しめる城跡です。

近くにある栄村の仙当城もセットで行くことをオススメします。

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AIBO

やはり現存十二天守は別格ですね (2013/11/07 訪問)

7年ぐらい前に訪れました。その優雅さに惚れ惚れしました。

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AIBO

外から見ただけです (2019/05/03 訪問)

ドライブで通りかかった際に、写真だけ撮りました。
次回きちんと訪れようと思います。

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AIBO

そのまま残っていれば世界遺産だったかも (2019/08/12 訪問)

夏休みに訪れました。
古い写真で見たんですが、在りし日の津山城は巨大城郭だったみたいです。
残っていれば、姫路城に匹敵したかもと思います。
残念ですね。

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