青森県五所川原市の高楯城です。飯詰城とも呼ばれ津軽為信の津軽統一の最後の戦いが行われた朝日氏の居城です。津軽平野の北東部の標高60mの丘陵に築かれ、北に糠塚川を天然の堀とし、南側も沢が堀をなし、本丸、二ノ丸、三之丸を有し東西400m南北150mの規模と言われます。本丸の城址石碑裏面の記述によると1091年藤崎城主の安藤氏がこの場所に玄武砦を築きその後高楯柵と呼ばれるようになったとされます。1335年安藤氏を頼ってきた南朝方の藤原藤房にこの城を与え藤原氏は周囲に出城を築き高楯城と改称し、のち朝日氏と名乗ってます。第13代朝日行安の時、浪岡城の北畠氏の臣下でしたが津軽為信の津軽統一の中、1578年北畠氏は滅ぼされますが、朝日氏は屈することなく最後まで津軽氏に抗戦すること十余年、1588年ついに力尽き城に火をかけ主従三百余名が自刃したとされます。城は飯詰集落の妙龍寺裏手にあり、寺の右側の小道を行くと風雪により読み取れなくなった城説明板があります。その上の台地が二ノ丸で天守閣風の集会所的な建物があり、その奥の台地が本丸で、鳥居の先の台地に城址石碑が立っています。最近、戦国時代の城を訪れ本丸にたどり着いた時、石碑や本丸などの標柱があると、ほっとするとともに感動を覚えます。
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