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miko

冬とお城 (2019/01/15 訪問)

子供と行く城めぐり

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刑部

今は民家 (2019/01/17 訪問)

普通の民家の周りに土塁があり その前に空堀の名残りの畑です。私有地の為写真だけ撮らせて貰いました。

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にのまる

金城鉄壁 (2019/01/03 訪問)

新八代からえびの高原線特急「いさぶろう」で球磨川沿いの自然豊かな風景を楽しみながら人吉へ向かいました。
車内で地元の方がダムや温泉、白石駅近くの洞窟など、見どころをたくさん教えてくださいました。川が氾濫した時の写真も見せていただきました。今でも川底の土砂を掻き上げ続けているそうです。ぼーっと眺めているだけでは知り得なかったことばかりでした。
人吉城へは復元多聞櫓のある大手門から入城。櫓台跡の雁木は有事に大勢で一気に駆けあがる仕様です。試してみました。段差がそこそこあり、踏み幅も狭かったとは言え、一気に駆け上がれなかった私は多分士気が足りなかったのだと思います。
多聞櫓の建つ石垣にも上がったりしながらようやくメイン城域へ。
かなりの人数が詰められたであろう広々した三の丸。御殿の礎石の残る二の丸。そして意外と小さな本丸。お城の中心は二の丸で、本丸を広くする必要はなかったようです。二の丸高石垣は惚れ惚れするくらいかっこよかったです。
最後に堀合門の武者返しの石垣、撥出を確認しました。何だかずーっと上を見上げていた気がします。

そうそう、途中で永国寺にも寄りました。西南戦争の際に西郷隆盛が本営を置き、33日間在陣したところです。初代実底和尚が描いたという幽霊の掛け軸があり、「幽霊寺」とも呼ばれています。写真11枚目に載せました(-.-)y-., o O

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くろもり

九鬼水軍の海城 (2019/01/14 訪問)

三ノ丸広場にパンフレットが置いてありました。

本丸広いです。そして鳥羽水族館から見る感覚以上に、本丸が高所に位置しています。同じ海城である大分県の丹生島城(臼杵城)の倍は高さがある感覚でした。本丸からは鳥羽湾や城主・九鬼嘉隆(くきよしたか)公が眠る答志島(とうしじま)が一望でき、水軍大名になったような気分で気持ちよかったです。お城に興味がない方にも本丸からの鳥羽湾の景色はおすすめできます。

個人的には、古城図には見られない三ノ丸広場の段々の変な石垣よりも、旧鳥羽小学校の校門出てすぐの四差路辺りにある古い石垣が印象に残りました。よく見ると石垣の説明があり、カメラのズームを最大にして撮影すると文が読めたので、ここに文を書いておきます。
「鎬隅の石垣 鈍角に石垣が折れ曲がったところは鎬隅(しのぎすみ)と呼ばれ、地形を削って築城する古い時期の特徴とされています」※6枚目の写真の上の石垣です。

城址散策の後は、中之郷のフェリー乗り場から九鬼嘉隆公が眠る答志島へ。中之郷から答志島の和具(わぐ)へは船で35分、540円でした。鳥羽駅近くのフェリー乗り場からも行けます。答志島では帰りのフェリーが1時間後、それを逃すとさらに1時間30分後となるので、足早に九鬼嘉隆公の胴塚と首塚へお参りしました。首塚は少々山に登りますが、島の方が案内をたくさん建ててくれているので、迷うことはないかと思います。自分はフェリー乗り場から胴塚・展望台・首塚を散策して、フェリー乗り場に戻ってきたのが45分後くらいでした。展望台(愛知県の渥美半島は見えます)に行かなくても良いなら、普通に歩いても1時間で十分周れると思います。

首塚から本丸はギリギリ見えませんでした。城山公園辺りまでなら見えます。本丸から首塚のある山は見えません。城山公園から見える答志島の右に突き出た小山が首塚のある山です。

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たかりん

阿波の青石で築かれた石垣が美しい (2019/01/14 訪問)

2019年最初の攻城は景気よく四国、まずは四県唯一未踏の地だった徳島県へ!他の3県は現存天守がある一方で、石高では四国最大の蜂須賀氏25万7千石の本拠だった徳島城ですが大河ドラマにも出てこないし、正直、印象が薄いです。しかし、実際に行くと確かに遺構建造物は皆無ですが、本丸はじめとする城山の城郭部分、本丸御殿が置かれた山麓の居館部分からなるお手本のような、かつ大規模な平山城です。また特徴は石垣、と言っても材質の話ですが「阿波の青石」と呼ばれる緑色片岩で築かれています。確かに青みがかったゴツゴツした感じの石です。城内にある表御殿庭園もこの青石で造られています。また珍しい遺構として、かつて西側を流れていた寺島川(現JR+小川)沿いに長大な折れ曲がり塀が築かれており、その支柱を支えていた「舌石」という遺構が確認できます。遺構建造物がここまで皆無なのはお決まりの戦災かと思いきや、ほとんどが明治初期の解体で唯一現存だった鷲の門が戦災の犠牲とのこと。う~ん。いかんせん石垣遺構だけでは地味であり、博物館の復元模型を見たら鷲の門を通った先の大手口にはかつて門を挟んで両脇に月見櫓、太鼓櫓という櫓があったようです。特に太鼓櫓は、望楼型3重4階と天守のような規模であり、古写真などの資料もあるようなので、この一角だけでも外観復元されれば、と思いますが徳島市さんダメですかね(笑)。

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dougen

2018.12.29登城 (2018/12/29 訪問)

糟塚砦から国道151号に出て、牛久保駅へ。牛久保駅付近の踏切のところに牛久保城址があります。
付近は道幅も狭く、それなりに交通量もあるため、駅の近くの保育園が年末年始でお休みだったので、保育園の駐車場に駐車して登城しました。
平城の宿命から市街化により遺構は消滅していますが、解説板と石碑が設置されています。

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じゅんじん

多門櫓発祥の城 (2006/04/09 訪問)

若草中学校です。松永久秀のお城

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じゅんじん

奈良ホテル (2006/04/09 訪問)

奈良を自転車で回りました

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じゅんじん

信州山城 (2009/02/28 訪問)

石垣が残っています。

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じゅんじん

城址公園 (2008/08/31 訪問)

渡辺守綱

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じゅんじん

城址説明碑 (2018/11/23 訪問)

畑の片隅にありました。

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じゅんじん

閉まってた (2019/01/04 訪問)

本丸の見学は17時まででした。神社をお参りしようとしたら神主さんに追い出されました。周囲から眺めたのみです。

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じゅんじん

御殿が現存 (2019/01/04 訪問)

城跡は古墳です。池を堀代わりに使用したとか。陣屋時代の御殿が橿原神宮に織田屋形として移築現存しています。

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じゅんじん

織田の陣屋 (2019/01/04 訪問)

周辺は狭いのでコンビニに停めて小学校まで歩きました。

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じゅんじん

環濠 (2019/01/04 訪問)

保存されているのも住民の皆様の協力あってこそですもんね

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朝田 辰兵衛

本丸切岸南北ルートは,この季節は命取りに! (2019/01/14 訪問)

元朝に登られた方がいたとのローカルニュースが流れ,真相を確かめに行ってみました。約12年ぶりの栃尾城。この季節は路上にも圧雪があるハズなのに,道路脇にしかないとは…。しっかりと冬山登山準備までして行ったので,登城欲が湧いてきました。
標高227m,比高150m。基本的な登城ルートは,4つあります。
まずは,西側から本丸を目指し,本丸切岸南端も。すると,雪崩の可能性があるハズなのに,東側ルートから本丸切岸南北ルートを通った足跡がクッキリ!震度3程度の地震で一気に麓まで雪崩ていきそうな雰囲気です。
そして,あらためて東側ルートから登城し,本丸切岸北端まで。足跡はそんなに大きくありませんでしたが,しっかりと登城路を押さえていたので,何度も栃尾城の登城経験がある方だろうと思いました。
みなさんはこんなムチャをしないでくださいネ。
なお,登城前に栃尾美術館に寄って観光マップやお城マップを入手されることをおすすめします(無料)。川中島決戦を想起させる謙信像が目印です。
私は,さらにトチオンガーセブンで全国に知れ渡った“毘沙門堂本舗”で,油揚げを買って帰りました。

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カルビン

駐車スペースが見つからなくて (2015/09/27 訪問)

以前から行きたいとは思いつつ、車を停める場所が無いとの事でなかなか訪問できなかった深沢城。

南に市営グラウンドがあるのを知り、そこに車止められ無いか?と思って行ってみたら・・・丁度解説版と城碑がある場所に車1台止められるスペースがあったので、利用させて頂きました。

訪問した初秋はまだ草が多く、堀が雑草で見辛い等あまり訪問に適した時期ではなかったのが残念ですが、要所要所が草刈等整備されていたおかげで、残念な訪問にならなくて済みました(^ω^;)

城碑から近くにある三日月堀、田んぼや雑草まみれのニの丸、完全に田んぼと同化した本丸及び袖郭等、標柱が至る所にあって見やすくなっておりました。
自然の荒々しい堀等もあり、見応え十分です。

但し深沢城は私有地になる為、決して現地を荒らしたり騒いだりゴミを捨てる等、人でなし行為は決してされない様にお願い致します。
(でないと二度と行けなくなってしまう可能性ある為)


水の多い場所なので、もしかしたら蛇が出没する可能性、また蚊やスズメバチもシーズンによっては可能性高いのでご注意下さい。

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じんじゃー

古風な輪郭式山城 (2017/11/19 訪問)

芦田宿の南、古町地区にあるお城。城跡西側から車道があり主郭すぐ下の駐車場まで車で入ることができるが、道は狭いので注意。
4段ほどの段郭を輪郭状に配置しており、西側には観音堂と展望台が設置されている。展望台のある郭から主郭へは一度東へ回り込むような形で虎口が形成されている。主郭は南側以外を土塁で固めていて、中には神社があるが結構荒れている感じがする。
西南方向へは落差があるが北東方向にはあまり落差がないため囲むように堀が掘られている。内側の堀はかなり埋められてしまっているが、北側の外堀は土塁付きでかなり残っているので見どころの一つ。

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チェブ

受験シーズン!頑張って! (2019/01/05 訪問)

秀吉さんが北条征伐でやっつけてしまった「初沢城」に行きました。
この「初沢城」ハイキングコースになっています。
始めに言ってしまいますが、遺構、分かりませんでした。
曲輪、掘切、土橋が見られるらしいのですが、自然地形にも見えるし遺構にも見える!
初心者には難しい「初沢城」です。
しかし、登城口を見つけるのは分かりやすかったです。
「みころも公園」の入口に立つと黄金の「みころも霊堂」という塔があります。
前進すると右側に視線を感じます。
見ると5㍍位の巨大菅原 道真公の銅像にロックオンされてしまいます。
道真公の右手に案内板があり登城口です。
受験シーズンです。菅原 道真公、みんなのお願いを叶えてあげて下さいね!

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イオ

元・登山部の感慨 (2019/01/13 訪問)

12月から土日もほとんど休みなしで、しばらく城めぐりにも行けずにいましたが、ようやく半日休みが取れたので、近場の城に行ってきました。

高校時代、登山部だった当時の私にとって、金剛山の登山道沿いの千早城(千早神社)は馴染みの場所で、約30年ぶりに訪れてもところどころに見覚えのある景色が見られましたし、千早神社の参道や金剛山の登山道などの改変を受けて、遺構はほとんど見られないものの、それでも縄張図と見比べながら歩くと曲輪の形状が残っているのが確認でき、高校当時とはまた違う意味で楽しく歩くことができました。

それにしても、当時は千早神社なんて金剛山のほんの入り口ぐらいの感覚だったのに、今や最初の石段を登るだけで息が切れてしまうとは…。

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