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朝田 辰兵衛

2019年の登城初めは,“なんちゃっ天守”で。 (2019/01/12 訪問)

越後には2つの勝山城が存在し,マイナーなこちらは刈羽・勝山城。昨年末登城した赤田城の支城とのこと。眺望は日本海と佐渡ヶ島。
標高102m,比高約50m。JR西山駅から本丸までは徒歩約60分です。
このミニチュア模擬天守は,評価が二分しそう。一生懸命造り上げ,維持している模擬天守に失礼とも思えるし…。当然中には入れません。

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まーやん

近江八幡へ (2019/01/12 訪問)

1/19の厄神さんも近づいてきたなー、と思いにふけっていたら「そうだ‼️八幡山城に行こう‼️」と一人急に盛り上がり「続日本100名城スタンプの旅」が急遽再開された😅
近江鉄道八幡山ロープウェイで山頂まで約4分、山頂では約半時間で回りきれるらしい。
八幡山城や八幡堀は豊臣秀次が作ったとか。さすがに豊臣の城は石垣が素晴らしい✨瑞龍寺参道は今もかつての石敷のまま階段になってるらしい。
本丸端のお稲荷さんはいかにも金運が上がりそうなキンキラキン✨もちお参り。
出丸、西の丸、北の丸もしっかり見れ、琵琶湖、雪の伊吹山、安土城址、観音山城址など見渡せる。この絶景は恋人の聖地でもあるそうな。
山麓に降りてから日牟礼八幡宮にお参りし、八幡堀を写真におさめ近江八幡市をあとにした。

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かりのんと

美作 岩屋城跡 (2019/01/12 訪問)

山城の要素をぎゅーーっと1つにした城でした。
冬の山城は落ち葉が多く、写真を撮るのが難しかったです。

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かりのんと

津山城 鶴山公園 (2019/01/12 訪問)

あいにくの天気でしたが、見応えのある城でした。
桜の咲く頃、紅葉の季節はさらに違った姿を見せてくれそうです。
裏中門は石垣の修理中で通行止めでした。

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ヒロケン

北条五代 (2019/01/04 訪問)

明応9年頃、関東で理想の国家をつくろうと、大森氏を退け、北条早雲が伊豆韮山から小田原城に入りました。二代氏綱が関東支配の礎を築き、以後、北条氏は小田原を拠点として、多くの人材を上方から招き、産業を興し着々と勢力を伸ばして行きました。三代氏康の時代には城下町の形態も整えられ、小田原は関東における政治・経済・産業・文化の中心として繁栄しました。そして、天下統一の機運が高まる中、四代氏政・五代氏直は、豊臣秀吉軍の攻撃に備えて街全体を取り囲む巨大な総構えを築きましたが、天正18年、約20万の大軍に小田原を包囲され、約100日に及ぶ籠城戦の後、小田原城を開城し小田原北条氏は滅亡しました。

小田原城には今回で3度目の訪問になりますが、今回、初めて小峯御鐘ノ台大堀切東堀・西堀に行くことが出来ました。存在は以前から城仲間より聞いていて知っていましたが、「土塁でしょう」みたいな感じで気に留めていませんでした。
初めて東堀・西堀を見て「でけえ」「深い」「凄い」と感動しっぱなしで小一時間歩き回りました。城山陸上競技場に車を止め歩いて2~3分の所に土塁があり、その土塁の内側が東堀大堀切となっています。北条氏恐るべし。

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カルビン

棚田のイメージの方が強く (2015/03/21 訪問)

年末年始ネタが無くなったので通常運転に戻りますw

2015年に楠木正成の痕跡を追って大阪に遠征に行った際、対六波羅軍との拠点になったお城を回ったんですが、最後に訪問したのが下赤坂城。

城碑はすぐに見つけられたんですが、事前に準備していた地図の下赤坂城の方向に行くのにどうしても中学校が邪魔して行けない・・・
(指示方向は中学校方面になっているのでちょっと途方に暮れw)
悩んでいたら、一般車両が何台も学校方向から来るので、良く見ていたら校舎の間にある道を普通に車が通過しているのを発見w

地元の人じゃないとあれ通過出来るなんて解りませんよ。。。何か城碑のところに詳細な説明版置いてくれれば良いのに。
(あまり通って欲しくないのであえて設置してないのかも)


肝心の下赤坂城には、城碑のある高台が土塁なんですが、それしか遺構は無い模様。
学校誘致に伴い遺構が無くなったのかどうかは定かではありませんが、お城としては見所極小なのでご注意を。

むしろその先にある棚田の方が名物っぽく、お城が霞んでましたw
ここは楠木正成誕生地と上赤坂城(と千早城)のオマケ的な立ち位置で宜しいかと。

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赤い城

一色氏館 (2019/01/12 訪問)

幸手駅周辺が陣屋跡のようです。
駅から徒歩で2~3分くらいのところの稲荷神社に説明板が建っています。
遺構はありません。

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赤い城

法宣寺の辺り (2019/01/12 訪問)

南栗橋駅から徒歩で25分くらい。
中心部は私有地のようです。
法宣寺の周辺で空堀と土塁を見ることができます。

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べあれん

播磨最大の山城「置塩城」 (2019/01/12 訪問)

地元なのに行ったことがなかったので、登ってみました。
標高370m、駐車場から曲輪群まで約40分。前半は案外急で疲れます。
曲輪は壮大で、播磨最大ということが納得できます!
所々に残る石垣もあり、特に南西の曲輪にある大石垣は圧巻です。
伝本丸からは姫路市街、夢前町方面が見渡され、支城を含め、赤松の本城だと実感できます。
瓦や礎石なども見られ、建物の痕跡も感じることができます。
行く価値ありのお城だと思いました!

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ひろべえ

まるで島のような城 (2017/08/16 訪問)

板敷櫓と加藤清正指導の石垣が目当てでした。扇の勾配に指導の跡が感じられました。桝形虎口やお船蔵跡、穴門、新蔵波止跡など他の城では見られない様々な遺構が堪能できました。夏の朝6時台に訪れましたが大村湾のさざ波を聞きながら遺構を巡るのは何ともぜいたくでした。

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くろもり

小笠原牡丹 (2013/10/14 訪問)

松本城築城以前は、信濃守護小笠原氏の深志城でした。武田氏侵攻後は武田氏家臣・馬場信春が城主を務めていたので、深志城の遺構を探してみましたが、そばのイベントで人が多く、ちょっと分かりませんでした。

深志城の遺構は見つけられませんでしたが、小笠原氏に由来する「小笠原牡丹」が本丸にありました。
以下、現地の説明より。
「天文十九年(一五五〇)七月に甲斐の武田信玄に攻められた小笠原長時は、林城館にあった純白の牡丹が敵兵に踏み荒らされることを憂えて、これを里山辺の兎川寺に託して去った。その後同所の久根下家は、この牡丹を守り、昭和三十二年(一九五七)十一月と平成十八年(二〇〇六)十月にその株を松本城へ移した。これが小笠原牡丹である。」

武家でありながら、花を気にかける所等は流石は後の小笠原流の祖となる小笠原氏ですが、小笠原長時公は越後に逃れるも「御館の乱」が発生、会津に逃れ蘆名氏に保護されるも、会津の地で客死しました(家臣に殺害されたとされる説が有力だそうです)。長時公の子孫は後に大名に復帰し、小倉藩15万石の小倉城主となり、幕末まで存続しました。

そんな小笠原氏の牡丹ですが、私が訪れた時は花は咲いていませんでした。5月中旬くらいが見頃らしいので、その頃に行かれる方は綺麗な牡丹が見られるかもしれません。

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にのまる

日本最大級の木造復元建築 (2019/01/02 訪問)

傍らに鍋島直正像が屹立する鯱の門をくぐり右に折れると(そこはやはり防御の造りか)、鼓の胴の松飾りを掲げ、アームストロング砲を脇に据えた見目麗しい本丸御殿が目に飛び込んできました。
入館料無料です。気持ちの募金でいいのだそうです。名護屋城博物館もそうだったし、佐賀県好感度↑↑です。
順路が示されていても迷いそうな御殿(本丸歴史館)内では終了間近の特別展「肥前さが幕末維新の志」を見ることができました。(こちらも無料で、オールカラーの資料冊子がいただけました。)御座間で直正公とツーショット写真🤳が撮れたりなど、御殿内は仕掛けがいっぱい。
亀甲乱積みの南西隅櫓台から眺める御殿の姿も、幅70mの水堀も壮観でした。裏側もお見逃しなく!です。
西側土塁石垣の先に天守台がありましたが、登り口が見当たりません。木橋を落とした風でもなく、西門を飛び越えることもできず。
こっち側じゃないなと思って鯱の門の方に戻ると、門の石垣側面に♡型の植栽が!こんなところにも仕掛けがあったか(^_^)
天守台は門の外から行けましたっていうか、最初に素通りしてしまっていました。
正月早々、がばいおもしろかお城でした。

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朝田 辰兵衛

旧本能寺/現本能寺 (2018/07/08 訪問)

これから散策される方が増えることを予想して,UPしておきますネ。旧本能寺跡は,うっかりしていると通り過ぎてしまいますので,くれぐれもご注意くださいませ。歩いたら結構ありました。しかも,暑かった…。

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チェブ

100名城スタンプ変わりなーし! (2018/12/30 訪問)

北条 氏康さん、築城。氏政さんの代で秀吉さんとの仲が悪くなり改修した「山中城」
畝掘、障子掘の素晴しさ、霧が立ち込め幻想的。晴れたら大きな富士山も見られ、近くにカッコ良いつり橋のスカイウォークもあります。
みなさん、良い写真ばかりです!
年末と、たまにGWぐらいしか遠出ができません。年末は私の住む近郊のお城がお休みでスタンプもしまわれています。続100名城も合わせると終わりが見えてきません。

今回、静岡の掛川市と三島市にある「山中城」はスタンプ押せました。五年前に押し忘れたスタンプ、今回はきちんと押しました。散策は前回したからスタンプ目的で来た、城びと失格です(笑)
夜7時頃、到着しました。スタンプはいつでもウエルカムです!

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カルビン

どうしてもライトのファウルグランド先が気になり (2019/01/03 訪問)

宇都宮駅から一路、この日のお城訪問としてのメインの目的地・鹿沼城を目指し、JR日光線に乗って鹿沼駅へ。
ここから徒歩30分以上かけて鹿沼城のある野球場までやってきました。

確かに野球場自体が山の上にあり、その周辺が土塁跡?切岸?と思われる形状ではあるもののはっきりせず、
しかもあるハズの解説版を見つけられず、遺構も確信できるものが見つけられずに右往左往。。。おかしい、どこかに確定遺構が見られるハズなのに。。。

唯一ここ谷になっているのでは?と思われるライトのファウルグラウンド先の下が気になり行ってみると、藪に囲まれた細道が・・・

藪嫌いなのに、先日突入した花園城の時のテンションを維持していたせいか、迷わずツッコんでましたw
するとそこに見事な折れの入った深堀があるではあ~りませんか(笑)

正直この日見た戸祭城のガッカリ感があったので、やっとこれ見て溜飲を下げられました(汗)


ちなみに解説は諦めて帰ろうとしたら、バックスクリーン側の坂道にありました。。。
今年4ヶ所目の初詣(もはや「初」ではありませんがw)した今宮神社側から登れば目の前にあったんですね。。。

・・・どうも今年は遠回りする運勢なのかもしれません(汗)


JR鹿沼駅より東武線の新鹿沼駅への方が鹿沼城からは全然近いですが、東武日光線の本数が劇的に少ない為、またJR日光線も本数少ない事から、公共交通機関利用されるなら宇都宮駅からバスで来られるのが一番本数多いです。
(帰りはすぐ前を通っていたバスで40分弱で宇都宮駅まで戻れました・・・電車の待ち時間考えると全然早いです・・・但し運賃800円近くします(片道))

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リベロスキー

畝状空堀群のお城 (2019/01/10 訪問)

畝状空堀群を見たさに行って来たのですが、草がボウボウで良くわからなかった。
せっかく、この城の見処ポイントなので、もう少しマメに整備をして欲しく思った次第…😅

あと、おまけで、こんなんも早くも売り出されていた😆

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リベロスキー

ザ・秘密基地 (2019/01/10 訪問)

巨石と石垣のミックスが何度来ても迫力有って良いカンジです🎵

さらに近くの中津川の宿場町のお店ではこんな和菓子もありました。😊

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くろもり

相模の獅子初陣の城? (2013/09/14 訪問)

京王よみうりランド駅の東にある穴澤神社から登城しました。穴澤神社側の登城道は、旧城主の小沢重政公も通っていたとされる道で、雰囲気はありましたが、蜘蛛の巣が多かったので、晩秋から冬の登城の方が良さそうです。靴も滑りにくい物がいいと思います。

相模の獅子こと北条氏康が扇谷上杉氏を破り初陣を飾った小沢原の戦いで、北条氏康の陣城だった可能性が高いと言われている城なので、後北条氏の好きな方にお勧めです。

遺構は堀や伝・馬場や伝・物見台等の見所があり、城山から北の景色は多摩川を抑える眺望で、後北条氏が扇谷上杉氏を監視していたであろう往時の雰囲気を味わうことができました。個人的には城址に所々置かれた説明板が印象に残っています。小沢城址里山の会の語り部・宮崎翁(今もご健在なら94歳のはず)の実際に城山を見て来た昭和初期の話や、翁が聞き伝えている明治頃の城址の話等、地元に昔から住んでいないと知らない話ばかりで興味深いものでした。

小沢城址の隣が読売ジャイアンツの練習場なので、読売ランド駅から練習場までの坂道は「巨人への道」と呼ばれており、こちら側からも小沢城へ行けたと記憶していますので、巨人ファンの方はどうぞ。

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朝田 辰兵衛

唐門,復原町並,庭園群もいいですが… (2017/11/28 訪問)

上城戸跡,下城戸跡も一見の価値があります。詰城への登山はスケジュールの都合で見送りました。

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カルビン

ここだけ狙って行くのは止めましょう (2019/01/03 訪問)

日付変わって1/3には初詣を兼ねてあえて宇都宮にやって参りました。
宇都宮城はお城巡り始めてすぐと、時間経って評価変わるかな?と思う度、合わせて3、4回来てますが・・・その評価と名前負け感は変わらずw。。。なので今回はスルー

代わりにやって来たのはこれまた「城びと」に登録されていなければ知らなかった戸祭城

ま、宇都宮城から近いと言う事もあって、際立った遺構は無いだろうとは思ってましたが。。。予想を超えて何もありませんでしたorz

あるのは石碑だけ。。。しかもここに来るまでの道で思いっきり犬に吠えられるという(ー"ー;)
お前らの年は終って今年は俺の年なんだよ!(←年男ですw)


今回の遠征のメインが二荒山神社だったのと、ここから離れたお城訪問だったので、損した気分。。。までは行かなかったです。
が、こちらも斎藤氏館以上にここ狙って来るのはくれぐれも控えた方が良いです。


宇都宮駅周辺には主に徳川譜代の大名の菩提寺が多いので、菩提寺巡りの際に立ち寄る・・・くらいで十分だと思います。

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