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じゅんじん

多門櫓発祥の城 (2006/04/09 訪問)

若草中学校です。松永久秀のお城

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じゅんじん

奈良ホテル (2006/04/09 訪問)

奈良を自転車で回りました

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じゅんじん

信州山城 (2009/02/28 訪問)

石垣が残っています。

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じゅんじん

城址公園 (2008/08/31 訪問)

渡辺守綱

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じゅんじん

城址説明碑 (2018/11/23 訪問)

畑の片隅にありました。

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じゅんじん

閉まってた (2019/01/04 訪問)

本丸の見学は17時まででした。神社をお参りしようとしたら神主さんに追い出されました。周囲から眺めたのみです。

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じゅんじん

御殿が現存 (2019/01/04 訪問)

城跡は古墳です。池を堀代わりに使用したとか。陣屋時代の御殿が橿原神宮に織田屋形として移築現存しています。

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じゅんじん

織田の陣屋 (2019/01/04 訪問)

周辺は狭いのでコンビニに停めて小学校まで歩きました。

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じゅんじん

環濠 (2019/01/04 訪問)

保存されているのも住民の皆様の協力あってこそですもんね

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朝田 辰兵衛

本丸切岸南北ルートは,この季節は命取りに! (2019/01/14 訪問)

元朝に登られた方がいたとのローカルニュースが流れ,真相を確かめに行ってみました。約12年ぶりの栃尾城。この季節は路上にも圧雪があるハズなのに,道路脇にしかないとは…。しっかりと冬山登山準備までして行ったので,登城欲が湧いてきました。
標高227m,比高150m。基本的な登城ルートは,4つあります。
まずは,西側から本丸を目指し,本丸切岸南端も。すると,雪崩の可能性があるハズなのに,東側ルートから本丸切岸南北ルートを通った足跡がクッキリ!震度3程度の地震で一気に麓まで雪崩ていきそうな雰囲気です。
そして,あらためて東側ルートから登城し,本丸切岸北端まで。足跡はそんなに大きくありませんでしたが,しっかりと登城路を押さえていたので,何度も栃尾城の登城経験がある方だろうと思いました。
みなさんはこんなムチャをしないでくださいネ。
なお,登城前に栃尾美術館に寄って観光マップやお城マップを入手されることをおすすめします(無料)。川中島決戦を想起させる謙信像が目印です。
私は,さらにトチオンガーセブンで全国に知れ渡った“毘沙門堂本舗”で,油揚げを買って帰りました。

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カルビン

駐車スペースが見つからなくて (2015/09/27 訪問)

以前から行きたいとは思いつつ、車を停める場所が無いとの事でなかなか訪問できなかった深沢城。

南に市営グラウンドがあるのを知り、そこに車止められ無いか?と思って行ってみたら・・・丁度解説版と城碑がある場所に車1台止められるスペースがあったので、利用させて頂きました。

訪問した初秋はまだ草が多く、堀が雑草で見辛い等あまり訪問に適した時期ではなかったのが残念ですが、要所要所が草刈等整備されていたおかげで、残念な訪問にならなくて済みました(^ω^;)

城碑から近くにある三日月堀、田んぼや雑草まみれのニの丸、完全に田んぼと同化した本丸及び袖郭等、標柱が至る所にあって見やすくなっておりました。
自然の荒々しい堀等もあり、見応え十分です。

但し深沢城は私有地になる為、決して現地を荒らしたり騒いだりゴミを捨てる等、人でなし行為は決してされない様にお願い致します。
(でないと二度と行けなくなってしまう可能性ある為)


水の多い場所なので、もしかしたら蛇が出没する可能性、また蚊やスズメバチもシーズンによっては可能性高いのでご注意下さい。

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じんじゃー

古風な輪郭式山城 (2017/11/19 訪問)

芦田宿の南、古町地区にあるお城。城跡西側から車道があり主郭すぐ下の駐車場まで車で入ることができるが、道は狭いので注意。
4段ほどの段郭を輪郭状に配置しており、西側には観音堂と展望台が設置されている。展望台のある郭から主郭へは一度東へ回り込むような形で虎口が形成されている。主郭は南側以外を土塁で固めていて、中には神社があるが結構荒れている感じがする。
西南方向へは落差があるが北東方向にはあまり落差がないため囲むように堀が掘られている。内側の堀はかなり埋められてしまっているが、北側の外堀は土塁付きでかなり残っているので見どころの一つ。

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チェブ

受験シーズン!頑張って! (2019/01/05 訪問)

秀吉さんが北条征伐でやっつけてしまった「初沢城」に行きました。
この「初沢城」ハイキングコースになっています。
始めに言ってしまいますが、遺構、分かりませんでした。
曲輪、掘切、土橋が見られるらしいのですが、自然地形にも見えるし遺構にも見える!
初心者には難しい「初沢城」です。
しかし、登城口を見つけるのは分かりやすかったです。
「みころも公園」の入口に立つと黄金の「みころも霊堂」という塔があります。
前進すると右側に視線を感じます。
見ると5㍍位の巨大菅原 道真公の銅像にロックオンされてしまいます。
道真公の右手に案内板があり登城口です。
受験シーズンです。菅原 道真公、みんなのお願いを叶えてあげて下さいね!

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イオ

元・登山部の感慨 (2019/01/13 訪問)

12月から土日もほとんど休みなしで、しばらく城めぐりにも行けずにいましたが、ようやく半日休みが取れたので、近場の城に行ってきました。

高校時代、登山部だった当時の私にとって、金剛山の登山道沿いの千早城(千早神社)は馴染みの場所で、約30年ぶりに訪れてもところどころに見覚えのある景色が見られましたし、千早神社の参道や金剛山の登山道などの改変を受けて、遺構はほとんど見られないものの、それでも縄張図と見比べながら歩くと曲輪の形状が残っているのが確認でき、高校当時とはまた違う意味で楽しく歩くことができました。

それにしても、当時は千早神社なんて金剛山のほんの入り口ぐらいの感覚だったのに、今や最初の石段を登るだけで息が切れてしまうとは…。

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モト

曲輪と囲む土塁が見れました。 (2018/12/11 訪問)

遺構は小さくて跡地の曲輪は公園になっていますが、そこがすぐ曲輪跡だとわかる雰囲気がありました。
福性寺のすぐ脇ですので、お寺の駐車場に停めました。

曲輪跡のそこは土塁で囲まれていています。
この土塁は曲輪をしっかり囲んでいる様がわかるので外から、中から見ても良い雰囲気でした。
中に入る虎口もあり、小さいながら城跡を充分に味わえました。
曲輪跡には案内板もあり軽く歴史も学べました。

隣の福性寺の紅葉がきれいでした。
訪れた日はもう満開の時期は過ぎた感じでしたが、きれいな赤い葉っぱが地面を埋めているところを見ることができました。

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じゅんじん

直虎ゆかりのお城 (2018/12/17 訪問)

気賀の隣にあります。神社となっており街道の抑えですね

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じゅんじん

広島遠征最後のお城 (2019/01/14 訪問)

小学生より憧れの福山城へ。新幹線のホームから見えるお城に萌え。伏見櫓・筋金御門の重厚さ、意外にスマートだった天守。鏡櫓では古写真の説明を聴けました。地元が水野の故郷なのでつながりのある福山城は感慨深かったです。

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山口駿河守幻夢斎

諏訪原城跡

国指定史跡、続日本100名城の諏訪原城跡。

新しく駐車場もできましたが、JR金谷駅から徒歩15分から20分ほどで行けます。市指定史跡の石畳の坂道を登りますが、雨の日は、めちゃくちゃ滑るので、ご注意ください。

城跡には、3度目の訪問ですが、今まででいちばん整備が進み、きれいな状態で見ることができました。

やっぱり素晴らしいものは素晴らしいです!

本数は激少ですが、バスもあります。雨の日はバス、またはタクシーでの訪問のほうがベターかと思われます。

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山口駿河守幻夢斎

小山城跡

今年最初のお城巡りで、今まで行きたかったけど、なかなか行けなかったこちらへも登城しました。

JR藤枝駅からバスで、30分くらいだったか、片岡北バス停下車。路線は相良線です。

バス停からは、徒歩7分くらいで、登城口へ。葛籠折れのスロープで、楽々山上へ。

目の前には空堀。さらに主郭内部に、やや加工された三日月堀が。ちょっとこれはと思いますが、山林内部に、最大の見どころである三重掘が見られます。

さらに堀切もあり、規模はそれほど大きくないものの、見ごたえがある城跡でした。

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夏の雪だるま

南部七戸藩の居城 (2016/05/06 訪問)

青森県七戸町の七戸城です。七戸城は七戸町の西側に接する台地の東端にあり、市街地を隔てて七戸川が流れています。南北朝時代、北畠氏の家臣工藤氏がこの地に居館を構え、その後、南部政長の居城となり、南部氏の津軽侵攻の拠点であったとされます。城は、七戸川支流作田川左岸の標高40mの丘陵に築かれ本丸、二ノ丸、北館、下館、宝泉館、西舘、角館からなり東西400mって南北350mの規模と言われています。七戸城は1456年蛎崎の乱の時、 下北半島の蛎崎氏に攻められ落城、その後の1483年南部氏の御家騒動に巻き込まれ再度落城しています。城の南は作田川を自然の堀とし、前面と東西は要害ですが、背面は空堀だけのため、そこが弱点であったとされます。1591年の九戸の乱の時、七戸南部氏は九戸氏に味方したため、七戸城も攻撃を受け落城、七戸南部氏は断絶、城は廃城となりましたが、変節を経て1819年1万1千石で南部信鄰が七戸南部氏を継ぎ大名となりますが、城はなく本丸に代官陣屋が置かれ明治維新を迎えてます。現在城は、二の丸下の東門が再建され、本丸に七戸神明宮、二の丸などが柏葉公園になり水堀・空堀などが残る町民の憩いの場となっています。

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