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カズサン

香川画伯俯瞰図に魅了され探訪、堀、土塁が凄い (2016/03/17 訪問)

 香川元太郎画伯の小長井城想像俯瞰図を確認し又日本城郭協会理事の加藤理文氏の講演で小長井城の認識を深め探訪したくなり地道を大井川沿いに北上して川根千頭駅東大井川対岸の徳谷神社、本川根町B&G海洋センター駐車場を目指し駐車し探訪開始。

 駐車場から余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに神社北の入口から西山手の1号堀、2号堀を廻って3号堀丸馬出、4号堀角馬出、土橋を渡って神社が鎮座してる本丸、東に向かって階段式に二の丸、三の丸、三の丸井戸、神社鳥居の在る虎口、東に5号堀、道を隔てて天竜川の断崖、竪堀が描かれてましたが現地では確認できませんでした、北の曲輪は現海洋センター二段の曲輪だった様です。
 
 小長井城は土岐氏の流れで小長井氏を名乗り築城し今川氏に属し武田氏進攻で武田に降り武田氏指揮で大改造し武田の特徴の三日月堀丸馬出、、角馬出連続構えを作り出した、堀、土塁と見応えが有ります。

 駐車場の在る海洋センターにお邪魔して小長井城のパンフレットを頂く。

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カズサン

カーナビ登城大失敗で麓の三之丸探訪 (2016/03/02 訪問)

 大田原市の黒羽城を終えて時間もまだ少し有り登城口事前調査して無かったのですがカーナビに烏山城目的地にして地道を南下、近くまで来てナビの示すまま林道に入り城跡に近づいてるのですが道が狭くなりおかしいと気付きましたがUターン出来ず、バックしUターン出来そうな所で何回か切り返し両路肩はぬかるんで居りスリップし後輪前輪泥だらけ。
 やっとの思いで抜け出し、近くの那須烏山市文化振興課を訪ね烏山城の登城路情報、資料、小冊子を聞き頂く。暮れては来るし今回の疲労で比高100m少しだそうですが七曲り急登で登る気力も湧かず登城口確認とその近くに在る三の丸エリアを探訪して終わる。
 烏山城は関東エリアで石垣造り、石垣の残ってる城跡として有名なので何時か体力的に充実してるタイミングを狙って再挑戦したい城です。

 資料によると烏山城は那須一族沢村資重の築城応永24年(1417年)、沢村資晴の時小田原合戦参陣遅れで改易、小田原征伐後織田信雄が国替えに従わず一時2万石で居城も後秋田に流罪、成田氏、松下氏、堀氏と移り堀親昌の時東山麓に三の丸(居館)を築く万治2年(1659年)以後板倉氏那須氏永井氏稲垣氏大久保氏と代わり大久保氏約140年で明治と成る。

 三の丸と七曲り登城口は那須烏山市役所から北に約500m程案内看板が有る西山麓に入り寿亀山神社下に駐車場、駐車場を南に谷筋に入ると七曲り登城口と成る。三の丸は神社及び神社下から市道まで曲輪が段丘的に連なってる。

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todo94

2度目の続日本100名城スタンプラリー・12城目 (2020/03/07 訪問)

新型コロナウイルスの影響で五稜郭であいの館は3月15日(日)まで休館となっていますが、スタンプとリーフレットは外に出して頂いてあるので問題ありません。ただし、龍岡城を俯瞰することのできる田口城は、昨年の台風19号による土砂崩落で登山禁止となっています。残念無念。悔しいので隣の公園の五稜郭の写真を撮っておきました。また、今回初めて枡形をチェックすることができました。

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どう

白石城 (2019/11/04 訪問)

子供の頃に来た以来の訪問。
その頃はまだ復元されていなく、今回訪問しても全く懐かしい感じにはならなかった。しかし逆に木造復元のお城は新鮮で楽しめた。
今回は同僚と訪問なので三階櫓のみの訪問だった。近いうちににもう一度行きたい。

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まーやん

武田信玄上洛断念の地 (2019/02/17 訪問)

病に侵された武田信玄が最後に攻めた城として知られている。
飯田線の野田城駅からは少し離れている。
豊川の北側に位置し菅沼定盈が守った堅固な城だが、攻めあぐねた武田信玄は金山衆に水の手を絶たせて開城に導いたとのこと。
郭は連格式で、三の丸、二の丸、本丸と堀切が見れる。城内から信玄を狙撃したという説明書があり興味深い。

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まーやん

山湊馬浪 (2019/02/17 訪問)

長篠の戦いで勝利した奥平貞昌の築城で、新城市の名の元になった。本丸跡は小学校となり、南東に微かに遺構が残り石碑がある。(もうちょい藪の手入れして 汗)
奥平氏の後、菅沼氏が陣屋としてこの地を治めた。
豊川の水運、伊奈街道の陸運で多くの人が行き交い栄えた様は「山湊馬浪」と称された。
ご多分に漏れず廃れた地方都市となっていた新城市では、山湊馬浪を再現すべく毎月第4日曜日「軽トラ市」を開催され、日本三大軽トラ市に数えられる程の盛り上りを見せている。
過去からのストーリーがいいではないですか。
のんほいルロット、頑張れ新城!

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小城小次郎

金田城

天地天皇6(667)年に築城されたと日本書紀に記される古代山城は、徹底的に石で作られた。急斜面をものともしない石塁線の連なりは、1400年以上が経過した今見ても脅威でしかない。

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じゅんじん

河川敷 (2020/03/01 訪問)

神社と観音堂になっています。神社裏手が土塁?

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じゅんじん

本国寺 (2020/02/23 訪問)

イチョウが逆さ?らしいです。

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登り石垣

加越国境の城 (2020/03/08 訪問)

切山城(金沢市)とともに国史跡となっております。
堅牢な山城を堪能することができました。

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姫街道

中遠地方の重要な城 (2020/03/07 訪問)

現在の袋井市、堀越館と岡崎城をまわった。
 初代今川範国の二男、分家の今川了俊が開基した海蔵寺となっている堀越館。了俊の供養塔もある。周囲は丘陵で、近くには、出丸をイメージさせる小山もあり、堅固な要塞であったと私は感じる。興国寺城に感じが似ている。今川貞世を祖とする遠江今川氏の本拠と伝えられる場所は磐田市の見付城と袋井市の堀越館の二ヶ所あるが、どちらが本城であったのか、、、これは悩む。見付城は見付端城の土塁を残すくらいで、あまり当時の状況がわからない。一方、堀越館の方はまだイメージがわく。ただ、見付城の近くには国分寺もあるため、見付城が私の中では本拠か。いずれにしろ、今川一族の中で最も偉業を残した了俊の重要な館なのは伝わってくる。
 岡崎城は、築城時不明。小笠山丘陵から伸びる舌状支陵の先端部にある。曲輪二連のシンプルな構造である。現在の形状は戦国末期の堅固な要塞だ。本丸周りには深い堀があり、ニの丸から本丸に一本の土橋、私は家康の形状だと思う。第二次高天神城の戦いを前に、高天神城の対の城として馬伏塚城、横須賀城と共に改築されたようだが、資料では岡崎城が主城と言う意見もあり、私もそう感じる。船着馬のような虎口があり、残存ラグーンを取り込んだ完成度の高い城だ。
 

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よっぴー

山下城

 山下城のある川西市の、あるケーキ屋さんに行ったとき、驚きの情報をお店の人が教えてくれました。なんと、山下城は織田家と関わりがあるということです! 織田信長の嫡男、織田信忠の妻である鈴姫は、山下城主塩川伯耆守長満の娘だったのです。(いろいろな説がありますが、この説が一番有力だそうです。)そして、信忠と鈴姫の子はあの有名な三法師(のちの秀信)です。三法師と言えば清須会議で羽柴秀吉が信長の跡継ぎにと推した人物ですが、関ケ原の戦いで西軍についたので、出家させられ、そのお寺で亡くなったという悲運の人物です。                                                      そんな三法師ゆかりの山下城を、市はもっとアピールしてほしいです。

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tos-M

現存天守が美しい 国宝・松江城へ行く (2018/06/21 訪問)

今回の旅行は、結婚記念日に合わせて名古屋から飛行機で出雲の地へ嫁さんと来ました。空港からはレンタカーで出雲大社を経て国宝・松江城に向かいました。今晩のお宿は玉造温泉。お城に滞在出来る時間は限られていましたが、二の丸・本丸跡を巡りました。梅雨時で天気が気になっていましたが、青空に天守が映えた写真が撮れて、今も私のスマホの待ち受け画面になっています。

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todo94

13年来の宿願達成 (2020/03/07 訪問)

武田信玄初陣の地ということで、2007年の大河ドラマ「風林火山」で奇襲!海ノ口が放映されてからずっと行きたいと思っていた城ですが、ようやく攻城することができました。かなりの長距離を歩かなくてはならないと云うことで避けていた感じですけれども、日々ウォーキングに取り組んでいる現在の私にとってはどうってことのないレベルの山城でした。この後は海尻城も攻略。先達城が載っていて海尻城がマップに載っていないのは全く納得がいきません。海尻城、ちょっといい城でしたので。

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ヒロケン

総石垣 (2014/04/26 訪問)

感状山城は南北朝・室町期になると赤松氏一門の居城となり、足利尊氏の追討をしていた新田義貞の率いる軍勢に対し、赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐がこの城に立て籠もって防戦し、50余日にわたり足止めをした結果、足利尊氏の反撃の機会を与えることとなった。この功績により足利尊氏から感状を与えられたことから感状山城と呼ばれるようになったと云われています。

城郭の構成は連郭式・階郭式の縄張りで、典型的な戦国山城の地取りとなっており、山頂部を中心に総石垣造りで建物跡と思われる礎石群が往時のまま残されています。

感状山城は、標高301mの感状山の尾根上に築かれており、登城口は「羅漢の里」と同じで、「羅漢の里」に駐車場も完備されています。登城口から30分程で山頂に到着し、登城道も整備されておりハイキング気分で城跡を堪能できます。

コロナウイルスの影響で不用・不急の外出を控えているのと、登城するだけの元気と現金がなく、少々古いですが、自分の好きな山城の画像を投稿させていただきます。

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tos-M

見事な石垣の巨大城郭の大阪城址を歩く (2018/05/30 訪問)

雨の降りしきる中、大阪城を歩きました。家から一番近い名古屋市内の地下鉄駅まで車で行き、始発の地下鉄・JR中央線・新幹線・JR線2つを乗り継いで森ノ宮駅を降りて大阪城に着きました。平日に行ったので通勤・通学ラッシュと重なり大阪の満員の電車を経験しました。大阪城の大きさを感じたかったのでひとまず城内に入らず、外堀から内堀という感じでほぼ2周(内堀沿いは1周出来ないので京橋口を2回訪問)して4っの城門(玉造口・青屋口・京橋口・大手口)の堅固な守りや総石垣造りの大城郭の美しさと大きさに圧倒されました。雨降りにもかかわらず本丸内の観光客の多さにはびっくり。外国人の方が多かったですね。

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じゅんじん

乾坤院再建 (2020/02/02 訪問)

城門が移築され水野家の墓所もある乾坤院。消失した伽藍が再建されました。

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じゅんじん

朝駆け (2020/01/16 訪問)

集合時間前に寄りました。土塁と水堀があります。

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じゅんじん

夜襲 (2020/01/15 訪問)

真っ暗でした。ホテルから徒歩で行きました。

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じゅんじん

登城口まで大変 (2020/02/23 訪問)

国道から曲がると道が細くそのうちすれ違い不可です

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