関ヶ原の戦いにまつわる激戦を経て今や跡形もなくなったこのお城の天守が、国宝・彦根城の天守に姿を変えた。なかなかロマンチックな話ではないか。
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2020/04/07 22:13
大津城
関ヶ原の戦いにまつわる激戦を経て今や跡形もなくなったこのお城の天守が、国宝・彦根城の天守に姿を変えた。なかなかロマンチックな話ではないか。
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2020/04/07 20:45
「長島城」 (2020/03/21 訪問)
<オススメ>★★★☆☆
1245年頃、藤原道家が館を築いたとされる。北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって大改修が行われた。1570年、一向宗・願証寺証意によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となった。木曽川、揖斐川、長良川の中州にあり難攻不落の名城であった。織田一門が多く戦死するなど織田信長も苦戦したが、度重なる猛攻により長島一向一揆も平定される。賤ヶ岳の戦い後、織田信雄の居城となるが、1586年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、清洲城に移ったとされる。関ヶ原の戦い後は菅沼氏が2万石で入り、長島城を改修し藩庁として用いた。その後、増山氏が8代続き廃藩置県まで至った。現在、現存移築門が遺されている。(願證寺の一向一揆殉教之碑も併せて散策したい。)
<アクセス>
JR長島駅 徒歩15分
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2020/04/07 20:32
「神戸城」 (2020/03/21 訪問)
<オススメ>★★★★☆
伊勢国人領主である神戸氏4代の神戸具盛が築城したとされる。織田信長の伊勢侵攻で神戸具盛は信長の三男・信孝を養子にすることで和睦する。神戸(織田)信孝によって、野面積みの石垣や5重6階の天守が築かれた。信孝の死後は、城主は度々代わり、関ヶ原の戦い以降は一柳氏が5万石で入った。1732年に、本多忠統が2万石で封じられ、廃藩置県まで居城として用いた。現在、天守台や石垣等が遺されている。
<アクセス>
伊勢鉄道 鈴鹿駅 徒歩20分
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2020/04/07 19:45
土岐高山城 (2020/03/21 訪問)
【土岐高山城】
<駐車場他>三の丸跡駐車場あり。
<交通手段>車
<見所>穴弘法
<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅6城目。城の歴史は説明板にある通り。プラス戦国期には本能寺の変の後、金山城の森長可にも攻められている。地理的に武田・織田・徳川の間にあり戦いの場所になっていたことがわかる。
城跡は山頂にはなく、山頂は墓地になっている。車で行くと途中山頂の墓地に行く方向を通り過ぎて、山の稜線の端っこあたりに城がある。三の丸跡が広場になっていて駐車できます。主郭を含む楕円形の三つの郭が主にあり、簡単な構造となっている。主郭跡には模擬門・模擬櫓と東屋、奥に井戸跡や祠がある。主郭は金網で囲っているので少し雰囲気を疎外している。堀切も埋められてしまっていて、これといったいい遺構はとくに見受けられないが、綺麗に整備された城跡です。
穴弘法は城跡から東方向200㍍ほど下ったところにあります。現地の説明板によると、戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を弔うために元禄年間に開創された寺の跡だそうです。その後荒れ果てていたのを明治時代に地元の人々によって再興しました。岩肌に穴を掘って石仏を納めていますが、当時は武将のお墓があったようです。度々攻められる憂き目にあった城、今見せていただいている者としてお参りさせてもらいました。印象に残る場所です。今回は穴弘法も含めての満足度といたします。
<満足度>◆◆◇
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2020/04/07 19:21
ふかふかの、お城跡。 (2020/03/21 訪問)
南北朝時代「神宮寺城」は東条氏により築城されました。
前回 投稿した「阿波崎城」の前に北畠 親房さんが北朝方の佐竹氏達と「神宮寺城」で戦ってます。
親房さん「神宮寺城」→「阿波崎城」→「小田城」と逃れて行きました。
「神宮寺城跡入口」と看板。駐車スペースがあります。
目の前入口にすぐ梯子段があり、入城するとビックリしました。
木々に隠れて見えなかった遺構があり、別世界です。
写真は一ヶ所で写したのではなく、虎口からパチッ、少し行って土橋からパチッ、またまた少し歩いて土塁でパチッ。奥は竹藪になってますが空堀も確認できます。
木々が覆った「神宮寺城」は地面が腐葉土状で、ふかふかでした。
みなさんも「神宮寺城」ぜひ行ってください!
と、言いたいのですが、コロナが治まってから安心して外出できるようになってからですよ。
お願いします。
私は休みの日、昔の大河ドラマを見ながら籠城しています。コロナ軍には負けません!
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2020/04/07 10:56
新城、古城、古手城 (2020/02/02 訪問)
山梨県笛吹市。石和温泉駅の北に大蔵経寺山があります。その山頂に平場、堀切を伴った新城(にいじろ)。
そこから北西1.5kmにあまり遺構が明確でない古城(ふるじろ)。両地点を結ぶ尾根の中間点を東に行くと平場、古墳遺構?のようなコの字型石積みのある古手城(こてしろ)があります。
いずれも古い文献から推定される場所で確証はないようです。
そろそろ杉、檜花粉が少なくなってきて山城に行けそうな時期なんですが、ウィルスというやっかいな敵が登場しましたね。この戦いには絶対に勝たないと。
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2020/04/07 09:31
2020/04/07 07:22
土田城登城 (2020/04/05 訪問)
織田信長の生母、土田(どた)御前が生まれたという土田城に登城。
『麒麟がくる』では檀れいさんが土田御前を演じている。
駐車場が満杯で車を道路わきに止めたため、石碑と登城路のみを撮影。
城跡探索は断念した。
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2020/04/07 07:19
念願の登城 (2020/03/20 訪問)
道路状況や天候のタイミングが合わず、1年越しの計画が実現。
念願の登城が果たせました。
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2020/04/07 07:11
今のうちに行っておかないと… (2020/03/20 訪問)
地元から一般道で片道4時間弱。なかなか行ける所ではないので、体力のあるうちに周辺を巡って来ました。静かな所ながら存在感のある城跡です。
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2020/04/07 06:45
麒麟がくる紀行 (2020/04/04 訪問)
大河ドラマ麒麟がくる紀行で明智光秀の妻・熙子ゆかりの地として紹介されていました。駐車場が完備されている麓の士屋敷跡の石垣も見事なものでしたが、山頂のⅠ郭にも石垣があるし、人工的に積んだ石垣にも見える花崗岩の巨石の節理、紀行でも紹介された矢穴など見所満載の素晴らしい城でした。2020年に初めて訪れた城のベスト3には必ず入ると思います。崇禅寺の山門は移築城門とのことです。
妻木しろやま観光案内所(城山公民館)は、土岐市内での新型コロナウイルス感染者発生を受けて、休館となっていました。
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2020/04/07 06:31
ポカポカ陽気に誘われて (2020/04/04 訪問)
2020年4月1日より発売になった登城記念を頂きに行ってきました。
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2020/04/07 02:14
大人になった今、じっくりと再び訪れたい
6歳まで県北にある実家から車で3時間かけて、年数〜1回は仙台赤十字に通院していた関係で、その度に父に連れられて行った覚えがある。
それと小学校4年生くらいの遠足。
春〜初夏の季節で少し暑い中、快晴、新緑、白壁、濃灰の石垣と瓦のコントラストは印象に強く残っています。青、緑、白、黒で描かれた油画のようなイメージでした。
内部はキチンと覚えていないので、大人になった今またキチンと行ってみたいと思います。
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2020/04/06 23:29
河内飯盛山城 (2020/04/06 訪問)
今年の桜は、やや葉桜でした。もう草木が生い茂る季節なので今季の山城納めの心算で登城したのですが、緊急事態宣言が出るみたいなので、実質の登城納めになりました
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2020/04/06 23:26
龍間城 (2020/04/06 訪問)
以前見た飯盛城の赤色立体地図に載ってた城。うろ覚えですが、多分ここ
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2020/04/06 23:24
2020/04/06 23:22
河内小松城 (2020/04/06 訪問)
小松廃寺を経て、現ゴルフ場。寝屋川市立野外活動センターの駐車場の上あたり。清滝城と同一視する向きもあります
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2020/04/06 23:20
2020/04/06 22:35
大溝城・大溝陣屋
明智光秀の縄張と伝わるこのお城にはもはや天守台しかないと言ってよいのだが、江戸時代のはじめには陣屋になっていることを思えば天守台が残ったことが奇跡だし、この天守台が実に味があって良い天守台なのだ。
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2020/04/06 20:49
城址公園として綺麗に整備保全されてます (2016/04/13 訪問)
平成28年4月中旬南東北城廻を終えた翌日多気山城山頂登城を目指すも雨と雷で諦め山麓の堀土塁の探訪、多気不動尊参拝、大谷石資料館、宇都宮城と廻り宇都宮市南部上三川町に在る上三川城を初登城。
車は南大手口の数台停める事の出来る駐車場を利用、横にトイレ完備。
単郭の本丸だけが残ってますが案内板に依ると往時は東西400~500m、南北1000mの群郭式で広大で堅固な構えで宇都宮氏の一派横田氏が築き以来慶長2年(1597年)芳賀氏に攻められ落城するまで348年続いたと有ります。
南に本丸虎口、東に虎口、西に虎口、土塁が周囲を取り囲み土塁上は歩ける、四隅には櫓台規模の平坦地、周囲には濠が囲み立派な造りに保存整備。
植栽で飾り濠に石垣補強、大手虎口は石で飾り補強してるお往時と違う復元保存ですがこれはこれで立派な保全管理です私的には十分楽しめますし後世に伝える事が出来ます上三川町良く頑張ってます。 こうやって探訪できる事に感謝です。
翌日浜松に帰った夜に熊本地震発生し連日地震で熊本城の地震被災が甚大だった事が残念でしかた有りません。
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