比叡山焼き討ちの翌年、比叡山への抑えとして、また琵琶湖水運の拠点として明智光秀が築いた城で、安土城に先がけて天主を擁した先進的な城でしたが、山崎の戦いでの光秀の敗報を受けて安土城から坂本城に入った明智秀満が堀秀政の包囲を受ける中、天主に火を放って自刃。豪壮華麗と評された城も灰燼に帰しました。その後、丹羽長秀が再建しましたが、浅野長吉(長政)が城主の時に大津城を築いて移転したことにより廃城となったようです。
遺構としては、平成6年の琵琶湖大渇水の際に確認された本丸の石垣があるくらいですが、この日は前日が雨だったこともあり、湖中に沈んでいて見えませんでした。本丸跡は普段は非公開ながら、大河ドラマ放送期間(来年2月7日まで)の土日祝は一般公開されていますので、この機会にぜひ。
それ以外にも周辺には坂本城の痕跡が随所に見られ、本丸跡から北西に徒歩1分行くと落城時に宝物を埋めたとも、明智一族の墓所とも伝わる明智塚があり、本丸跡から西に徒歩2分の東南寺にも落城時の死者の供養塔があり(未確認)、東南寺から西に徒歩1分行くと坂本城址の石碑と説明板があります。石碑から北に徒歩5分の両社神社の北西部には外堀の名残の水路が見られます。また、本丸跡から北北東に約1.5kmの聖衆来迎寺、北北西に約2.4kmの西教寺にはそれぞれ坂本城からの移築門が残されています。
城域からは少し南に外れますが、坂本城址公園には光秀の石像と曲の流れる歌碑「光秀(おとこ)の意地」があります。どちらも何というか……独特の味わいがありますよね(笑) 坂本城址公園ではボランティアガイドの方に丁寧にご説明いただき、下調べである程度わかっているつもりでしたが、現地で方向を指し示しながらの説明でより理解を深めることができました。ありがとうございました。
(次回・城下町編に続く)
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