安宅本城の詰城です。
城域は整備され見学しやすくなっています。縄張りもよくわかり、土塁などの状態も良好です。特に空堀は深さをある程度保って長く残っていていました。特に北側の尾根を断ち切る様に堀切となっている空堀は圧巻です。
コンパクトですが期待していた以上の城址で、2時間近く散策してしましました。安宅本城から歩いて5分くらいの所に八幡神社があり、その裏に登城口があります。
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2019/12/30 22:17
安宅氏の詰城 (2019/12/29 訪問)
安宅本城の詰城です。
城域は整備され見学しやすくなっています。縄張りもよくわかり、土塁などの状態も良好です。特に空堀は深さをある程度保って長く残っていていました。特に北側の尾根を断ち切る様に堀切となっている空堀は圧巻です。
コンパクトですが期待していた以上の城址で、2時間近く散策してしましました。安宅本城から歩いて5分くらいの所に八幡神社があり、その裏に登城口があります。
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2019/12/30 22:02
安宅水軍 (2019/12/29 訪問)
紀伊日置駅より徒歩にて行きました。
安宅橋を渡った所に標識があります。その下に見える所が城址です。民家の下に見える石垣が遺構だということです。
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2019/12/30 21:56
紀州最大級の山城 (2019/12/28 訪問)
和歌山県最大級の山城であり、主要な曲輪近郊は公園として整備されています。本丸、二の丸、水の手曲輪、西の丸、東の丸は容易に見学できます。ここの城址の見所は堀切だと思っています。「古城行道」の碑のある所から上がって行きますと左側に西の丸からの尾根にある堀切を見ながらの登城となりますが冬でも藪になっていて見づらかった。東の丸の先、あるいは北側の尾根にも見ごたえのある堀切があります。ただ明瞭な道があるわけでもなく少し行くのに苦労しました。それでも全体としては非常にいい城址だと思います。
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2019/12/30 21:41
城山と本丸 (2019/12/28 訪問)
「城山」と「本丸」とあります。
「城山」へは案内板の反対側の鋪装された道を三寶寺の門前を通り抜け尾根まで上がり、後は道なりに進みます。突き当りを右へ入りと城域となりますが、藪になっています。主郭の土塁はわかりますが、堀切があるとの情報でしたが藪のため確認できませんでした。
「本丸」へは一度下山して主要道路側の道を上がりました。城址までは道も整備され辿り着くことができます。しかし土塁などはわかりますが、こちらも藪で詳細はわかりにくかった。
写真は2枚目から4枚目が「城山」、5枚目から7枚目が「本丸」の写真です。
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2019/12/30 21:04
台風が去ったあとの松江城 (2018/10/07 訪問)
私が松江城を訪ねたのは2018年10月7日です。前日、台風が日本海を進んでおり、私が乗ってた特急やくもからも、伯備線の横の木が非常に風で煽られていたのが見えました。JR西日本は、夕方のやくもは全便運休にするとのことでしたが、一部は運行したようです。私は岡山を10時頃に出る便に乗ったので、お昼頃に、だいたい定時で到着出来ました。出雲蕎麦を食べた後、月照寺に参拝したら、物凄い風でしたが、参拝は出来ました。夜は居酒屋でヘルン(小泉八雲のラベルがありました)と言う地ビールを飲んだり、蟹を食べたりしました。その間、雨も降りましたが、傘なしでも大丈夫でした。翌日、蒸し暑い中、小泉八雲記念館や、武家屋敷を回った後、松江城を訪問。レンタカーを停めて、丘を登って行きましたが、外国からの訪問客が多いのは予想していませんでした。かく言う私も、城の麓にある、島根県物産観光館で、ウクライナ出身で、ロシア在住の友人に、お土産を買いましたが。天守閣には、有料の双眼鏡が備え付けられていました。この日は、まつえ若武者隊の忍びである、月照さんが登城のはずだったのですが、私がいた時間はまだだったようです。
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2019/12/30 20:57
「大成館」 (2019/12/29 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
大成館は、金子駿河守が築いた城館とされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR大宮駅 徒歩20分
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2019/12/30 20:31
「渋谷城」 (2019/12/29 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
渋谷城は、渋谷氏の祖である秩父(河崎)基家が築城したとされる。その後、後北条氏の侵攻により落城し、廃城となる。現在の社殿は徳川家光が三代将軍になった際に、青山忠俊・春日局らが造営したとされる。江戸初期の建築様式をとどめており、石垣の一部が残されている。
<アクセス>
JR渋谷駅 徒歩15分
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2019/12/30 20:13
「伝真鳥氏館」 (2019/12/29 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
真鳥山城は、鎌倉幕府の御家人である畠山重忠の家臣、真鳥日向守の館跡とされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR南与野駅 徒歩15分
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2019/12/30 19:49
「伝築土城」 (2019/12/29 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
築土城は、扇谷上杉朝興が江戸鎮護のため社殿を修築したとされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR飯田橋駅 徒歩15分
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2019/12/30 18:58
「牛込城」 (2019/12/29 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
牛込城は、牛込氏の代々の居城とされる。牛込氏は上野国大胡出身で、後北条氏の江戸衆の一人である。1555年、北条氏康の了承を得て苗字を大胡から牛込へと改めた。牛込宮内少輔勝行は後北条氏の信任も厚く牛込、本郷、葛西一帯を治めていた。小田原征伐後、牛込氏は徳川家康の配下となり、牛込城は廃城となる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR飯田橋駅 徒歩15分
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2019/12/30 18:32
岩と土の城 (2019/12/30 訪問)
登城口の前に駐車場があります。車でないと行けません。
別名は小糸城。
説明板の横の登城口を登ると根古屋、さらに登ると岩を切り開いた虎口が凄い。
この日は雨で足元も滑りやすく結構苦労しました。
登城口から10分ほどで主郭、さらに奥には千畳と呼ばれる広い曲輪があります。
千畳の西には 西向三段の曲輪があり、最高部は物見台だったと言われています。
千畳から北には八幡祠のある郭があり、その先に深い堀切がありました。
台風の影響で倒木もありましたが見応えのある良い城でした。
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2019/12/30 17:54
2019/12/30 17:42
2019/12/30 16:54
2019年マイベスト10城!
まっぴーさんに乗っかって、私も2019年のマイベスト10城を。
遺構の無い城跡や城びと未登録の城などを含め、この1年間に訪問した95城の中で、私の印象に強く残った2019年マイベスト10城に輝くのは…!
第10位 二条城
二の丸の絢爛豪華な世界も魅力ですが、本丸でお城らしい武の部分が見られたのが印象的でした。
第9位 明石城
特別公開の両櫓と高石垣の壮大さに圧倒されました。明石焼きも美味しかったです。
第8位 新宮城
整った石垣も見どころですが、水ノ手郭の船着場の大きさ、石垣の高さは圧巻です。
第7位 桜町中将城
まだ投稿できていませんが、前々から行ってみたかった伊賀・甲賀特有の分厚く高い四方土塁で囲まれた単郭方形の城館。大いに気に入りました。
第6位 松本城
小学生の頃からの憧れの松本城。やっと念願が叶いましたが、今度はもっと時間をかけて城下もめぐりたいものです。
第5位 会津若松城
会津びいきとして、城下も含め存分に堪能することができました。やっぱり大好き!
第4位 高取城
山深い城内のほぼ全域に石垣が築かれていて、石垣天国を満喫できました。今度は城下から歩いて登ります!
第3位 白河小峰城
端正な三重櫓と特徴的な石垣。いずれも復元ながら苦難の歴史を乗り越えた姿が胸に響きます。
第2位 姫路城
小天守群特別公開のために再訪。何度来ても最高の城、人類の宝です。
第1位 備中松山城
雲海に浮かぶ天空の山城、自然と一体化した石垣、唯一の山城現存天守、猫城主、二重櫓特別公開、中世山城、様々な歴史のある城下、そして山田方谷…。見どころがありすぎて、丸一日かけても全然足りませんでした。
…う~ん、我ながらありきたりのランキングですね。普段行き先を決めるにあたって、(続)100名城かどうかはあまり意識していないんですが(遠征時は別)、95城から10城を選ぶとなるとこんな感じになってしまいます。やはりそれだけの名城揃いだということなんでしょうね。お城として一番好きなのは姫路城ですし(松本城に行っても変わらなかったんだから、たぶん一生変わらないと思います)、三大山城で一番好きなのは高取城ですが、備中松山城はいろんな要素がてんこ盛りで、楽し過ぎました。
他にも、上赤坂城や赤木城、大坂城も彦根城も久々利城も挙げたいところでしたが……こんなところで。
来年も素晴らしいお城にめぐり会えますことを…。
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2019/12/30 16:52
水口岡山城 (2019/11/17 訪問)
【水口岡山城】
<駐車場他>国道307号線沿い、南側登城口に無料Pあり。
<交通手段>車
<見所>曲輪・石垣
<感想>城は秀吉の家臣、中村一氏が1585年に当時の大岡山(現古城山)という地に街道を抑える要所として築城・入城した。その後増田長盛→長束正家と城主が変わっている。 関ヶ原の戦いでは長束正家は西軍に属したため、東軍に攻められて降伏、開城した。城の石垣は後に水口城の築城にあたり、部材として転用され廃城となった。
城跡は東西に伸びた山の地形を利用した連郭式の平山城で、郭の数は50・60はありそう。本丸も東西に長く伸びた形状で、東西の端にそれぞれ櫓があったようだ。石垣遺構があるのは主に本丸跡の北側に数ヶ所あるが、樹木で埋まって見れない所もある。西の丸には模擬櫓展望台と模擬塀がある。南中腹に稲荷神社のある郭周辺と散策道には如意観音の石像が点々とあり味があってよかった。
城跡の整備は主要な郭の削平地と散策道はきちんとされていてとても良かったが、空堀・堀切・竪掘り等の遺構は樹木・笹藪で埋まってしまっていてせっかくの遺構がよくわからない状態にあるのでもったいないと思った。続百名城に選ばれてもおかしくないスケールの大きさ・遺構なのに。
甲賀市ひと・まち街道交流館にパンフレット・御城印があります。水口城資料館に200円or300円の水口岡山城跡の冊子が販売されてます。日帰り甲賀市城攻めの旅6城目。
<満足度>◆◆◆
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2019/12/30 16:19
長屋門と表御殿が現存 (2019/11/13 訪問)
柏原藩は前期と後期に分かれ、共に織田家が治めています。
前期は織田信長の弟の信包です。
まだ江戸幕府の前の慶長3年(1598)に秀吉の命で移封する。
その後関ヶ原の戦いでは西軍に属し、大坂冬の陣直前に死去しました。
その後も改易されることなかったが、3代藩主信勝は慶安3年(1650)に死去。
柏原藩嗣子が無いため廃藩となり、幕府領となる。
後期は信長の子孫にあたる信休が元禄8年(1695)に2万石で入封し、以後10代明治維新まで続きました。
そして柏原藩はこれまで何回か柏原の地は通過したことはありましたが、今回初めて訪城する。
車は迷った末にこの日休みだった(水曜日)たんば黎明館の駐車場に止めました。
まず柏原歴史民俗資料館へ寄ってから陣屋長屋門と表御殿を回りました。
その後、柏原八幡宮前の観光案内所により、木の根橋通って、移設された太鼓櫓に行く。
なお車は柏原八幡宮前の駐車場を利用する方がいいと思います。
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2019/12/30 16:09
桜と今帰仁 (2019/02/08 訪問)
桜がどうしても見たくて、行ってきましたが、とても綺麗で感動しました。
石垣も壮大で、驚きました。
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2019/12/30 15:53
ポツンと一軒家 (2017/04/30 訪問)
長水城は兵庫県穴粟市の標高584mの長水山の山頂にあった山城で、山全体が山城跡になっていて、山頂の最高所に本丸、尾根に沿って南北に二の丸、更に南の尾根の先端に三の丸が配置されていた。本丸の主格部には石垣が築かれていて、現在も、曲輪、石垣、土塁、堀切などの機構がよく残っています。
本丸跡の石垣の上には、日蓮宗信徳寺が築かれており、宇野氏家臣の子孫が、長水山の合戦で亡くなった英霊を慰霊してほしいとのお告げを受けて建立したとのことです。2017年4月現在も、男性住職が住んでおり、自分が登城した折も住宅の横で、野良仕事をされていました。
伊水小学校の裏手に登山道があり、徒歩1時間程で城跡に着きます。天候にも恵まれハイキング気分ではあったが、所々に急こう配の坂道があり、30分も登るとさすがに息が切れヘロヘロ( ;∀;)、こんな山奥に本当に人が住んでいるのか信じられない。( ゚Д゚) 適度に水分補給を行いながら山頂を目指したが、山頂に着く頃には残り一口程度しか残らない有様でした。
現に、城跡を写真に収め山を下ろうとしている時に、山を上がってこられた方がいて、その方から「飲みかけのもので良いから売ってくれないか」と言われたが、流石に一口をお売りするわけにもいかず、「この先の、お寺に住んでおられる方がいるので、聞いてみたらどうですか?」と返答。皆様も、特に夏場に長水城に行かれる際は、水分をたっぷりと持たれることをお勧めします。
11月にお城に行ったきり城攻めをさぼっているので、2年8か月前の登城を紹介させて頂きました。それでは皆さま、良いお年をお迎え下さい。
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2019/12/30 15:15
ダイナマイト四国 (2019/12/29 訪問)
今年も「笑ってはいけない24時間」の季節がやってまいりましたね~
個人的にお気に入りだった「ダイナマイト四国」(遠藤章造氏)が近年見られなくなったのが残念な代わりと言っては強引過ぎますが、年末遠征で愛媛・高知のお城見学してきた際に中村城に立ち寄りました。
麓から舗装された崖際や細尾根を利用した道を進み、約10分で城域に・・・中村駅から徒歩だと30分は見た方が良いかと。
電車の本数が少なく、駐車場があるので、車での訪問の方が無難かも。。。
整備が進んでいる為か、自然遺構はそれ程多く残ってはおりませんでしたが、資料館になっている模擬天守、その周辺にある土塁と虎口、段曲輪等があり、城碑がある大堀切(現在は道路になっている)の場所には石垣もありました。
自分は早朝(前日中村入り)からの攻略だった為資料館開いておらずに入りませんでした・・・残念orz
公共交通機関の本数が劇的に少なかった今回の行軍はものすごく計画立案に苦労しました・・・
公共交通機関での攻略が困難な場所が多く、出来れば現地でレンタカーを借りて回る方が無難かもしれません。
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2019/12/30 15:00
絶好の立地 (2019/12/01 訪問)
霧山城は多気北畠氏館の戦時の詰城であり、山麓の詰城から山道を20分ほど登って行くと霧山城跡の案内図があります。この辺りが南曲輪群で、案内図周辺の小さな曲輪と、西側の高台の鐘突堂跡と呼ばれる曲輪で構成されます。鐘突堂跡の南西端には建物跡と思しき土壇があり、土壇の南西側の尾根道は堀切で断ち切られています。
鐘突堂跡から下って行くと、北曲輪群に至る鞍部に大きな堀切が設けられています。北曲輪群は本丸と本丸北東側の矢倉跡、西側の米蔵跡と呼ばれる曲輪などで構成され、本丸はすり鉢状の分厚い土塁で囲まれ、東側と西側に虎口があります。矢倉跡は三方に土塁を巡らせ、南西側の本丸との間と、北東側の比津峠への道を堀切で遮断しています。この山上にありながら、この規模の土木量とは……北畠氏恐るべし! です。
登城口から本丸まで約40分ということで、もっと大変かと覚悟していたんですが、山道はよく整備されていますし、途中、詰城や南曲輪群を散策しながらの登城だったので、ほとんど苦になりませんでした。また、山上からは周囲の山並みを遥か遠くまで見渡すことができ、眺望好きとして満足できただけでなく、吉野と伊勢とを結ぶ街道に睨みを利かせる天険の地であることを実感できました。南北朝期の南朝方の拠点としては絶好の立地ですね。
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