青森県七戸町の七戸城です。七戸城は七戸町の西側に接する台地の東端にあり、市街地を隔てて七戸川が流れています。南北朝時代、北畠氏の家臣工藤氏がこの地に居館を構え、その後、南部政長の居城となり、南部氏の津軽侵攻の拠点であったとされます。城は、七戸川支流作田川左岸の標高40mの丘陵に築かれ本丸、二ノ丸、北館、下館、宝泉館、西舘、角館からなり東西400mって南北350mの規模と言われています。七戸城は1456年蛎崎の乱の時、 下北半島の蛎崎氏に攻められ落城、その後の1483年南部氏の御家騒動に巻き込まれ再度落城しています。城の南は作田川を自然の堀とし、前面と東西は要害ですが、背面は空堀だけのため、そこが弱点であったとされます。1591年の九戸の乱の時、七戸南部氏は九戸氏に味方したため、七戸城も攻撃を受け落城、七戸南部氏は断絶、城は廃城となりましたが、変節を経て1819年1万1千石で南部信鄰が七戸南部氏を継ぎ大名となりますが、城はなく本丸に代官陣屋が置かれ明治維新を迎えてます。現在城は、二の丸下の東門が再建され、本丸に七戸神明宮、二の丸などが柏葉公園になり水堀・空堀などが残る町民の憩いの場となっています。
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