川崎城は塩谷城とも呼ばれ、平安時代の末から戦国時代にかけて塩谷地方の北西部を支配した塩谷氏の城でした。築城者は宇都宮業綱の次男で鎌倉幕府御家人である塩谷朝業とされています。朝業は鎌倉幕府三代将軍・源実朝と和歌を通して親交を深め「信生法師集」を残しています。朝業は文武両道に優れた武士でしたが、実朝の死を機に出家を決意し、八歳になる娘から恨み言を歌にして詠まれ、それに対して返歌を詠み、その二首が「信生法師集」に記されているようです。
川崎城は宮川の西岸に築かれ、南北に城域が広がっています。城域全部を見ることは出来ませんでしたが、一の堀は見ごたえがありました。本丸の南に南曲輪、北に二の丸、西に帯曲輪があり、本丸の周囲に一の堀が配されていました。
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