戦国中期に波多野氏家臣の荒木氏が築城。八上城の支城として多紀郡東部の守りを担いました。明智光秀の丹波攻めの際には城主・荒木氏綱のもと、激戦が繰り広げられましたが、水の手を切られて落城したようです。
山頂部に主郭とその周囲の曲輪群、そこから北西、南東、南西に伸びる尾根に曲輪群を配した連郭式山城で、主郭群には切岸、竪土塁、虎口、竪堀が見られ、北西尾根、南東尾根との間は堀切で遮断しています。主郭群の東下には畝状竪堀群があるようですが、藪化していてよくわかりませんでした。北西尾根は、土橋状のやせ尾根の先に小さな曲輪群が連なっており、北西端の曲輪には土塁や竪堀が残っています。南東尾根も堀切の先に小さな曲輪群が連なり、南端には土塁や竪堀が見られます。南西尾根は登城口から続くルートで、遺構はよくわかりませんでしたが、ところどころにトラロープが張られた急峻な斜面で、ここを攻め上るのは大変だろうな、と。
…と、この日は金山城、八上城、細工所城とそれぞれ主郭まで30~40分を要する山登り続きに加えて、各城ともに隅々まで歩き回ったため、ここで体力と気力が限界を迎え、この後行く予定だった籾井城はあきらめて帰途につきました。でも、ハードではありましたが、丹波の山城は実に見応えがありました。
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