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まっつん

どっちが本丸?どっちが二の丸? (2019/01/13 訪問)

1221(承久3)年の承久の乱で戦功を挙げ、安芸国大朝荘の地頭となった吉川氏は、1313(正和2)年に駿河国から大朝へ移住。
駿河丸城はその際に吉川経高が築城したといわれています。
その後、南北朝時代末期に吉川氏は小倉山城へと本拠地を移していくこととなります。
城跡は比高30mほどの丘に築かれていて、主に2つの曲輪がありますが、城跡の入り口以外には特に案内板がなかったので、どっちがどうなのかちょっとわかりにくかったです(^^;)
城跡には堀切や土塁といった遺構が残っています。小さな城跡なのですぐに見て回れます!
車で行けば、写真2枚目の位置に駐車できます。

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くろもり

学んで・見て・体験できる城 (2013/10/19 訪問)

関東では、杉山城や滝山城がよく土の城の教科書と言われていますが、ここ飛山城もその一角に加えて頂きたい城です。
城址の入口にある「とびやま歴史体験館」は無料(写真撮影可でした)ですが、宇都宮氏や芳賀(はが)氏、飛山城についての詳しい解説があり、飛山城のジオラマ・縄張り図・城郭用語の解説がかなり丁寧で分かりやすかったです。特に大手周辺の模型は、中世の城攻めをイメージしやすく(攻城兵と守備兵がわちゃわちゃしてます)、城址に入るとすぐ模型で見た景色が広がるので、本当にイメージしやすいです。

整備で分かりやすく復元してあるので、「あぁ、これが薬研堀。こっちが箱堀ね。あのでっかい土手が櫓台なんだ。」といった感じです。歴史体験館で学んだことが、すぐ城址で見ることができます。

体験については、北東の土塁は上からロープが垂らしてあり、ロープを伝って土塁の上に登ることができます。傾斜はゆるくしてあるそうですが、5m程の土塁に自由に登れる機会はそうないので、お勧めです。土塁に登る為には堀底に下りないといけないのですが、その階段が子供用なのか幅がすごく狭いので、足元に注意してください。

南側の堀(5号堀と6号堀)はそこまで手入れされておらず、人工的過ぎる復元が苦手な方はこちらの方が見応えがあるかもしれません。ただ、一番南の6号堀は民家のすぐ横なので、散策には気を使った方がいいかもしれません。私がお会いした住人の方は笑顔で挨拶してくれましたが。

kucucuさんの投稿と同じく私の時も崖崩落の為、主郭が立入禁止でした。直前の台風の影響かと思っていたのですが、後日、東日本大震災での崩落だったと分かりました。震災後2年半経っていたのですが、爪痕はまだ残っていました。現在は主郭に立ち入れるようなので、またいつの日か再訪したい城です。

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まっつん

山城が初めての方にオススメ! (2019/01/13 訪問)

安芸吉川氏は、南北朝時代後期に同じ大朝荘の駿河丸城から小倉山城を築いて本拠地を移し、その後、吉川興経が1546(天文15)年に日野山城を築城するまで安芸吉川氏の本拠地でした(その後、毛利元就の次男・吉川元春が家督を継ぎ、日野山城を改修して本格的に小倉山城に代わる本拠地として整備したようです)。
城跡は国指定の史跡で、本当に綺麗に丁寧に整備されていて、広い駐車場はあるし、案内板は各所に設置されているし、本丸や二の丸、三の丸、御座所などの曲輪も堀切も土塁も掘立柱建物の跡もわかりやすくしてあって非常に見やすいです!
さらに、僕はじっくり見て回ったので1時間程度滞在していましたが、ササッと見て回るなら30分程度時間があればいけるんじゃないかというぐらいのお手軽な感じで、しかも比高80m程度の丘陵に築かれた城郭なのでほとんど疲れません。
山城に初めて行ってみようという人にオススメしたいと思いましたし、僕がおじいちゃんになって足腰が弱ってきても、ここなら山城を楽しめるなと思いました!笑

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まっつん

番犬注意! (2019/01/13 訪問)

吉川元春館の目と鼻の先にある屋敷跡で、元春の奥さんがお住まいだったのだとか。
この近辺の吉川元春館や万徳院跡 と同じ「石つきの者ども」という石工集団が築いたという特徴的な石の積み方がここでも見られます。
すけきよ堂さんが書かれているように、石垣の端っこに元気な番犬がいるので、よく吠える犬が苦手な方はご注意ください(^^;)

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じんじゃー

在地領主の城から福与城支城へ (2019/01/04 訪問)

箕輪町の養泰寺の裏山が主郭部分にあたる。現在主郭内部は墓地で、台地の崖を除く三方向を空堀と土塁で固めている。もしかしたら堀の外部分も郭であったのかもしれないが、現在はわからない。
天竜川の河岸段丘を利用した伊那地方にはよくあるタイプのお城です。

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にのまる

初日の出のかわりに (2019/01/02 訪問)

1月2日の日の入り。

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刑部

佐竹氏を追い出した城 (2019/01/13 訪問)

数十年ぶりに攻城、弘道館の駐車場を利用 弘道館を見学後 三の丸から本丸へ連郭式の縄張りを探索。 昔とはだいぶ違いますね!

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カルビン

再訪拒否5本指に入る (2014/05/12 訪問)

岩殿城は一度途中まで登ったものの、体調不良もあって断念してまして(稚児落としの分かれ道までしか行けなかったorz)...
GW明けに調子整えて再度挑戦して来ました。

しっかり準備したハズなのに、登りの大変さ以上に高さに対する怖さで肉体的精神的に削られて行き・・・
しかしちゃんと作ってきたコンディションでリタイアする訳にはいかない(これで登れなければ一生登れないw)ので・・・


ようやく揚城戸跡に到着した時にはホッとしました(;´Д`)=3
が、なんか上の方から子供達の声が聞こえるんですよ・・・(・`ω´・;)???
揚城戸跡に感動するのをすっかり忘れてしまいましたw

ここからは崖っぷちではなく少し中に入るので、高さの恐怖は一気に緩和されますし、ここまでくればほぼ登り切った同然なので、ゆっくり遺構を確認。

番所を経て岩殿山の石碑がある場所に来て絶句・・・なんと遠足で来たと思われる幼稚園児が沢山
∑(゚Д゚;)
そうか、あの声はこれだったんだ。。。良く皆登ってきたなwww
(子供には厳しい段差の階段もあったんですが(汗))

更に先に進み、2つの井戸を経て最高点の本丸跡へ(井戸は見応え十分も、本丸は残念な風景にw)
更に先には堀切もありましたが、堀切の横に真下が見えて高所の恐怖が再燃(ーωーlll)


・・・正直、高所の恐怖が大きすぎて、お城の印象があまり残っておりませんw
再訪拒否5本指に入るお城となりましたorz

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チェブ

サザエさんのオープニング。 (2018/12/30 訪問)

日曜日にテレビで「サザエさん」久しぶりに見ました。
静岡県の観光名所をサザエさんが紹介します。
なんと「掛川城」で忍者サザエさんが手裏剣投げてました。
今川氏が重臣の朝比奈氏に命じ「掛川城」を築城しました。
誰が撮っても絵になる美しいお城です。
サザエさん、静岡県は掛川城だけじゃなく良いお城、たくさんありますよっ。と教えてあげたくなりました。

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朝田 辰兵衛

こんなとこ,来とうはなかったけど… (2019/01/13 訪問)

本与板城から約2kmなので頑張って登城しました。下山された方とすれ違ったので,安心して行けました。千人溜まりはイイ雰囲気でした。
標高104m,比高85m。登城口は,八坂神社となります。

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にのまる

🐗 (2019/01/02 訪問)

イノシシの親子がいたよ。

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ブラタヌシ

この時期はやめるべき山城❗️😁 (2019/01/13 訪問)

真田が上田城を築く前の城とか、昌幸の父幸隆が築城したとか、情報が色々有りますが急峻な山中に、信濃の特有の牛蒡積み石垣が有ります。
また、更に上には遠見番所という見張り場も有り、山城好きにはたまらない所でした❗️😁
でも、筋肉痛に悩まされてます。

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バリィ

月山富田城 (2018/06/07 訪問)

七曲の上に残されている遺構は素晴らしいです。

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刑部

堅倉長塁 (2019/01/13 訪問)

だいぶ低い土塁です、昔はもっと高くなっていたのでしょう。

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todo94

羽田空港に行く前に (2019/01/12 訪問)

羽田空港に行く前に、大崎駅で下車して、品川氏館にも行ってきました。貴船神社がその推定地とのことです。事前の学習なしでふらっと行ってしまいました。

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dougen

2018.12.29登城 (2018/12/29 訪問)

佐脇城から県道384号を東に進み、豊橋バイパスを超えたあたりから、県道375号に入り南下すると田んぼの真ん中に伊奈城址公園が見えてきます。城址の案内板は県道沿いにありますので、特に迷うことは無いでしょう。
城址公園として整備されており、駐車場もあります。
遺構としては土塁や堀跡がある程度ですが、城址の石碑や解説板などが設置されています。
また、模擬櫓があり、往時の姿が偲ばれます。

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くろもり

リスペクトユー (2013/10/19 訪問)

下野国の名家である宇都宮氏が長らく居城としていた宇都宮城。
江戸期には四重の堀で囲まれた巨大な近世城郭の威容を誇っていたはずですが、戊辰の役で灰燼(かいじん)に帰し、残されていた堀や土塁は太平洋戦争での宇都宮大空襲で、B-29重爆撃機による爆撃にさらされ・・・

それでも、昭和30年代くらいまでは外堀等も残っている場所もあったようですが(本丸の土塁も昭和30年頃の古写真で確認できるのですが)、現在は防災施設の公園として生まれ変わっています。

復元された土塁はコンクリートで確かに見た目は違和感がありますが、清明台と富士見櫓は木造で復元されており宇都宮城も喜んでいるだろうなと感じました。

名門・宇都宮氏の居城、釣天井事件の舞台、宇都宮城の戦い、宇都宮大空襲と経験してきた宇都宮城にはリスペクトの念しかありません。今の宇都宮城の姿には「お疲れ様でした」と一声かけたいです。

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スミヤキ

稲村の変 (2019/01/03 訪問)

 近年の史料研究により、これまでの伝承と史実が全く正反対であることがわかったみたいです。
 1533年~1534年里見家天文の内乱は、勝者(義尭)が歴史を改竄して、史実をねじ曲げて伝えていた。下剋上を遂げる中で、都合の悪い事実が残ってしまった事が改竄の要因と言われています。(義尭が仇敵である北条家の支援を得て本家・義豊を攻め滅ぼし、家督を奪ったこと) しかもその後、北条家も裏切り、北条家と対立していた小弓公方側に寝返っています!
 この内乱以後、稲村城は廃城となり、現在に至るのですが、その当時からの遺構がしっかりと残っています! 土塁、堀切、切通し、切岸、腰曲輪など。
また、標高63mの丘城の主郭から西方向を眺めると国府があった館山平野と館山湾を一望でき、その奥には富士山も拝めます。夕暮れ時は、絶景です。多分。
 里見家の歴史は、館山市立博物館の「さとみ物語」に詳しく解説されています。ネットで見れます。

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BUGTI

菅谷城 (2018/12/24 訪問)

館跡という呼び方が誤解を招くほど立派な平山城。菅谷城という名前を広めるべき。城址は深い堀で囲まれ、各曲輪も堀で区切られている。そしていずれの曲輪も非常に広い。これなら大勢の兵を駐屯させることができたと想像される。杉山城と同じく築城者に関してわかっていないのが不思議。

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BUGTI

土の城の教科書 (2018/12/24 訪問)

教科書と言われる通り、堀と土塁の連続。しかも非常に良く残っていて、曲輪から次の曲輪へ移動するのも堀底に下りたり、大回りして土橋を渡らなければならない。複雑な縄張をよく考えたと思うが、築城者に関しては良くわからないという不思議な城。

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