まだまだ城廻りが出来ない状況が続いてますのでH27年5月中旬に探訪した新城市作手地区の亀山城を投稿します。
亀山城は新城市の標高500m台の高原盆地、国道301号線奥三河旧街道の要所に在り、道の駅「つくで手ずくり村」北東直ぐの山手丘陵に在ります。
駐車場は道の駅「つくで手ずくり村」または裏側北東200m程離れた亀山城大型駐車場(こちらが近い)
今回の登城ルートは専用駐車場→東裾を廻り→西曲輪(その間東曲輪、本丸東下横堀、西曲輪下腰曲輪を観察)→本丸下東切岸、腰曲輪→西曲輪、土橋→本丸搦手虎口→本丸、周囲土塁→本丸大手虎口→二の丸→二の丸枡形虎口→二の丸北横堀、大堀切→国道301号線に回り西側丘陵の亀山城を眺める、大看板が良く見える。
城跡は良く残り景観保全も良好、各曲輪と夫々の土塁、枡形虎口、横堀、堀切、本丸切岸が良く確認でき素晴らしい造りです。
歴史的には上野国甘楽郡奥平郷より天授年間(1375年~1381年)作手領主山崎氏を頼り作手地方に移住、勢力人望を得て、川尻城経て亀山城を築き5代居城、国人領主として今川氏に従い義元倒れた後、武田氏、徳川氏の抗争の中、奥平貞昌(信昌)長篠城主に家康より命じられ長篠城籠城戦を耐えて設楽ヶ原合戦で勝利への軍功を挙げた。
家康関東移封後は上野国甘楽郡へ3万石の領主、関ヶ原合戦後信昌の4男、松平忠明が作手藩1万7千石に封ぜられ亀山城が支配拠点に、再改修されたか? 慶長15年(1610年)伊勢亀山城へ移封されここは廃城と成る。
道の駅「つくで手づくり村」の作手地区の案内板には作手史跡巡り案内が有り、亀山城をはじめ、石橋城、文珠山城、塞之神城、古宮城、川尻城、作手歴史民俗資料館、を巡る約10kmの各コースが紹介されてます。
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