武田信玄最後の城攻めの地
(2020/06/17 訪問)
元亀3年(1572)の三方ヶ原の戦いで徳川家康に勝利した武田信玄は、翌年には東三河に軍を進めて長篠の南にある徳川方の野田城を攻め込んだ。
野田城は丘陵が舌状に張り出した先端部に位置して、東西両側を比高18mの深い渕に挟まれた自然の要害にあり、なかなか攻め落とせなかったため、武田勢は両側の渕の水を落とし、甲州の金掘衆を呼んで本丸の東と西から坑道を掘って、井戸水を抜く断水戦術を取って降伏させた。
この戦いの中で、城の中から夜毎流れる笛の名人が奏でる美しい音に誘い出されて、信玄が堀のそばまで来たところを城内から狙撃されたという言い伝えがあり、その傷がもとで甲斐へ戻る途中に息を引き取ったと伝えられている。
黒澤明監督による映画「影武者」はこの野田城で傷つき、帰路で没した信玄の死を隠すために影武者を立てたストーリーです。
城跡は丘陵地に3つの曲輪を配した連郭式で、一番奥の南側が本丸で、その一角には例の大きな井戸があり、その側には信玄を狙撃したと言われる場所の看板が立っています。また、城の西側の渕だった所には現在は法性寺があり、そこには信玄が狙撃されたと言われる場所の案内もあり、両方の直線距離は100mもない位なので、信玄の狙撃は十分可能だったと思われます。
その法性寺の大門は野田城から移設されたとされ、一見の価値ありです。
車での訪問は城跡前に1-2台なら路上駐車可能です。
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