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イシテル

池田輝政の石垣が残る豊川にある後ろ堅固の城 (2020/01/11 訪問)

豊橋公園の中に本丸、二の丸、三の丸が残り、池田輝政が築造した石垣には鉄櫓が復興されています。
鉄櫓は天守としての役割を果たしていた記録もあり、実際に天守と書かれている絵図も残っているようです。
鉄櫓から望む豊川も良い景色ですが、吉田大橋で豊川を渡り対岸から見た石垣にそびえる鉄櫓も最高。
また金柑丸側の内堀は豊川側から入れ、その他の内堀も降りることが可能です。
空堀に入れば、違った感覚でこの城の面白さを感じることが出来ます。

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YAICHI

なぜか京都山科に石碑があるそうです。 (2020/01/12 訪問)

城跡は甲賀町小佐治集落の北、野洲川方面を見下ろす丘陵上に位置します。城山北側の説明板付近(34.940739,136.216601)に駐車。水堀跡(桝形池)の後方に整地された広い主郭、害獣柵内に土塁、空堀、土橋、山頂郭等の遺構が見られます。城主は佐治氏(小佐治氏)とされ、織田信長の近江侵攻に伴いその配下となりましたが、天正13(1585)年に羽柴秀吉の領地没収に対しては篭城して抵抗、堀秀政・中村一氏に攻められ落城したとされます。令和元年度「日本遺産」認定において、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-(平成29年度認定)」のストーリーを構成する文化財について、追加認定を受けました。市指定史跡。

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まーやん

遺稿を復元、発掘したとのこと。 (2020/01/12 訪問)

道路工事で消滅した部分を復元し三度にわたる発掘調査で詳細が分かったきたとのこと。
丘陵地を利用した城のようだが築城者は分かっていない。おそらく500年以上前に数十年使われたと見られている。
現地は主郭の井戸などの遺稿が若干見られる史跡公園になっており、意外に説明板など多く分かりやすい。
過去の方々の投稿がなければ辿り着かなかったと感謝しております。

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まーやん

スタンプのためリベンジです。 (2020/01/12 訪問)

昨年5月、自信のミスから津に泊まり津で車を借り、津のイベントを目の当たりにしながらもスタンプを逃すという大失態をを犯してしまった。
あれから8ヶ月。ようやくリベンジの時が来た‼️
今回は朝から津城目指しただけあって、ゆっくり回れることができ輪郭式(の遺構)、微妙に違いを見せる石垣(高虎時代か)も見ることができた。
二回目につき詳細は割愛いたします。

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恵美丸

さすが★江戸城 (2020/01/12 訪問)

テレビや写真で観るより、実際に行ってみて感動もひとしお。。。天守は無くとも、美しい櫓、雄大な石垣、かの有名な桜田門、、、素晴らしいかったです(*^ー^)ノ♪

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赤い城

野球場の周りに土塁や空堀 (2020/01/11 訪問)

鹿沼市役所の背後、御殿山公園が城址。
御殿山公園の駐車場があります。
本丸は野球場になっており、遺構かどうかは分かりませんが土塁が廻っていました。
本殿北側には忠魂碑が建っている郭があり、こちらにも土塁が残っていました。
西側から二ノ丸、三ノ丸に下ると道があり、進んでみると見事な空堀。
後で周囲を廻ってみたのですがこの辺りは二重土塁になっています。
道路を挟んだ坂田山にも遺構があるとのことです。
公園だけではありませんでした。

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姫街道

北遠の山城は、川で浜松城とつながっていた (2020/01/12 訪問)

「北遠の山城」は、南は二俣城〜最北は高根城と定義されており、犬居城はその中間地にある要所だ。その三城について特徴をまとめてみた。①城の標高②城を取り囲む川③築城時期④廃城時期⑤廃城理由

二俣城・・・①標高80m②天竜川と二俣川③築城16世紀中④廃城1600年頃⑤徳川の関東転出により

犬居城・・・①標高255m②気田川③築城不明④廃城1570年頃⑤武田に寝返り、徳川に攻め落とされた事による

高根城・・・①標高420m②水窪川③築城1414年④廃城1580年頃⑤長篠の戦い後、武田の遠州撤退により

やはり、北に行くほど山城はスケールが大きく、武田の築城技術が反映されている。勿論、中遠地方同様に、武田と徳川で取った取られたが繰り返されてきたのだが、静岡県の県民性だろうか、、、案内看板の内容はかなり徳川贔屓に偏った書き方がしてあり面白い^_^

さて、犬居城だが、山城の作りは丸子城に似ている。今回は東側から攻城したが、非常にキツイ山道だ。ただ、道中は階段は無いが東海自然歩道になっておりよく整備がされている。勿論、当時は人一人が歩ける程度の道幅だっただろうが。山の尾根、本丸から東は何段にも曲輪が連なる。本丸から西側は東側に比べると尾根が緩やかなため、要所に深い堀切がある。あまりに深い為、登り降りをサポートするロープが設置してある。
北遠の山城をいくつか歩いて気付いたのだが、北遠地方の山城は眼下の川の地形が大きくSの字に蛇行している所が多い。川が道だとすると、北遠の城は、その川の停留所に適した箇所に作ったと私は想像する。山城は各々の川から天竜川へ、そして馬込川を経由して、浜松城へと繋がる。
要するに、「北遠の山城は、川によって浜松城とつながっていた」と私は想像する。

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いんげん丸虫

駒留城 群馬県藤岡市 (2020/01/05 訪問)

主郭とそれを囲む段曲輪、一つの堀切があります。石積みもありますが当時のものかは不明です。台風の影響なのでしょうか、どこの城跡も倒木が目立ちますね。

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国重

茶臼城の畝状竪石塁 広島県三次市 (2020/01/11 訪問)

一度は行くべき 行きにくい城  という本に載っていた城です。畝城竪石塁を見たくて行ってみました。主郭(北曲輪)の西側に7列の石塁跡があります。状態は崩れていますが、幅2〜3m、長さ10mぐらいの石列が見られます。その下の兜岩周辺にも石塁跡らしきものが見られます。

場所は、敷名八幡神社(広島県三次市三和町敷名)に駐車し御旅所の方に向かいます。御旅所から先はやや藪になっていますが、そこを抜けると右の山に向かう方に登山口があります。石塁以外にも北曲輪と南曲輪の間の堀切も見応えあります。詳しい縄張りは、城郭放浪記さんのサイトを見ると良いです。

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響ちゃん

曇り (2020/01/12 訪問)

赤松いっぱいぽい

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響ちゃん

曇り (2020/01/12 訪問)

人まるけっぽい

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響ちゃん

曇り  (2020/01/12 訪問)

今日は良く転ぶぽい

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ぴーかる

明知城(白鷹城) (2019/12/15 訪問)

【明知城】
<駐車場他>城跡東側登城口前、城跡東側道路沿い入った所奥に登城口がある。数台駐車できます。
<交通手段>車

<見所>曲輪・畝状竪掘り・竪掘り・切岸
<感想>御城印5城分購入の旅2城目。岩村城の御城印を購入後、日本大正村横の観光案内所にて明知城(白鷹城)・土岐明智城・仲ノ深山砦の3城の御城印を購入(ちなみにシールタイプです。)してから来城した。
 この城はこの地方を治めていた明知遠山氏の本城であったらしく、戦国時代武田氏の東美濃進行の際に他の遠山氏の城と同じように奪われたり奪還したりした城です。岩村城・苗木城のような石垣や巨石遺構はあまり残っておらずほぼ土盛りの城です。この地域の盆地を取り囲むように御城印の残り2城で守っている感じを受けた。山城表記になっているが麓からはそんなに比高はなくて平山城という感じを受けた。
 城跡はそこそこ大きく、ここも山の形に沿った曲輪群の配置、連郭式で三の丸まで、他多数の曲輪がある。見所は主郭東側の畝状竪掘り群である。畝状竪掘り群は私が見た中では大きいほうでした。近畿地方にはあまりない規模か、または遺構が残っているのを見ていないか、見応えがありました。
 城跡の南西側を少し下った所に万ヶ洞神社という社があり、明智光秀の幼き頃の学問修行場所となっていたらしい。光秀生誕・出身地の説では岐阜県可児市が有力らしいが、次回投稿する土岐明智城も含めてこの地も光秀ゆかりの場所だったところがいくつかあります。
光秀抜きにしても良く整備された、大河ドラマ館があるので大河に備えて整備してました。(先達の方達の投稿写真より全然違ってました)非常に見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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国重

堀切や曲輪の姿がよく残っていました。 (2020/01/11 訪問)

中世、三次盆地を支配した三吉氏代々の居城で、1591(天正19t)年に比熊山城に移るまでの約400年間続きました。標高410m、比高220mの山頂からの眺望は素晴らしいものです。【現地案内板より】

まっつんさんの投稿を見て行きたくなりました。熊野神社近くから登りました。登山道の標識が各所にあり迷うことはありません。ただ三ノ丸付近は100mほど藪になっています。三ノ丸手前の大きな曲輪に土塁と大きな堀切が有ります。見所の一つです。
残念ながら穴蔵跡は見つけられませんでした。

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コキュート

彦根城

好き!!!

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コキュート

松本城 (2018/10/25 訪問)

カッコいい!

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コキュート

弘前城 (2018/09/20 訪問)

12天守閣最北の地

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エグ1394

明智城 (2020/01/12 訪問)

明智城・天龍寺へ行ってきました。
明智荘をみつめる会が桔梗坂で御城印を
販売していたので購入しました。
天龍寺で日本一大きい明智光秀の位牌を拝観してきました。
御朱印もいただきました。
明智城はきれいに整備されていました。
明智城は明智光秀が生まれた城として知られています(諸説あり)。光秀は11歳で城主となり、斎藤義龍に攻められ落城するまでの30年近くをこの城で過ごしていたと考えられています。城址には本丸跡や曲輪・土塁などの遺構が比較的良好な状態で保存されており、明智城址散策道として整備され、春から秋にかけてはハイキングコースとして楽しめるようになっています。また、城址北麓にある天竜寺には日本一大きな(184cm)明智光秀の位牌と明智氏歴代の墓所があり、旧暦6月には光秀公御法要が営まれています。

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シロマサ

小林寺の裏山が城跡 (2019/11/13 訪問)

この城は八上城主波多野秀治の武将小林長任が、永禄年間(1558〜70)に築いたものという。
天正7年時の城主小林重範は、明智光秀の攻撃を受け落城した。
篠山城の北東の沢田にある小林寺の裏山が本丸跡です。
小林寺は小林氏の菩提寺であり、本丸に行くにはお寺のお堂の横を潜ると、石段があり登って行くと三蔵法師のお墓があります。
その墓の横を登って直ぐに本丸に着きます。

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響ちゃん

晴れ (2020/01/12 訪問)

富士山綺麗ぽい

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