リニューアル前に行きましたが、写真栄えする建物で良かったので、投稿します。
ボリュームは軽めですが、イベントが多いので色々と楽しめる城だと思います。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2020/01/14 21:25
細川幽斎の居城 (2019/09/17 訪問)
リニューアル前に行きましたが、写真栄えする建物で良かったので、投稿します。
ボリュームは軽めですが、イベントが多いので色々と楽しめる城だと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2020/01/14 21:04
多気山不動尊背後の山 (2020/01/11 訪問)
多気山不動の背後の多気山山頂に主郭があります。
もちろん不動尊に駐車場あり。
登城口から七曲りを登ると山頂部に遺構が残っています。
主郭は御殿平と呼ばれていて石碑が建っています。
見晴らしも素晴らしい 。筑波山が良く見えました。
曲輪や堀、桝形虎口も見ることができました。
本格的に見学すると結構な時間がいりそうな良い城でした。
近くには石で有名な大谷資料館もあります。
次の機会には行ってみたい。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2020/01/14 20:45
土岐明智城(多羅砦)岐阜県恵那市明智町 (2019/12/15 訪問)
【土岐明智城】
<駐車場他>城跡前にP20台程あり。
<交通手段>車
<感想>日帰り御城印5城分購入の旅3城目。城びとマークにはないが、御城印があるので行ってみた。城跡そばが千畳敷き公園というところになっていて公園整備されているので駐車場・トイレがあります。城名が多羅砦・千畳敷砦・落合砦であったりどう呼ばれていたかよくわからない。観光案内所で頂いた案内図に
「室町時代の美濃国明智村の勢力圏は、白鷹城(明知城)が明知遠山氏の勢力圏であり、土岐明智城(多羅砦)は仲深山砦とともに土岐明智氏の勢力圏であった。」と記述されているので、正しいなら明知城を中心に盆地を3城で守っている感じを受けたという私の記述は間違いでした。
三の曲輪そばに明智光秀公産湯の井戸があります。城跡として残っているのは主郭・出丸(二の曲輪)・三の丸からなっていて、土俵がある広場も曲輪になっていたようだ。主郭は加工されていなく、間伐しただけなので切岸・腰曲輪からの竪掘りっぽい遺構が見れる。出丸はぐるりを柵で設けて町を眺望できる。明知城がまん前に見えます。三の曲輪は井戸の北東側の楕円形の削平地で特になにもない。
案内図の通り遠山・土岐の勢力圏が分かれていたなら、明知城に光秀の学問所があったり、明知城と仲深山砦が谷を挟んだだけの超間近だったり、麓の案内板と案内図の説明が違ったり、つじつまの合わないところが多いが、光秀の母の出身地はここかもしれないとか考え思うのもまた楽し。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2020/01/14 19:37
2020/01/14 18:57
光恩寺。 (2019/11/30 訪問)
鎌倉時代に佐貫 嗣綱さんが築城した「赤岩城」に行きました。
光恩寺さんがお城跡のようです。
大きな駐車場がありますので車、大丈夫です。
まずは光恩寺さんの山門前に浅くなった堀跡が見られます。
ではっ、お邪魔します。
「赤岩城」の石碑や説明板はありません。
長屋門が見えたので近くに行くと「日本初の女医 荻野 吟子」の銅像と説明板。
長屋門は吟子さんの生家の門なんだそうです。
「赤岩城」の何かを探していたら堂山古墳がありました。説明板には頂上に「館林城」の城主のお墓があるそうです。この館林城主は佐貫さんの子孫でした。
古墳もお城の土塁のような役割、したのでしょうか。
近くに利根川があり、赤岩渡船の案内板を見ました。
後で知ったのですが、上杉 謙信さんも渡ったんだとか。
お城、お城と夢中になり利根川には行ってません。
「赤岩城」以外の歴史にも触れられたに違いないお城巡りでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2020/01/14 18:12
鴫野砦(大阪市城東区) (2020/01/05 訪問)
鴫野砦は、大坂冬の陣に際して大坂城の防衛のために築かれた砦で、低湿地に三重の柵を巡らせ、豊臣方の井上頼次を守将として徳川方の上杉景勝との鴫野の戦いの舞台となりました。
現在の城東小学校が推定地とされますが、小学校東側に大坂冬の陣と鴫野古戦場の石碑や説明板があるだけで、遺構は消滅しています。
また、石碑と説明板の道向かいにある八劔神社には上杉景勝の本陣が置かれたため、境内に上杉景勝本陣之地の石碑が建てられています。
さて、鴫野砦に加えて、大坂の陣史跡めぐりをもうひとつ(第6回)。
鴫野砦から南西に徒歩15分の白山神社は、冬の陣において本多忠朝が陣所を置いたとされ、境内のいちょうの巨樹は、忠朝が登って戦況を偵察したと伝わります。
本多忠朝というと、冬の陣において酒のために失態を演じたとされますが、ここに陣を構えていた時にやらかしてしまったのかなぁ、と考えると、先日、一心寺の墓所を訪れているだけに感慨深いものがあります。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2020/01/14 09:59
曲輪、土塁が確認できます (2019/09/05 訪問)
本郭跡に曲輪や土塁といった遺構がありました。
案内板のある場所に車を停めるスペースがあり、やや勾配のある登城口を登っていけば本郭に辿り着けます。
本郭には明らかな城跡だとわかる土塁があり、曲輪もすぐに確認することができました。
曲輪と曲輪の間には堀もありました。
あまり訪問者は多くないようで本郭までの道は夏場はやや草が多く生えておりました。
見学時間はそこまでかかりませんが曲輪や土塁の残る城跡が気軽に楽しめる城跡なのではないかと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
28人が「いいね」しています。
2020/01/14 09:17
2020/01/14 08:58
2020/01/14 00:04
玄武の小山 (2020/01/13 訪問)
平安京造営時、北の拠点とされた玄武の小山で、風水で大地のエネルギーが溢れ出る所とされた。この小山の真南に大極殿、朱雀大路が配されたらしい。
また、ここは応仁の乱だ西軍の陣地となり、その名残で付近一体を今も西陣と呼び、西陣織にもその名が残る。
南東部分は織田信長公をお祀りした建勲神社があり、読みは「たけいさお」だそうな。「けんくん」は俗称のような説明書でした。
お城の遺構はほぼなく、建勲神社敷地内に空堀がある模様。(写真の空堀は神社敷地と公園の間にあるもので空堀かどうかは不明)
南側には特にチャートの露出が顕著で、石垣のような役割を果たしていたのかも。
市内が一望出来るほか五山送り火が見えるデートスポットでもあります。
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2020/01/13 23:59
多彩な遺構で満足度の高い山城 (2020/01/12 訪問)
散策コースだけなら、お散歩レベルで1.5時間もあればひと周りできます。
遺構は、技巧的なもの(連続した枡形、馬出など)があり、楽しめます。
散策コースを外れると、黒豆のような動物のフンがたくさん落ちているので足元注意。
帰りは道の駅にしかた、隣の天然温泉で一休みできます。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2020/01/13 23:41
定刻通りに着かない+来ないバス (2020/01/12 訪問)
JR宇都宮駅西口より12番・楡木車庫or運転免許センター行のバスにて上欠下バス停下車、そこから徒歩20分で犬飼城登城口へ。
当初滞在時間を80分確保していたのに、バスの到着が20分も遅れ(宇都宮市街が渋滞していたのもありますが、常時バス自体が法定速度より10kmくらい遅く走っていた・・・・運転手遅れ挽回する気も無し)、大幅な見学時間減を余儀なくされ。。。お城までの移動時間を引くと、実質見学は20分弱にorz
登城口へは道案内があるので、狭い所入る訳ですが解りやすく、また専用の無料駐車場もあったので、車で来られた方が良さそうです
肝心のお城ですが、冬枯れを期待していたのに結構藪残し・・・近年の土のお城、温暖化のせいか冬でも写真撮影に耐えがたい場所が多く、ここ犬飼城もちょっと残念な視界となっておりました(悔)
遺構は堀がメインで、見学ルートがちゃんとあり、虎口から堀底路に降りて主郭まで迷う事なく行ける様に小看板がルート上に設置されている親切設計
路は落葉が酷くて歩き辛く、視界が雑草の多く、辟易する事間違い無し・・・遺構がなかなかのものだっただけにかなり残念でした。。。しかも滞在時間を削られた分、二ノ丸へ続く土橋から先を見学する時間が足りなくなり、泣く泣く見学中断しバス停に戻る殊になりました(悲)
ついでに書くと、戻りのバスもきっちり7分遅れました・・・しかも4人バス待ちしているのに、運転手スルーしかけると言う。。。ついでに書くと行きと同じ運転手で、予想通り宇都宮駅の到着12分遅れました(駅周辺渋滞緩和していた分早かったが・・・怒)
宇都宮駅初の関〇自動車のバス利用される方、どの路線でも漏れ無く到着遅れ発生していた為、事前にネット検索した時間に対し、+20分は余裕もって設定された方が無難です(危)
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2020/01/13 23:34
2020/01/13 23:28
2020/01/13 23:06
読み方:私は「じゅらくだい」です。 (2020/01/13 訪問)
昔、「じゅらくだい」と読まれていたはずなのに近年NHKですら多くは「じゅらくてい」と読んでいる…どちらが正しいの❔(;゜0゜)
ユニクロ横の駐車場東隣の町家の角に石碑があり、ご親切に案内書きがある。書いてあるとおり西に約300m進むと道路南向いにも石碑があります。どちらも濠のあった所だとか。
この辺りは屋敷跡や政庁跡も多いので石碑萌えの方にはお薦めです。
なお、本能寺の変があった場所が当地に近いので併せて行かれるといいかも知れません。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2020/01/13 23:00
2020/01/13 22:34
皆さん戸田氏も忘れなく。 (2019/12/28 訪問)
大垣城といえば関ヶ原の戦いで石田三成が本拠としていたことで有名な城です。さらに関ヶ原の戦い以後、幕末まで戸田氏が代々城主だった珍しい城なのです!
そんな大垣城へ行くため犬山城から名鉄→東海道本線を乗り継ぎ大垣駅に到着。「世界の山ちゃん」で昼飯を食べ、城に向かいます。ビルの間を縫うようにはしる道を歩いていくと急にボン❗と櫓が出てきます。櫓とビルの間がギリギリなので見てて面白かったです。(←自分がなんという変人なんだと気付いた瞬間です)
まず城前の広場に行きます。広場には戸田氏鉄さんの銅像がたっていてシンプルな鎧ですがかっこよかったです。
では天守へgo❗大垣城は沢山の櫓、門が復元されているので僕は好きです。中でも好きな写真スポットは画像最初のものです。そんなこんなで天守へ到着。あまり無い四階構造の天守です。中では関ヶ原の戦いの映像が聞くスペースがありました。(長~~かったです😅)なんとなく関ヶ原の戦い中心に展示してるな~と感じました。
肝心な戸田さんは近くの大垣市郷土館を見ることをおすすめします。歴代藩主について色々学べます。
ということで大垣城はとても面白かったです✨また来たいと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
23人が「いいね」しています。
2020/01/13 21:52
障子堀・畝堀について私見 (2020/01/13 訪問)
山城巡りは新入生、土木工事は約25年携わってきた私のパッと見た見解ですが、「これは堰堤や貯水槽ではなかろか」です。駐車場から三ノ丸堀→西ノ丸→西櫓→元西櫓→箱井戸→駐車場のコースでしたが、まず地形的に西櫓から元西櫓への高低差が大きく、元西櫓の北側がこの城全体でGHが最も低く急勾配の谷になっており、障子堀や畝堀が無ければ、降った雨は瞬く間にこの谷に流れていったと思います。箱根峠では、雨水は貴重な資源だったはずです。土質についてですが、私は主に静岡県西部の人間で、この地方の土質は詳しくありませんが、扱いずらいのは間違いないと思われます。仮に障子堀等が無いと、堀に流れ込んだ雨水が一気に谷へと走り、堀底や法面が洗われて(削られて)しまい、城に大きなダメージを与えてしまうのではないかと想像します。また、私ならですが、必要以上に掘った悪い土を曲輪に土塁や曲輪形成に盛りたくありません。したがって、「あえて、必要以上に掘らずに格子状に残した」という発想を私見とします。
さて、何故各所台風被害で滑っているのかも私なりに考えてみました。
まず、昭和48年から山中城の復元工事を行なったとありますが、大工事だったと思います。本当に敬意を表したいし、感謝の念しかありません。それまでどうなっていたかわかりませんが、戦国時代からの長い眠りの年月で、木々が力強く根を張り、山城は自然の地形に戻っていた事でしょう。それを伐採抜根し、発掘調査して復元。我々に見やすいように且つ、法面を保護したく、低木を植えて管理してきてくれたと想像します。それが台風等の大雨でしょうか、伐採→発掘→法面張り付け盛土した箇所をいじめ、法面の表土滑りを起こしたと想像します。はっきり言って仕方ありません。山城の法面を当時の資料をもとに復元すべく工事すれば、我々が普段作成する「安定勾配」を無視して作成せざるを得ないからです。「円弧滑り」もあったように見えます。曲輪に溜まった大量の雨水が、行き場を失い法面崩壊に起因する現象です。私的にはですが、崩れたら仕方がないと諦めるので、また本来のままに復元しましょう」と意見したいです!!
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2020/01/13 21:38
明智光秀の母(お牧の方)墓所 (2019/12/15 訪問)
【お牧の方墓所】
<駐車場他>墓所入口の自治集会所に駐車スペースあり。
<交通手段>車
<感想>岐阜県恵那市明智町の御城印のある仲深山砦に旅の3城目として行ってみたが、入口もなく、おそらく鉄塔がある施設内あたりと思われ入れなかった為(観光案内所でも草がひどくて入れない事は聞いていましたが)諦めて、道中にあるお牧の方の墓所に寄ってみた。場所は<35.302246, 137.398041>でひっそりとあります。墓石横に槇の大木があり印象的です。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2020/01/13 20:49
えっ、これって登山じゃん。 (2019/10/05 訪問)
去年の10月初めに福岡県にある鷹取山城に行ってきました。福智山登山の途中にある標高633m比高550m程度の地点にある城郭です。当日は白雲ライン・鷹取ルートにて登城、多くのハイキング客で賑わっており、登りも下りも挨拶の連続。普段は大概独りで廻っていて声を出すことは稀なので珍しく多言の2.5時間でした。頂上には曲輪や虎口などの遺構を見る事ができ眺望も抜群です。登って来るのはハードですがその分感激も割増しです。後から知ったのですが、畝状竪堀も随分あるらしく今度再攻城するつもりです。
比高が500m以上あるとは登山口にて知りました。普段は帽子・バイクブーツ・バイクジーパン・上着はインナー1枚・腰バック・タオルと飲み物で攻城しており当然その恰好で登城というか登山。完全武装のハイキング客の中、独り軽装で異質でした。他者の持ち物で魅惑的に見えたのがステッキ、比高があると必要ですね。言うまでもなく次のシリーズではリュックとステッキも仲間に入りました。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。