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イオ

雪中行軍 (2019/01/27 訪問)

この日は元々は八幡山城や安土城に行くつもりでしたが、滋賀県は前日から生憎の雪の予報…。雪だと遺構がわかりづらくなりますし、冬期の山城めぐりのためにこの冬からスタッドレスタイヤを導入したとはいえ、正直、雪道を走るのは不安なので予定変更、雪の影響の無さそうな熊野方面に行くことにしました。

夜明け前に家を出て、五條市から十津川村を抜けて赤木城へ。十津川村も熊野市も新宮市も雪の予報はなく大丈夫! と思いきや、五條市の旧西吉野村あたりから道路脇に雪が残り、旧大塔村では路面にも雪が積もっていて、雪道を避けたつもりだったのに…と泣きそうになりながらも、スタッドレスタイヤのおかげで何とか無事にたどり着くことができました(十津川村以降は積雪なし)。

赤木城でも小雪が舞う中の登城となりましたが、さすがは藤堂高虎が築いたとされるだけあって、深い山奥に石垣に囲まれた郭が連なる情景といい、技巧的な縄張りといい、実に見応えがあり、寒さを忘れて1時間余り歩き回ってしまいました。

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にのまる

行ったっていうか、途中にあった。 (2019/01/14 訪問)

飯盛城彷徨の記を書こうと思ってデジカメの写真を見ていたら「野崎城碑」の写真があって…思い出しました。ほぼ麓に野崎城があったのでした(^_^;)
野崎観音の釣鐘が飯盛山ハイキングコースの大東市側スタート地点で、程なく野崎城に到達します。野崎城に寄ると飯盛城までは3分のロスになるのですが、どうせ1時間以上歩くことになるので、3分の寄り道なんて遠まわりのうちに入りませんよっと。
写真の石碑があるところは本郭で、この地点で結構登ってきたんだなという感じでした。下の展望休憩所がある平場も曲輪だったようです。
飯盛山を駆け抜ける覚悟がホントにあるかと自分に問うのにいいポイントでした。

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モト

空堀、土塁と遺構が残る中、やっぱり日本三大坑道の1つというのが気になります! (2018/12/31 訪問)

城跡だったエリアは今は家や畑になっていますので所々に残る遺構を見ながらまわります。
といってもそこまで規模は広くはないので苦もなく遺構を発見しながらまわれると思います。
駐車場もありますので車を停めて、そこにある案内板を見て見学開始です。
歩き始めるとすぐに坑道跡の看板が目に入ります。
この関城は他の城跡とは少々変わった見所がございます。
土塁、空堀の跡も見ることができますが、城攻めをする為に掘った坑道跡が残っています。
なんと日本三大坑道の1つとのこと、テンションがあがります。
洞窟のように残る坑道跡を外から見ます。
中は安全上の理由から入れませんが雰囲気が伝わってきます。
なるほど。

エリアをまわると土塁も確認できますし、空堀も今は浅くなってしまってはいますが残ってます。

日本三大坑道の1つという、ちょっと他にはない一風変わった城跡の関城でした。

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くろもり

太閤の野望とある女性の一生 (2014/01/01 訪問)

築城当時は、大坂城に次ぐ巨大城郭だったそうなので、破却するのも大変だったらしく、石垣が多く残っていました。

山里丸跡に広沢寺というお寺が建っているのですが、地元の肥前垣添城主・名護屋経勝の娘で豊臣秀吉の側室となった広沢局に由来するお寺でした。

広沢局は20歳で秀吉の側室となったそうですが、秀吉が名護屋城に滞在したのは1年2ヶ月程で、秀吉は広沢局を名護屋城に残したまま大坂に帰ってしまい戻ってきませんでした。それから5年程して秀吉が亡くなったので、広沢局は26歳の若さで出家したそうです・・・

秀吉の側室になったことで、名護屋氏としては恩恵も多かったのだろうとは思いますが、広沢局の一生を考えるとやるせなくなります。

戦国時代なんだからそんなことは当たり前で、広沢局は恵まれている方だったのかもしれませんが。太閤の夢跡の名護屋城より、広沢局のことの方が心に残ってしまいました。

遺構について全然書いてなく申し訳ないですが、広沢寺には加藤清正が朝鮮から持ち帰ったと伝わる蘇鉄がありました。5枚目の写真です。加藤清正が好きな方は広沢寺に行けば見られますよ。

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たかりん

四国最大規模の天守がいつか見たい (2019/01/13 訪問)

秀吉の四国平定戦の功により讃岐一国17万石を与えられた生駒親正の居城として築城されました。以後、関ケ原も乗り切りましたが、寛永期に起きた御家騒動により実質的な改易、その後、水戸徳川家二代光圀(いわゆる水戸黄門)の兄、頼重が高松松平家として封じられ明治維新に至る…という外様改易からの親藩・譜代入封という、徳川氏の支配を徐々に西日本に拡大する、秀忠・家光期によく見られたパターンですね。何年か前の初登城の際は天守台が補修工事中で涙を飲んだため、満を持して再訪です。今回は車のため、東の旭門より宣材でよく使われる艮櫓を見ながら入場、二の丸へ進むと補修なった美しく立派な天守台が見えてきました。天気も良かったので、堀に綺麗に逆さに写る姿も映えていました。天守の復元構想もあるようでイメージ図見ると、ちょっと珍しい形、見てみたくなりました。長い目で応援しましょう(笑)。廊下橋である鞘橋(さやばし)を通って天守台へ向かうと確かに大きい、地下部も再現されていました。その後は月見櫓、水手御門の方面へ。その名の通り、当時、城の北部は海に面しており、ここから直で船により海へと出る門だったそうです。今治、中津と並び「三大水城」といわれる本城の特徴ですね。続100名城で山城、平山城続きだったので、たまには息抜きと足休めに平城巡りを入れるのもいいですね。

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あきおこ

主郭の土塁が残る中世の城 (2016/07/09 訪問)

かつて主郭をめぐっていたと思われる土塁が残る。城内は畑地となり土塁は主郭の二面に残る。外側に横堀の痕跡も残存。

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あきおこ

見事な横堀が残る中世城郭 (2018/08/13 訪問)

国道横にいきなり深い横堀があります。柵と藪で全周することは出来ませんが堀底を歩くことが出来ます。横堀は折れを伴い主郭からの横矢が掛かるようになっています。堀底を登るとすぐに主郭に至ります。右側に櫓台、左に土塁が続きます。主郭奥から下を見るとオーバーハングしており危険なので柵を越えない様に注意してください。専用の駐車場は無い様なので入口の自販機横のスペースか歴史民俗館、道の駅に駐車するといいでしょう。全体に小振りな城ですが中世城郭ファンにはおすすめの城です。

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あきおこ

小さな櫓と門が移築され昔を偲ばせる (2006/01/01 訪問)

公園の一角に小振りな乾櫓と東門が移築されています。城跡は大きく破壊されていますが堀跡と土塁が一部残ります。

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あきおこ

市民の憩いの公園が隣接する陣屋跡 (2016/07/16 訪問)

大東神社境内にありあずま水生植物園が隣接しています。かつての堀は池となってしまい遺構は痕跡をたどるのみです。

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あきおこ

土橋門が復元された土の城 (2008/04/30 訪問)

昭和58年に復元された土橋門が往時を忍ばせる。かつては通用門として使われた。周囲には土塁が残る。

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あきおこ

武家屋敷、武家長屋が残る城下町 (2018/08/12 訪問)

城郭遺構はほとんど残っていませんが、安中藩群奉行役宅、長大な足軽長屋が残ります。ボランティアの方がガイドしてくださるので歴史を知ることができました。同志社大学を開いた、新島襄の旧跡も多く見どころが多い城下町です。

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朝田 辰兵衛

梅・桜・桃,同時咲きの春で「三春」だそうな。 (2018/04/21 訪問)

その見どころの春は終わってました。スタンプは二の丸。ここは,登城途中に民家があったり,二の丸広場ではこどもたちが遊んでいたりします。史跡をどのように次代継承すべきか,モデルケースのひとつとなりうると思います。神社仏閣等として敬い崇めるより,三春城パターンのほうが,人々の心に深く宿るのかな…と感じました

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カルビン

蛇・・・いたよ~ (2016/10/15 訪問)

東京から山梨県へ入り、史跡・神社仏閣を見学しながら国道52号線を南下し、この日お城ではメインの訪問・真篠城を訪れました。
事前に地図確認していたにも関わらず、ススキ等の背の高い雑草に隠れて登城口が解り辛かったです。

一応狭い道の先に登城用駐車場があるので、そこからすぐ近くの登城口にさしかかった時に、山道入口を交差するように2匹の蛇がすれ違うという・・・
※両方とも比較的小さかったですが、間違い無く片方はマムシでした(汗)

いきなり出鼻をくじかれましたが、多分奥にはいないだろうと勝手に思い込み(←決して真似しないで下さいw)、そのまま登城。


真篠城は訪問した時期的なものなのか、ものすごく枯葉が多く、非常に歩き辛かったです・・・が、山城としてはかなり低い(+車でそれなりに高い所まで登っていた模様)ので、枯葉に足を取られて斜面で転倒する・・・って程の勾配はありませんでした。

主郭は横堀・帯郭・切岸・蔀土塁で囲まれていて、虎口から入るような感じです。
主郭がまた足場悪くて、足ひねりそうになったり、・・・踏んだ枝が飛びあがって下腹部直撃(激痛w)したり・・・年末のダウンタウンの「笑ってはいけない〇〇」の罰ゲームか!って言いたくなりますw

お城(というか、武田氏の対今川への砦だったと思われ)としては場所が場所だけにマイナーな部類に入るのは解りますが、せめてもうちょっと整備して欲しかった~~

遺構に関しては若干物足りなさはあるものの、決して悪く無いお城だったと思います。


自分は蛇に遭遇しましたが、見るからに獣が出そうな感じしましたので、熊や猪にも注意が必要と思われます。
攻略する際には十分に準備して攻略されたし(・ω・)b

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チェブ

竹千代ピンチ! (2018/12/29 訪問)

松平 信光公(家康さんの御先祖様)の時代から岡崎に移るまで拠点だった「安祥城」に行きました。
松平氏が4代の間、城主だったようです。

「安祥城」は本丸に大乗寺、三ノ丸に歴史博物館があります。
駐車場があるので歴史博物館辺りを攻めました。
切岸や掘、姫塚があります。
もちろん私は説明板のお陰で見落とさないですみました。
その位、一部を残してくれています。

この「安祥城」近くで9年間、安城合戦がありました。
信長さんや家康さんのお父さん時代のややこしい合戦です。
この結末が竹千代君(家康さん)と織田 信広君(信長さんの兄ちゃん)の人質交換です!
家康さんの苦労はこの辺りから始まったんですね。

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todo94

続日本100名城スタンプ91個目 (2019/01/19 訪問)

続日本100名城のスタンプラリーが始まる前に昨年1月、初攻城していますので、1年ぶりの再訪です。大規模な竪堀で大きく東西の曲輪に分かれていますが、中でも西郭の五重横堀は圧巻です。かつての箕輪城の空堀もこんな感じに樹木が密生していましたが、今ではきれいに伐採されて土の城の素晴らしさを堪能できるようになりました。古宮城もいつかそのうち…。

時間を見計らって10時ぴったりに作手歴史民俗資料館にてスタンプをゲット。それから愛知県赤十字血液センター豊橋事業所に向かったのですが、献血予約の11時に8分ほど遅れてしまいました。

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三河のかづ

岩津城(岡崎市) (2019/01/27 訪問)

初めて行く方は入り口はわかり難いので事前準備が必要です。空堀にかかる土橋が見れます。

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くろもり

岩屋城の戦いの地 (2013/12/31 訪問)

戦国末期に、九州統一を目指す島津氏の北上に対し、寡兵で戦い散った高橋紹運公の最期の地です(城址の解説には敵の島津軍5万とありました。5万は誇張があるかもしれませんが、圧倒的な兵力差だったことは間違いないはずで、城兵は763名と伝わります)。

圧倒的な兵力差にもかかわらず、島津氏の猛攻に約2週間耐え、ついに紹運公以下、城兵全員が玉砕したと伝わる壮絶な戦地の本丸跡には「鳴呼壮烈岩屋城址」の碑が島津軍に立ちはだかるように、城下に向かい建てられています。島津軍を防いだ2週間という数字はとても大きく、岩屋城攻略後、島津軍は紹運公の実子の立花宗茂公の立花山城に兵を進めますが、豊臣秀吉の援軍が九州に到着し、島津軍は博多へ撤退しました。

遺構は本丸に土塁のような高くなっている所がありますが、櫓台跡とも伝わりはっきりわかりません。本丸の下には腰曲輪のような所も見えます。本丸から車道を挟んで下にある二ノ丸と伝わる場所には、紹運公の胴塚と家臣の墓碑があります。また、城から離れますが、西鉄二日市駅の近くに紹運公の首塚があります。

大野城のある四王寺山の中腹にある城で、太宰府や二日市方面の眺望が良いので(太宰府政庁跡や水城の土塁が見えます)、紹運公を知らない方でも、楽しめる場所ではないでしょうか。

車での訪問の場合、岩屋城の近くに車1台が止められるスペースがありますが、大野城の太宰府口門跡近くの焼米ヶ原に10台くらいの無料駐車場があり、そこから岩屋城まで遊歩道が整備されており、徒歩10分~15分くらいです。太宰府駅または太宰府政庁跡から徒歩で訪問される方も、岩屋城からの車道は路肩がなかったと思うので、大野城へ向かう場合、遊歩道を歩いた方が安全だと思います。

高橋紹運公と岩屋城の戦いを詳しく知りたい方は、吉永正春先生の「筑前戦国史」がおすすめです。

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モト

整備された城跡は土塁と空堀が見れました (2018/12/31 訪問)

土塁が見事でした。
整備された城跡は見学しやすく、けっこう広い範囲で土塁や虎口を見ることができます。
少々整備されすぎ、なんて声も聞かれますし、たしかにそれは感じるような...。
ただ、土塁がしっかりあるので縄張りがどんなであったかを感じられます。

また、空堀もあります。
これは土塁もあるからか、なかなか深くて立派でした。

城跡全体としても雰囲気があってよかったです。

訪れた日、工事をしている場所もありました。
これからまだまだ整備されていくんでしょうね。

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あきおこ

複数の建造物が残る貴重な城 (2008/04/29 訪問)

2008年訪城。関東地方では珍しく城内に櫓、櫓門、門が残る。主要部の土木遺構も残り見どころは多い。

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あきおこ

府中城(石岡陣屋)の重厚な城門と土塁 (2008/04/29 訪問)

2008年訪城。府中城(石岡陣屋)は小学校と市民会館の敷地にあります。城門と土塁が残ります。

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