【桂城】
<駐車場他>駐車場はなし。ごみステーションのある道路脇<34.631842, 132.649698>に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>堀切・竪堀・切岸
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅5城目。桂城の築城は戦国時代初めに桂広澄によって築城されました。桂氏は毛利家の庶家である坂氏の分家で桂広澄が坂氏の嫡流でしたが分家して桂氏を興しました。やがて本家の坂氏が毛利元就に謀反し尼子氏に通じた為に広澄は責任を取り自刃します。無実であった為に毛利元就は子の元澄をそのまま宿老として一族を存続させます。関ヶ原後に城は廃城となります。桂氏の末裔は桂小五郎(木戸孝允)や桂太郎(内閣総理大臣)を輩出します。
桂城は独立した山に築かれており、山の尾根上に沿って曲輪が築かれた連郭式の山城です。大きく西の城・中の城・東の城に分かれています。登城口(国道から案内あり)からの案内に登っていくと中の城に着きます。中の城は西と東の城を繋ぐような役割があったようで尾根上を比較的広く削って削平地にして堀切で仕切っています。
先に西の城に行きました。中の城の尾根上から行くと主郭手前の堀切を渡り切岸を登るとまず主郭に入ります。主郭から西側と北側に段曲輪が多く派生しています。北側斜面には竪堀と堀切が入り乱れて凄い見応えがあります。主郭南側に土塁があります。
東の城は西の城より比高が高い位置にあります。ここも尾根上から行くと主郭に入り込みます。東の城の主郭は広いです。主郭から北東方向に段曲輪が3段程伸びています。段の高さが非常にあり、堀切で仕切り非常に見応えがあります。
下山し最後に桂広澄公墓所にお参りしました。城跡の広さとダイナミックな遺構で堪能しました。いい城跡です。
<満足度>◆◆◆
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