毛利元就生誕の城で館跡が福原氏居館跡として整備保存されています、害獣除けフェンス扉より約100~150m程で福原氏居館跡に着きます、結構広くて南北に長さ約50m、幅約20m程あります。
中央奥に自然石に刻まれた「毛利元就生誕の碑」が有ります。
これで広島県北部未踏、登城探訪は終了し岡山県備中、備前の城郭探訪へ
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2023/11/09 22:48
2023/11/09 22:26
鈴尾城山頂郭周辺(1/2) (2023/10/06 訪問)
鈴尾城は別名福原城と言われて、毛利元就の生誕の城と言われている、広島県北部未踏、登城探訪の3日目で10城目に成ります。
駐車場:登城口の墓場前に数台の駐車可能(34°38'10"N 132°40'01"E)、トイレ無
参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、グーグルマップに依る。
前泊の三次よりR54を走り、五龍城を探訪し、安芸高田市歴史民俗博物館前を通り前日登城した隣の鈴尾城(福原城)へ前日下見をしていましたのでスムーズに駐車場へ到着。
登城口に毛利元就誕生伝説の地との石碑と案内板が設置されている、害獣除けのフェンス扉開閉して入城、緩やかな登城路を登って行くと広い福原氏居館跡、案内板に、自然石を使った毛利元就誕生の碑、南奥から折れ折れの道を登って行く、合名石碑も有り登りに目安が付き登りやすい、主郭から北東に伸びた尾根の先端に小さな曲輪が切岸で突出目立つ、北の降りると井戸跡、先端曲輪から主郭に向かって4~5段の曲輪、主郭の丸太登城路一部崩落していた登り危険を感じる、降りも危険、主郭は傾斜地で三段に成り最上段に城名碑「福原城址」と案内板、俯瞰図は剝げて識別困難、最上段主郭の南下に曲輪が一つある。
主郭直前は登城路荒れているが概ね登りやすい城です。
案内板を写真掲載しましたので、詳細は写真をお読みください。
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2023/03/07 21:29
毛利元就生誕の地 (2023/02/12 訪問)
【鈴尾城】
<駐車場他>鈴尾城登山口休憩所に駐車可能
<交通手段>車
<見所>堀切・切岸
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅6城目。鈴尾城は別名福原城とも呼ばれ福原氏の居城でした。現地説明板によると、南北朝時代の1381年に毛利元春の5男広世が長井姓から福原村を与えられ福原姓に改姓しこの地に築城しました。第8代福原広俊の娘は毛利弘元の妻となり長男興元、次男の元就が誕生します。なので毛利元就は母の里であるこの城で誕生したとされます。福原氏は毛利家の重臣として毛利家を支えますが関ケ原後に毛利家の萩移封と共に福原家も移転し鈴尾城は廃城となります。
登山口から少し登ると福原氏居館跡の削平地、毛利元就誕生地碑があります。そこを通りつづら折りを登ります。折れの途中から北方向に山に入り込むと2重堀切があります。戻って再び登山道を登り、段曲輪の最下段に入ります。曲輪を突っ切って先の奥に石組井戸が残ります。井戸の更に奥に進んで行くと広い曲輪があるようなのですが倒木と道がロストしていて断念しました。段曲輪の最下段に戻り4段程の曲輪の上が主郭になります。主郭には段曲輪と長方形の腰曲輪1つ、舌状の腰曲輪が2つ付いています。主郭は狭く小さく段状になっています。石積み跡のような石列も残っています。主郭南側にも大堀切と小さな曲輪、連続堀切になっていて斜面の中腹から回り込んでアタックしましたが斜面がきつく断念しました。全攻略ができず難しい城跡でした。
<満足度>◆◆◇
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分類・構造 | 連郭式山城 |
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築城主 | 福原広世 |
築城年 | 永徳元年〔南朝〕/弘和元年〔北朝〕(1381) |
主な城主 | 福原氏 |
廃城年 | 慶長5年(1600) |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸 |
指定文化財 | 県史跡(毛利元就誕生伝説地(鈴尾城跡)) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 広島県安芸高田市吉田町福原 |
問い合わせ先 | 安芸高田市生涯学習課 |
問い合わせ先電話番号 | 0826-42-0054 |